心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(18)一房の葡萄
季節の詩歌(18)一房の葡萄 

「空」誌32号(2010年9月)に載せていただいた拙文と、9月のはじめに携帯で撮った万博公園の写真をあわせてアップします。長い文章ですので、お時間のある時にでも読んでいただけると嬉しいです。できれば、葡萄を召し上がりながら…。  

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 旧のお盆が過ぎ、涼しい風が室内を吹き抜けるようになると、なんとも言えない寂しさが体を浸し始める。そんな頃、信州から箱にぎっしり詰まった葡萄が届く。大粒の葡萄を一つ一つ味わっているうちに、少し憂鬱だった私の気持ちは明るくなり、食べ終わる頃にはすっかり、味覚の秋の到来を喜んでいるのだから、単純なものである。

さて、葡萄といって、私が真っ先に思い出すのは、有島武郎の短編小説『一房の葡萄』である。物語の中の女先生に憧れ、何度も読んだ記憶がある。

―絵を描くことが好きな少年が、自分の持っている絵の具では出せない色が欲しく、西洋人の友達の絵の具箱から藍と洋紅(ようこう)の二色を盗んでしまう。すぐに少年の盗みは見つかるが、大好きな若い女の先生は、反省している少年の気持ちをくみ取り、上手に少年たち二人の仲を修復してくれる。その時、大切な働きをするのが、二階の先生の部屋の窓まで這い上がっていた葡萄である。―といったあらすじである。

・・・「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真っ赤にして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。「そんならまたあげましょうね。」そういって、先生は真っ白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真っ白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真ん中からぷつりと二つに切って、ジムと僕に下さいました。真っ白い手の平に紫色の葡萄の粒が重なって乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。・・・

物語の最後の方を引用して、改めて色彩の美しさに驚いた。白と紫の取り合わせが、女学生の制服なども連想させ、いかにも学校らしい精神性を感じさせる。また、「左の手」「粉のふいた」「細長い」といった細かな描写に、少年のまなざしを感じさせる筆致もさすがである。さらに、一房を銀色の鋏で二つに切るというところに、作者の思いを託した、この象徴性に感服した。

『一房の葡萄』を読んだ後、次の二句を読むと、まるでこの物語のことを言っているようだと、不思議な気持ちになる。
葡萄垂れ下る如くに教へたし       平畑静塔
むらさきの葡萄ふくめば慈悲兆す    平畑静塔


物語の女先生は、きつく問い質すわけでも叱るわけでもなく、少年たちの気持ちを全面的に受け止めていた。その器の大きさ豊かさが、自然に少年たちに反省を促し、さらに温かい思いやりも感じさせたわけである。このような教えの豊かさを、俳句の作者は「葡萄垂れ下る如く」と喩えたのであろう。果物の中で「慈悲」という言葉が一番似合うのは「葡萄」かもしれないと、二句目を読んで思った。丸み、甘さ、滴り…、葡萄を口に含むことで、私は秋の寂しさを喜びに転じ、物語の中の少年は自らを見つめ、悲しみに沈む気持ちを立て直した。

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ところで、味覚の秋のこの季節、観光果樹園では「○○狩り」が盛んである。「狩り」という言葉があまりふさわしいとは思わないが、梨・葡萄・桃・柿・林檎・蜜柑狩り、栗拾いに芋掘りと書き上げたら、あきれたことに私はどれも経験済みだった。元を取ろうと必死に食べたのは、季節の異なる苺であるが、特別贅沢な感じがしたのは、葡萄狩りである。陽の当たる緩い斜面に広がる葡萄棚に、葡萄の房がたわわに下がり、それらを守るように大きな葉、螺旋の蔓など、どれをとっても美しく、採るのがもったいなく思われた。一人一房もあれば、もう充分満腹の私たち家族は、秋の日差しにうとうとしながら長い時間を葡萄棚の下で過ごした。

密密と隙間締め出しゆく葡萄       中原道夫
葡萄の粒が太っていく様を「隙間締め出し」と詠んだのが、俳諧味もあって面白い。「密密と」という初句も、葡萄の形状をよく表していて、自然の中で豊かに立派に育っていく、健康優良児のような葡萄が思われる。

葡萄一粒一粒の弾力と雲         富沢赤黄男
はちきれんばかりに成長した葡萄の粒、その一つずつに光が宿り輝いている。押せば弾き返されるような弾力に満ち、秋空の下、葡萄は収穫を待つばかりだ。結句の「雲」で、情景が広がった。

白葡萄に日照ればくろき種見ゆるまでつぶら實の中は明るし       片山新一郎
皮が薄緑色のマスカットなどは、太陽に透かすと中がはっきり見え、エミール・ガレのランプを思わせるような美しさである。日が照って種の存在がはっきりするほど明るいというこの歌、超音波で胎児を見たときように、ちょっとドキッとする。

雨あがる至福に満ちて葡萄の香     相馬遷子
雨あがりの上昇気流に乗せて、葡萄の房から立ち上っていく豊かな香り。芳醇な香りを放つ葡萄酒とは異なる、初々しく爽やかな香りを想像した。

くゞり摘む葡萄の雨をふりかぶり      杉田久女
もう雨は止んだのだと思う。それでも、葡萄の葉や粒に残る水滴は多く、葡萄棚の下に入り房を摘むたびに「ふりかぶる」ほどの滴を浴びてしまう。濡れながら文字通りみずみずしい葡萄を手に入れる作業を、作者は案外喜んでいたのではないだろうか。

葡萄篭提げて灯までの闇ゆたか     野沢節子
暮れるのが早い秋の日、葡萄園で夢中になって葡萄を摘んでいるうちに、辺りはすっかり暗くなってしまった。自然の中の闇が「ゆたか」に感じられるのは、葡萄でいっぱいになった篭や過ごした時間への満足感、自然に包まれている幸福感があるからだ。

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葡萄狩りに出かけたのであろうと思われる句をいくつか見てきたが、私たちが普段葡萄に接するのは、果物売り場や家庭の食卓である。まずは、房ごとの葡萄を詠んだ歌や句を見てみよう。

秋を掌にのせしと云へる葡萄かな   永井東門居
稔りとは葡萄ひと房受けし掌をほのぼのと押す力なりにき        稲葉京子

この二つ、並べてみると俳句と短歌の違いが見えて、興味深い。俳句の方は、「葡萄」に「秋」を象徴させることで、秋の稔りの豊かさや秋の深い彩り、そして、秋を感受した喜びまでも表現している。短歌の方は、「ほのぼのと」掌を押す葡萄の具体的な感触から、稔りの豊かさや収穫の秋の幸福感が感じられる。「ほのぼのと」が単に身体感覚ではなく、心の温かくのんびりした様まで表し、魅力的だ。私の所に信州から送られてくる葡萄は、片手では受けきれない大きさと重さなのだが、この句と歌の葡萄は、どのくらいの大きさなのだろうと少し気になった。

黒きまで紫深き葡萄かな        正岡子規
いのち濃きものは重たし水底にしづみて葡萄金剛の紺          高野公彦

濃い紫色の葡萄を、「黒きまで」と見た子規。短歌の方は、ぎっしり中身の詰まった葡萄を「いのち濃き」と言い、そこから梵語の「金剛」を導き、水の色を通した「紺」と表現した。ともに葡萄の色のことを詠みながら、それより深いものを感じさせるのは、なぜだろう。

亀甲の粒ぎつしりと黒葡萄       川端茅舎
先の中原道夫の句に詠まれていた葡萄が収穫され、食卓に届いた頃には、この句のように互いの粒が押し合って窮屈にしているのだろう。一粒をもぎ取るとき、潰して汁をこぼさないようにしなくては。

葡萄食ふ一語一語の如くにて     中村草田男
デラウェアのように粒の小さいものは、面倒なので何粒もまとめて口に入れたりすることもあるが、粒の大きな葡萄は、皮をむくところから始まって、一粒一粒を愛おしむように口にする。それを「一語一語」と喩えたこの秀句は、一読忘れられないものとなった。葡萄に人事を加えた次の一句も印象的だ。

葡萄の種吐き出して事を決しけり    高浜虚子
昨今の種なし葡萄ではこういう具合にいかない。一粒ずつある種は、吐き出すたびに一つの区切りとなる。区切ることで、決断が可能になる。

ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる       高野公彦
ぶどうは食べると思っていたが、この歌を読んで、確かに呑んでいると気づいた。噛むことをしないので、他の食べ物と違って、口は開いたままなのだ。その無防備な顔を見つめているのは、古い家の茶の間にぐるりと掛けられた額の中の祖先であろう。読者も過去世の一人になったようで、この時間の奥行きが面白い。

一粒を食べて欠きたる葡萄の房     橋本多佳子
一粒食べただけで、房の姿を認められなくなるという発見がいい。ほんとうにその通りだと思う。

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を         寺山修司
ゆくすえを思いて食めばぬれぬれと葡萄の汁に指ぬれてゆく       糸川雅子

「葡萄の汁」はやっかいである。「とびやすい」し、甘さもあるから「ぬれぬれと」する。指や掌にぬめりを帯びて残るけれど、水分はたっぷりある感じが、このオノマトペによく出ている。未来ある「少年」と「ゆくすえ」という、この二首の共通項が、明るく爽やかな将来にあまり思えないのは、使われている言葉のせいだろうか。

 最後に、葡萄つながりで葡萄酒の出てくる、私の大好きな詩を。この唐詩は、西域に出征する兵たちの悲壮な思いを歌った美しい反戦詩である。

  涼州詩  王翰   *拙意訳を添えて

葡萄美酒夜光杯 (葡萄の美酒夜光の杯)
欲飲琵琶馬上催 (飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す)
酔臥沙場君莫笑 (酔うて沙場に臥す君笑うこと莫れ)
古来征戦幾人回 (古来征戦幾人か回る)

葡萄の美酒を入れた杯が月の光に映える。
飲もうとすれば馬上から琵琶の音が起こる。
酔って砂漠に伏したとしても笑わないでおくれ。
昔から今まで戦に出た幾人が帰ってきたであろうか。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと-国際児童文学館関連
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   【秋の空になってきました…。が、まだ日中は暑いです。】

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 この夏、国際児童文学館から市の図書館経由で、職場に不要本の譲渡がありました。その時頂いた1冊が、絵本『朝菜夕菜(あさなゆうな)(1995年刊)。田中清氏の版画も吉田定一氏の詩も素敵で、自分の手元にも欲しくなり、中古でやっと見つけ手に入れました。その絵本のカバーに、同じ「らくだ出版」から、吉田定一氏の詩と二俣英五郎氏の猫の版画が可愛い絵本『かってうれしいねこいちもんめ』(1984年刊)が紹介されていて、それも中古でやっと探し出して買いました。どちらも、とても気に入っています。

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   特に、『朝菜夕菜』の詩は、感性豊かで、大好きです。

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 吹田市万博記念公園に1984年に開館された「国際児童文学館」が、府の財政事情等で2010年大阪府立中央図書館に移転しました。そのオープニングイベントで、金原瑞人(かねはらみずひと)氏の講演と、同氏と令丈ヒロ子さんの対談があるというので、行ってきました。
金原氏は、YA(ヤングアダルト)分野の第一人者で、いつもいい本を選んで翻訳され、その上、その翻訳が抜群に上手な方です。翻訳小説が苦手な私だったのですが、彼の訳した本に出会ってから、彼の翻訳本の面白さにはまり、相当数読みました。YAの読書案内本も、新しい本を中心に、面白くていい本が紹介してあり、その分野でも信頼できる方です。憧れの金原氏は、写真で見るよりさらに若々しくて背も高く、さらっとした濃いめの茶髪もお似合いの、とても格好いい方でした。法政大学社会学部の学部長をされているそうですが、ジーパンとTシャツがこれまた決まっていて、とても55歳とは思えず、ミーハーな私は、ますますファンになりました。会場では、以前一緒に仕事をしたKさんとお子さん、それにHさんにも会え、とても嬉しかったです。
       翻訳家としての金原氏の講演のポイントは二つ。
       ①翻訳文学には「異文化の伝達」と「感動の伝達」という両輪がある。
       ②気力、体力、記憶力、持続力のある若いときに、翻訳物を読んでおこう。

 わが家の猫たちが真剣な顔をして嗅いでいるのは、友人が作ってくれたハーブ入りの鳥さん。久しく手作りから遠ざかっているので、嬉しい贈り物でした。

テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記

心に響く詩歌(歌集)-江畑 實歌集『瑠璃色世紀』
江畑 實歌集『瑠璃色世紀』のご紹介

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塚本邦雄氏に師事した作者の第四歌集。日常レベルで短歌を詠んでいる私にとって、芸術性を追求する江畑氏の短歌はかなり難しい。頂いてから何度もページを開くのだが、自分の知識・教養のなさと緩い感性を、目の前に突きつけられるようでなかなか苦しいというのが、正直なところである。分かりやす過ぎて読者に媚びているポエムは苦手だが、難解すぎて読者を遠ざける現代詩も苦手である。短歌においても同様な傾向はあるが、短歌には形式がある分、向かって行きやすい。従って、一読わからないからと諦めることだけはしたくない。
前置きが長くなったが、私なりに頑張って読んでみた。作者の思いに届いたという自信はない。拙ブログの性質上、短歌をされない方にも読んで頂きたく、分かりやすいものを選んで載せた。そんな読み方もあると、作者には寛容な気持ちでお許し頂きたい。

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薄陽射す春の水面に描かれたるごとしフェルメールの女性らは
絵が好きな江畑さんには、画家の名前が歌の中によく登場する。そんな中、私もよく知っている画家に出会うと、歌の情景に色や温度が加わる気がする。

死亡欄切り抜くまへにぺっきりと折り取るカッターナイフの刃
日常の暮らしの中の一こま。「ぺっきりと」というオノマトペがリアルで、しかも切り抜こうとしているものに合っている。

全山の紅葉を歎美するわれにささりゐる棘「なかりけり」とは
誰もが賛美して当然のことを、素直に単純に歎美する自分への抵抗があるのだろうか。「なかりけり」が、「三夕の歌」を思い起こさせ、重層的な歌になっている。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ   藤原定家
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮   寂蓮法師

証券街あゆみつつ見るあのビルのあの罅(ひび)日本経済の罅
疲弊し行き詰まっていて、今のままではどうしようもないという状況の日本経済。それを端的に罅という見える形で示し、しかも、納得がいく。

おろかにも富みて重たき民草はガラスの橋を渡りはじめる
国民総所得は高いが、その豊かさを個人の生活の中で感じているのは一握りの人たちである。国債を大量に発行し借金大国に生きつつ、現在を享受し未来へ負の遺産を残そうとしている私たちは、まさに危うい「ガラスの橋」を渡っている。

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          【同じ日・同じ時間帯の東側(上の写真)と西側(下の写真)】
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筋肉は剥がされつくし神経の束として佇つ公威(きみたけ)の「死」は
公威とは、平岡公威、三島由紀夫のことである。高校三年の秋、現代国語を担当していた担任が、血相を変えて事件を伝えてくれたことを思い出す。歌の「筋肉」と「神経」が三島由紀夫を象徴している。

瑠璃色の二十二世紀ヒトらその脳と脳のみにて愛しあふ
バーチャルな世界でしか生きていけないヒトばかりになるのだろうか。人が人と交わることによって生じる温もりこそが、人には必要であろうに。

午下り卓上こぼれたるままの真水の古典的なるひかり
午後の食堂。水をはじく合板でできたテーブルに、こぼれたままの水が光っている。光を受けた水が光るさまは、ずっと昔から変わらないものである。

極世紀末の爛るる空間をひたすらめぐるこの観覧車
自然が豊かでのどかな所にある遊園地ではなく、都会の狭い空間に作られた観覧車であろう。よどんだ空気の中を、いかほどの意味を持って、この観覧車は回るのであろうか。

相槌を打てり時計のぜんまいがほどけるやうな眠たさのなか
人の話を聞きながらも眠くてたまらない状況を、巧みな比喩で表現し、眠くなかった頭まで、この歌を読むと眠くなっていくような誘惑がある。

物象の輪郭たどりゐるのみの言葉の壊死を待つゆふまぐれ
とりあえず言葉で表現したものの、真実も表せていないし、核心にも至っていない。いったん表した言葉が壊死しないことには、納得のいく歌は詠めないのだ、と私は読んだ。

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最後に、「後記」の次の部分を引用したい。作者の創作意図がよくわかると思う。

本歌集の作品制作の期間は、こうした世紀末や終末と、世界や自己の在りようといったものが、心の根底に絶えずあった。だが世界の状況は、新世紀に入って以後、より一層「終末的」な様相を深めている。これをどう解釈し、咀嚼し、新たな表現に結び付けるべきか、という課題の重さを感じつつ、今世紀、あるいはそののちの世紀への願いをこめて、表題を『瑠璃色世紀』とした。

 社会の第一線で、現在の厳しい社会情勢を感じながら生きている人ならではの言葉であり、絶えず「新しい表現」を模索する表現者としての責任を感じている人ならではの言葉であると、それらから遠い立場に居る私は、少し恥じ入るような気持ちで大きな差を感じたことでした。     【写真はすべて我が家のベランダから】

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

心に響く詩歌-伊丹三樹彦第22・23句集
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伊丹三樹彦第22句集『知見』 (沖積社/2007年刊/3500円)

3600句という厖大な数の句が納められた句集である。2005年7月(85歳)に脳梗塞で倒れ、一時は医者にも見放された作者が、2006年4月末から1日20句を詠み続け見事な復帰を遂げられた。この句集は、その時の「俳句朝日」2006年10月号から2007年6月号まで連載した288篇の[リハビリ俳句通信]と、その後の[自由俳句通信]72篇をあわせた360篇(各篇各20句)から、句数を半減して編んだものである。作者は、病後の身に必死のリハビリを続けられ、今は杖もなく歩かれ、また、大変明るくお元気である。私はただ読むだけでも大変な時間がかかったが、作者にとって「俳句を毎日20句詠む」という実践は、どんなに強靱な精神が必要であったろうと、まず、そのことに深い感銘を受けた。
各篇から1句抜き出しても360句という、普通1冊分の句集が編める数になってしまうので、ここでは精選に精選を重ね、10篇(100句)からほぼ1句の割合で抜いて、ご紹介したい。


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Ⅰ部 [リハビリ俳句通信]1篇~288篇・各篇10句掲載 
 
    麻痺の手のゆるむか 椿のせている    

        帽正す運転手が好き 桐の花      
 
   車座は みな少家族 うまごやし     

        水災戦災震災経た街 夾竹桃       

   葡萄たわわ 頭上に祝祭あるような   

        軍隊の火傷痕にも 湯を掛けて      

   田螺取り 遠い日の灯が増え出した    

        帽脱いで うち仰いでの 蝉時雨    

   母乳知らぬ吾 いちじくの汁たらす    

        冷し鹿 いつ起ち上がる 大仏前     

   銀杏大樹いっぽんの秋 母校跡      

        てのひらで日に酔うている 天道虫   
 
   核の世に 猫は爪研ぐばかりにて    

        桃色の避難階めく 捩れ花        

   松手入 人語を交すことは稀     

        厚物菊 空気抱き込み こんもりと    

   陸上りの老漁夫 ひと日 沖を見て    

        鳥声の俄かに増えて 柿花火      

   園丁が いつもどこかに 薔薇の花    

        金鍔は六面 手抜きもなく焼いて     

   沈む河馬の小耳ぷるるん 十二月     

        外気知らぬ館の蝶が ふわりふわり    

   鶺鴒飛ぶ 次の居場所を考えつつ     

        絶対位置の林檎描きしは セザンヌ    

   実母継母養母義母あり 誕生日      

        颯爽の一語につきる 日野草城(日野草城)

   撫牛のどこを撫でんか 梅の花      

        大仏のお指が 春の景の芯       

   支那靴の三鬼降り来し 神戸の坂 (西東三鬼)  
 
        水釣って 笑顔を見せて 日永老師    

   橋上を去らぬ一人(いちにん)花日和    



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Ⅱ部 [自由俳句通信]289篇~360篇・各篇10句掲載

     車椅子押す無表情 花の河岸      

        日常の起臥一大事 桜散る       

   花明り 文学館には加朱の稿       
 
        市民らに 生国遠し 花大根       

   何掴む手だろう ロダンが刻んだから   

        朝化粧 自愛は女の生き方で       

   ねじり花 例えば 多塔都市の如     

        わが句碑に 一礼すれば 夏鶯      

   座礁船みたいに動かぬ アシカの腹    
 
        ゴリラ不動 ビリケン座りと申します   

   日本沈没 ずぶずぶずぶと 河馬もまた 

        巣燕の大口 如何なる餌とても      

   這わせたる手の裏おもて 螢の香      
 
        蝉の声 お前も通り過ぎるもの      
 
   遠近の蝉声 わが家へ波状なす      
  
        鍬に頤 明日も秋晴つづくじゃろ     
  
   マネキンの目線はるかに 雲は秋     
  
        天駈けて後 地を駈けて 一落花     


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伊丹三樹彦第23句集『続知見』 (沖積社/2009年刊/3000円)

作者89歳の句集。巻末の43ぺージにわたる評・解説・論も読み応えがある。

Ⅰ部 [自由俳句通信]361篇~565篇・各篇10句掲載

ここでも引用は前句集にならって、100句に対してほぼ1句を目途に厳選した。

   吸蜜の蝶と息合う 合わせている     
 
        一つとて欠けず 干柿とその影と    
 
  土地人の顔で路地行く 松葉牡丹    
 
        秋を貰った 日比谷の園の白い椅子    
 
  一幹に光滑らせ 沙羅紅葉       
 
        そこまで来た冬だ 束子の水を切る    
 
  初空をわがものとして 町鴉         

        秋風を通わせるため 埴輪の眼     

  葡萄すする 今更故友の多きこと     

        青空が降りそそぐのみ 転倒後      
  
  束の間の吹雪 摩耶消え 摩耶現われ    
 
        去年の梅知っている眼に 今年の梅    
 
  梅山をくの字下りの 人の声         

        風下に廻るよ 辻に沈丁花        

  輸血の手 点滴の手で妻 喋る喋る   
 
        句碑になった憲吉 われは尚現し身(楠本憲吉)

  座す石にほどほどの熱 桐の花      
 
        叱らない父だったこと 子供の日     
  
  金盃さながら 未央柳の初一輪      

        点灯夫呼びたい 巴里でなく神戸だが   

  角砂糖沈める 氷山如何かと      

        おお蓮 おお蝌蚪 何でも口にする晩年  
 
  みんな死んで みんな善人 蓮の花    
 
        銅像を仰ぐに 首の骨鳴って       
 
  彼岸花 死への途中の人ばかり      

        風の道おのずからあり 芒原      

  熊手跡だけの境内 祭は明日       

        水切りの石を選んで 父は子は      

  象は知るまい 桜紅葉を背に乗せて    
 
        死ぬために生きる心得 霜柱      
 



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Ⅱ部 [写俳句抄(既刊写俳集より)]566篇~576篇・各篇15句掲載
この本に載せられた写俳集より、それぞれ1句抜粋。

『巴里パリ』第四写俳集  風船の中にも 僕の青空ある

『天竺五大』第五写俳集  死者離れても 人型の 流水花     

『ナマステ ネパーリ』第六写俳集畏まる犬 対岸に荼毘煙     

『バンクーバー夏物語』第七写俳集塗装人去る 昼顔の白は残し

『瞬機の中欧』第八写俳集  クロッカス開いた ショパンの音の粒

『メコン沃地』第九写俳集  水牛守は少年 乗りもし 洗いもし

『ギリシアイタリア写俳便』第十写俳集神々の住処 アテネの屋根の上

『おおオージーワールド』第十一写俳集金髪に飛びつく夕日 彼は来るか

『日本春景』第十二写俳集  鳥雲に 有線無線の混み合う空

『日本夏色』第十三写俳集  日傘開くまでを 日傘に庇われて

『日本秋彩』第十四写俳集  芒は銀 廃工場の奥まで日矢


巻末 『知見』評-宗田安正・越村 藏 /『続知見』解説-たむらちせい・伊丹公子 /「伊丹三樹彦論」-岡井耀毅   

 二つの句集、どちらもものすごくたくさんの句なので、ここに載せるにあたって数を絞るのが大変でした。読み直すたびに、違う句に心引かれて、何度も立ち止まって迷いました。どの句も自然で、俳句をされない方にも、一読、情景や心情の浮かびやすい句ではないかと思います。15歳から始められた句は、まさに自由自在。作者の人生そのものでありましょう。いつまでもお元気で、詠み続けて頂きたいと思っています。


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   *写真はすべて松山城にて(2010年8月)

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年1月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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