心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
恩師の俳句[7]&雪景色
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2月24日(日)真っ白に積もった雪に感激し、小止みになるのを待ってから、近くの木々を写しに行きました。

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 昼前に、高校時代の恩師S先生から、久しぶりの電話。恒例の「季節の俳句便り」です。
お互いに、「あっ、今、雪が!」なんて言いながらの、楽しい時間でした。

シクラメン買ひ来し妻の笑顔かな
病床の枕元に置く花を、奥さんがいつも買って来られるそうで、今はピンクと白の混ざったシクラメンが飾ってあるそうです。昨年、GANKOちゃんがお土産に持ってきてくれた観葉植物も、並べて眺めていますよとのことです。
布施明が歌った『シクラメンのかほり』が好きで、なかでも「疲れを知らない子どものように 時が二人を追い越してゆく」という一節は、人生の真実を語っているようで、心にしみると言われていました。

小鳥の名検索しつつ春迎ふ
庭に小鳥がたくさんやってくるのだけれど、目白ぐらいしかわからなくて、他の小鳥の名前は、見当をつけて調べてみられるそうです。山茶花に、奥さんがみかんを五つほどくくりつけたら、目白が五、六羽やってくるようになり、今年も春が近づいてきましたとのことです。家に住み着いた黒猫も、目白を狙うことはないそうで、奥さんは、この黒猫、庭に来る猫、近くの公園にいる猫、三匹のお世話をされているとか。

若竹の瑞(みづ)き青さの空に伸び
車椅子での散歩コースの途中にある竹林。若竹が伸び、青く瑞々しい様子がとてもきれいだそうです。先生の病気は、よくなるということはなく、少しずつ進行していっているそうですが、そんな中でも、外の空気を吸い、自然に触れる喜びを味わえるのは、素晴らしいことですよね。

掃除機の音の軽さよ春兆す
厚い絨毯から敷物を替えたときなど、掃除機の動きが軽くなります。ここでは「春の兆し」ですから、まだ敷物は冬のままかもしれません。でも、きっと掃除機を動かす奥さんの身のこなしが、軽やかになったのでしょう。音の軽さから、春の兆候を感じ取る、この感性が素敵だなと思います。

人の世の雑事あれども梅開く
今の「僕の心境」ですとのこと。「近くに2,3メートルの高さの白梅の木が一本あって、お正月からずっと、蕾の大きさが気になっていたのだが、もう満開になった。満開になって、嬉しいような、寂しいような。」と言われていました。与謝蕪村の辞世の句「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」などが思われてね…と、少ししんみり。
「梅一輪一輪ほどのあたたかさ 服部 嵐雪」で、本当なら「三寒四温」と暖かくなっていくんだけど、今年は「三寒四寒」だねと、笑われていました。

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 俳句五句を伺ったあとは、しばし雑談タイム。松山に母校の同窓会支部ができるにあたり、同級生のKくんが事務局になっているのを、喜ばれていました。

こちらの新聞で、「船団」所属の藤田亜未さんの句集『海鳴り』が大きく取り上げてあり、私の元同僚が、彼女の担任だった話などをしているうちに、また驚きのつながりが!
ちなみに、新聞記事によると、藤田亜未さんが俳句を本格的に始めたのは、高校在籍中に「俳句甲子園」(松山市で開催)で優勝したのが、きっかけだそうです。

S先生が川之石高校で教えていたとき、読書クラブ顧問をされていて、当時3年生だった坪内稔典さん(現在「船団」代表)が部員だったので、一緒に〈稔典さんの奥さんも同部員〉お別れ登山で、出石寺(しゅっせきじ)に行ったり、学校新聞の記事を手伝ってもらったりしたそう。
(そういえば私も昔、先生に言われて、新聞記事を担当したことがありました。)
稔典さんは、当時から文才があり、自作の詩をガリ版で詩集などにしていたそうです。一時、「青玄」(主宰・伊丹三樹彦氏)に、一緒に投句もされていたとかで、とても懐かしがっておられました。

藤田亜未さんの句集は、坪内稔典さんの本がたくさん出ている「創風社出版」から出たのですが、実は、この出版社、以前にも紹介しましたが、私のブログに時々コメントをくれる犬塚さんの高校時代の友人夫妻がやっておられます。昨年末に紹介した東玲治著『ドキュメント仙波敏郎-告発警官1000日の記録-』(こちらには、わが母校の同級生が時々登場)も、ここから出ています。どちらもたくさん売れるといいですね。

「愛媛」と「俳句」をキーワードにしたら、どんどんつながっていきそうで、偶然力の好きな亀としては、またまた大興奮の出来事でした。

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                                【『海鳴り』表紙】   【近くのお店のカフェ・カプチーノ】
 その後、兄夫婦が「ツアーで九州に行ってきたよ。」と、お土産を手に元気な顔を見せてくれました。
雪の舞う一日は、心温かな一日でもありました。

080224yukiasa2.jpg  【雪止み青空に】 

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

猫日記「好(hao3)の日々」第29回
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【2月20日のきれいな夕日】

今日2月22日は「にゃんにゃんにゃん」で「猫の日」だって。
せっかくの猫の日だから、久しぶりに「ハオ日記」でも書くにゃんにゃん。
今日はね、亀さんちの下の兄ちゃんの誕生日でもあるんだにょん!
上の兄ちゃんからも「誕生日おめでとう!って伝えといて」って、昨日電話があったよ。
私ね、最近、父さんに「ハオ子ちゃん」て呼ばれてるの。可愛くて仕方ないみたいだにゃん。
私は、父さんもいいけど、ご近所のおじさん二人が大好きにゃん!
足音が聞こえると、すぐに表に出ていって会いたいのに、母さんは忙しそうで、なかなかドアを開けてくれないんだにゃ~。

それでね、私、この間、迷子になっちゃった。
私が「外に行きたい」ってあんまり鳴きすがるもんだから、母さんが玄関を開けてくれたんだけど、母さんがついてきてくれてるか確かめないで、走っていってしまったんだにゃ~。
母さんも、最近は、私に知恵がついて、確かめながら行くので安心してたみたいで、ちょっと用を済ませてから家の外に出てきたのね。
私はっていうと、はっと振り向いたら母さんがいない!いつもは開けたままにしてくれているドアも、閉まったまま。仕方がないから、ドアの前で待つことにしたにゃ~。

その頃、母さんは、上の階、下の階、西の端、東の端と走り回って、私を捜していたんだけど、どこにもいないので血の気が引いちゃって、泣きそうになってたみたい。
「ハオちゃ~ん」という声が聞こえたので、「ミャ~」って応えたら、女の人が「あら~、猫ちゃん」って寄ってきたの。
その声が、母さんに聞こえたみたいで、声の主を捜していた母さんはビックリ!
だって、2階も下に行ってたんだもん。
私もビックリ!だって、ずっと亀さんちの家の前だと思って、ドアの開くのを待ってたんだもんにゃ~。
「すみませ~ん、すぐ連れに行きますので、見てて下さ~い。」と叫んで、母さんは猛ダッシュ!
お礼を言った母さんは、私をきつく抱きしめて、階段を駆け上った!
私も、ほんとの家の前に戻ったってわかった瞬間、母さんの腕から飛び降りて、家の奥まで一気に走った!
その日は怖くて、もう外には行かないでおこうと思ったにゃん。
でも、一晩寝たら、どういうわけだか、また「外に行きた~い」って、ねだってるんだにゃ~。

私を見つけてくれた人は、前から顔見知りなんだけど、10年ほど前には沖縄の那覇空港で偶然会ったこともある、母さんとの縁の強い人。
「きっとそのパワーが、ハオを助けてくれたのねえ」と、偶然力の好きな母さんは、何度もありがたがってたにゃん。

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ところで私、前からお転婆だったけど、この頃は更に磨きがかかって、家中の誰よりも高いところに登って、飛び降りることができるようになったのよ。今回の写真は、天井近くの洋服かけまで上がったところ。スリルがあって、面白いんだにゃん。
あと好きなのは、日向ぼっこをしながらの毛繕い。
ライ麦や全粒粉のトーストやフランスパンも、香ばしくて好きよ。このときばかりは、いつもの行儀の良さを忘れて、テーブルに上がってしまうんだけど、父さんは目尻を下げたまま「ハオ子ちゃん、おいしい?」なんて聞いてるにゃんにゃん。

【猫語に辟易された方のために、お口直しになるかどうかはわかりませんが、梅の花の写真を載せますね。
夕方、携帯で撮ったので、画面が暗くて、画像が雑です。ごめんなさい。日付が1日間違ってます。】

08.2.22万博梅林

追記:好吃(hao3 chi1)=おいしい
中国語の先生から教わった、中国の家庭で作るおいしい「餃子」を紹介します。皆さんも試してみて下さい。
材料は、白菜・ニラ・セロリ・豚ミンチ・干しエビ・ちりめんじゃこ(←これは、先生が日本で加えたらよかったとか)
ポイント1は、豚ミンチに少しずつ水を加えてこねること。粘りが出てきて美味しくなる。
ポイント2は、材料に、ごま油をかけること。風味が出てとても美味しくなる。
餃子を作るときは、たいてい海老を炒める料理もするので、その時出た油を、餃子の材料によく混ぜるそうです。
具の中に、ニンニクは入れなくて、つけだれの醤油に、みじん切りしたニンニクを加えるお家もあるそうです。

テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット

あんなことこんなこと&手作りが好き!-2月の連休に
2月は短いけれど、今年は珍しい降雪のせいで、思い出深いものになりそうだ。

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【この2枚は、出かけた私に代わり、夫が撮影】

2月9日(土)大阪歌会の日。
11年ぶりの5センチ以上の積雪という中、大阪市内の会場へ。傘に積もる雪が重たい。雪の積もった木々の写真を撮りたいと思いつつ、優先順位を考えて諦める。足元が心配で早めに家を出たのだが、コンビニで歌会のための詠草をコピー中、A3用紙が切れて大慌て。なんとか60枚余りのコピーを済ませ、改札を通ったところで、コンビニに傘を忘れたのに気づき、戻る。会場でゆっくり2枚組に綴じる予定だったのに、すでにその余裕はない。電車内の席が空いているのを幸い、ひたすらホッチキスでとめる。席が埋まる前に完成して、ほっと一息。車窓から見える雪は、大阪市内が近づいても弱まる気配はなく、地下鉄から出て、都会の雪景色に改めて感嘆した。
途中一緒になった大先輩のYさんが、「この雪じゃあ、参加者は4人ぐらいね。今日の司会はお役ご免で解散だわ。」と言われ、私も、せっかく用意した詠草だから、皆さんには来月合わせて渡せばいいかななんて思う。ところがところが、参加者は1名のみの欠席で、なんと27名も。30代から80代の皆さんの、真面目さと熱心さに驚く。そして、例によって熱い歌会の4時間。皆さんから、元気をいっぱい頂く時間である。
2次会では、88歳のIさんと向かいの席になり、3000メートル級の山々に登った話や、毎日3首歌を作られることなどを聞く。今年になってから、1首しか作れなくなってと嘆かれる姿に、私は我が身を振り返り反省。数年前に作った歌集を送って下さるという。(連休明けに早速、素敵な歌集が届き、亡き母と同い年だということや、級友と同じ京都府立医科大卒ということ、7年間で5000首も詠まれたことなどを知り、またまた感激。)2次会では、何人かの方から「ブログ見てますよ。」と言われ、ありがたく、かつ恥ずかしかった。

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【雪の止んだ朝】

2月10日(日)京都でシンポジウム。
もう雪は止み、屋根と地面に積もった雪だけが残っている。京都市内で行われる青磁社のシンポジウム「恋の歌、愛の歌~相聞歌を語ろう~」に出掛ける。電車に乗るなり眠っていたのだが、途中目を覚ますと、斜め前の席に、懐かしい顔が!大学時代のテニス部のキャプテンで、私の田舎にも遊びに来たことのあるJちゃん!なんと、始発駅から同じ車両だったのだ。彼女の所属していた学科は、みんな仲がよくて、毎年同窓会をしているが、昨年は留学生だった級友の案内で、台湾に行ったそう。半数以上もの参加があり、今年も、もう一人の留学生の案内で、韓国の済州島に行く予定だそうだ。
読書とバイト(生活費を稼ぐ必要があり)ばかりしていて、同じ学科の級友の顔をほとんど覚えていない私とは、えらい違いだ。Jちゃんにも「コメントは入れてないけど、ブログ見てるよ。」と言われ、ありがたく、かつ恥ずかしかった。(2日連続、ブログのことで励ましてもらった…)
昨年9月、「恋うたの現在」という展示が、姫路文学館であり、歌友のOさんと出掛けた。著名な歌人たちの自筆の歌と写真の展示で、なかなか興味深かったのだが、今回のシンポジウムでは、生のお話を聞けるというので、前から楽しみにしていた。前年のシンポジウム「いま、社会詠を考える」という論争と違って、今回はテーマ通り温かい印象だった。小島ゆかりさん(コスモス)の講演、米川千嘉子さん(かりん)・吉川宏志さん(塔)・岡崎裕美子さん(未来)によるパネルディスカッションで、司会は大辻隆弘さん(未来)。
以下は、私なりに共感したことを簡単に箇条書きで。

昔の恋歌は、〈季節の情感〉とともにあり、自然や過去の人につながる思いがあった。
しかし、『サラダ記念日』あたりから、恋歌に〈日常の物〉が入ってくるようになった。
そこには、まだ軽やかさがあったが、最近の若い人たちの歌には、痛ましさを感じる。
それは、なぜだろうということで、次のような傾向があげられた。
・自分中心の小さな世界にとどまり、凝り固まった小さなグループをよしとする印象。
・詩的でない生活を、詩的に歌うことへの苛立ちがある。恋を特別視したくない。
・自然の中に身を置けない。ために、自然を入れると、情緒に流れる感じを持つ。
・時間を積み重ねず、一瞬を切り取り、一発芸的な面白さを楽しむ傾向がある。
・歌にオリジナリティを求めようとするあまり、細部にこだわってしまう。
それでは、今後、相聞歌としては、どんなあり方が考えられるだろう。
・オリジナリティではなく、普遍性があっていいのではないか。
・相手を純粋に思うという点で、挽歌と相聞歌は通じるものがある。
・あなたと私の間にある空間を詠む大切さ、自分を広げる大切さを感じる。
・思いあふれ漏れ出た声、思いのこもった歌は、心を打つ。小細工はかえって不純。


歌を作らない方からすると、何をうだうだと考えてるんだろう?と呆れてしまわれるかもしれない。ただ、ここにまとめた傾向は、短歌に限らず、最近の小説などにも言えそうだなと思う。自分だけのものを追求しようとするあまり、肝心の心が伝わらなく、より孤独を感じ、小さい世界に籠もってしまうのは、表現者としてどうなんだろう?と、大らかな歌の好きな私などは思ってしまう。パネラーの皆さんも、そういう最近の歌の傾向には、危機感を持っておられるようで、今後の歌が楽しみである。

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2月11日(月)伊丹の緑が丘公園へ。
義姉から、「約束していた猫のベストができたよ。」と電話があり、せっかくだから、一緒に梅を見に出掛けることにした。観梅というより、探梅という咲き具合だったが、香りを楽しむことができた。大学病院から紹介された病院に行くたびに「どこまでご存知ですか?」と尋ねられので、「全部わかってますよ。」と言ってるのという義姉。そう答えるときの気持ちを想像すると、涙があふれそうになるが、一番辛いのは義姉。できるだけ長い間、楽しい時間を過ごしたいと思う。
2月1日の結婚記念日には、娘(私の姪)が、38周年記念に「好きに使ってね。」と、38万円をプレゼントしてくれたそう。この姪は、家族からいつも「けちねえ。」と笑われるようなところがあるが、大好きな母親に、昨秋も新車をポンと買ってあげた、本当の意味でのお金の価値のわかっている娘。親戚ながら、いい娘だなあと思う。
2月17日の義姉の誕生日には、息子(私の甥)が、伊勢エビを持ってきて料理してくれることになっているという。マンガ『美味しんぼ』にはまっていた彼は、料理が大得意。職場の遠い奥さんのために、日々の料理は、彼が担当しているらしい。この甥も、「治療費は任せてよ。」という親孝行者。義姉の愛情籠もった子育てが、こんな素敵な子どもたちを生み出したのだなと、子育ての下手な私は、頭が下がる。
義姉からは、ベストだけでなく、可愛い手作りのお雛様ももらった。闘病の合間を縫って、さらにお雛様を作る予定だとか。うんと長生きして欲しいと祈っている。

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【古い着物地で、義姉が作ってくれたお雛様】

テーマ:日記 - ジャンル:日記

心に響く音楽&詩歌-映画『結婚しようよ』のことなど&新川和江さんの二月の詩三編
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【ハオ、1歳9ヶ月になりました。半透明ゴミ袋に入り込むの図。】

2月2日公開の映画『結婚しようよ』。吉田拓郎の曲が20曲も使われているという。ファンの私は絶対見逃せない。2月3日の朝一番に行ってきました。観客層は、同世代のご夫婦と親子連れがほとんど。
映画は「落陽」から始まって「落陽」に終わる。もうこれだけで、ファンとしてはしびれるのですが、「マークⅡ(Ⅰ)」という名のライブハウスが、いい雰囲気で、自分もこんな店を持ちたいと思うほど。親世代の、ライブハウスで過ごした青春時代と現在。長女の恋愛と次女の音楽への夢。田舎暮らしを始めた少し上の世代。悪い人は誰もいない。みんな優しく暖かい。観ている私たち夫婦の感情移入もはなはだしく、涙と笑いで映画に没頭。そして、何よりいいのは、随所に流れる拓郎の歌。若い人たちによるカバー曲も多いのだが、どれも素晴らしい。
見終わって思わず「もう1回見たいなあ。」と言うほど、楽しい映画でした。同僚に「よかったよ~」と嬉しがって話したら、「亀さんちのために作られたような映画だねえ。」と笑われました。そうなのです、それぐらいはまる映画でした。やっぱり拓郎の歌はいいなあ。拓郎ファンは、必見ですよ。

 2月2日は、久しぶりにaoki takutoの歌を聴いてきました。 「歌は90%が歌声」というイベントで、青木タクト/太田ヒロシ(ヒダリ)/糸永康宏の順に登場し、3人それぞれ全く違う個性の弾き語りでした。今までと違って、15人も入れば満杯という小さなライブバー「ワン ドロップ」でのライブしたが、その分、親近感がわいて、どの若者もみんな応援してあげたいなと思いました。
実は、そこでびっくりすることが!なんと私のよ~く知っている若者が、お客さんとして来ていたのです。会うのは、10年ぶりぐらいでしょうか、彼はキャラメル・バッジというバンドのリードボーカルだそうです。偶然力の強い亀ですが、ここでもまた発揮してしまいました。みんな、成功を祈るよ!

 ピアニストで歌人(「塔」所属)の河野美砂子さんと詩人の谷川俊太郎さんのジョイントコンサート『モーツァルトに会いたい』が、3月10日(月) 午後7時開演、京都芸術センターで行われます。詳しくは河野美砂子さんのHP「紫野通信」で。(http://music.geocities.jp/misakn95/)
昔からの谷川俊太郎ファンとしては、見逃せない催し物。京都の友人と出かけることにしました。河野美砂子さんは、角川短歌賞も受賞されているし、ピアノの才能は素晴らしいし、スタイルもルックスも抜群。天よ、少しは私にも味方して…。

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新川和江詩集『春とおないどし』(花神社)より二月の詩を三編

二月

―ミニスカートみたいに短い月
 ほかの月と同じように
 二日 あるいは三日
 余分に引き摺っていてくれたら
 その間にすてきな出会いが
 あったのではないかしら
 これまでの二月をずうっと振り返ってみて
 ふと そう思うことがあるの

―三日少なかったおかげで
 とんでもないあやまちを犯さずにすんだ
 という考え方もあるよ
 川幅がせまいので
 足も濡らさずにぴょんととび越え
 やわらかな草の萠える三月の岸を
 ぶじ踏むことができた―そう思って
 ぼくなんか ほっとするね



きさらぎの川

―川原がこんなに広くなって
 いつか二人で来た時には
 水があった所まで
 靴も濡らさず歩けます
―しかしもうじき
 山からどっと 雪解の水がおりてくるだろう
 ぼくたちが今踏んでいる小石も
 川底に沈むか あるいは
 遠くの海まで押し流されてゆくだろう
―寒い川風に吹かれながら
 わたしたちが今日歩いた という証(あか)しも
 水かさを増した流れに運び去られて
 あとかたもなくなるのかしら
―なくなるものか
 自然がちゃんと記憶していてくれるよ
 春になって 水がぬるめば
 スミレやイヌノフグリが
 二人が話し合ったこの川べりに咲くだろう
―わたしたちのことばが咲くのね
―そう だから
 優しいことばをどっさりお言い
 ぼくも言おう
 低声(こごえ)でいいんだ
 ぼくたちは寄り添っているのだし
 それに自然は とても耳さといからね 
―せせらぎが つよくなったみたい
―鼓動も 高くなったようだ



二月のハミング 

こどもを幼稚園へ
送りとどけての帰りらしい若いお母さんが
住宅地の坂道を 急ぎ足にのぼってくる
無意識にハミングしていたことに
ふと気づき あたりを見回す
すこしあかくなって

とあるお宅の塀越しにさし出た枝に
けさは紅梅が咲いている
聞いたのは どうやらこの花だけらしい
季節もときどきひとりでハミングするのだろう
きっとそういうときなのだろう
一りん 一りん
つぼみがほぐれてひらくのは

人通りがないのをよいことに
若いお母さんは さっきのつづきを
こんどははっきり 歌いながら帰って行く
こどもも幼稚園で
せいいっぱい声をはりあげ
おなじ歌を 歌いはじめている時刻―


 春は、もうそこまで来ていますね。
心に響く言葉-この1ヶ月の心に残った言葉から
あかん        花は  
  この2枚の写真は、通勤途中に気になる言葉だったので、携帯で撮りました。

お寺の前に、達筆の素敵な言葉が、いつも掲示されています。今月の言葉は、「あかんことはしたらあかん」。昨年を象徴する漢字が「偽」というのは、誰もが納得するところでしたが、残念なことに、これは今年に入っても続いているようで、いったい今年の年末の言葉は何になるのだろうと、要らぬ心配までしている有様です。
あかんことはしたらあかん」-嘘つきもいじめも犯罪も、「したらあかん」。シンプルなことなのに、守れないとは、悲しいことです。

2枚目の写真は、ロータリーの花壇にある立て札です。「咲いている花は大切に!!」ここを通るたびに、へそ曲がり根性がむくむくとわき、「咲いてなかったら大切にしなくていいの?」「咲いている花は大切にって、今の世の価値観に合う人だけ大事にするみたい…」なんて、思ってしまい、なんだか不愉快になるのです。
花も大切に…」私だったら、こう書きたいな。

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 今回は、「言葉」に関した文で、印象に残ったものが多くありました。

ある小冊子に書かれていた宮地裕さん(阪大名誉教授)の言葉
学習でも生活でも、言葉というものは、吐く息・吸う息、人の一生のことである。ほかの人の言葉でも、時として、自分にとっての生涯の珠玉となる。人は毎日自分の中の自分と対話している。考えるということは、そういうことなのだから、と思う。考えることが、その人のなかに、なにものかを蓄積する。書き残された言葉は、その思いの軌跡であろう。(中略)事は常にわれわれ一人ひとりの身辺にあり、思索は常にわれわれ自身のなかにある。言葉は、「こんにちただいま」のことであるとともに「いついつまでも」のことでもあるのではなかろうか。

なかなか含蓄のある面白い言葉だなと思って、手帳にメモをしていたのですが、他のものを読んでいるとき、
高柳重信さん(俳人)の次のような言葉を見つけ、両者に重なる部分を感じました。
人々は誰かに会おうと懸命に努力しながら、また、ときに誰かと出会っていると錯覚しながら、自分自身に会うのである。

新聞に載っていた天野祐吉さん(子規記念博物館名誉館長・コラムニスト)の言葉は、雑誌「広告批評」の主宰者らしく軽やかでした。
文化はそもそも、人間がいろんな共同作業で生み出した「ひま」をどうつぶそうかと考え出したもの。その意味では、ただで遊べるのが言葉なんです。皆が遊び心を持つことが言葉を豊かにする基本です。

「岩波ブックレット」にあった清水真砂子さん(『ゲド戦記』の名訳で有名)の言葉は、共感を覚えるところがたくさんあって、嬉しくなりました。
私はいま、自分の子ども時代のことをぼちぼち書きはじめてていまして、自分が小さいときから、とっても言葉が好きだったことに、最近になって気がつきました。素敵な言葉に会うと、もう飛び上がるほどうれしかった。新しい言葉に会うと、それがやっぱり、うれしくてうれしくて。(中略)言葉はいまでもやっぱり面白くて、夫ともよく言葉で遊んだりしますけれど、でも私は変に優等生的なところがありまして、夫が変な言葉を使うと「そんな言葉はないはずだ」なんて言ってしまいます。すると夫は「ないから作ったんじゃないか」と言う。

清水さんのご主人と、天野祐吉さんは、言葉に対する感覚が似ているかもしれませんね。

最近、私は小説よりノンフィクションに興味があるのですが、小説について、お二人の方が同じようなことを書かれていて、印象に残りましたので、ここに書き留めておきます。
上記のブックレットで、清水真砂子さんが、
私たちが実際に物語を読むときは、意味だけを楽しんでいるわけではないですね。意味だけ楽しむなら、哲学の本で充分です。文学の場合はそれだけではなく、意味からこぼれ落ちるものがとってもたくさんあって、実はそれを、私たちは楽しんでいる。それが文学作品を豊かなものにしている。

新聞で、作家の保坂和志さんが、
小説とは読後に意味をうんぬんするようなものでなく、一行一行を読むという時間の中にしかない。音楽を聴くことやスポーツを観ることと同じだ。いま読んでいるその行で何が起こっているかを見逃してしまったら、小説の興奮はない。そこにあるのは言葉としての意味になる以前の、驚きや戸惑いや唐突な笑いだ。

本の種類や読む目的によって、自ずと読み方が違ってくるというのは、当たり前なんですよね。

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 毎週土曜日に放送されている「世界一受けたい授業」という番組が好きで、よく見ます。
先週1月26日には、国境なき医師団からエリック・ウアネス先生が来られていて、テレビや新聞で報道されない出来事を教えてくれました。
「世界から黙殺された出来事」のなかでも、アフリカのシエラレオネの子どもたちが、手首を切り落とされ失っている映像には、大きなショックを受けました。以下の文は、 「世界一受けたい授業」のHP(http://www.ntv.co.jp/sekaju/class/080126/03.html)から、一部抜粋したものです。

シエラレオネでは、ダイヤモンドが豊富に採れることから、それを狙う他の国との戦争が絶えず、国は常に危機にさらされていました。その後、11年に及ぶ内戦も2002年に終わりましたが、その痛手は今も残っています。それは、手や足の無い人たちです。反政府組織は政府を脅すために、罪の無い一般市民の手や足を切り落としました。手や足を失った人は、農業の収穫ができなくなり食料を反乱軍に頼るようになります。国全体も食料が減り、不安定な状態に陥りました。

ちょうど上記の清水真砂子さんのブックレットに、
ものを読むということは―こんな偉そうなことを言って恥ずかしいのですが―、言うまでもなく、書かれているものを読むだけではだめで、何が書かれていないか、新聞だったら何が取り上げられていないかがわかって、はじめて読めたことになるんですよね。

とあり、線を引いたりしていたので、ほんとにそう思いました。テレビのニュースや大新聞などは、どれを見ても大差ない内容で、ニュースソースが同じ、独自の取材努力をしていない、既にジャーナリストとしての誇りは捨てていると思うことが多く、最近特に不満でした。ニュースを見ているからと安心せず、自分から正しい情報・捨てられた情報を探していかないと、さらに「愚民」にされてしまうなと、正直、恐怖を感じています。

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 朝日新聞のアスパラクラブというHPに「筑紫哲也(ちくし・てつや)の緩急自在」というコラムがあります。共感することが多かったので、長くなりますが転載させてもらいます(一部除く)。

その年の状況を象徴することばが流行語大賞に選ばれるのだとしたら、昨年は「ワーキングプア」がそれでしょう。「一億総中流」とかつては言っていた国が、世界の先進国のなかで二番目に貧富の差が激しい国になった。その姿をそれは象徴しています。そういうなかで税金も物価もこれから上がるでしょうが、そんな負担とは比べものにならないくらいのお金を私たちはすでに召し上げられているのを気付いていますか。 ほぼゼロ金利が続いている預金です。家計からそれで収奪されているのは年間20兆円から30兆円と見られています。なぜこんな目にあっても(預金金利だけが「こんな目」ではありません)、みんな黙っているのか。私は暴動をけしかけているのではありませんが、こんなにみんなが「別に」と沢尻エリカを決め込むのは危険だと思うのです。何にも反応しない、放っておくというのは、活力自体が低下していることだからです。なぜ、そんなことになってしまったのか、そしてそういう社会に出ていく若者たちが生きていく力をどう身に付けていけるだろうか――が、この何年かの私の個人的関心事であり続けたのですが、このテーマはますます切実になりつつあります。

そういうなかで、私は近ごろ、この粗野で非人間的な市場万能型資本主義を正当化してきたひとつのキーワードの追放を唱えています。呪文のように、万能のワイルドカードのように振る舞っている、そのことばとは「自己責任」です。 ワーキングプア。格差社会を正当化しているのも、能力、努力が不十分で「下流」に落ちるのは自己責任だからという論理ですが、神以外のだれも、究極の結果責任など取りようがないことを劇的に証明し続けているのがサブプライムローンの引き起こした世界的な金融不況です。 ずさんな年金処理。C型肝炎薬害を起こした責任者たちはだれも自己責任など取りません。自己責任と言われてひるむのは、良心的な人、弱者、そして若者たちのように未完成人です。社会で起きていることを社会の問題として考えず、それで被害が及んでも「自分のせいだ」と思い込む人がふえれば、社会に活力など生まれないでしょう。 


黙っていてはいけない、私もつくづくそう思う日々です。濃い字は特に共感したところです。
【大きな3枚の写真は、ベランダから、刻々と変化する、ある日の冬空を撮ったものです。】


プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
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