俳句雑誌「空」42号(2012年4月)に載せていただいた拙文です。 お時間の余裕のあるときにでも読んで頂けると、嬉しいです。
季節の詩歌(28)〜若葉・新樹・新緑〜

花よりも若葉かしこし吉野山 石塚 友二
桜の花にはもちろん心惹かれるが、義姉が亡くなった四年前の春から、この句にあるように「花よりも若葉」と感じることが多くなった。それまでも春には、母、姉、妹と早くに亡くしたが、私が若かったせいか、「花よりも若葉」とは思わなかった。年を経てからの義姉の死は、実姉のように慕っていたこともあって、その時の桜の花が心底淋しく思われた。花の季節が終わり、萌え出た若葉に自分でも驚くほど励まされたのは、そこに長く続く命を感じたからである。私にとって、若葉はまさに「かしこし」、つまり「もったいなく、すばらしいもの」である。桜で有名な吉野山であるが、莟から落花まで人々の心は慌しく、山は騒がしい。ようやく静寂の戻った山で、若葉を前にした作者の感慨は深く、長い思索に浸ったことだろう。
若楓枝を平らにうち重ね 富安 風生
川しもに端枝ひろぐる若楓癒えかてぬ身の目見(まみ)にけぶらふ 吉野 秀雄
ところで、春の桜花に対して秋は紅葉、なかでも楓は注目を集めるが、季語においても楓の若葉には「若楓」という特別な言葉が用意されている。水辺を好む楓は、川や池の畔で見かけることが多い。この句も歌も、遮るもののない場所で伸びやかに枝を広げ、五月の風に枝全体がゆさゆさと揺れる楓の様が思われて、心地よい。瑞々しく柔らかな緑がけぶるように見える様は、病の癒えぬ身にとって、尚更、生命感にあふれ眩しい存在であったろう。若葉は、見る者に元気を与えてくれるが、なかでも柿若葉の新鮮な緑は、際立って明るく爽やかである。
柿若葉重なりもして透くみどり 富安 風生
枝伸びて廂におよぶ柿わか葉濡るるかと見ゆその若き照(てり) 窪田 空穂
この頃は農村の高齢化で、晩秋になっても採られないままの柿の実も多く、他人事ながら心配になる。が、春の連休に遠出をした折など、遠目にも鮮やかな柿若葉を見ると、心が浮き立ってくる。太陽光を透かす美しさ、日に照る輝き、大きくシンプルな葉の形、どれをとっても若葉の王者と言えよう。遠出はせずとも、自宅の庭、公園、学校など身近な所にある若葉も、もちろん魅力的である。
借景は空でありけり庭若葉 宮地 玲子
庭に、仰ぎ見るような大きな木があるのだろうか、それとも、背景に空間が広がるのだろうか。「借景は空」という表現が、大らかで夢があり、若葉にふさわしく思われる。次の歌は、公園の芝生の上だろう、槻(欅の古名)の木の下で、若葉の光の滴りを浴びるかのように、並び坐る二人。使われている言葉の一つ一つもそうだが、情景を想像しても幸福感でいっぱいになる。若葉には、祝祭の気分がある。
槻若葉かがよふ芝に坐りをれば二人あることに心充ちゆく 篠 弘
遠目にも母校の樟の若葉かな 石黒 節子
若葉風講義の室に吹き入りて骨骼標本をかすかに鳴らす 石川 恭子
樟は五十メートルを超えることもある常緑高木で、寺社のシンボルツリーであったりする。常緑だが、春に新しい葉が出ると、前年の葉は落ちる。この句の樟も、遠くからそれと知れる立派さなのであろう。明るい緑の若葉に重ね、学生の頃の初々しい気持ちや出来事を、作者は思い出しているに違いない。歌のような情景も、その一つであろう。新しい学年で、まだいくらかの緊張感をはらむ教室、そこに若葉を通り抜けた風が吹き入り、骨格標本が硬く小さい音を立てる。思わず窓の外に目をやった作者は、視界に入った若葉に心が揺れたのではないか。触覚・嗅覚・聴覚・視覚で受け取った、初夏の季節感はいくつになっても忘れることはない。どこにも行かない木と結びついた思い出は、一層確かである。
傘にすけて擦りゆく雨の若葉かな 杉田 久女
傘さしてほどなく畳む細きあめ梢の若葉を発光させつ 島田 幸典
窓そとにしげる若葉はおもひきり雨のしづくをふるふ音する 佐藤佐太郎
植物は、雨が好きである。なかでも葉は、雨に打たれると嬉しげである。「傘に擦りゆく」のを、作者も楽しんでいるふうなのは、若葉の軽やかさゆえ。作者と若葉が共鳴し交歓しているようで、心地いい句だ。僅かな雨に濡れた若葉が、瑞々しさを増して輝く様子を詠んだ歌には、美を発見した作者の喜びがある。佐太郎の歌は、「雨のしづくをふるふ音」に、若葉の勢い、力強さ、これから伸びてゆくものの元気な生命力が集約されていて、言葉の力を思う。

今まで葉に注目した季語「若葉」を含む詩歌を見てきたが、木の佇まいに焦点を絞った季語に「新樹」がある。「樹(じゅ)」という音のせいだろうか、私はまず、街路樹の新樹を思い浮かべた。
夜の新樹詩の行間をゆくごとし 鷹羽 狩行
都会の街路樹が若葉の頃というのは、歩くのにいちばん気持ちのいい季節だ。街灯を透かして、若葉の色の明るさにも目が行くだろうが、昼間ほどではない。それより、樹々の間を抜ける風や若葉の新しい匂いが心地よく、ゆったりと歩くことを楽しみたい。それがちょうど「詩の行間」を味わうようで、この心身のゆとりが、とてもいいと思うのだ。
この新樹月光さへも重しとす 山口 青邨
淡い若葉の色が透けて見え、守ってやりたいような稚さを感じているのだろう。昼間の強い太陽光は言うまでもなく、静かに降り注ぐ月光ですら重いのだという、作者の感受性は繊細だ。次の二句にも、小さな変化を見逃さない作者の細やかな感性が表れて、新樹の清々しい気が漂う。
夕空に新樹の色のそよぎあり 深見けん二
新樹はや匂へる風の渡るなり 鏑木 洋子
「そよそよと音をたてる」様子を「そよぐ」と言うが、この句では「色のそよぎ」と表現することで、目と耳両方に優しく柔らかい情景を印象付けた。背景が夕空であることが、この穏やかな場をさらに美しいものにしている。二句目は、まだ芽吹いて間のない若葉が、一人前に木の香りを発していることを、風の中に感じ取った句である。作者の驚きと喜びが、「はや」という修飾語から知れる。木々が発散する香りはフィトンチッドと呼ばれ、新緑の頃がいちばん発散量が多いそうだ。
新樹とふ空にたばしる水の群れ萌ゆる嫩葉(わかば)となりて噴き上ぐ 沢田 英史
「水の群れ」という捉え方が新鮮だ。人間も生まれた時がいちばん水分が多い。若葉もそうなのだ。新しい命を空に向かってつき上げてゆく様は、勢いがあって「たばしる」という言葉も実にふさわしい。新樹の、上へと伸びる力強さを見事に表現したこの歌は、読む者に未来への勇気をくれる。次の二首に、「新樹」という語は使われていないが、「一本の木」として捉えてあり、先の歌と通ずるところがある。
ここを動かず五月の空に立つ欅一処(いつしよ)の生(せい)の輝き降らす 橋本 喜典
もうすでにきみの一生(ひとよ)はをはりぬと若葉を吹けるこの大欅 前 登志夫
冬の間すっかり葉を落とし美しい樹形を空に広げる欅が、私は大好きだ。春が近付くと、幹がほんのり赤みを帯び、新しい命の誕生を準備しているようであるのも、好ましい。柔らかな色の葉が萌え出で、若葉が噴出するように出そろうと、私の喜びは頂点に達する。もう何年も見ている欅が、毎年新たな「生の輝き」をくれる。

「若葉」「新樹」より少し新しい季語に「新緑」がある。若葉におおわれた野山など、広がりが感じられる場面や雰囲気を表す場合によく使われている。
新緑の浅間雪なく雲もなし 水原秋櫻子
からまつの新緑想う恋のごと 窪田 久美
新緑の浅間山には一切の残雪がなく、くまなく晴れた青空が広がっている。爽やかな五月を象徴するような秋櫻子の句である。また、この時期、信州の高原に出かけると、新緑のからまつ林の美しさに心を奪われる。一度この風景を目にすると、この句のように「新緑」に「恋」をしてしまうのだ。
新緑やまた水楢(みづなら)に歩をとゞめ 佐野青陽人
新緑の樟(くす)よ椎(しひ)よと打仰ぐ 高木 晴子
新緑の雑木林をのんびり散策している時の、満ち足りた気分がよく出ている両句である。落葉高木の水楢、常緑高木の樟、椎、いずれも春に、淡く新鮮な緑の若葉を生じ、見上げる我々の心を軽快にしてくれる。若葉の色のみならず、光合成による清浄な空気、しっとりと体を包む湿り気、馥郁たる木々の香り、木漏れ日、これらの澄明な気に満ちた林は、森林浴に最適である。言葉によるイメージの森も素敵だけれど、新緑の季節は、やはり外に出かけ、自然の力を体ごと受けとめたい。
新緑の低き庭木にさす朝日ひかりとかげの濃き綾を織る 窪田 空穂
新緑の朝なりおぼろに霧らひつつ日高く照れりおほけなきかなや 前川佐美雄
最後の二首は、作者がふだん暮らしている身近な場所で目にした新緑である。どちらの歌にも、空気の爽やかな朝の時間帯に、ゆっくりと新緑と向かい合っている作者がいる。「おほけなき」は「恐れ多い、もったいない」という意味の古語で、本文冒頭の「かしこし」に通じる、自然への畏敬の念に溢れた言葉である。豊かな恵みを育む、木の偉大さを思う。

写真はすべて、家の近くで、4月末に撮影しました。 テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術
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