心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く詩歌(歌集)-尾崎知子歌集『笹鳴り』
尾崎知子歌集『笹鳴り』  (青磁社/2010年/2500円)

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尾崎知子さんに初めてお会いした(はっきりお顔を拝見した)のは、5月末に東京であった真中朋久さんの表彰式での二次会。ずいぶんきれいな方だなあと、ぼんやり見取れていたことを覚えています。以前、拙ブログで歌集をご紹介した立川目陽子さんからお話があってと、歌集を送って下さいました。早くご紹介しなくてはと思いつつ、自分の歌集のことでバタバタしているうちに、尾崎さんからは私の歌集への丁寧な感想が送られ、全国大会でお会いし、オプショナルツアーもご一緒できるという嬉しいできごとがありました。頂いてすぐ読んではいたのですが、これ!と思う写真がなくて…、今日やっとアップできました。
*8月に松山であった「塔」全国大会の折に撮った写真とあわせて、ご紹介します。

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   【往路の「しおかぜ」の車内】

ビル壁に影絵のやうに動きつつ薔薇売る男の胴長くなる
結句が時間の経過を感じさせて面白かった。作者は、向かい側のビルにある喫茶店にいたのかな。

いちやう散る海岸通りゆく夕べ落葉の上からつぶれ実を踏
上句のおしゃれな感じと、下句のぐにゅとした感触を思い出させる具体的な身体感覚の取り合わせがいい。

桜木にカメラ構えてゐし男三脚たたみ桜に消えぬ
結句で、とても幻想的な歌になり、花の精にとらわれた男の物語が作れそうな気がした。

窓に向き立ち読みしてゐる少年の顔が見えない「少年ジャンプ」 
コンビニの風景をマンガ誌で切り取ったところに、非人間的な社会への風刺も効いている。

無声映画のフィルムのごとく川流れその中に捨てられし自転車
上句の比喩で、都会の川の色やセメントで一定の幅にされている様子がくっきり見える。

負け惜しみのやうに水仙咲き始む道路建設予定地の中
自然が奪われ、また一つ人工的なものが造られていくことへの怒りが、「負け惜しみ」に読める。

ひとり行く道に迷へばロンドンの街に羊の貌のひとたち
ストレイ・シープ(迷える羊)を連想する隠喩が、漱石も暮らしたロンドンの街に合っている。

粉をひく小屋のドアより出てきたる大男なりドアより大きい
結句の観察力とユーモアにひかれる。外国の絵本で昔話を読むような感じがした。

ウィリアム・モリス住みにし田舎家にわれらと入る草原の風
とてもさわやかで、選ばれている言葉がどれも、ウィリアム・モリスの雰囲気にぴったり!と思った。

人工呼吸に胸を押さるる人形は押されるたびにずり下がりゆく
ほんとに!その通り!と思った。経験のある人は皆、リアルに情景が浮かび、共感を覚えるはず。

校庭にセメント製の滑り台つめたき幅を巻き上ぐる風
「つめたき幅」というのが、セメント製の滑り台のひんやりとした質感をよく表していて、体が懐かしい。

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非常に抑制された表現で、一見おとなしい情景描写に思えるが、よく読むと的確な描写に感心する。また、情感や感触がひっそりと伝わってきて、その慎ましさや思いがけないリアルさが魅力的である。淡々と述べているようで、ときおり不思議な世界やユーモアのある世界が現出したりするのも、真面目な観察力のなせる技なのだと思う。巧みな比喩に心惹かれた。          

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   【萬翠荘(ばんすいそう)】

湯船より揚げむとすれば老い母は石灯籠のやうになりたり
意志を持たぬ体、意志はあっても不自由な体、それを持ち上げる時の重さを「石灯籠」に喩えた作者の悲しみが伝わる。

病院食のにんじん食べる母の口不思議な存在感を持ち始む
おかゆなどの流動食と違って、人参は咀嚼することを要求する。長い時間をかけてかみ続ける口が、不思議に見える。

母の乗る車椅子押す昼の道水溜りのやうな影から影へ
下の句の比喩が優しくて魅力的。日向の道を陰を選びながら、ゆっくりと行く母娘の姿に情感があふれる。

夕がたの朝顔のやうに薄くなり母はねむれり捻れしままに
こちらは上の句の比喩が秀逸。お母様の寝姿がくっきりと頭に浮かび、寂しい。

病院の夜間受付に亡き母の名を告げるとき死は立ち上がる
名前は、人格を持つ。呼んでも、もう返事のない名前ほど、辛いものはない。

死者の手の甲に残りし絆創膏張り替へるといふ湯灌せし後
えっ、いまさら?と思うが、死者を労り悼むプロの心配りに、改めて救われる思いがする。

懐石料理は遺影の前にも置かれゐる火皿の付きしミニコンロも混じ
当たり前のこととして進行していくことへの不条理さ。そのことが、母親の不在を自覚せよというようである。

母逝きて無口な父の存在が日の差す道幅いつぱいになる
気配りのできる明るいお母様だったのだろう。「無口な父」と前向きに付き合っていく決意が下の句から読める。

わが母の嫁入り箪笥開けるたびハモニカのファの音のするなり
「塔」誌で読んだ時から印象に残っていた一首である。音の記憶がいちばん郷愁に近い気がする。

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お母様のことを詠まれた歌群も、やはり感情を抑えた表現になっていて、作者の静かな眼差しが感じられる佳品になっている。何一つ声高に言うわけではないけれど、寂しさや悲しさ、哀しさがひたひたと迫ってくる歌群に、作者の歌の力を思った。

 尾崎さんの抑制しきった歌を読むと、私は抑えているようで随分気持ちを表に出した歌を詠んでいるなあと思った。非常に落ち着いて寡黙な詠みぶりの彼女の歌を読んで、歌にはどうしようもなく人柄が出るのだなあと、おっちょこちょいの私は背伸びしようのない自分の幼さを自覚した。たった31音なのに、個性が出てしまう恐ろしさと面白さ…、各自の持ち味を楽しみながら、これからも皆の歌を読んでいきたい。尾崎さん、貴重な歌集をありがとうございました。

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   【復路の「しおかぜ」の車窓より】


テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

季節の詩歌(17)あの頃のとんぼ
季節の詩歌(17) ~ あの頃のとんぼ ~ 

「空」誌31号(2010年7月)に載せていただいた拙文と、8月の「塔」全国大会オプショナルツアーで行った、四国霊場46番札所「浄瑠璃寺」で撮った写真をあわせてアップします。長い文章ですので、お時間のある時にでも読んでいただけると嬉しいです。   

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あの頃へ行こう蜻蛉が水叩く      坪内稔典
「あの頃」という言葉が感傷的な気分を誘い、「行こう」という呼びかけに「ええ、一緒に」と応えたくなる俳句である。具体的な結句が、故郷のきれいな水辺や豊かな自然を思い出させ、頭の中が一気に子ども時代にワープする。ほかの昆虫では、こうはいかない。そして、条件反射のように頭に浮かぶのは、三木露風作詞・山田 耕筰作曲の「赤とんぼ」である。

夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先

切ない歌詞とメロディに、涙がにじんでくる。この歌詞と同じ体験をしているわけではないのに、「あの頃」の原風景として共感を覚えるのは、童謡の持つ力であろうか。

ふるさとの幼なじみを思ひ出し泣くもよかろと来る来るとんぼ  与謝野晶子
与謝野鉄幹を追って上京した晶子には、故郷の父母を想った「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女(をとめ)となりし父母(ちちはは)の家」など、望郷の歌が何首もある。ここにあげた歌にも、作者に近づくとんぼに触発され、故郷の人々を思い出す素直な心情があふれている。

蜻蛉や村なつかしき壁の色       与謝蕪村
江戸時代の俳句であるが、現代に生きる私にも、懐かしい村がはっきり見える。素朴な土壁は暖かさを感じさせ、空を行く蜻蛉も郷愁を誘う。その郷愁の原点は、母。次の句は、「母」と「赤とんぼ」でなくては成り立たない。

赤とんぼみな母探すごとくゆく     細谷源二
ついーっと真っ直ぐ飛んでは、方向転換をする赤とんぼの群れ。その一途な飛び方と大きな眼の影響もあって、この句に共感を覚える人も多いだろう。

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           【抱き大師】

私自身の子ども時代の原風景は、「赤とんぼ」の歌にあるが、わが子の原風景は次の歌「とんぼのめがね」(額賀誠志作詞・平井康三郎作曲)の方であろう。幼いわが子と、この歌で一緒によく遊んだ。
とんぼのめがねは水いろめがね 青いお空をとんだから とんだから
とんぼのめがねはぴかぴかめがね おてんとさまを見てたから 見てたから
とんぼのめがねは赤いろめがね 夕焼雲をとんだから とんだから

とんぼの大きな眼が、さまざまな色のめがねに喩えられるのが楽しく、飽きることなく歌い、親子でとんぼになって走り回った覚えがある。青空、太陽、夕焼け雲、いずれも壮大なものと一体化しつつ、さらにそれらと釣り合うとんぼの不思議を思う。

蜻蛉に空のさゞなみあるごとし    佐々木有風
水辺を好む蜻蛉に「さゞなみ」の比喩を配し、涼しげな句となった。秋の気配が漂い始めた空の様子もよくわかり、魅力的だ。

とんぼには名がありません 太い尾に海のひかりを曳いて飛びます  柳 宣宏
名前は、個を区別すると同時に、個を限定する。人間のように一人ずつ呼ばれる名を持たぬとんぼは、どこまでも自由で、自然と同化しつつ大きく生きる。「海のひかりを曳く」美しさを想像すると、次の世はとんぼに生まれたくなる。

秋のかぜに秋のトンボのゆらゆらと渚に向かう良きことあれや    晋樹隆彦    
秋風に「ゆらゆら」とどこか頼りなさそうに飛ぶトンボ。その様子を表す擬態語が、そのまま波の揺れにつながる。水辺に餌や水を求めているだろうトンボに、心を寄せる作者の結句が優しい。


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          【仏足石】

二年前の夏の一日、暑さを避けて、友人と京都南禅寺そばにある山縣有朋の別邸無鄰菴(むりんあん)を訪れた。東山を借景にした芝生の庭園には、琵琶湖疏水を引き込んだ浅い川が流れている。母屋でゆったりとした時間を過ごしながら、互いに亡き父の思い出話をしていると、鬼やんまが室内に入ってきた。「なんだか父の魂が、私たちの話を聞きに来たみたいね。」と、二人してとんぼの大きな眼を見つめた。後に、盆の頃現れるとんぼを、先祖が乗ってくると言って、捕らえない地方があると知った。

蜻蛉行くうしろ姿の大きさよ     中村草田男
私たちが「父」だと思ったのは、この句のように蜻蛉の「うしろ姿の大きさ」が印象的だったからだろう。人に近いところを飛ぶせいだろうか、蜻蛉は実際より大きく見える気がする。

とんぼが寂しい机にとまりに来てくれた 尾崎放哉
とんぼは人の気持ちがわかるのかな、と思うことがよくある。ある時はこの句のように一人寂しく暮らしている人の傍へ、またある時は次の句のように女の人の膝の上に、まるでそこを選んだかのように止まるとんぼ。穏やかで優しい妻から、とんぼ好みの波長が発せられているのか、それとも寂しげな妻に寄り添ってあげようとしたのか。人恋しいのは、人だけではないのかもしれないとも思う。
赤とんぼ人を選びて妻の膝       山口青邨

笠にとんぼをとまらせてあるく      種田山頭火
先の句の放哉と同じように、放浪の俳人として有名な山頭火。孤独な旅の途にある彼にとって、自分に近寄ってくるとんぼは、仲間のように心温まる存在であったろう。互いの魂が触れ合うようだ。

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな   中村汀女
この句の蜻蛉も人懐こい。蜻蛉は自分を求めてくれる人の匂いをかぎつけ、近づいていくのかもしれない。蜻蛉が飛んでいることを気にも留めない人のところには、やってこないのではないか。気がつけば、情感豊かに生きている人の周りを囲むように、蜻蛉は群れている。次の歌の作者と「あなた」も、きっとそんな人たちなのだろう。赤蜻蛉に人格を認めるような、感受性の鋭い二人が想像できる。
たしかにあなたは見られているよ 造成地を行くときツッと浮く赤蜻蛉   早川志織

次の二首の作者と「君」も、先の歌の二人と同様に、繊細な人たちなのだろうと、細かい描写を読みながら思った。
「悪いけど」を必ずつけて頼む君月草の瑠璃とんぼに喰わす       梅内美華子           
月草とは、ツユクサの別名。露草の青い花を、とんぼに食べさす「君」は、痛々しいほど人に気を遣う男性。歌に詠まれた所作は一見優しそうだが、摘まれた花や無理に食べさせられるとんぼからすると、どうなのか。考えればどうでもいいことをしている「君」との間に、アンニュイな時間が流れている。
抱きながら背骨を指に押すひとの赤蜻蛉(あきつ)かもしれないわれは  梅内美華子      
細身の二人に違いない。蜻蛉の交尾はハート形になると聞いたことがある。なんだかそんなことも連想させる恋の歌である。


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          【仏手石】

とんぼ飛ぶ遠山色に翅すかし      山口青邨
お歯黒とんぼのように、全面黒色の羽もあるが、一般的にとんぼの羽といえば、この句のように向こう側が透けて見える。透明感のある羽は、触れれば壊れるような繊細なものとして目に映る。ところが、意外と強い羽なのかもしれないと思ったことがある。

遠くへは行かないとんぼ夕光(ゆふかげ)に羽をはじきて草原(くさはら)に群る  青木朋子          
拙歌の引用で恐縮だが、この歌が生まれた時のことだ。夕方仕事を終え、駅へ向かう途中の小さな橋を渡る時、草原に目をやると、たくさんのとんぼが群れていた。そこへ折からの夕日が当たり、とんぼの羽が金属のように輝いた。それは、互いの羽がぶつかると、金属音がするのではと思ったほどだった。
次の歌の蜻蛉も、同じような状況で詠まれたのではなかろうか。一見弱そうに見えるとんぼの羽の、重さと輝きを感じさせる。この蜻蛉は、鋭利で丈夫な超小型飛行機のようである。   
自転車に触れてあやふくよぎりたる今年の蜻蛉油なす翅   田谷 鋭                 

とんぼの質感が気になるのは、子どもの頃捕まえた経験があるからではないか。そんな少年時代を思い出させるのが、次の短歌と俳句である。
鬼やんまの翅の下なる少年期 水平に網かまえていたり   吉川宏志                 
少年の目も蜻蛉の目も動く         稲田眸子
少年の真剣な目と動きがくっきりと見えて、動画のようである。捕まえる側も捕まえられる側も、張り詰めた状況の中にあり、その時の胸の鼓動まで聞こえてきそうだ。短歌は回想、俳句は親(他者)の視点で描かれているが、臨場感がある。

とんぼの羽の乾いた質感を詠んだ次の二句。彼らもまた、見るだけでなく捕まえたことのある人なのだろう。指先の感触がよみがえるような句である。
蝉も/蜻蛉も/乾いて生きる/風の暮   林 桂

雲や水やかさりと蜻蛉ふれ合ひし      荒井正隆
「…も乾いて生きる」というところに、現代のドライな世相、孤高の寂しさが感じられ心に残る。最後の句は、雲に近い高原であろうか、自然の中の静寂が印象的だ。花蜜や樹液を吸う蝶と、昆虫を食べる蜻蛉とでは、活動場所が違うのは当たり前なのだが、風や空、水といった茫漠としたものが似合う蜻蛉は、風来坊のようで心惹かれる。


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          【樹齢1000年以上・天然記念物の伊吹柏槙(イブキビャクシン)】

 ご訪問、ありがとうございます。バタバタ忙しくしておりますので、今回のコメント欄はお休みさせて頂きます。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

心に響く言葉-「健やかな歌を」
8月25日追記 : 8月21日・22日と松山の道後であった「塔」全国大会で「河野裕子さんを偲ぶ会」について、連絡がありました。詳細は、「塔」ホームページにあります。
    日時 10月17日(日)13:00~17:00
    場所 グランドプリンスホテル京都(京都市左京区宝ヶ池) プリンスホール
    主催 「河野裕子を偲ぶ会」実行委員会、塔短歌会、永田家

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                                               【家のベランダから。2010年8月】

2010年8月12日午後8時7分、戦後を代表する歌人の河野裕子さんが亡くなられました。亡くなられる日の夕方まで、毎日新聞歌壇の選をされていたそうです。23歳で角川短歌賞を受賞されてから、乳がんで亡くなられる64歳までずっと、歌人として常に優れた歌を発表され、また、歌を詠む多くの人を指導し、励まして来られました。朝日新聞には当日の夕刊と16日の天声人語に、河野裕子さんの歌と人生が紹介され、哀悼の意が記されていました。心よりご冥福をお祈りいたします。

今年は「塔」の全国大会が松山であると知っている友人や親戚が、愛媛新聞の一面にも大きく出ていたと、心配して知らせてくれました。「塔」の編集発行人で、夫君でもある永田和宏氏やご家族の悲しみを思うと、深いお付き合いがあったわけではない私が、ここに書くことに躊躇いがありました。でも、皆の思いで、「塔」全国大会を成功させ、河野裕子さんの歌への情熱に応えられたらと思います。もう会えないということが、こんなに寂しいものだということを、改めて思っています。

河野裕子歌集『母系』 (2008年11月23日初版/青磁社) より
お母さまの最期を詠まれたこの歌集は、2009年に超空賞と斎藤茂吉賞を受賞されました。

母の影わたしの影と並びゆく影さへも母は迫力あらず
わたくしは真つ直ぐ立つて此処にゐる風がなくともそよいだりして
心配をするのが愛情と履きちがへ痩せて曲がりて忘れて母は
握手せず別れ来しこと悔やみをりあと一、二度は会へるだらうか
人まへでは120パーセント元気なので家では猫が二匹で介抱
薄い目をあけて私を見る人が今ひしひしとたつた一人の母
いい嫁でいい子でいい母いい妻であらうとし過ぎた わたしが壊れる
何も言はずずつと傍に居て あなたにも子らにも言ふだらう母のやうになれば
死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく
生き物はみんなひとりで死んでゆく死んでゆくにも体力が要る

*お母様にご自身を重ねながら詠まれたに違いない歌の数々。あとに残るご家族のために詠まれた歌群なのだと思いました。

「塔」8月号新樹滴滴に書かれた河野裕子さんの「近況など」より
…改めて気がついたのだが、歌をつくることは、ほんとうに体力勝負なのだ。作歌は、体力と気力と集中力が大事だと人にも言い、自分もそう考えてきたが、体力がなければ、これはどうにもならない。
…ひとつ思うのは、体を病んでいても、歌は健やかな歌をつくりたい。健やかであること。それが、どんな場合にも大切で、ことに、病気をしていても健やかであり続けることは、大きな広い場につづく道があることを約束している予感が、しきりにする。

*この文章を読んで以来、「健やかな歌」という言葉が、頭を離れません。ご自身に、そして、歌を詠む仲間に託された希望と期待だと受け止めています。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと-初めての歌集ができました。
        「残暑お見舞い申し上げます 2010年8月

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           【万博公園/携帯で撮影】
   

初めての歌集ができました。

青木朋子歌集 『大空の亀』 (青磁社/2010年/2500円)

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あっという間に8月になりましたが、みなさん、お元気ですか?天神祭の記事をアップした折には、たくさんの温かいコメントをありがとうございました。今年になってから準備を始めていた、初めての歌集が先日出来上がりました。1月からパソコンに歌を整理し始め、3月末に出版社に原稿を預け(この日の帰り、植物園と電車で短歌結社「塔」の方に偶然お会いしたのも、なんだか不思議でした。)7月末に出来上がりましたが、その直前に、まるで前祝いのように天神祭短歌のことがあったのも、驚きでした。そしてまた、以下に書くような新たな偶然を発見し喜んでいる、「偶然つながり」の好きな私です。

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毎月とっている「NHK短歌」8月号のスタジオゲストのページに、拙歌集の解説を書いて下さった真中朋久さんが載っていました。米川千嘉子さんと並んでの笑顔が素敵です。ちなみに、その真上の町田康さん(長男がファンです)と並んでいるのは、先の天神祭短歌選者だった東直子さん。5月末に東京であった真中朋久さんの表彰式(寺山修司短歌賞)の二次会の時、東直子さんと友人のN さんが並んだ写真を撮りました(私は特に名乗ることもなく…)。続いて、真中さんの右隣の小川軽舟さんは、前回ご紹介した「オススメ本」の著者で、俳壇若手のホープです。右上のジャーナリスト江川紹子さんは、昨秋、岩波ジュニア新書『勇気ってなんだろう』を出され、5人の勇気ある人々を取り上げておられます。その中の一人仙波敏郎さんは、拙ブログでも何度か紹介したことがありますが、先日、阿久根市の副市長に…という記事を読み、実はとてもびっくりしています。先日届いた「NHK短歌」8月号のP73だけで、こんなに「偶然つながり」が!こじつけ…?


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兄が25年間関わってきた『おおさかの街』70号(2009年5月25日発行・以後休刊)には、拙歌集の題字を書いて下さった菅谷藍さんの特集記事があるのですが、数日前、改めてこの冊子をめくって、びっくり仰天!天神祭の記事でご紹介した土居年樹さんの記事が、菅谷藍さんの記事の前に並んでいるではありませんか。昨年5月に冊子を受け取りながら、ちゃんと記事を読んでもおらず、今頃ていねいに読んだ私も私ですが…。あわてて、「土居さんて偉い人やね。」と、兄に電話をすると「そうやで。『おおさかの街』には二回ほど出てもらって、天神橋のお店までインタビューに行ったよ。」とのこと。う~んと昔から、自分では気づかぬままに、ご縁があったのでした。
お二人の記事は「特集・大阪から人間の尊厳を発信しよう」というので、p16~p20が土居年樹さんの「街商人(まちあきんど)やからできること」、続けてp21~p23が菅谷藍さん「100歳を生きる」でした。いい言葉がたくさんありましたので、いくつか抜粋します。

天神天満繁昌亭の設立発起人の一人として奔走された土居年樹さん。天神橋筋商店街は、様々な取り組みのおかげで、30年前に1日8000人だった通行量が、今は3万人以上に。
・文化という切口もなかったら商店街は活性化せえへん。
・あんだけ一生懸命やってんねんやったら応援したれやいう人が必ずでてくるわ。
・どの街にも必ず匂いがあると言うてるんやけど、うちの匂いは天神さんやねん。…そういう象徴的なものって大事やと思うわ。そのことが、まちづくりの僕の気持ちを支えてんねん。祭は参加せなっていう気にさせてしまう。そういう中で街のファンを増やすのが、ひとつのまちづくりや。
・僕は有言実行やから、なんでもしたいなあ思たら先に言うて、絶対やる。…やる以上は最低10年続ける、継続することが秘訣やな。それと、自前の発想。
・基本は、文化のない街は壊れまっせと思ってる。商いすることも文化やんか。


結婚後5年で夫は病死、子どもはいない。102歳の今も現役の書道の先生で、自立した日々の菅谷藍さん。90歳で初めての海外(イタリア)旅行、94歳で本『人生いろいろ』を出版。
・みんなの顔を見るとげんきになります。やめたら急にだめになると思うので、一生定年はありません。
・人間は最後まで自分を捨てるものじゃないと思います。役に立たないから、すぐにでも死んでもいいと思う日は沢山ありましたが、自分を見捨てることはない、最後の最後まで何とか闘って生きて行くものだと思います。生きていれば生きただけの事があります。
・謡曲もボランティア(介護施設で書道を教える)も続けたい。…こんなことをしながら、そして最後まで自分を保持して最後は元気でみんなに「ありがとう、さようなら」と手を振って逝きたいと思います。お墓はいりません。関係者に墓参りなどの苦労をさせたくありませんから。


 拙歌集ですが、「塔」の方々には青磁社さんから直接送って頂き、既に届いているようで、早々とお葉書やメールを下さった方、ありがとうございました。「塔」以外の友人・知人には、本日、私から直接送らせて頂きました。拙歌集で本棚の場所をとってしまい、ご迷惑をおかけしますが、読んで頂けると嬉しいです。
巻末にある、真中朋久さんの解説文が素晴らしく、歌集を作ってよかったと思わせて下さいました。
歌集作りに関わって下さった方々、拙歌を読んで下さった方々に、お礼申し上げます。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

心に響く本-最近読んだオススメ本
 最近読んだ本から「オススメ本」5冊の紹介です。

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冲方 丁(うぶかたとう)著 『天地明察』
(角川書店/2009年/1800円)
数学が苦手で、しかも時代小説はあまり読まない私にとって、敷居の高い本だったが、「2010年度本屋大賞1位!」なら読まねばなるまいと、挑戦。500ページ近い分厚さも気がかりだったが、漢字とかなの配分と読みがなの付け具合が、私の好みだったので読み始めたら、2日で読み終えた。後半が特に面白い。
江戸時代の歴史上の人物が出てきたり(といっても歴史の苦手な私は、人名をほとんど覚えいない…)、武術・剣術や武士のやりとりが中心ではなく、算術や暦といった地味な学問がテーマだったのが、意外と私のツボにはまったようだ。高校時代、いつも2、30分で数学のテストを解いて教室を出て行き、しかも満点だったJ君などが頭に浮かび、人物像がリアルに描けたのも軽く読み進めた要因か。
主人公の大和暦を完成させた渋川春海(安井算哲)、武家の手で文化をと願った会津藩の名君保科正之、和算を打ち立てた関孝和、度量の大きい水戸光国、老中から大老になった酒井忠清、春海の師でもある神道の山崎闇斎、碁の革命児本因坊道策など逸材揃いの話で、現代ではなかなか出会えない大物の登場に、わくわくした。


グレゴリ青山著 『田舎暮らしはじめましたうちの家賃は5千円 (メディアファクトリ/2009年/950円)
東京から和歌山の山奥に引っ越した漫画家と建築模型制作家夫妻の「嘘のない」体験記。憧れだけでは済まない厳しい現実と、それでもそれを越える自然の良さ。リアルな漫画と写真で、とても正直に描かれているので、笑いつつも大変役に立った。4年間の山奥暮らしを終え、今は京都市内に1時間もあれば行けるところにお住まい。妥当な結論かも。


金馬宗昭著 『不登校 ひきこもり こころの解説書』 
(学びリンク/2010年/1200円)
著者は、高校講師経験の後、気合いを入れて臨んだ教員採用試験に不合格となったのがきっかけで、ひきこもりとなる。その後、ボランティア経験によって自信を回復し、サポート校に就職。現在は、そこの教頭。といってもまだ40歳の若さである。
こういう種類の本は結構読むのだが、体験者の側からだけ書かれていたり、指導者やカウンセラーの側からだけだったりして、今ひとつしっくり来ないものが多かった。しかし、今回読んだこの本は、ひきこもりを体験した側とそれを指導していく側の両面から書かれていたため、大変わかりやすく、また役に立つ情報も多かった。もし「不登校 ひきこもり」で苦しんでいる人や家族がいたら、ぜひ読んでみてください。とてもいい本!


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小川軽舟著 『現代俳句の海図』 
(角川学芸ブックス/2009年/1714円)
副題「昭和三十年世代俳人たちの行方」ということで、中原道夫・正木ゆう子・片山由美子・三村純也・長谷川櫂・小澤實・石田郷子・田中裕明・櫂未知子・岸本尚毅という、昭和26年生まれから昭和36年生まれの俳人の各五十句と筆者による解説を集めた本。一通り知っておきたい人たちばかりだったので、大変面白く読めた。どの俳人にも共通しているのは、「俳句」という詩型への信頼と謙虚さであった。

石川九楊著 『書に通ず』
(新潮選書/1999年刊/1200円)
以前から、「書」の歴史を概観した本を読みたかったのだが、この本は非常にわかりやすく、かつ興味深く読めるいい本だった。写真がふんだんに載っていて、解説と照らし合わせて具体的な「書」を見ることができるのも、魅力だった。特に、黄庭堅、池大雅、高村光太郎の書が気に入った。また、今まで考えたことのない発想から論が展開して、「書は書く芸術である」「書は文学である」といった筆者の主張に引き込まれた。
ここだけ引用したのでは何のことかわからないので申し訳ないのですが、心ひかれる文章です。
P35・・・「書く」という出来事、つまり書は美術的な出来事と言うよりも、むしろ文学的な出来事なのです。書は文学であるという事実をふまえることが、書を考える上で必要不可欠です。「書く」ということは「筆蝕する」と言い換えることもできます。そして「筆蝕する」とは、思考する、考えることの別名でもあります。・・・

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌



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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年5カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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