心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(7)~起きてみる夢~
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 皆さん、義姉のことで、優しいお言葉をありがとうございました。
この春は、花見のための遠出はしなかったのですが、先日、近くの散歩コースに八重桜を見に行きました。
【今回の写真は、散歩コースの染井吉野、八重桜、花水木です。】
八重桜は、昔行った造幣局の通り抜けが大変な人出で、ぼってりとして暑苦しい印象が強く、あまり好きではありませんでした。でも、ここ5,6年前から、とても好きになってきました。お花見のシーズンが過ぎ、皆が桜に見向きもしなくなった頃、可憐な花をたっぷりつける、その健気さが愛おしくて…。お花見の機会を逃した人のために咲いてくれているようにも思われて…。花が下を向いているのも、見上げる人への心遣いに感じられて…。

見上げたる我にすべての花を向け語るがごとし八重の桜は (5年前の作です。)
 
 今回は、俳句結社誌「空」21号(3月20日号-原稿は3ヶ月前)に載せて頂いた拙文をアップします。
長いですので、お時間のある方、よろしければお付き合い下さい。   

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   季節の詩歌(7)~起きて見る夢~    
              
夢には、どういう意味があるんだろう。         手塚治虫

1月11日に広辞苑第六版が発売され、新聞の全面広告に、手塚治虫の大きな顔写真とともに載っていたコピー文である。手元の辞書には、「ゆめ【夢】①睡眠中にもつ幻覚。②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。③空想的な願望。迷夢。④将来実現したい願い。理想。」とある。前回に続いて、今回は、①の意味以外の「夢」の詩歌を取り上げてみよう。
「儚い」という漢字が象徴しているように、人の見る夢・人の抱く夢は「はかない」。心に抱いた夢が、実現の可能性の極めて低い心の迷いに過ぎない夢か、実現に向けて人を努力させる目標となる夢か、その区別は、上記の③④ほど明確なものではないだろう。もともと「理想」であった夢が、実現できそうにないと思ったとき、それは「迷夢」となるのではなかろうか。また、本人にとっては、人生を賭ける「価値のある夢」であっても、他人の目には、無知蒙昧から来る「無謀な夢」にしか見えないこともよくあることである。

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かがまりてこんろに青き火をおこす母とふたりの夢つくるため     岸上大作

人間らしい暮らしをしたいという切実な願いであろう。「こんろ」という生活感ある道具、「かがまる」動作、「母とふたり」といった語群から、贅沢ではない、生活者として当たり前の夢が読み取れる。

馬鈴薯がくさり芽ぶける倉庫を出づ夢はかならず実現範囲       寺山修司

ロマンあふれる詩歌で有名な作者の、この歌には、現実に即しつつも、未来への意欲が感じられる。

パンとなる小麦の緑またぎ跳びそこより夢のめぐるわが土地      寺山修司

また、この歌には、今の自分を超え、更に大きい自分を探したいという欲求が、強く出ている。後に、彼が前衛演劇の中心者となっていったのも、肯ける。

ペルシュロン まだ走つてる まだ走る 夢の彼方の雲掴むため     時田則雄

夢がまだ火であるころの草の絮(わた)          林 桂

ばんえい競馬で使われるペルシュロンを、帯広在住の作者は、我が事のように見ている。この歌にも句にも、力強く燃えるような若々しい夢がある。しかし、そう簡単に自分の掌中に収めることはできない。いくら近づいても遠く果てしないのが夢なのである。

夢ばかり見てゐる初夢もなく         田中久美子

春灯下正座して夢見ておりぬ         原子公平

もういい加減夢を諦めようかとも思う。しかし、それは、自分の生き方を否定することになりはしないだろうか。人は、夢に生かされ、夢に苦悩する。

古ぼけた夢を思えば電柱に行方不明の猫の似顔絵       松村正直

自らに、猫を重ねているのだろうか。安住の地から猫は自由を夢見て出て行き、作者自身は夢に向かって歩んできた。その夢もいつの間にか輝きを失い、私の夢も猫の夢も、まさに「行方不明」なのである。

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若さゆえ夢を追うことが許された時代が過ぎていくとき、人は、その傍らで、夢を犠牲にしながら自分を見守ってくれていた存在に気づく。
ありてなき合歓のくれなゐ ちちははの夢ひとつづつわれが消したり   小島ゆかり

水草(みくさ)生(お)ふちちははに夢ありしころ       大石悦子

いつまでも夢追い人ではいられないと思いつつも、思い切れないのが、創作に関わってしまった人間の逃れられない性であろう。文学者の作品そのものが「夢想」とも言えるわけであるから。

まひるまに夢見る者は危しと砂巻きて吹く風のなかに佇つ        春日井 建

言の葉をもてあそびたる罰なるや夢みる頃を過ぎてまた夢        藤原龍一郎

それでも、夢との訣別という区切りをつけるとき、人はその後を一体どのように生きるのであろう。

魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて         前田夕暮 

白桃の和毛(にこげ)ひかれり老いびとの食みあましたる夢のごとくに   米口 實

土筆生ふ夢果たさざる男等に          矢島渚男

諦めた夢ではあるが、心定かでなく、美しい光をまとった夢に再び誘惑されそうな気配である。夢への未練を断ち切るのは、なかなか容易ではない。次の二句のように言い切っても、何か情が残るのを感じるのは、体言止めのせいであろうか。「捨てた」という言葉が、妙に寂しく響き、尾を引くのである。

捨てました夢は花野のど真ん中          手塚逸山

夢捨てしことには触れず敬老日              大場榮朗


いっそのこと、次の歌のように、他人の夢に自分の夢を託せば、すっきりするだろうか。モデルの女性は、絵描きの夢を現出させたものだが、彼女らにも夢があったであろう。画家たちの「夢」を介して、作者とモデルの女性たちが静かに了解し合っているような、そんな印象を受ける歌である。

ピカソの「夢」マチスの「夢」の中にゐて眠りゐる瓜実顔のをみなら      青井 史

といっても、なかなか自分の夢は他人に託しきれないし、却って、自分の夢を強く自覚したりするものである。自分のものにならない夢は、寂しい。

わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして         寺山修司

次の詩の一節は、他の物に託しているようで、実は、心の中の自分に言い聞かせているとも読める。

貝殻よ 海辺の虹よ
美しい夢を 見つづけるがよい              
                          高橋新吉の「海辺の虹」より


しかし、もしかしたら、「夢みたもの」は、次の詩やメーテルリンクの『青い鳥』のように、遠くではなく、自分の中に存在しているのかもしれない。

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここにあると
                      立原道造「夢みたものは」より


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それにしても、「夢」という実体のないものが、こうまで人を誘い続けるのは、なぜであろう。冒頭に引用した手塚治虫の一文も、もちろん単純に「夢」の、語句としての意味を聞いているわけではない。彼の人生を思い起こすと、人間という存在そのもの、人が生きていくということそのものが、「夢」なのかもしれないと思えてくる。

われらみな宇宙の闇に飛び散りし星のかけらか夢のつづきか     沢田英史

我も夢か巨勢(こせ)の春野に腹這へば        河原枇杷男


夢のような人生、夢のような自分、やがて、次の句や歌のように、現実の中での出会いも、時を重ねていくうちに、夢が現に、現が夢になり、曖昧模糊としてくるのであろう。その茫漠とした時間と空間に身を委ねたとき、人は陶然たる心地になる。

一期は夢一会はうつつ旅はじめ         石 寒太

夢ひとつ現ひとつと歌ひ来て花水木散る庭に酔ひゐつ            島田修二

寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞゆめにはありける    紀 友則


生のはかなさに思い至ったとき、人は達観するのだろう。あれこれこだわり生きてきたが、振り返ればほんの一瞬、一夜の夢を見るような短さであったと。

花鳥もおもへば夢の一字かな              夏目成美

邯鄲の夢とも空をゆく火とも                  石原八束


「邯鄲一炊の夢」の故事のとおり、人生の栄枯盛衰は、思っている以上に短く、はかない。人生の終わりを、人はどんな思いで迎えるのだろうか。

一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよひぐれまで飲む     福島泰樹

大いなる「無」の見るかすかなる夢の我の一生(ひとよ)か思えば安し      高安国世


どちらの歌にも、大きな流れに身を任せながらも、自分らしい人生を送れたという充足感が感じられる。花吹雪の吹く中、一人静かに盃を傾けながら、自らの人生を振り返って飲むお酒。「日暮れまで」という言葉が、しみじみとした情感を漂わせ、心に沁みる。二首目の歌には、「夢」に向かって努力を続けた作者の、奮闘ぶりが伺え、思わず「ご苦労様でした」と声を掛けたくなる。「安し」という言葉に、心のどかに自分の人生を受け止めようとしている作者が見え、ほっとするのは、私だけだろうか。

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しかし、まだまだ私たちは眠るわけにはいかない。

疲れてもなお夢みよとマリオンの人形時計時を告げたり      藤原龍一郎

今度1100回目の公演を迎える『ラ・マンチャの男』で、ドン・キホーテとセルバンテスの二役を演じている松本幸四郎(65歳)は、この作品について、次のように語っている。
「夢はそれ(=山っ気というか、人生をかけてみようというところ)をかなえようとする心意気」「六十歳を過ぎてから見る夢こそ本当の夢だ」「幸四郎の舞台上の肉体が、あらゆる問いに対する答え、そして夢の証しである」。誰にとっても、生きている限り持ち続け、向かい続けたいのが「夢」というものだ。次の二句にも、作者の矜恃が強く感じられる。

夢いまだ子には託さじいわしぐも          木下夕爾

夢いまももちて枯蓮水に立つ                倉田紘文


最後に、今回の「夢」の話の典型のような、芭蕉の俳句を二句挙げて、終わりにしよう。

夏草や兵どもが夢の跡               松尾芭蕉

主君を守り命を賭けて、武士たちが戦った跡は、もはやその面影すらなく、夏草が生い茂るのみである。旅先の至る所で、昔の人々の生きてきた跡を見、そのはかなさを身に沁みて感じた芭蕉。いや、そうであるがゆえに尚更、自分の俳句に賭ける夢を、最後の最後まで追わずにはいられなかったのである。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る          松尾芭蕉

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テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

心に響く詩歌-義姉のこと
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長い間、ご無沙汰しました。この間も、気にかけて何度も訪ねてくださった方、ありがとうございました。最期まで精一杯生ききった、大好きだった義姉のことを、少しだけでも書き残しておきたく、自分の中に、その力が戻ってくるのを待っていました。
私にとっては、高校2年生から40年近いお付き合いで、特に住まいが近くなってからの、この25年ほどは、子どもが病気の時預かってもらったり、料理や裁縫などいろいろ助けられ、一緒に過ごすことも多かったので、姉・母・友を一度に失ったようで、この春は花見をする気持ちもわきませんでした。
【ここに載せた写真はどれも、家の近くで撮ったものですが、美しいというより寂しい桜です。】

昨年夏、義姉の体の内部に、メラノーマ(悪性黒色腫)という皮膚ガンの一種が、見つかりました。出血の症状で病院に見てもらったときには、かなり大きくなっており、手術ができなかったときは余命半年と言われました。義姉は、その時点でもう覚悟をしていて、「これ以上手術はしなくていい。」と言っていました。これまでにも、何度も手術・入院をしていて、数年前の乳ガンの手術の際には、「これまでありがとう。幸せでした。…」という内容のノートを書いていたと、義姉の亡くなった後、姪が見せてくれました。
それでも、何とかみんなの励ましに応える形で、頑張って手術を受け、義姉も「もっと生きたい」という強い気持ちを持ち、様々な治療を頑張りました。家族や親戚、友人らの応援も大きく、それに応えたいと、義姉も持ち前の明るさと真面目さで一生懸命でした。退職している兄に替わって、子どもたちの経済的な援助も立派で、義姉の子育てが愛情いっぱいだったからこそと、身内ながら感心しました。
【次の歌は、昨年の秋~年末にかけて、前向きな義姉の生き方を残したく、作ったものです。】

*倒れたるのちも花咲くコスモスに重き病の義姉(あね)を思へり
重い病だけど、なんとかこの花のように咲いて欲しい、生き続けて欲しいと思いました。

*三度目の余命半年告げられし義姉は車中に編む手休めず
余命宣告の酷さを思いましたが、義姉は覚悟を固め、皆にプレゼントするあれこれを、わずかな時間も惜しみ作り続けました。今、皆の手元には、義姉の生きた証と愛が残っています。

*病床の義姉の足もと姪は占め仕事の資料作り続ける
義姉と一卵性双生児といわれるほど仲良しだった姪は、仕事を辞めてずっと看病したいと言っていましたが、せっかく希望の職に就き、義姉も喜んでいるのをやめるわけにもいかず、ずいぶん辛かったろうと思います。かつて父の病床の傍で、同じように仕事をしていた自分と重なり、切なくてなりませんでした。

*病室の義姉の傍(かたへ)に本を読み兄の一日(ひとひ)の暮れてゆくなり
いつお見舞いに行っても、兄がそばにいました。組合活動で忙しく、定年数年前には会社が倒産など、家庭を顧みる余裕のないまま、多くの苦労をかけた義姉に、できることはすべてしようという兄の思いが、痛いように伝わりました。私たちの父が末期ガンで入院していた数ヶ月は、義姉がずっと看てくれました。

*万博の森見おろせばその果ての大学病院虹の中なり
遠くから来た友人を案内して、万博公園に出掛けました。その日は、二度も大きな虹を見ることができ、義姉の入院している病院が虹に覆われている様子に、奇跡を願いました。

*スイス館前にて撮りし写真にはミニスカートの義姉、高校生の我
日本が元気だった頃の象徴のようなエキスポ’70。当時先端の業種だった広告会社に勤めていた兄夫婦に案内してもらった、ガラスの照明の美しいスイス館と、モデルみたいにきれいだった義姉。写真を見るたびに、泣きそうになります。田舎で一人暮らしていた父のため、子どもたちを連れよく帰省してくれた優しい義姉でした。

*知ることは受けとめ向き合ふことなるか 義姉に四度目の余命宣告
尋常の神経では耐えられません。いつも笑顔の義姉でしたが、「辛いよ」と実の妹に時々漏らしていたと、後から聞きました。「人間いつかは死ぬのだから、準備できるだけいいではないか。」とよく言われますが、わかってはいても、「余命宣告」は、辛すぎる言葉です。

*強すぎるガンと幾度も医師の言ひ選択肢としてホスピスを挙ぐ
肝臓への転移は数が多すぎて、手術も治療も困難とのこと。伝えるお医者様も辛かったでしょうが、当時の私には、「生きたい!」という気持ちを踏みにじるような…としか、思えませんでした。義姉の同級生が集まりを持ってくれ「一番明るくて元気で、一番長生きしそうやのに何でや!」と、嘆いたそうです。

*退院をせし義姉からの電話なり「終(しま)ひ弘法一緒に行かう」
*売る人と言葉交はすを楽しみて義姉は食材ととのへてゆく
毎月21日、京都の東寺で開かれる「弘法さん」が、義姉は大好きでした。12月は年末で混むからと早めに出掛け、京都の漬け物「すぐき」を買いました。せっかくだからと、錦市場まで足を伸ばしました。お店の人とのやりとりを楽しむ義姉に、回復を祈りました。

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義姉の夢だった田舎暮らしを始めて4年。今年のお正月には、家族揃って義姉手作りのお節を、その家で楽しみ、当番で回ってくる村のお接待も「もう最後になるから。」と頑張ったそうです。家の中は、義姉が、アケビの蔓・竹・布などで作った品々にあふれ、村にもお友達がいっぱいでき、また、都会からの友人も招いて、幸せな時間を持っていました。
1月、2月、3月と、家族とも旅行に出かけ、自力で起き上がれなくなった期間は、あまりありませんでした。いろんなことをやり抜きたい気力が、目に力強く残っていました。
亡くなる数日前も、「次に編む猫のベストは何色がいいかな?犬の模様でも頼まれてるの。」と話し、刺繍の花が一つだけ残ったピアノカバーのことが気がかりのようでした。代謝が弱り体には水が溜まっていましたが、美しさはそのままで、「きれいな足ね。」と誉めると、「みんな、足ばかり誉める。」と笑っていました。

私の方の一族が、6人も3月末に亡くなっているので、それを乗り越えなくてはと言っていたと、姪が教えてくれました。4月1日、昼間お見舞いに行ったときは、在宅緩和ケアで訪ねて来てくださったお医者様に「またよろしくお願いします。」とお礼を言っていたのに、それから8時間後に亡くなってしまいました。急変を聞いて駆けつけた家族・親戚・友人ら15人以上の親しい人らに囲まれ、穏やかに逝き、目元も口元も微笑んでいるようでした。
64歳と1ヶ月余り。まだまだ生きていて欲しかったけれど、厳しい病状の中、精一杯生ききった義姉と見守った家族に、悔いは無いと信じています。

今91歳になるお母さんは、義姉が生まれた直後に遭った空襲の時、赤子の義姉を背中にしょって火の中を逃げきったそうです。そうやって守ってきた可愛い娘に先立たれ、どんなに辛かったでしょう。ずっとずっと長く、冷たくなった頬に顔を当てておられました。
葬儀は、子どもたちが中心になって頑張り、義姉の好きだったお花がいっぱいの祭壇を頼み、たくさんの供花と心のこもった50通を超す弔電をいただき、多くの参列者に来ていただきました。義姉がたくさんの人に温かく接してきた、その思いに、皆さんが温かく応えてくださっている、そういう優しさを感じるお別れでした。

祭壇の写真は、義姉らしく笑顔がいっぱいの顔。実は、これ、ロンドンで集団スリに遭い、カードや現金の入った義姉のバッグが盗られ、防ごうとした兄が小指を骨折した直後の写真だそうで、「ほんとに、まあ!もう、笑うしかないわね。」という義姉の声が聞こえてきそうな笑顔だなと思いました。告別式の最後に、兄が語った義姉の人生。ほんとに、兄はいい人と、いい人生を送れたなあと、義姉への感謝の気持ちでいっぱいです。今も、義姉を慕い、兄を心配して、いろんな方がお参りに来て下さっているそうです。学生時代、陸上をしていた義姉らしい、全力疾走の人生だったなあと思います。

*春雨に花のいろ濃し「さびしいね一人になるね」と義姉(あね)は言ひしと
亡くなる二日前に、「一人で(村の)家に帰らなあかんね。寂しくなるね。」と、残る兄をいたわってくれたそうです。雨を吸った桜の花びらは、色が濃く美しさが増すようです。辛い思いをいっぱい味わった人は、優しさだけの人になる、という気がします。

*義姉も見き兄も見てをり窓からのただ一木(いちぼく)の桜満開
最期を迎えた家からも、田舎暮らしの家からも、一本だけの立派な桜が見えます。一緒にお花見に行くのを楽しみに迎えた春でしたが、それは叶いませんでした。でも、窓から見える桜に、義姉は「きれい!」と言ってくれたそうです。満開の桜を、心を尽くして生きた義姉だと思いたい。今年の桜は、辛すぎて寂しすぎて、まともに見られませんでしたが、来年は、亡くなった人たちとも、花見をするつもりです。

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追記 : 振り返れば、壮絶な闘病でもありました。そのことを追記で書こうかとも思ったのですが、兄が、49日の法要の時、皆さんにお配りできるよう、「闘病記」をまとめるつもりだと言っていましたので、私の文章は、ここまででとどめます。ずっと傍で一部始終を見てきた兄が、義姉の闘病を書くのが一番です。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

悲しいお知らせ
かねてより闘病中の義姉が、4月1日永眠いたしました。
義姉の励みになればと思い、このブログでも手作りの手芸品や田舎暮らしの様子を、何回かアップさせてもらいました。皆さんから、コメントやメールで温かい言葉をいただき、義姉も喜んでおりました。皆さんにお知らせをして、お礼を申しておくようにと、兄からも頼まれましたので、悲しいお知らせではありますが、載せさせていただきます。
詳しいことを書く気力も、コメントにお返事をする気力も、まだありませんので、いつも訪問して下さっている皆さんには申し訳ないのですが、ブログはしばらくお休みいたします。

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プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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