心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く言葉-重松清『みんなのなやみ』より
 お願いだから、自分で命を絶たないで!
もうそこではやっていけないと思ったら、取りあえずそこから逃げようよ。逃げることは卑怯じゃない。
卑怯なのは、人をいじめている奴らなのだから。死んでも彼や彼女らは悲しまない。
本当に命がけでやるべきことは、これから先の人生にいっぱいある。その時まで、命をでっかく育てていこうよ。


このブログを、苦しんでいる子が見ている可能性は限りなくゼロに近いだろうけれど、こう言わずにはいられない。

 岐阜県で、また中学生が自殺してしまいました。「優しくて真面目で頑張りやさんだった」「私たちもやられるから、いじめを注意できなかった」という生徒たち。ニュースの中で、「校長は嘘つきだ」と言っていた保護者の言葉に、無力感が漂っていました。
二転三転する校長先生の説明、「遺族の誘導尋問にはめられた」という発言、「本人がいじめだという以上はいじめだと認識している」と言いながら、あの遺書の文面をいじめと認めない卑怯さ…。
表情で判断するのは、不見識かも知れないけれど、ずるさの出た顔つきをしていました。自分の学校から自殺者が出たことへの、心の痛みがどこからも感じられません。「これでは何も変わらないし、私たちも怖い」と言っていた生徒の思いは、本当だろうと、この校長先生の姿勢を見て思いました。

何とかしないといけないのは、私たち大人なのに!

 重松清さんの『みんなのなやみ』(理論社 よりみちパン!セ)に、ヒントになる言葉がありましたので、転載します。

いじめの問題のいちばんの難しさとはなにか、と最近考えるんだけど-。
ぼくが思うには、「子どもだけでは解決できない」「でも、当の子どもはおとなを入れたがらない」ということ。そこに、いちばんの難しさがあるんじゃないだろうか。
(中略)
人間は弱い。弱くて、ずるくて、汚い。でも、そんな心を持つなとは誰にも言えない。それを抑えていくのも学べるのも、人間なんだ。
もはや、「いじめ」は、子どもどうしで話し合って解決する問題ではなくなっている。フタが開いて、はみだしてきてしまった残酷な心は、おとなが無理矢理にでも抑え込んでいくしかない。
昔、世間では「子どものケンカには親は口を出すな」と言われていた。先生はあまり介入するな、子どもどうしで何でも解決しなさい。
……でも、そんなことがいまでも実現されているのだろうか。「子どものケンカ」でも、勝ち負けのある、一対一のタイマンならいい。でも、自分が負ける可能性を引き受けないで、ただ一方的に相手に勝ってやろうと思うのならば、それはケンカではない。「いじめ」か「リンチ」だ。
だったら、おとなが、「おまえがそれをやった時点で、もう負けなんだ」って言いつづけるしかない。
誰かをいじめている最中、おまえは、ずっと勝ったと思っていい気になってるだろう。でも、いじめの心のフタを開けてしまった時点で、おまえは根本のところで負けてるんだ。
――そういうことを、おとなが、厳しく言いつづけるしかない。

心に響く本-ターシャ・テューダーの本
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『ターシャ・テューダーの世界』の表紙と裏表紙    『小径の向こうの家』の表紙

中国語仲間のTさんから貸して頂いた「ターシャ・テューダー」関連の本2冊を紹介します。
1914年生まれのターシャ・テューダーは、アメリカの人気絵本作家。
自力で手に入れた広い敷地に家を建て、園芸・動物の世話・絵を描くことを中心に、今も自給自足で心豊かな暮らしを送っています。彼女の「自足した生活」が醸し出す幸福感が、読後もさわやか。皆さんにお薦めします。

 『ターシャ・テューダーの世界-ニューイングランドの四季-』
(ターシャ・テューダー&リチャード・ブラウン/文藝春秋/3689円)

 カメラマン リチャード・ブラウンの序文より
「ごく幼いころから、ターシャ・テューダーは自分が何をしたいかはっきりわかっていた。人里離れた農家に住んで木や花の植わった庭と犬や猫などのペット、それに山羊や鶏などの小動物に囲まれ、絵本のさし絵を描くというのが彼女の夢だった。ターシャはその夢をすべて実現した。著名なさし絵画家であるターシャは、目下78冊目の絵本を制作中だ。バーモント州南東部のなだらかな丘陵の中にひっそり隠れたターシャの住まいは、彼女自身の設計によるものだ。この家と庭には、古い時代の価値観や生活様式に対するターシャのあこがれの気持ちが反映されている。」
「ターシャが子供のころの夢を実現できたのは、強い意志と揺るぎない決意のおかげだ。彼女は大好きな作家のひとりであるジョージ・バーナード・ショーの言葉を、生き方の指針にしてきた。『正確にはおぼえていないんですけど』と、彼女は打ち明ける。『でも要するに、自分の置かれた環境について不平を言う人は多いけれど、成功する人は自分で環境をつくってしまうということね』ターシャはまさにそれを実行したひとりだ。」

 本文より
「わたしは心から満足しています。犬や山羊や鳥たちと一緒にここへ住み続けること。それ以外に何の望みもありません。自分ではまずまずの人生を生きてきたと思いますが、人に伝えたいメッセージなどありません。もしわたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、それを一番よくあらわしているのはヘンリー・デイヴィッド・ソローの次の言葉です。『自信をもって自分の夢へ向かって進み、自分が思い描いたような人生を生きるように努力すれば、予想外の成功がえられるだろう』これがわたしの信条です。これは真実です。わたしの人生はこの言葉に集約されます。」
大変な労働を経てきたからこそ言える言葉。1830年代の服を着た彼女たち、花にあふれた庭…、どのページの写真も絵のような美しさです。
高いけれど、自分へのクリスマスプレゼントとして、手にしたい一冊です。

 『小径の向こうの家-母ターシャ・テューダーの生き方-』
(ベサニー・テューダー/メディアファクトリー/2000円)
本文より
「母の家には、安らぎと落ち着きがあります。前向きで、知的で、創造性豊かな母がそこにいれば、なおさらです。母に接すると、この世には、美しいものがまだたくさんあるという豊かな気持ちが伝わって、心が温まります。本当の幸せとは何かを悟っているからだと思います。」
この文章が象徴しているように、四人の子どもたち(男女各二人)は、遊び心いっぱいの母親のもとで、クリスマス・誕生日・人形劇・ハロウィーンなど様々な行事を楽しみます。創造性豊かな暮らしの中で育った子どもたちの幸せな様子が、この本にはあふれています。今も、子どもたちの二人は近くに住み、孫たちもターシャのもとを訪れるそうです。

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お知らせ-新しいリンク先「Blue Sky」
 お知らせ-新しいリンク先「Blue Sky 心に響いたものを写真に綴ろう」(http://blogs.dion.ne.jp/haibisukasusaita11/)

ぴょんこさんのブログの右列「お友達のブログです♪」の欄を見ていたら、気になる名前がありました。「Blue Sky」!わが家のセキセイインコにも「Blue」と「Sky」とつけたほど、私は「青空」が好き!小さいときから空ばかり眺めて暮らしていました。
早速チェックをしてみたら、驚いたことに、ブログの持ち主さんの名前が「sora」さん!実は、私はこのブログを開設するとき、author名を「sora」で申し込んだのですが、「既にあります。」と、却下され、「大空の亀」としたのです。
おまけに、私が愛して止まない「沖縄」に住まわれている!これは、すぐにでもリンクをと思ったのですが、何だかお若いようで、ちょっと遠慮しておりました。でも、沖縄の海と空を眺めたく、「お気に入り」に入れて、ちょくちょくお邪魔はしていました。
ほんわかと穏やかで優しい雰囲気の漂うブログ、皆さんにも味わって頂こうと、新しくリンクを致しました。よろしければ、訪ねてみて下さい。沖縄の澄んだ海と空に心がなごみますよ。

 お知らせパートⅡ-「ハオ日記第15回」に、本日(10月26日)お待ちかねKANEGONのコメントが追加されました。まだ、追加コメントがあるようですが、取りあえずアップしました。お楽しみ下さい。

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心に響く言葉-谷川俊太郎の詩集から
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                                                      【ベランダにて】

 谷川俊太郎の詩集から抜粋した言葉たち

この世で 一番美しい目差(まなざし)
それは不可能なものに 向けられている

 
愛しています――
それは熟れた果物のように
唇からおちてくることば


私は鳥よりも もっと自由になりたい
鳥のたとえで魂を語らずに 魂のたとえで鳥を語りたい


この黄昏
空の限りない深さの底にいて
祈らなくていいのか
許された一日を終える今


これらの言葉は、高校時代に愛読していて、今も宝物のように大切にしている詩集からとりました。

テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

猫日記「好(hao3)の日々」第15回
「今天是儿月儿号星期儿?(jin1 tian1 shi4 ji3 yue4 ji3 hao4 xing1 qi1 ji3)?」今日は何月何日何曜日ですか?
「今天是10月22号星期天(jin1 tian1 shi4 shi2 yue4 er4 shi er4 hao4 xing1 qi1 tian1 )。」今日は10月22日、日曜日です。
「你好(ni3 hao3)!」こんにちは! 「母的好是五个月。」メスのハオは五ヶ月です。

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だるまさんがころんだっ(動いてないよー) キッチン制覇     巴投げぇ!

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大外ガブリ!    ハオ行きます!   ハオ掘ります!掘ります!  ハオ届きます! 

まずは、簡単に写真の説明を。上段左から、キッチンカウンター、流しにて。スヌーとの闘い。猫草食べる、掘り返す。再び、キッチンカウンター。【 拡大できます。】

母さんは、NHKのラジオ講座で自主勉強もしているのだけれど、今月号のテキストの例文でショックを受けたそうです。
中国では、年齢を尋ねるとき、相手のおおよその年によって、尋ね方が違うらしいの。
① 10歳ぐらいまでは、「你几歳了?(ni3 ji3 sui4 le)」「あなたはいくつですか?」
② 10歳以上の若い人には、「你多大了?(ni3 duo1 da4 le)」「おいくつですか?」
③ 年配・お年寄りには、「您多大歳数了? (nin2 duo1 da4 sui4shu le) 」「おいくつですか?」[【您】は【你】の丁寧語です。]
ショックだったのは、③の答えが「53歳」とあったこと。「えーっお年寄り!?そうか、そうだったのか!」と打ちのめされたそうです。
仕方ないよね。だって、三つに分けたら、どうしたって、③でしょ。
ちなみに、答え方は、次のようになります。
①「八歳了。 (ba1 sui4 le)」「8歳です。」
②「二十四歳了。(er4 shi si4 sui4 le)」「24歳です。」
③「五十三歳了。wu3 shi san1 sui4 le」」「53歳です。」
[歳の字は、中国語の簡体字では【山】冠の下に【夕】です。]

ハオは、相変わらずよく食べよく遊び、元気に走り回っております。今まで未踏だった、キッチンのカウンターと流し、テレビボードの上も突破し、残すは、玄関の下駄箱の上のみとなりました。ここは、私が飛び出さないように衝立がしてあるので、ガードが高いのです。では、「再見。(zai4 jian4)」さようなら。

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手作りが好き!-友人の作品
いつも、私の、あまり美しくない「リサイクル手芸」を見てもらっていますが、今回は、器用な友人たちのきれいな作品をご紹介します。【 ぜひ拡大して、ご覧下さい。】

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最初の3枚は、れんげ草ちゃんからプレゼントしてもらった「レースのドイリー」です。
弟さんを看ている間、お孫さんのお世話の合間、ちょっとした時間を有効に使って作ってくれました。
本を見なくてもできるよう、編み方が頭にインプットされているのですね。素晴らしい!
と思ったのですが、ご本人からの弁、追加です。早とちりで、ごめんね。
《 とても暗記は出来なくて、コピーを見て編んでいます。それでも所々間違えてしまい(A型なので誤魔化せず)1段ほどいては編むので進みが遅い時もあります。》

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2段目の3枚は、keikoさんが、娘さんが小学生の時に、初めて作ったベッドカバーです。
以下は、keikoさんにメールで説明してもらった文を、お許しを頂いたので、そのまま載せます。
《 ドレスデンプレート(ドレスデンのお皿)というのは、昔からあるパターンですけど、見ようによってはお花にも見えるでしょう?それで、真ん中を黄色にしてみました。そのまわりはどの布も、ヘタをしたら捨てられたかもしれない残りぎれ。ワンピースやスカートのほか、給食のナプキン入れ、体操袋、お砂場遊びのスモック、そしてジャムの蓋にかけてあったチェックの布まで、総動員です。濃い色の隣は薄い色・・・というのだけを決まり事として、ただただ縫い合わせただけですけど、「廃物利用」ができたことと「想い出の布が残せた」ことで自己満足。はずかしながらますます、パッチワークにのめりこんでいったという訳です。》
パッチワークの原点ですね。素敵なおかあさんで、娘さん幸せ!根気強いkeikoさんならではの大作です。

テーマ:こんなの作りました♪ - ジャンル:趣味・実用

心に響く風景-コスモス(秋桜)
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心の痛むニュースが多い毎日、ここのブログではあえて触れずに来ましたが、今回の福岡の中学2年生が自殺した事件には、あ然としました。引き金が教師のいじめだとは…。級友の筆箱を拾ったその生徒に、「偽善者にもなれない偽善者」とは、何というひどい言葉でしょう。「優しいなあ。」そう言えば済む場面なのに。私たちには見えない事情があるのかもしれないけれども、どう考えても、教師の資質に欠ける人だと思えます。採用のミス、本物の大人に成れていない教師が、かけがえのない命を犠牲にしてしまいました。悔しくてなりません。

コスモスが大好きです。色も、弱そうに見えるけれど強いところも。写真は、万博公園のコスモスの丘です。いろんな所にコスモスを見に出掛けましたが、一番好きなのはここ。思い出もいっぱいあります。このブログに何回か書かせてもらった同級生のFちゃんと、外で最後に過ごしたのもここ。同じような思想を持ち、保育園に子どもを預けての共働きも、住んだところも近くて、同志のようだったFちゃんは、同じ病気で先に逝ってしまいましたが、コスモスを見るたびに、前向きで一生懸命に生きていた姿を思い出します。

もう一つ思い出すのは、星野富弘さんの詩。コスモスの花の絵に添えて、次の詩が書かれています。
風は見えない
だけど木に吹けば緑の風になり
花に吹けば花の風になる
今 私を過ぎていった風は
どんな風になったのだろう

この詩を読むと、自分の生き方を問われているようで、背筋がすっと伸びる気がします。

星野富弘さんは、皆さんご存知のように、憧れの中学校体育教師になって2ヶ月目、クラブでの模範演技中に失敗し、頸髄を損傷し、肩から下の機能が麻痺してしまいました。
その後、口に筆をくわえ、絵や詩を描かれるようになり、今に至っています。
体を動かすことが大好きだった人が、その自由を失い、絶望の中から、それまで縁のなかった絵や詩を描くことを覚え、「失うことは得ることだ」と思ったと書かれているのを読んだとき、深い感銘を受けました。
また、「電動車椅子で外に出掛けるとき、揺れるのが辛く、いつも平らな道ばかり通っていたが、ある時凸凹の道を通ったら、車椅子に付けていた鈴が鳴った。体を動かせない自分が、凸凹の道を通ることで、鈴を鳴らすことができ嬉しかった。」という言葉に触れたとき、人生の大事なことを教えてもらったと思いました。

コスモスは、「宇宙」につながる響きを持つ大きな言葉です。
この花のように、優しく強く、広い空を感じながら生きていけたらと、思います。

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季節の詩歌(1)~秋の風~
 「空」誌15号(2006年10月)に載せて頂いた拙文です。
2011年5月、「季節の詩歌」のカテゴリーを作り整理し直したところ、抜けていたのがわかり追加しました。

      季節の詩歌(1)~秋の風~                 


立秋を過ぎると、吹きくる風に、ときおり秋の気配を感じ、ほっとすると同時に、なにやらもの寂しい気持ちになる。秋の風は、どの季節に吹く風よりも、感性を刺激するようだ。

試合開始のコール忘れて審判は風の匂いにめをとじたまま      穂村 弘

グラウンドで、暑い日射しや土埃を浴びて過ごした夏も、もう終わり。さわやかな風の匂い、澄んだ青空、ふっと自分の世界に入った審判、情景が見えてくる。

初秋の風を待ちわびているのは、人間ばかりではない。暑い夏をなんとか乗り越えたけれど、だいぶ消耗しているものたち。それは、人も虫も鳥も同じだろう。次の二首は、短歌結社『塔』を代表する歌人の歌。どの言葉も、あるべき場所に収まって、情景を詠んだ歌として、大変優れている。

秋日ざしの中に漂う蜂一つかそけき風に乗るとき迅し         高安国世

風吹けば乾きし砂がまづ走る九月の路上に烏動かず         河野裕子                             
秋の訪れをいち早く感じさせるのは、風に揺らぐ萩。小さな花も可憐だが、枝を垂れ叢生した姿は、存在感があり、野が似合う。見る者に、人生や過去を振り返らせる魅力をも持っているようだ。

秋風は過去の索引そのなかに萩咲けば萩は思ひ出づらむ        馬場あき子

ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ      前川佐美雄 

萩、薄、秋桜…秋の植物には、風が似合う。しかし、秋は台風シーズンでもあり、強風に煽られる草木を、心配しながら見ることにもなる。

西へ行くわれの頭上を大いなる台風東へ走れる音す          佐佐木幸綱

窓に近き一樹が闇を揉みいたりもまれてはるか星も揺らぎつ      永田和宏

直接の被害がない時には、一首目のように、「大いなる」自然への感慨もあるだろう。「台風」が、もっと象徴的なものを指しているかもしれない。二首目は「一樹」が主語になった時点で、世界が転換し、遠近感のある面白い歌となっている。

次にあげる三首は、「風」「抱く」という言葉と、作者の心にある「寂しさ」が、共通項でもあるが、描かれた世界は全く異なる。
手をひらき胸を開けど風のほかわが抱擁のなかに入り来ず          稲葉峯子

寂しいとき抱きたし胸でも子でもなく風にそびゆる樟の若幹         栗木京子

風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ     吉川宏志


受け入れる準備はできているのに、風しか入ってこない「寂寥感」のある一首目。寂しさを真に受け止めてくれるのは、自然の中の生命力ある一木であり、そこから、若くみずみずしい力をもらえそうな二首目。三首目は「曼珠沙華」の花の特徴と、作者の思いが、うまくマッチして印象に残る歌だ。

これら、思いを前面に出した三首と対照的なのは、白秋の次の歌だ。木によって違う風が吹く、という発想が新鮮で、心に残っている。擬音語の響きが、秋を思わせるが、「この山は」常緑の山なのだろう。

この山はたださうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風        北原白秋

この歌を読むと、必ず星野富弘の詩を思い出す。
風は見えない / だけど木に吹けば緑の風になり / 花に吹けば花の風になる
今 私を過ぎていった風は / どんな風になったのだろう
 

ところで、今、自分のいる場所に風が吹いていなくても、風は表現できるものだろうか。次の歌は、その可能性を示し、視点の広がりを教えてくれた。

ここに吹かぬ風が向ひの丘にありうらがへりたる葉が白じろし      石川不二子

風見鶏しづかに止まれ逡巡ののち深き知恵得たりしやうに        稲葉京子


風が弱まり「風見鶏」が小さい揺れを繰り返すのを見て、誰がこんなことを考えるだろう。負のイメージの強い「逡巡」を、好意の目で見られる人にしか詠めない歌で、短歌の良さが存分に発揮されていると思う。
風が止むことで、なお一層風を感じることがある。「風」が表現されなくても、風を感じることがある。

この明るさのなかへ / ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね / 琴はしずかに鳴りいだすだろう    (八木重吉「素朴な琴」)


この詩の中に「風」という言葉はないが、清澄な秋風に揺れる弦の響きが聞こえてくる。すべてを言い切らなくても、充分にわかる。言い切らないからこそ、読み手を豊かな気持ちにさせてくれる。そんな詩歌との出会いを、これからも楽しめたらと思う。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

心に響く詩歌-大木実「前へ」
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  【 神戸にある須磨離宮公園/写真右手には遠くに海・左手には階段の上にカフェテラスがあります。】

 心がカラカラになった自分と対話をしたいとき、必ず出掛ける場所が須磨離宮公園です。
コーヒーを飲みながら、ぼんやりと噴水や遠くの海を眺めていると、心が水に癒されていくのがわかります。
そうして、次に揚げる詩が読める自分に、変わっていることに気づくのです。

   前へ     大木 実

少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう
 言葉で終わっている
―― 前へ。
僕はこの言葉が好きだ。

物語は終わっても、僕らの人生は終らない。
僕らの人生の不幸は終りがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの
 少年ルミよ
僕はあの健気なルミが好きだ。
辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
―― 前へ。

テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

猫日記「好(hao3)の日々」第14回
今天是10月11号星期三(jin1 tian1 shi4 shi2 yue4 shi2 yi1 hao4 xing1 san1)。」今日は10月11日、水曜日です。
最近は、水遊びをしている後ろ姿が多かったので、今回はお気に入りの場所にいるハオを前から撮った写真を載せます。

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1枚目は、玄関近くの窓辺。玄関で母さんを見送ったら、すぐにこの窓に移動して、ずーっと後ろ姿を見ている場所です。ハオがとっても寂しそうな目をするので、母さんは、見送ってくれて嬉しいけど、悲しくもなるそうです。

2枚目は、パソコンのところ。パソコン・新聞・ノートなど、母さんの目がハオを見るときより真剣になるものは、全部ライバル!首を撫でられると、気持ちよくて、何をしにパソコンのところに行ったんだか忘れてしまいます。

3枚目は、洗濯機の上。この響きが、妙に安心感をもたらしてくれるので、洗濯機が動いているときは、そのそばにずっといて、排水口に流れ込む水の動きをじっと見たり、音に聞き入ってうとうとしています。母さんは、この時間が稼ぎ時と、パソコンに向かうようです。

4枚目は、足を怪我して包帯で巻かれたところです。家中をまさに縦横無尽と走り回るので、あっちで引っかけ、こっちで滑り、生傷が絶えません。10月初め、血をいっぱい出していて、母さんはビックリ。それでも自分で治すだろうと様子を見ていたそうですが、ますますひどくなるので5日ほどして病院へ。
先生曰く「ザラザラの舌で舐めるので、余計傷が深くなるのね。すぐ取っちゃうだろうけど、包帯をしておきましょう。」という訳で、この写真。
でも、ずっと足をブンブン振って舐めて、一日で取っちゃった。少しはマシだけど、相変わらず駆け回るので、生傷の絶えない日々です。

5,6枚目は、たまには美人のハオを見てもらおうと思って、お澄まし顔です。

PS:柿の木坂桜亭の20歳のヒマラヤン猫「クマちゃん」が、9月26日天寿を全うして、天国に行きました。寂しいですが、向こうでも幸せに暮らしてくださいね。

テーマ: - ジャンル:ペット

手作りが好き!-肩パッドを使って
皆さんのお家には、不要の肩パッドがありませんか?私は、山のように!持っていたので、それを使っての「リサイクル・チョイ手芸」です。
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はじめの5つは、肩パッドで作った鍋つかみです。
和風のは、古布で肩パッドをくるんで、家にあるひもで飾りなどを適当につけました。
洋風のは、服の共布で作ってある肩パッドだったので、それを生かし、縫い目を隠すため、服を処分するとき取っておいたレースの飾りや、リボンを周りに付けました。

鏡の周りの飾りは、大型ゴミの日、とても立派な50×120センチぐらいの大きさの鏡が二つ捨ててあったので、拾ってきてそれに付けたものです。
鏡の一つは濃い茶色の木で縁取りしてあったので、そのまま使用したのですが、もう一つは、金縁で、我が家の玄関にはどうにも違和感がありました。いずれ木彫でと思っていたのですが、いつまでもできそうにないので、とりあえず、写真のようにしてみました。
取っておいた肩パッドがたくさんあったので、なんとか利用できないものかと考え、デザイン的に満足いくものではないのですが、和風の玄関にはかろうじて合うようになりました。
10センチ角の和風柄の布2枚を、正方形の袋状に縫い、折り畳んだ肩パッドを入れて、立体感を出しました。配置を決めて、両面テープで仮止めしたあと、修正してボンドでとめて、完成です。

新しい物を買ってくるのは簡単だけれど、捨ててあった物が役立つのが嬉しくて…。

テーマ:こんなの作りました♪ - ジャンル:趣味・実用

心に響く詩歌(歌集)-内藤定一さんの歌集
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【 写真を拡大して、ぜひ表紙(装画もご自身)と本の帯をご覧になって下さい。】

 先日、内藤定一さんから、歌集『鳥の国より』が送られてきました。すぐに心当たりが浮かばず、はて、どういうご縁だったかと、いろいろ考えました。

1, まずは、所属結社「塔」の方かと思い、住所録を調べましたが、お名前がありません。「塔」の友人にもメールで尋ねてみましたが、わかりませんでした。

2, ご住所(香川県内)が、大学時代の友人の実家、職場の元同僚の実家と同じ町内でしたので、もしかして、そのご縁で頂けたのかとも思いましたが、それも見当違いのようです。

3, 何年か前、詩の得意な女の子がいて、コンクールのお世話をしたことがありました。名前が同じなので、親戚の方かもしれないとも考えてみましたが…。

4, 昨秋、新聞に掲載された私の詩を読んだ方でしょうか?以前にも別の方から、そのつてで詩集を頂いたことがありましたので、ちらっと頭をかすめました。

5, あとがきの『スロー・グッバイ』が、どうも心にひっかかります。映画で観た?本で読んだ?歌を聴いた?第四歌集『スロー・グッバイ』とちゃんと書いてあるのに、1~4の理由が気になって、肝心のその言葉が頭に入っていませんでした。

 ともかく、読ませて頂いて、お礼と感想をお送りしなくてはと、読み始めました。言葉がみずみずしく、ユーモアもあり、詩作もされるせいか、言葉の切れがよく、気持ちよく読めます。お上手だなと思い、いくつも、好きな歌に印を入れました。

お礼状を送ると、早速お返事が来ました。中を読んで、自分のいい加減さというかボケぶりにあ然としました。
内藤さんの手紙には次のようなことが書いてあったのです。

第四歌集『スロー・グッバイ』を河野裕子さんがほめられていて、それを聞いた私がすぐさま購入し、読み終わったあと、感動のあまり、内藤さんに感想のお手紙をさし上げたこと。内藤さんは、それを覚えておられ、第五歌集ができたので送ってくださったとのこと。

内藤さんに、なんという失礼なことをしたかと、申し訳なさでいっぱいで、あわてて本棚を探しました。もちろんきちんととってあったので、再度読み直し、感慨を新たにしました。

 内藤さんにお許しを頂きましたので、ここに、第四、第五の歌集の中からいくつかご紹介します。
どちらも青磁社から2500円で出版されています。

第四歌集『スロー・グッバイ』アルツハイマーの奥様との19年間を詠まれた歌600首です。

理解出来ぬことをそれとは言えぬまま時に孤独な顔をする妻
苦しとは言えぬ苦しみも分け合いし過去を忘れて静かなる妻
くつくつと鍋の煮物はよく煮えて過去の倖せが音立てている
存在となりて痴呆の妻がいる風が渡って行く草原に
めし粒の食い込んでいるタワシあり一気に思い流せしあとに
過去もない明日も思わぬ妻となり言葉のいらぬ国で居眠る


特に、奥様と関わりの深い歌を選びましたが、皆さんにもぜひ読んで頂きたい歌がたくさんあります。
エピローグの詩にも涙がこぼれました。

第五歌集『鳥の国より』第四歌集とほぼ同じ時期の歌群です。テーマ別の配列になっていて、読みやすいと思いました。

たたかいに死すことのみを考えて渡りし霧の海がありたり
くるくると水面まわるミズスマシまわれば丸い青空である
生きながら昇天はじめし魂の地上一尺  春風の中
靴紐を結び直して外に出るただそれだけの旅立ちである
胸を出て一直線に伸びてゆく橋あれば近し君の心も
まぼろしの老後は消えて無花果の口開けしまま雨に打たるる


二つの歌集を読ませて頂いて、改めて、歌を詠むことで救われてきた魂を感じ、歌の持つ力を再確認しました。

 改めて、お礼とお詫びにと、「塔」所属で、昨年亡くなられた田中栄さんの遺歌集『海峡の光』をお送りしたところ、すぐに所属の同人誌とお手紙を頂きました。
内藤さんと田中さんとは、大正12年生まれで同い年、しかも、工業学校卒という経歴も一緒で、偶然に驚かれたとのこと。
読んだ私も、驚くと同時に、偶然を嬉しく思いました。

私の物忘れのひどさで、大変失礼なことをしてしまったにもかかわらず、ブログへの掲載をご快諾頂き、その上、歌のご縁を大切にしてくださり、大変感謝しています。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

心に響く本-有島武郎『一房の葡萄』
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【写真は、以前に本を見ながら描いた墨絵の「葡萄」(ハガキ大)と、ベランダからの夕焼けです。】

 今回は、前の「葡萄」つながりで、「葡萄」というとすぐに思い出す、有島武郎の『一房の葡萄』のあらすじ&心に残る場面(紫の字は原文のまま)を紹介します。

 「僕」が通っていた横浜の学校は、西洋人が多く、教師も西洋人ばかりである。絵の好きな「僕」は、あまり絵が得意でもない級友のジムが持っている、西洋絵の具が羨ましくてたまらなかった。ある秋の日、ついに、その中から夕焼けを描くのにふさわしい二本を盗んでしまう。それは、すぐにみんなに見つかり、大好きな受け持ちの先生のところに連れて行かれる。その大好きな若い女の先生は、泣き出した「僕」の様子にすべてを察し、絵の具を返したことを確かめた後、一房の葡萄をもぎ取って、自分が授業から戻ってくるまで、先生の部屋に居るように言う。戻ってきた先生は、
「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたもお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」と言って、「僕」のカバンに葡萄の房を入れる。
次の日、なかなか学校に行く気なれない「僕」は、先生を悲しませてはいけない、優しい目で見られたい一心で、登校する。すると、ジムが飛んできて「僕」を先生の部屋に連れて行き、そこで手を握り笑顔を見せてくれた。先生はにこにこしながら僕に、「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われ、「ええ」という「僕」に「そんならまたあげましょうね。」といって、
葡萄の一房をもぎ取って、真っ白い左の手の上に粉(こ)のふいた紫色の房をのせて、細長い銀色の鋏で真ん中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真っ白い手の平に紫色の葡萄の粒が重なってのっていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
 僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
 それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたのでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。


 絵の好きな少年が、自分は持っていない色の絵の具を欲しくてたまらなくなる、その気持ちが丁寧に描いてあり、盗んでしまうまでの心の葛藤、盗ってしまってからの罪悪感、見つかってからの動揺、どれも読み手の心にすとんと入ってくる。
物にあふれた今の子どもたちには、クラスメイトの物を欲しくて盗むという感覚は、ちょっとわからないかもしれない。今だと、いじめやいたずらで、盗んだり捨てたり隠したりしそうだから…。
私が、この話で何より好きなのは、担任の先生のゆとりと思いやりのある対応である。自分が中学生の時、恐ろしくヒステリックな担任と出会ったせいもあって、なおさら、この物語の先生の心映えの美しさが印象的だった。自分が大人になったときは、絶対こういう本物の大人になろうと心に誓ったのを覚えている。「成れたか?」と問われたら、……?だけど。

 中学時代、白樺派の清潔で理想的な考えにはまり、志賀直哉、武者小路実篤などを読み漁ったが、中でも有島武郎の小説は好きだった。『一房の葡萄』は、絵の好きな男の子が主人公の話だが、他にも、生活の苦労を負いながら絵を描く青年が主人公の話『生まれ出づる悩み』があり、とても心ひかれたことを覚えている。
繰り返し読んだのは、武者小路実篤の『馬鹿一』。お人好しで、何でも善意に取る主人公が素晴らしくて、自分の理想像のように思っていた。今、その本が手元にないのが残念だ。ぜひ、もう一度読んでみたい。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年8カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
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2017年 9月26日カウンター343434通過



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