心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く本-私の読書法
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皆さん、連休前半、いかがお過ごしですか?私は、気になっていた家の片付けがだいぶはかどり、やっとすっきり気分で、連休後半を迎えることができそうです。

さて、今回は、「亀さんの本の読み方を教えて」というお葉書などを頂きましたので、読書に燃えた1週間(4月15日~21日)に読んだ6冊の本を例に引きながら、私の読書法を書いてみます。

A:準備段階
私が本を読むときの必需品は、鉛筆と電子辞書。プラス、借りた本の時は、ポスト・イット
読む場所は、机の前・ソファの前・ベランダや外・電車など、本の内容によって異なります。
BGMは、楽器の演奏だけ・日本語以外の歌詞の歌などか、無音で、これも内容次第です。
本を選ぶ基準は、新聞の書評や広告・人のお薦め・興味を持った著者の他作品や関連本で、手に入れたい本の書名・著者名・出版社・価格を、手帳に書き留めておきます。
購入も図書館への予約も、現場で探すのが面倒なので、ネットを利用することが多いです。
小説など読み返す可能性の低い本(予約人数の多い本は購入)、高価すぎる本は、借ります。

B:読書中
感心したこと・初めて知ったこと・いい言葉など、あとから利用したい部分に線を引きます。
特にいいところは、ページの角を折ります。(借りた本には、ポスト・イットを貼ります。)
共感の嵐に襲われたときは、思わず「私も同感!」などと、自分の本なら、書き入れます。
わからない言葉は、辞書で引き、自分の本の場合は、直接そのページに意味を書き込みます。
3種類ほどの本(娯楽用・実用書・趣味や勉強用など)を、並行して読むことが多いです。

C:読了後
手帳の各日の記録に、赤ペンで読了と書き、書名・著者名を書いておきます。
読書ノートに、番号(年が改まったら1から再スタート)と書名・著者名・出版社・価格・図書館利用の有無を書き、その番号に、おすすめ度に応じた花丸や二重丸などをつけます。
簡単な感想やあらすじ(主人公の名前など)を書き、線を引いたところやポスト・イットを貼ったところを書き写します。

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D:読んだ本&読んでいる本
① 4/15読了-志村ふくみ・鶴見和子対談『いのちを纏う(まとう)色・織・きものの思想』 (藤原書店/2800円/図書館)五重丸です。
先日見た「志村ふくみ展」がよかったので、久しぶりに彼女の本を読みたくなり、図書館に5冊予約したうちの1冊です。とてもよい本でしたので、後日詳しく紹介したいと思います。
私は、著者が気に入ると、5~10冊ほど、続けて読み、考えの根っこをつかみたくなります。
こうやって、昔、はまったのが「椎名誠」「村上春樹」などですが、この読み方は、その著者のパターンに飽きるまで続きます。これは、中学時代からずっと続いている癖です…。

② 4/18読了-江國香織作『ホテルカクタス』 (集英社文庫/514円/図書館)二重丸です。
おっとりした女の子が、「好きな本です。」と言っていたので、読みました。
ホテルカクタスという名のアパートに住む「きゅうり」「2」「帽子」という名前の男性3人の友情物語。
名前が人格を象徴している、優しい雰囲気のお話です。
佐々木敦子さんの、階段を描いた絵に味わいがあり、話に奥行きを与えていました。
解説の高橋源一郎の文章がよかったです。文庫本を読む面白さは、あとの解説にあるのではないかと思うほど、最近の文庫本の解説は、力の入ったものがあり、時に本文より、いいなと思うことがあります。

③ 4/19読了-齋藤孝著『使える読書』 (朝日新書/720円)大きな五重丸の花丸です。
齋藤孝さんの本は、既に10冊以上読んでおり、「わかってま~す。」と思うことも多いのですが、次男と共通の話題になる本なので、読んでないのを見つけると、買ってしまいます。
抜群に面白い読書案内になっていて、文章が生き生きしていて、とても楽しく読めました。
本の「概念化」と「引用探し」。本は読んで「書く」ため、「話す」ためにある。「おすすめブックリスト(書名・著者名・一言コメント・引用文一文)」をつくろう。など~
線を引きたおし、書き込みをし、たくさんページを折った本ですが、一番気に入ったのは、次の文章です。真実を突いていると思います。
「人間の想像力の根っこは悲しみである。悲しみは、他者を理解して初めて生まれる感情。……人は、何で笑うかに知性があらわれ、何で泣くかに感性があらわれる。」

④ 4/20読了-新谷弘実著『病気にならない生き方』 (サンマーク出版/1600円/35刷)五重丸の花丸です。
上記③の本に紹介してあり、その中にあった、筆者の文章要点抜き書きに興味を持ちました。
図書館で借りようと思ったのですが、50人以上の予約があったため、諦め、本屋で購入。
自分の病歴・薬歴・食事・仕事や家庭のストレスなどに照らし合わせても、納得のいく内容で、役に立つことがたくさん書いてあったので、いっぱい線を引きました。
既に知っていることや実践中のことも多かったのですが、現場にいる方のお話なので、説得力がありました。例えば、アメリカの野菜は、土壌が豊かなため、日本の野菜より栄養価が高いということなど、初めて知ったこともたくさんありました。
臓器ごとに人間を診る、今の医療の問題点の指摘など、健康について考える時、一度は、読んでおいた方がいい本ではないかと思います。
ただ、繰り返しが多いのと、HPで商品を紹介しているのが、親切かもしれないけれど、私は好みではありません。健康のための実践のポイントは、HP(http://www.drshinya.com/)でわかりますが、筆者の深い思いは、やはり本でないと伝わらないかと思います。

⑤ 4/20読了-奥田英朗作『家日和』 (集英社/1400円)三重丸です。
直木賞を受賞した『空中ブランコ』と、その前作の『イン・ザ・プール』が、面白かったので、久しぶりに新作を買いましたが、借りるぐらいでよかったかなと、ちょっぴり反省。
家庭、主に40代前後の夫婦を主人公にした、6編の短編集で、どれも幸せな終わり方なので、予定調和的で、少々物足りなかったです。ジェンダー・フリーとも言える?テーマです。
自分に素直で無理をしない、等身大の主人公で、軽いユーモアとちょっぴり心にしみる部分があるというのが、この作家の持ち味です。優しいけど頼りない、イチローなんかの対極にある、中年にさしかかった、ちょっとトホホな感じの男性陣、わかるだけに、ちょっと…。
「家においでよ」と「夫とカーテン」という話が好きです。「妻と玄米御飯」は、④の本を思い出させる部分があり、妙な一致に苦笑しました。

⑥ 4/21読書途中-伊藤一彦著『現代“うたことば”入門』 (NHK出版)、坪内稔典著『季語集』 (岩波新書)、櫂未知子著『季語の底力』 (NHK出版)を、季節に合わせ、線を引きながら、ぼちぼち読んでいます。
歌集・句集は、ポイントとなる表現(私なりにつかんだキーワード)に線を引いたり、季語などの言葉を辞書で確認したりで、字数の割に、時間のかかる読み方をしています。
解説された季語を使って、俳句を作り、そのページに書き加えたりもします。


テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

猫日記「好(hao3)の日々」第23回
並んだ♪並んだ♪ハオと楽しい仲間達♪

 4月27日(金)またまたご無沙汰してしまい、1ヶ月以上経ってしまいました。
この間、母さんは、上の階の筍掘り名人さんから、今年もまた10本も筍をもらい大喜びしていました。
しかも、最初の3本以外は、全部ゆでてから持ってきていただくという、至れり尽くせりのご親切にいたく感激していました。

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 大きい写真の説明をしますね。ハオと仲間達です。お雛様を片付けたら寂しくなったので、母さんが、思い出の品々を並べたそうです。
左から順に、私ことハオ。懸賞で当たった木彫りのワンちゃん。母さん手作りの、あごの辺りが山田邦子似のお人形。昔お祖母ちゃんからもらったウサちゃん。右端は、二番目のお兄ちゃんが小さいとき、どこへ行く時も連れていったネコちゃん。この子猫、何か、ハオの小さいときそっくりでしょ。このお兄ちゃんは、ぬいぐるみが好きで、ベッドに並べてたんだって。何歳までかって?ハオは知~らない。
ちなみにハオが座っている敷物は、母さんが古いTシャツ3枚を細く切って、かぎ針で編んで作ってくれました。

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【猫草が好き!!の図2枚・クローゼットのベルトコーナーが好き!・足の向きにご注目】

 ところで、先月、ご近所の猫好きYさんが、私ハオを見に来てくださいました。
母さんと猫談義が弾んでいましたが、一番盛り上がったのは、「猫が家にいると、すべての生き物が猫に見えて、愛おしくなって仕方ない。」という話でした。
Yさんのお家の猫ちゃんたち(今は二匹)は、顔が爬虫類に似ているそうで、トカゲや蛇を見ても「似てるわ~。」と思って、愛着を感じてしまうそうです。
この間などは、雨上がりのアスファルトでのたうっているミミズを、「ここでは死んじゃうわ。」と思わずつまんで原っぱに移した自分に驚いたとか…。
最近は、ゴキブリも、猫ちゃんたちと同じ命ある生き物と思うと、殺せなくなったそうです。「でも、わかるわ~。」と頷いている母さんでした。
母さんも映画『幸福な食卓』を観ているとき、そこで飼われていた鶏が、ハオに見えて仕方なかったそうですが、父さんも同じことを思って見ていたそうです。

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【お兄ちゃんの本棚に閉じこめられ…の図・しっぽは美味しいの図2枚】

 さて、今回の中国語のレッスンは、授業でよく使う言葉です。
1、 準備好了ロ馬(zhin3 bei4 hao3 le ma)?準備いいですか?好了(hao3 le)。いいです。
2、 誰先来(shui2 xian2 lai2)?誰が先にやりますか?我先来(wo3 xian2 lai2)。私が先にやります。
3、 下面請看第20頁(xia4 mian4 qing3 kan4 di4 er4 shi2 ye4)。次は、20ページを見てください。
4、 跟着我読一下(gen1 zhe wo3 du2 yi2 xia4)。私について、一緒に読んでください。
5、 一人読一遍(yi1 ren2 du2 yi2 bian4)。一人、一度ずつ読んでください。
6、 講到這児(jiang3 dao4 zhe4r)または、講到這里(jiang3 dao4 zhe4 li3)。講義はここまで。
  有什イム問題ロ馬(you3 shen2 me wen4 ti2 ma)?何か質問有りますか?没有(mei2 you3)。ありません。

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心に響く言葉-短歌を詠むときに
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1ヶ月前の催し、現代歌人協会50周年「現代短歌フェスティバルin大阪」2007年3月24日(土)(於:オーバルホール)の報告です。短歌に興味のない方には、読む気も起こらなかろうと、まとめたままアップを見合わせていましたが、記録を兼ねて載せることにしました。
「何で短歌を詠むのだろう?」少し関心をお持ちでしたら、読んでみてください。

:現代歌人協会がどういうものなのか全く無知な状態で、ただ、本などで知っている方がたくさん来られるというので、行ってみました。思っていたより小さな会場でしたので、有名な方々を間近に見ることができ、ミーハーな私は大満足、歌を読むときの楽しみが増えました。

次のようなプログラムで、どれもお祭りのような雰囲気でしたが、栗木京子さんが言われた「短歌が柔軟性としたたかさを持ち、大胆な試みも飲み込んでくれるが故に、短歌形式を信じて負荷をかけすぎてはいないだろうか。」という言葉が印象的でした。

プログラム(敬称は省略)
総合司会 真中朋久
第一部 「いまに生きる歌」 篠 弘・永田和宏
第二部 シンポジウムⅠ「現代短歌の可能性と不可能性」司会 栗木京子/穂村 弘・小池 光・香川ヒサ
第三部 シンポジウムⅡ「大阪人の歌・東京人の歌」司会 島田修三
東京人側―大野道夫・小高 賢・藤原龍一郎/大阪人側―池田はるみ・江戸 雪・小黒世茂
最後の挨拶 安田純生

最初にあった、篠 弘氏(現代詩歌文学館館長)と永田和宏氏(「塔」主宰)のお話が、私には得るところが多かったので、それらのいくつかを、忘れないように、以下に箇条書きで、書いておこうと思います。
は永田氏の発言(少し言葉が違っているかもしれませんが)で、 は私の感想です。

「何を」「どのように」詠うかというのが、従来の評価の基準であったが、それに「なぜ詠うのか」を加えたい。 「自身が詠むのは、時間。死の床で、自分の歌集を読み直した時、よかったと思えるのは、そこに自分の時間があるから。自分の流れている時間に嘘をつかないでおきたい。」

:2か月ほど前に、朝日新聞の夕刊で、永田氏とお嬢さんの紅さんとの往復書簡が連載され、その時に「短歌を作るというのは、自分の生きてきた時間に錘をつけるようなもの。」という意味のことを書かれていました。それまでにも何回か、このことを見聞きしたことがあったので、このお話の時も、すっと心に入りました。また、私自身、たいした短歌ではありませんが、それでも自分の作品を読むと、その時その時の情景が、写真よりも確かに、鮮やかに蘇るので、同感です。

「私たちの感性が、マスメディアの影響で、一番新しいものを追うようになっているのではないか、それは、危険だ。即対応の社会詠や機会詠も必要だが、詠みたいが詠めないのを超えて、詠めるのが大事。その間温めてきた思いというのがある。」
「歌人が、何によって促され自己表現するか。全部に対応できる訳ではない。自分の経験と地続きであることで、リアルさが増し、普遍性を持つ。」

*このことに関連して、現代歌人協会大賞の岡野弘彦歌集『バグダッド燃ゆ』に触れられました。
「岡野さんにとってのイラクは、自分の経験した戦争と地続きである。戦争にこだわった塚本邦雄と、歌い方は違うが、リアルタイムで戦争を引きずっている。イラク戦がきっかけで、それが出てきた。社会詠(時事詠)が、事柄中心になったのに比べ、岡野さんは、歌の大きさ・調べの強さによって、事柄の具体がとび、そこに、世代を超えた普遍性が出てきた。」


:だいぶ前に永田氏が「母を知らぬわれに母無き五十年湖(うみ)に降る雪降りながら消ゆ」という自作を引用されながら、「自分のいちばん痛い時を詠むのに40年かかった。息子にとっての母は拠り所、その拠り所のない自分を詠んだ。」と言われたのを思い出しながら、この話を聞きました。
私も、最近やっと亡き母のことを歌にできました。温めて温めて、やはり40年近くかかりました。人生の短さや、我が身の忘れっぽさを考えると、つい焦ってしまいますが、本当に価値あるものは、新しさや早さを超えたところにあるのでしょう。

 「『現代詩手帖』『読書人』『図書新聞』『読書新聞』『歌壇』などを読んでいないことが、恥でない時代になった。つまり、ソースの入れ方が弱くなっている。」 「近接している俳句・川柳・詩も学ぶといい。」

:「短歌なら短歌一筋で」という声も聞いたことがあったので、短詩型文学(詩・短歌・俳句・川柳)が全部好きな私は、この言葉にほっとしました。

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お話の中で、『短歌現代』4月号に「世代を超えて」という特集があると言われたので、帰りに買いました。これが、なかなか良い内容で、たくさん線を引きながら読みました。
今回の催し物とこの雑誌で、私は自分の歌作りの姿勢を反省させられました。『短歌現代』4月号からも、いくつか書き留めておきたいと思います。(どれも、本文の一部を、ばらばらに抜き出しています。ご了承ください。)

篠 弘 『緑の斜面』の中にある長歌「長寿の若さ」 より 
すでに九十歳なる林翔は 俳人たちに「老いを嘆いて何になろう」と 提言するではないか。みづからも「嘆き節だと、気付いた時、書き留めない」とし、書き留めても「発表する句には、加えない」ことを意識す。…(中略)…「老いを嘆いて何になろう」の 警告はまさしくも 歌詠みに相通じあふ。


:俳句も短歌も、昔は若い人が燃えて作ってたんですよね。ところが、今は年配の方がほとんどで、私などは「若くていいわねえ。」と、普段は言われない言葉をかけていただきます。しかし、私もいずれ老いを迎えるわけで、そのときの警告として受けとめました。

阿木津 英 「グローバルな短歌」への欲求 より 
周囲がどのようであろうともわが胸中に感じる“確かさ”を信頼しなければならない、それがいちばんである、ということを、わたしは歌を作ることによって学んだ。歌一首の見定めだって、胸の中の“確かさ”の感覚にそむき、周囲の空気にとらわれると、あとで裏切られる。何度となくそういう経験をもった。
また、歌を作り、学ぶ過程に出会った、古今東西の詩歌や文章。世の中にこんなものがあったのかと、砂中に黄金でも見つけだしたような陶酔の感情。こんな年齢になるまで自分は出会えなかったのだなと、歩みの遅さに落胆するとともに、まだまだ世界にはこんなものが隠されているのかと、生きてゆくことが楽しみにもなる。(中略)
形式は滅びても、人のなした創造行為は滅びない。詩を知らず、絵を知らず、文を知らずとも、人はそこに触れるとき、なにがしかの「胸に直接響いてくるもの」を感じる。


:自分の感性を磨くこと、自分の感性を信じること。それを、格調ある言葉で語られていて、「いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで」という、阿木津さんの堂々とした歌を思い出しました。

吉川宏志 「世代と〈他者〉」 より 
他者の歌を批評的に読むときには、可能なかぎり歌を尊重しつつ、じっくりと味わってみる姿勢が必要なのだと私は考える。自分とは生き方や考え方の異なる〈他者〉の歌を読むのである。すぐに理解できると思い込むほうが危ういのだ。
歌会あるいは歌集の批評会といった場は、世代の違う人たちの考えを知る、非常に貴重な場なのである。
主に若い人に向けて、一つだけ簡単な解決策を書いておけば、「自然」に関心を持つことであろうか。私の場合、短歌をはじめて数年たってから植物の名前や鳥の名前をかなり集中的に覚えた。… 「自然」を知ることは、世代を超えたコミュニケーションの第一歩なのである。
短歌を詠むということは、虚空に浮かんだような状態の中で、〈他者〉との一筋のつながりを求める賭けなのである。


:吉川さんは「塔」の若手実力派で、読み・詠みのうまさで定評があります。私は、つい「好きな歌・苦手な歌」と区切って読んでしまう自分の了見の狭さを反省しました。
この文章で、吉川さんご夫妻が揃って、「植物や鳥の名前」に詳しい訳がわかりました。こういう分野が弱い私も、勉強の必要性を感じています。

安永蕗子 「いつまでも二十九歳で」 より
歌うことによって、作者も読む側も一歩前進の力をもつ。そんな歌が現代の歌としてあるべきだ。三十一音、遠慮は無用である。
「傘の上を雨滴あかるく滑り落ちやがて待たれてゐむと思ひき  大辻隆弘」いい歌である。…このリズム、このダイナミック、その勢いが現代の歌となるとき、三十一音は瑞々としてかがやき流れてやまぬだろう。現代の歌は何故か暗い。若いくせに理屈っぽい。貧しくなった証拠だ。金に恵まれていて豊かではない。自然の豪華な風土に恵まれて、健康な歌は生き生きとあるべきだ。 
一貫して歌うべきことは一つ、生き生きと力強く歌うこと。自分一人のことを歌うことだ。子や孫を連れ込む必要はない。当然のことである。人はいつも独りである。

 
:安永蕗子さんの厳しさは、孤高とでも言うべき感じで、今の私にとても真似はできませんが、詠う姿勢として、もっと背筋をぴんとして、責任を持って、歌を詠まなくてはと思わされました。

最後に、会場で、『現代歌人協会五十年の歴史』という本も購入したのですが、お名前だけでなく写真を見ることができたので、歌だけ知っていた方への親近感がわきました。
中に、「現代歌人協会賞歴代受賞者」の一覧があったのですが、第1回の遠山光栄『褐色の実』というのを、ちょうど『現代短歌全集』第十三巻(筑摩書房)から写していた時だったので、偶然に驚きました。いろんな意味で勉強不足のわが身を思い知りました。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

心に響く風景-「百聞は一見にしかず」
船の通過後? いいえ、鳴門の渦潮なんです。

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だいぶ前のことになりますが…
 結婚記念日の4月1日(日)、急に思い立って、徳島に遊びに行くことにしました。前の晩は春雷が激しく、雨も降っていたので、遠出はあきらめていたのですが、意外と好天になりそうなので、9:30出発。高速もスムーズで10:30淡路島到着。そのまま濃い霧の中を30分で島を縦断、鳴門に到着。
我が家からたった1時間30分で、懐かしい四国の地に足を踏み入れたことに感激。

 霧も晴れて、船は無事出航。ちょうど春の大潮の時期にあたり、一番見ごろの時間帯(この日は11:50前後)の船に乗れ、初めて船上からの鳴門の渦潮見学とあいなりました。
写真には、渦潮の迫力をなかなか写しきれませんでしたが、自分の目と体はしっかり体験できた30分でした。船は、「観潮船ワンダー・ナルト」で1人1530円で、予約は要りませんでした。
船に同乗していた10名ほどの中高年の団体は、渦潮が右に見えたら、だだっと走って右へ、左に見えたらまた一気に左へと、大変忙しく、まさに嵐のような人たちでした。「中高年」に、「団体」が加わると、破廉恥の2乗状態になるので、私も心しなくてはと思いました。

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 もう一か所、GANKOちゃんが前に、推薦してくれていた「大塚国際美術館」へ。
観潮船のすぐ近くに一般車専用の駐車場があって、そこからシャトルバスであっという間に美術館へ。1人3150円の入館料は、ちょっとドキッとしますが、世界中の有名な美術品1000点余りを、実物大に陶板に印刷して、広い広い館内に展示してある熱意と執念に圧倒されました。
作品も美術館も、とにかく大きくて、食事も含め4時間いましたが、それでも足りず、最後の方は駆け足状態での見学でした。よく考えれば、1点を30秒で見ても500分=8時間以上ですものねえ。

10周年記念とかで、4月1日から1年間は特別企画があるようで、まずはメインの「システィーナ礼拝堂天井画」の完全復元というのを見ることができました。曲面部も陶板で再現している技術に感心しました。

 「図録」の中に、初代館長の言葉があり、いくつか印象に残りましたので、箇条書きで、以下に書きます。

・コンクリートの材料として採取され、トン単位で関西に売られていた鳴門海峡の白砂を、現地でタイルにすることにより商品価値が高まり、大塚や徳島のためになったこと。

・大型タイル(1m角)が歪みや割れが一つもなく作れる優れた技術があったため、当時アメリカでは20枚中19枚不良品だったが、大塚は20枚すべて合格品であった。

・1m×3mという大きな無傷の陶板、2万点に近い色の開発、2000年たってもそのままの姿で残せることによる美術界への貢献。

これらを読むと、さらに美術館の存在価値を認識しました。本当にいろんな意味で、立派なところでした。ゆっくり見られるための配慮も行き届き、椅子が多いのが印象的でした。
館長の言葉の最後の方に「大学生にここの絵を鑑賞してもらって、新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ幸い」とありましたが、確かに本物が見たくなりました。

 帰りは、淡路島をつっきる道路の両側の山々に、たくさん桜を(ほんとに多い!)、また、山陽道では連翹の乱れ咲くのを見ながら、春の日帰り旅を満喫しました。
渋滞にかかって、1時間近く余分にかかりましたが、ちょうど万博公園の桜祭で揚がっている花火も見ることができ、ラッキーな一日となりました。
家で猫のハオと遊ぶのも幸せですが、出かけると、新しい発見がありますね。


テーマ:日記 - ジャンル:日記

あんなことこんなこと-精神年齢、あなたは何歳?
精神年齢、あなたは何歳?

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この間、ラジオを聞いていたら、ネットで「りゅうりゅう」と入れれば、簡単に精神年齢の鑑定ができると言っていました。
50年ぐらい前に比べたら、自分も含め、今の人たちの精神年齢は、実年齢の7掛けぐらいかなと、いつも思っていたので、ちょっと試してみました。
結果は?以下の通り。結構当たっているような気が…します。

32歳。あなたの精神はそろそろ「中年」になろうかというところです。あまり若々しさは感じ取れなくなりましたが、人生経験を積んで、一人前の大人になりました。もう「若者」ではありません。
幼稚度16%。あなたからはほとんど幼さは感じられません。しかし時には羽目をはずしたりもできるタイプなので、理想の「幼稚度」といえるでしょう。
大人度61%。あなたはなかなかたいした大人です。精神もかなり発達しています。
ご老人度25%。あなたからは少し「おじいちゃん気」が感じられます。このままでは確実におじいちゃん色に染まってゆくでしょう。
お友達になれそうな人は、金城武さんだそうです。


実は、昨日、面白くて一気に読んでしまった本、齋藤孝著『使える読書』(朝日新聞社・720円)に、次のようなことが書いてあり、少しドキッとしました。

この本は、いろんな本を概念化してキーワードで表すという試みで、本のテーマを的確に押さえていて、とても読みやすく楽しい読書案内になっています。役に立つところがいっぱいで、線を引いたり書き込みをしたりしました。選ばれた本の幅も広く、齋藤孝さんが、いきいきと楽しんで書いたなという印象の、手元に置いて時々活用したい本です。

さて、前置きが長くなりましたが、そこに『夜のピクニック』(恩田陸著・本屋大賞受賞)は、“あのころ力”と定義され、以下のことが書かれていました。

僕の研究によれば、35歳を過ぎたころから“あのころ力”は下降線に入り、やがて完全に消失する。…懐かしむ力がなくなる。懐かしむ地点というのが消失するのだ。そして“僕たち”という塊を表す概念がきれいに消える。…
つまり、「あのころ、僕たちは…」といえるのは、まだ青春。“あのころ力”は青春特権階級の者だけに許された力だと言えます。
とはいえ、誰も彼も「あのころ」って言っている現在は、ハッキリ言ってヘン!老成を悪いことと考えて、心の成長がストップしているんじゃないですか。


昔大好き人間、青春大好き人間の私としては、なかなか耳の痛い言葉ですが、精神年齢鑑定結果と合わせて考えるに、もう少し大人になれ!ってことでしょうね。

実は、私、1年ほど前に、こんな歌を作っているのに…
脳内の年齢はかるゲームにて脳若きこと何故に喜ぶ

栗木京子さんの選歌後記には「言われてみると本当にそうだなあと納得した。人生の年輪とか知恵深さとか、そういう数字に表れないものこそ大事。(以下省略)」とありました。
もう少し落ち着いて、年輪を感じさせる人にならねば…。
あっ、でも、あれですね、脳内年齢と精神年齢は違いますね…。

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季節の詩歌(3)~春は桜~
「空」誌17号(2007年4月)に載せていただいた拙文です。
2011年5月、「季節の詩歌」というカテゴリーを作り整理し直したところ、抜けていたので追加しました。

    季節の詩歌(3)~春は桜~

さまざまの事おもひ出す桜かな      

桜の花の季節は、入学・入社など人生の節目と重なることが多く、掲句は、私たちの気持ちにぴったりくる。
以前、作者名を知らずにこの句を読んだとき、小学生が卒業に当たって詠んだ可愛い句だと、実は思った。たくさんの出来事の中から一つだけ具体的なことを持ってくるのは、難しかったのだろうなと勝手な推測をして。ところが、この句が、芭蕉作だとわかった途端、それまでと違う「さまざまな事」が見えてきた。いい句は、作者名がなくても、真実に触れ、時代も年齢も超えた普遍性を持ち、後の世まで残るが、個性との兼ね合いは、いかがなものだろうなど、余計なことも考えた。

さて、芭蕉が桜と共に思い出した「さまざまな事」を想像してみよう。まず思い浮かぶのは、芭蕉が憧れていた西行である。

願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ    西行

人生で一度は見たいと皆が思う吉野の山桜を、西行は見ることができたと聞く。山桜は古くから、美しさを愛でられるだけでなく、農耕社会の祈りのシンボルでもあった。花見には、豊作や長寿を願う人々の思いが込められていたのである。西行や芭蕉は、山里を歩きながらそんなことも考えたに違いない。
西行と同じように旅に生きた芭蕉は、有名な奈良の八重桜を見ながら、古に思いを馳せたことだろう。

奈良七重七堂伽藍八重桜            松尾芭蕉

いにしへの奈良の都の八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな     伊勢大輔  

伊賀から出た芭蕉が居を構えたのは江戸。次の句には、当時の華やかな町の様子が伺え、浮き浮きした気分が伝わる。

花の雲鐘は上野か浅草か            松尾芭蕉

しばらくは花の上なる月夜かな         松尾芭蕉
 

月夜に桜となると、忘れられないのは次の歌である。

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき   与謝野晶子

華麗で妖艶な円山公園の枝垂れ桜と花見の宴を楽しむ人々が見えてくる。京都の寺社仏閣には、歴史ある枝垂れ桜があちこちにあり、早めの花を楽しむことができる。

夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る      佐藤佐太郎

まさをなる空よりしだれざくらかな       富安風生
 

夜桜も宵の頃の桜も趣があって素晴らしいが、明るい青空に映える桜を見上げていると、花の美しさに胸がいっぱいになる。

さくらばな陽に泡立つを見守りゐるこの冥き遊星に人と生れて    山中智恵子 

春の光に暖められて、桜の蕾が、少しずつ弾けるように開いていく明るい様子と、下の句の象徴性が、いかにも現代的だ。このような、開花時の桜を詠んだ歌は、あまり見かけない。散る桜に比べ、満開の時の詩歌も少ない。美しさが盛りの花に、正面から向き合うのに、相当な力がいるからかもしれない。

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり      高浜虚子

これだけ堂々とした俳句を詠むには、自他共に認める器の大きさが必要であろう。満開の桜を詠むのには、覚悟がいる。

桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり       岡本かの子

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり           馬場あき子

綺麗な桜の花をみていると / そのひとすじの気持ちにうたれる   (八木重吉の詩「桜」)


美しすぎる桜に、人々は霊の力も感じたようで、梶井基次郎の短編小説『桜の樹の下には』には、花の下に埋められている死体まで登場してくる。次の歌も不思議な世界を創り上げている。

夜の校庭しみじみと獏はあらはれて黒き桜を食ひはじめたり    川野里子

この辺りに詠まれている桜は、幕末から広まった染井吉野が多いかと思う。丈夫で成長の早い染井吉野は、吉野という名前もあって、人気種であるが、出征する兵を見送るために、並木として植えられたという話もある。散る姿の潔さに、戦う覚悟を重ねたのだとすると、あまりに悲しい歴史である。
 
しかし、何といっても「散る桜」ほど、日本人の情感に訴え、絵になるものはないようで、落花の様を詠んだ詩歌は、圧倒的に多い。次の『古今集』の歌も、それである。

久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ        紀 友則

世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし        在原業平


花はまだかと待ちわび、満開になると、散るのを惜しみ、「桜、桜」と言っているうちに、春が過ぎる。花が終わってしまうと寂しくて、もう来年の花が気に掛かる。昔も今も変わらない、日本人独特の心情のようだ。

中空にとまらんとする落花かな       中村汀女

散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる        俵 万智


これらには、散る花びら一枚一枚を、愛おしむ作者の視線がある。

空をゆく一かたまりの花吹雪        高野素十

落花舞ひあがり花神のごとし        大野林火


春の風に落花の早まった様子が見え、花の最後の命が感じられる。
次の句と歌には、花の散りゆく先まで見届けたい思いがあふれる。

ちるさくら海あをければ海へ散る      高屋窓秋

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも       上田三四二

さくらのはなびらはわたしらの足もとをどこにもないひかりでてらす   片山文雄
      

どれも皆、限りなく美しい情景である。はらはらと散る花びらは、光の化身かと思われるほど、心に残る輝きを放つ。人々が、花の散る様子に、自然の姿を見るだけでなく、人生も重ねて見たくなるのは、わかる気がする。詠み手だけでなく、読み手の方も、景色以上の情感を読んでしまうのである。

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり       入道前太政大臣

わが佇つは時のきりぎし今生の桜ぞふぶく身をみそぐまで      上田三四二


翌年また桜を見られるかどうかはわからない。しかし、できるだけ多くの回数、満開の桜に出会いたい。人生の旅
はまだ半ば。

落花踏み落花掌に受け旅なかば       岡田日郎

落花浴び遙かなるもの見てをりぬ      佐々木千代恵
 

高校生のとき習った次の詩。私はうっとりと、桜の花びらの散る様子を、頭の中に描いていた。突然、先生が「『わが身』の気持ちはわかるか?」と尋ねられ、おみなごの気分に浸っていた私は、驚いた。しかし、今なら、散る花びらに乙女らの短い春を重ね、また、春愁を抱えている青年をも容易に想像できる。

     甃のうえ    三好達治
あわれ花びらながれ / おみなごに花びらながれ
おみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫音そらにながれ
おりふしに瞳をあげて 
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるおい
廂々に / 風鐸のすがたしずかなれば
ひとりなる / わが身の影をあゆまする甃のうえ


童謡で有名なまど・みちおさんには、素敵な桜の詩がある。

さくらのはなびら   まど・みちお
えだをはなれて / ひとひら
さくらのはなびらが / じめんに たどりついた
いま おわったのだ / そして はじまったのだ
ひとつの ことが / さくらに とって
いや ちきゅうに とって / うちゅうに とって
あたりまえすぎる / ひとつの ことが
かけがえのない / ひとつの ことが


次の優しい詩も、まど・みちおさんならではという気がする。

まいねんの ことだけれど / また おもう
いちどでも いい / ほめてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで / さくらに そのまんかいを…
  (詩の/は改行部分です。)

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

心に響く詩歌&風景-桜はやはり地元に限る?!&拙歌
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  【白鳥の池の周りにある枝垂れ桜】
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  【山桜の森でお弁当を食べたり昼寝をしたり】

 毎年、京都や吉野と、桜の花を追いかけるのですが、結局、外出先から戻ってきてほっとして、「やっぱり家の近くがいいわねえ。」となるため、今年は花見の遠出はしませんでした。
今回の写真は、初めの4枚は万博公園で、最後の2枚は茨木弁天さんで、今年の4月8日に撮影したものです。

 たまには、大空の亀(修業中)が作った拙い短歌を、恥を忍んで載せましょう。

桜木にもたれエッセイ読むわれの右に左にタンポポの群れ

幼な子の吹くシャボン玉小さきまま桜の森をかがよひてゆく

三人の幼な子互ひに手をとりて枝垂れ桜の傘に入りたり

満開の桜のこずゑ見上ぐれば花びら色の月の近づく

花見客残せしけはひ流るべし桜並木は一日(ひとひ)雨受く

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 【太陽の塔を後ろ側から】
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 【中央口付近は大変な人ですが、公園北西部は穴場】
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 【綺麗な桜の花をみていると そのひとすじの気持ちにうたれる  八木重吉】    
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  【咲き満ちてこぼるる花もなかりけり  高浜虚子】

テーマ: - ジャンル:写真

心に響く言葉&心に響く本の紹介
心に響く言葉&心に響く本の紹介

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  【万博公園のチューリップ 2007年4月8日撮影】

 4月4日、俳誌「空」が届きました。主宰の句をはじめ、ほんとに上手な句が多くて、私はいつもうっとりとしながら、でも、電子辞書と鉛筆を手に、句の勉強も忘れず、丁寧に読み切ります。その中に、小さなコーナーですが、心に響いた言葉がありましたので、以下に引用します。

「 ・向き合う・    柴田佐知子(主宰)

遠くに出かけてみても、自分が鈍感になっていては景を撫でたような句になってしまう。心の置き処をどこまで深めているかが俳句によって問われていると思えてくる。…〈三句例に引かれたあと〉…
それぞれ響きは異なるが、句の向こうに立ち上がってくる作者の眼差しや存在感に圧倒される。俳句は恐怖を覚えるほどの果てのない空間をも詠み得る器なのだ。まっすぐ向き合う気魄を持たなくてはと思う。

 ところで、この「空」誌に、元ジャーナリストの川上義則氏が、いつも、素晴らしいエッセイを書かれています。毎回、学ぶところが多いのですが、今回の「鳥獣虫魚よ!」は、共感することばかりで、より多くの人に読んでほしい内容でした。
ご自身の原風景となっている子どものころの自然の中での体験、コンクリートで固められ生き物の気配がない川、レイチェル・カーソンの 『 沈黙の春 』、水俣病の取材から考えられたこと、どれもおろそかにできない内容で、心に深く残りました。


 実は、これより以前に、元ジャーナリストの辺見庸さん、松村由利子さんの本を読んで、文章のうまさに唸っていたところだったので、改めて、日々厳しい状況の中で文章を書いてこられた方の力を思いました。
このお二人の本については、ずっと紹介したいと思いながら、今日まで来てしまいましたので、簡単な紹介のみ、ここでしておきます。

imaarukotonohazi.jpg   zibunzisinhenosinmon.jpg   monogatarinohazimari.jpg 【拡大できます】

 辺見庸・著/森山大道・写真『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社・1200円)雑誌か新聞の書評で推薦してあり、『自分自身への審問』(毎日新聞社・1143円)と合わせて購入しました。
自分に厳しい方ですから、他人にも厳しいです。今、ここまで覚悟して、骨のある文章を書ける人は、いないのではないでしょうか。感銘や共感の印をいっぱいつけました。多すぎて、ここに書き写すことは不可能です。ぜひ皆さんの目で、直接読んでほしいと思います。帯文のみ書きます。
「問う―恥なき国の恥なき時代に、『人間』でありつづけることは可能か?」

 松村由利子・著『物語のはじまり 短歌でつづる日常』(中央公論新社・1800円)
「塔」誌2月号の編集後記で、編集長の松村正直さんが推薦されていたので、読んでみました。著者は短歌作者でもあるのですが、この本は読む側から書かれたもので、実に丁寧な読みぶりに、引用された短歌は幸せを感じているだろうなと思いました。「おわりに」に筆者の思いがよく出ており、私も同じ思いですので、少し引用します。

「情報化社会のいま、短歌もまた大量生産、大量消費されている。日々発表される作品のほとんどは、短歌の作り手や短歌への関心の高い人たちにしか読まれることがなく、その人たちにしてもすべての作品に目を通すのは難しい。歌壇ジャーナリズムでは、新奇性や話題性のある作品が繰り返し取り上げられる一方で、味わい深い佳品がそれほど話題にもならずに忘れられてゆく現実がある。歌の力によって折々に慰められ励まされてきた者としては、たいそう残念なことに思う。」

このブログを始めたきっかけの一つが、一人でも多くの人に詩歌に触れてほしいという願いだったので、とても親近感を抱きました。

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毎年、上の階のYさんから頂く、手掘りの筍。彼女は筍掘りの名人!



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心に響く言葉-「詩歌を読む楽しさ」
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朝日新聞1面に、29年間連載されていた大岡信氏の「折々のうた」が、3月に終わってしまいました。毎朝これを読むのを楽しみに、朝日新聞を購読し続けていたと言ってもいいほど好きなコーナーだったので、文字通りポッカリと心に穴があいたような寂しさです。毎日、原稿を新聞社に届ける方式だったそうで、ファックスのない時代、大岡信氏は旅行もできなかったと、先日初めて知りました。参考資料も膨大な量に及んだそうです。

プロの歌人や俳人だけでなく、素人の短歌や台湾万葉集の存在、また、引用の詩歌は、古典まで幅広く、広く深い蓄えの中から取り出されたエッセンスを味わえた29年間、ほんとに心豊かに過ごすことができました。世の中に詩歌を幅広く知らせてくださったことに、心から感謝しています。

ところで、他の例ですが、ネット上で毎日俳句をアップされていた清水哲男氏も、昨年の秋でしたか、一人でやる方式を止め、新たに担当を複数の方にされ「新・俳句歳時記」を続けておられます。毎日、詩歌に触れるという生活が、今のような効率優先の時代だからこそ必要だと考えます。大量に生み出される詩歌群の中から、次の時代に残すものを見極めていくことも大切でしょう。複数の方の担当でも、全然問題ないというか、そこに面白さも生じるかと思います。この思いが、新聞社の方に届きますように。

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私は、小さい時から詩歌が大好きでした。このブログを始めようと思ったのも、ノートに書き写していたお気に入りの詩歌を、キチンと整理しようと思ったのがきっかけです。

小学校の頃は作る方専門でしたが、先生が「きりん」という詩の雑誌?に送っておられたような記憶があります。その頃から、私の詩は「人間」がテーマでしたが、同級生の男子は、いつも「自然」をテーマに、上手な詩を書いていました。50年近い歳月、飽きずに詩歌を読んできましたが、今だに興味が尽きません。

ところで、最近、詩歌を引用した本を読んでいて気付いたのですが、著者が男性と女性では、引用する作品に違いがあるようです。歌会などで、無記名の選歌をする場合も、男女で異なる傾向がどうもありそうです。これから、もう少し意識的に読み、その辺のことを考えてみたいなと思っています。

詩歌に興味のない方からすると、「なんでそんなに詩歌が好きなの?」と不思議で仕方ないでしょうが、言葉が少ない分、想像の楽しみがたっぷりあって、昔から空想癖のあった私にはぴったりで、自由に考えられる幅の広さが、何とも魅力的なのです。

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以下の文章は、今年度3月16日に実施された、大阪府公立全日制後期入試問題(国語)です。三上和利・著『未知への冒険』からとった問題文が、「詩とは何か」「詩を読む楽しさ」について、わかりやすく書かれていましたので、以下に引用します。自分が、受験生なら、はまり込んで読んでしまったでしょう。

詩を読んでなんの役に立つのだろうかと考えるかも知れませんが、「虹はなんの役に立つのですか、と聞くのと同じだ」と、ルーイスという人は言っています。虹を見ても頭もよくならなければ、腹にもたまりません。でも、虹を見ると心を躍らせる人は多いはずです。それは、虹がそれ自身で美しいからです。虹が美しいように、詩も、それ自身で美しく、そして、そのもののまことを表現しているのです。

詩になるのは虹ばかりではありません。落日、日の出、花、木、海などの自然も人を感動させます。また、愛、孤独、旅、死などの人生を表現して感動させます。

これらはみな詩の材料となるものですが、なにが詩人に強烈な印象を与えるかわかりません。これらが喜びや驚きとなって表現されるのです。

ところが、どんなに感動したことでも、時間がたつと不思議に薄れてしまうものです。そして、思い出だけが残ります。思い出というのは不確かなもので、変わっていきます。そこで、この強い感動を、時間の流れの中から取り上げ、そこにとどまらせるのが詩です。この感動を音で表すと音楽となり、色と線で表すと絵画となります。詩はこの感動を言葉で表現した芸術です。芸術には音にも色にも、その微妙さがあるように、詩にも言葉の微妙さがあります。この微妙さとは詩人がとらえた言葉の新しさのことです。

(中略)

こうして感動の消え去ろうとするものを、言葉でもってせき止めるのが詩です。時間を止まらせるのが詩です。それは、わたしたちが毎日使っている言葉に、新しい意味や響きを吹き込むことです。このとき、言葉は新しい生命をよみがえらせ、美しい言葉と言葉のつながりを持つことになるのです。

言い換えれば、わたしたちは詩を読むことによって、詩人がとらえた新しい世界と言葉とを見せられて驚かされるのです。そこには言葉の意味の深さと広がりがあり、さらに、言葉の共鳴による美しさがあるからです。ここに詩を読む楽しさがあるのです。絵画を見たり、音楽を聞いたりして楽しむように、詩は読んで楽しいのです。


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【写真はどれも八幡市の背割堤。桂川・木津川・宇治川が合流して淀川に。後ろの山は天王山。'07年4月】

テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

身近な人(恩師[3]・友の父上)の俳句
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【写真は、『徒然草』にも出てくる石清水八幡宮近くの背割りの堤の桜・’07年4月4日撮影】

3月18日にS先生から前回掲載分のお礼と、皆さんが下さったコメントへの感想のお電話を頂きました。
「それぞれの言葉に、個性が出ていて、嬉しく繰り返し読みました。皆さんによろしくお伝えください。」とのことでした。以下は、新作五句です。

三百六十度尾を振る犬や春の風
車椅子の散歩の途中に出会う白い犬が、初めは無反応だったのに、一年たった今は、白い尾をぐるっと回転させて、声まで上げて喜んでくれるようになったそうです。

黒猫の待つさ庭べにフリージア
病院から帰ってきたら、飼い猫が庭で待っていて、お迎えをしてくれたそうですよ。

春の雨白鳥浸す(ひたす)城の堀
松山城のお堀の様子です。春の雨の優しさが、句の情景と合っていますよね。

啓蟄(けいちつ)や無音(ぶいん)の友の幾年(いくたり)
啓蟄は、冬ごもりの虫が出てくること。無音は、音信のないこと。暖かくなって、みんなが活動を始めるようになり、便りのない友人のことが気になられたのでしょう。

握手せし手のぬくもりの卒業歌
職を退き何年たっても、教え子との別れは、心に熱いものを呼び起こします。ことに卒業シーズンになると、あれやこれや感動的な出来事が思い出されるのでしょう。きっと私たちのことも思い出しておられることでしょう。

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 3月28日は、年に何回か互いの休みが合うと出かける、高校時代からの友人とのデート。(といっても、同性ですが。)今回は、琵琶湖周辺をドライブ。私は助手席で、いい加減なナビゲーターをしつつ、満開の時の美しさを想像しながら、桜並木の続く琵琶湖東岸を南下して、滋賀県立近代美術館へ。
ここには、大好きな小倉遊亀さん(なんと、大学の大先輩)の絵が常設してあるので、何回か来たことがあるのですが、今回は、これまた、凛とした生き方の素敵な志村ふくみさんの「紬織り」展を目的に出かけました。

志村ふくみさんの作品はどれも、草木染めによる色も織りも素晴らしくて、とにかくうっとりしました。個人蔵のは別として、美術館所蔵のは着てもらえないのだなと思うと、それだけがちょっぴり哀しく思われました。

写真のレストランのテラスでランチ中国茶の薬膳茶房でティータイムを、ゆったりととって、のんびりとした時間を過ごしました。瀬田川でボート練習中の若者や、水鳥たちが見え、常に身近に美しい水のある風景は、いいなあとつくづく思いました。

 今回は、その友人の亡き父上(俳号・東扶桑氏)の俳句のご紹介です。愛媛にある「せきれい」に所属されていました。地元には句碑もあります。以下に、友人が暗唱してくれた、春の句を二句ご紹介します。

蝶かへらざるは盆地を出し(いでし)かな
この蝶は、ご両親が可愛がって育てられた大切な娘さんたちのことだろうなと、聞いた時すぐ思いました。田舎の山に囲まれた町から出て行った蝶に重ねた、親御さんの思いが切ないです。自分の父のことも思い出して、涙ぐみそうになる句です。

父と娘(こ)と離れて歩く木瓜の花
木瓜という花は、「ぼけ」という響きも花のぽっちゃりとした感じも温かみがあって、好ましい花です。自立していく娘さんを、愛おしく、そして寂しく見ておられるお父様の気持ちが、自分が親の立場になった今、痛いほどわかります。


テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

心に響く本-関口尚・作『空をつかむまで』
 週1回UPの予定だったのですが、記事が溜まってしまいましたので、少し期間を縮め、しばらく不定期に載せたいと思います。

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【『空をつかむまで』表紙】  【中国語仲間Gさんからメールで届いた花束】

 少し前のことになりますが、卒業式の頃「ほぼ日刊イトイ新聞」で、近くの小学校から『仰げば尊し』が流れていて、「お手盛り」みたいで嫌だなという意味のことが書いてありました。
教師という立場が微妙な位置にあるこの時代、いまだに、歌っているところがあるなんて…と正直あきれましたが、教えている先生の胸中も、複雑だったのではないでしょうか。

ところで、最近、小学校でも中学校でも、卒業式でよく歌われる小嶋登作詞『旅立ちの日に』、ご存知ですか?歌いだしの情景が素敵で、メロディーもよく、大好きな歌の一つです。

「白い光りの中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも  君は飛び立つ  限りなく青い空に 心ふるわせ 自由を駆ける鳥よ 振り返ることもせず 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り  この広い大空に 夢を託して 」 

 この歌の作詞者である小嶋登さんが推薦していたので、 関口尚・作『空をつかむまで』(集英社・2006年4月発行)を読み、推薦された訳がわかりました。
『旅立ちの日に』の歌が、この物語の大切な部分に関わっているのです、東野圭吾の小説『手紙』で、『イマジン』が大きな意味を持っていたように。

 中学3年生の少年3人(優太・モー次郎・姫)と1人の少女(美月)が主な登場人物の、青春小説。
水泳部の3人が、ある事情からトライアスロンに挑戦するという物語で、話は割と予想通りに進み、ちょっと物足りなさを感じたりもしたのですが、最後の30ページほどで、意外な展開となり、読みきってよかったと思いました。
話の舞台が、美里村という自然豊かなところなので、どこか懐かしい雰囲気で、自分の青春と重ねたりできました。ただ、決定的に違うのは、子供が生きにくい現代が、舞台であること。そこから生まれてくる苦しみを、この少年たちがどう乗り切っていくかというのが見どころの物語です。
大人の側から読むとき、次のような言葉が、心に突き刺さって、子供たちに申し訳ないと何度も思いました。大人にも読んでほしい物語だなあと思いました。

 ぼくらはどっかで、弱くて歪んでしまった大人たちのその歪みを、押しつけられているのだ。そういう世界構造というかシステムのいちばん下にぼくらはいる。
世の中じゃぼくらと同い年のやつらが、ナイフで友だちを刺したり、バットで親を襲ったりする事件が起きている。大人たちはみんなぼくらに心の闇があって、病んでいるのだと口にする。
けど、そんなんじゃない。ぼくたちは病んでなんかいない。大人たちに押しつけられた歪みに耐えられないやつが出てきているだけだ。心の闇なんてない。ぼくたちはあと少し考える力が必要なだけだ。言ってることとやってることがちぐはぐじゃない憧れたくなるような大人に、そばで導いてもらえればきっと変われる。

ただ、ぼくらもなにもしないでぼうっとしているだけじゃ駄目だ。生きにくい、生きにくい、なんて弱さに取り込まれないように、もっと強くならなくちゃいけない。だるいとか、面倒くさいとか、人の話を聞きたくないだとか、自分だけよけりゃそれでいいとか、自分のつらさや苦しさにばかり詳しくなったって、なんにも変わらない。
大切なのはイメージだ。もっと高くジャンプして、青い空に手を伸ばすようにして、歪んだ大人たちがつかめなかった生きるってことの楽しさを、ぼくらの世代が手にするのだ。
そのための強さを手に入れるには、足を踏み出さなくちゃいけない。それは大袈裟な話ではなくて、きっと身近な一歩であってもいい。たとえば、ぼくの場合、いまここで投げ出さずに走りきること。なにかをやり遂げることで身につく強さを、ぼくはいま手にすることがきっとできる。それがいつか大人の歪みをはね返す強さになる。


 ここに引用した言葉の大切さが、この物語を読み終わったときに、はっきりとわかります。物語は、やはり全部読まないと!と改めて思いました。
この物語に書かれているような少年や少女のように、まっすぐな気持ちで生きようとしている若者が、現実にもたくさんいます。学校に職場に、フレッシュな若者たちが入ってくる4月。「最近の若者は…」なんて愚痴る人もいますが、私の職場に限って言うと、「若い人は素敵です!」疲れてやる気を失ったり、ずるくなったりしている年配の人たちより、ずっと前向きで生き生きしています。もっともっと若者が正規に採用されて、安心して力を発揮できるような社会になってほしいと思います。

追記:坪田譲治文学賞受賞作でもあるこの小説、実は、今年度の大阪府公立高校入試問題に出題されていて、ちょうど読んでいた時だったので、その偶然に驚きました。

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プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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