心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く本-秋の夜長は長編小説
       IMG_9277201011.jpg 桜

この頃、歌集や句集ばかりで小説に飢えていたので、思い切って長編ばかり連続で一気に読みました。歌集は書かれていない世界を想像しながら読むので、かなりエネルギーを使うし、ややもすると作者の人生を丸ごと受けてしまうしんどさがあります。対して、久しぶりに長い小説を読んで思ったのは、小説は本の世界に入り込むのがたやすく、極端に言うとストーリーを追うだけなので、すぐ無の境地になれすごく楽だということ。本屋さんで、短歌がマイナーで小説がメジャーなわけを、改めて実感しました。


               honkakusyousetuzyou.jpg  honkakusyousetuge.jpg 

水村美苗『本格小説 上・下』
  (2002年/新潮社/1800円・1700円/p469・p412)
作者が米国で過ごした少女時代に出逢った実在する男(東太郎)について、作者はまるで小説のような彼の人生の話を聞く。辛い立場に置かれた幼なじみの男女が互いに心惹かれるという話の原点は、村上春樹の『1Q84』も思わせるが、作品としてはこちらが先。その後の展開への、この原点の切実さも、こちらの小説のほうが勝っていると思う。
近代小説のような言葉の雰囲気と『嵐が丘』のような大作ぶりに、私はすっかり参りました。漢字とかなの配分や紙の質、表紙のウィリアム・モリスの装画などが、本の内容にも私の好みにも合っていて、寝るのも惜しんで読みました。帯には「大人の読者のための超恋愛小説」とあります。朝日新聞の「0年代の小説」にも、あげられていました。


 IMG_9083201011.jpg南京櫨


百田尚樹 著『永遠の0(ゼロ)』
  (2006年/太田出版/1600円/p445)
児玉清の帯文が非常に的確に本の説明をしていたので、それを引用します。
題名から単なるゼロ戦の話かと思ったが、とんでもない。息をつかせぬ展開、予想もつかぬ最後のどんでん返し。戦争の真実、愛の力を見事に描き出した冒険譚にして最高のミステリーに僕は狂喜した。このような本に出会ったのは初めてだ。

戦争物というと、つい悲惨だろうとか、読まねばならないという義務感とかが先に来て、これでは駄目だと思いつつも、正直手に取ることが少ない。この本は、現代の若者(姉・弟)が、特攻で死んだ祖父のことを調べるという設定で、読みやすい工夫がされている。現代にも通じるマスコミや官僚への不信も上手く混ぜながら、私の知らなかった戦争の様子が詳細に述べてあり、小説なんだけれどドキュメント風の良さを感じながら夢中で読んだ。

                 eieinnozero1011.png   201011イブの贈り物

百田尚樹『聖夜の贈り物』
   (2007年/太田出版/1200円)
『永遠の0(ゼロ)』が大好評だった著者の二作目。心温まる愛の物語であるところは、前作と共通するところもあるが、これは恋する大人のための童話(ファンタジー)短編集。クリスマスプレゼントにこんな本をもらったら、女性はぐっとくるだろうな。
「魔法の万年筆」「猫」「ケーキ」「タクシー」「タクシー」「サンタクロース」どれも、気持ちよい結末で、幸せな読後感だった。
ウイキペディアによると、著者は、「大学在学中に『ラブアタック!』に出演し、みじめアタッカーの常連だった」そう。「現在は、放送作家で、人気番組『探偵!ナイトスクープ』構成を手がける」とある。それを知ると、さらに興味がわく。


 IMG_9165201011.jpg 唐楓


宮部みゆき『小暮写眞館(こぐれしやしんかん)
  (2010年/講談社/1900円/p716)
古い「小暮写真館」を購入し引っ越してきた花菱一家(秀夫・京子・英一・風子・光)が中心の話だが、ST不動産の須藤社長と社員の垣内順子も、ある意味キーパーソンである。主人公「花ちゃん」こと英一と、幼なじみの歯科医の息子「テンコ」こと店子力(たなこつとむ)に、同級生の甘味処の娘「コゲパン」こと寺内千春と弁護士の息子橋口などが加わり、不思議な写真の謎を解くというストーリー。深いテーマも含んでいるのだが、高校生が主人公なので青春物としても読め、楽しいエンタメ小説に仕上がっている。700ページもあることを感じさせない展開で、最初から最後まで一気に読めた。

                          koguresyasinkan1011.jpg

この本の印象に残った言葉から少しだけ・・・
p351須藤社長の言
「生きてる者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ。僕はそれって、すごく大切なことだと思うよ。こういう仕事(引用者注:不動産取り扱い業者)をしてるとさ、この世でいっちばん怖ろしいのは、現世のことしか考えられない人だって、つくづく思うから」
p363弟ピカの言
「ボク思うけど、不登校の子って、学校が嫌なんじゃなくて、学校が怖いんだよ」
p387須藤社長の名言?迷言
「必要なときに、絶妙なタイミングで、会うべきヒトに会うようにできてるんだよね。」
p700の須藤社長の弁
「人生にね、こういうこともある。・・・あるとき、ある場所で、ある人に、自分にとってとても大切なことを知ってもらいたいと思う。どうしても知ってもらいたいと思う。けどね、それを知ってもらったら、もうそれまでのような距離ではいられない、ということがあるんだよ。」


 IMG_9104201011.jpg 南天

  今回は、秋の葉をアップで写したものを中心に載せました。
  今回あげた本は、どれも興味深い力作揃いでしたが、オススメ度は上から書いた順です。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

お知らせ&あんなことこんなこと&歌集批評会
     IMG_48050910sai[1]

 原田繁昭展『魅惑インド』のお知らせ

拙ブログでも何度かご紹介したことのある原田さんの個展が、来週あります。
11月24日(水)~11月28日(日)
箕面観光ホテル内「ギャラリー箕面の森」
箕面は、ちょうど紅葉の美しい時期、お出かけのついでに、よろしければ…。
私は、ポスターやハガキなどのパソコン仕事を頼まれて、お手伝いしました。

     haradasebsei201011.jpg   sinbunkizi20111116.jpg  よろしければ、拡大してご覧下さい。



 宇津木信一『きり絵☆作品展』のお知らせ

こちらも拙ブログで何度かご紹介したことのある宇津木さんの個展です。
12月2日(木)~12月28日(火)
林クリニック内ギャラリー(病院とは入口が別です。)
年賀状用の本『和の趣 卯』に、宇津木さんのデザインが載っています。

      案内-01kirieten201011   案内-022010111   こちらも拡大できます。


 下左の書・・・11月7日のNHK短歌で拙歌が入選し(今野寿美選)放映されたのを記念して、102歳の菅谷先生が歌を仮名でささっと書いてくださいました。
「塔」に毎月10首送るのが精一杯で、NHK短歌に送るのは年に1~2回なのですが、ビギナーズラックでとっていただきました。題は「数」で、「ふ」にこだわってみました。

数ふるといふはるかなる喜びを思ふ幼なの拾ふどんぐり

下右の書・・・最近はまっているイチローの言葉。求道者のような彼の生き方には学ぶことが多く、目に付くところに貼って、自分への励ましとしています。

        IMG_9284suganoyasyo1011.jpg   itiro201111.jpg    拡大できます。



 新しいリンク先のお知らせ

miyaさんの「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」
中学・高校時代の同級生の娘さんのHPです。
詩・短歌・俳句・英語など、若くて豊かな感性がきらきらしています。

水内喜久雄さんの「ポエム・ライブラリー 夢ぽけっと」
もと小学校の先生で、詩の編集をたくさんされています。
同世代の水内さんが紹介して下さる詩は、私も大好きなものばかりです。

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毎週土曜日「朝日新聞」生活面に、私たちの世代にはDJの「レモンちゃん」や「クレヨンハウス」のオーナーとしてなじみのある落合恵子さんが、エッセイを書かれています。毎週楽しみなのですが、11月6日の最後の二段落がとっても気に入りましたので、ここに引用させていただきます。

郷里の縁側。祖母が余り布でお手玉を縫っている。台所で根菜を切る音をたてているのは、まだ若い母だ。今夜はケンチン汁なのだろう。やがて秋の陽は夕闇を連れてきて、「ご飯だよー」と呼ばれた子は、同じ言葉を愛犬にかける。愛犬は尻尾でその声に応える……。普段は眠らせている、遠い昔の、記憶の一片。
たぶん、と思う。ひとには、そういった記憶のシェルターのようなものが、生きていく上で必要なのかもしれない、と。


秋の夕暮れ時になると、とりわけ「記憶のシェルター」に護られている自分を感じます。どこか淋しくどこか温かい秋の日ざしは、郷愁や懐かしい時間を私の中に呼び込んできます。


11月13日(土)の大阪歌会で、拙歌集『大空の亀』の批評会をしていただきました。31名の方の参加とお休みの方のを含めた36名分の心のこもった批評をいただき、大変感謝しています。その中に、次のような批評文があり、それはちょうど上に書いた「記憶のシェルター」を考えていた私にぴたっとくるもので、嬉しく感じるものがありました。少しだけ引用します。

本歌集は、そうした(=プルーストの『失われた時を求めて』の根本主題である)「無意識的記憶」にも通じるような読後感を与える。これはやはり、作者がそれなりの年齢というものを重ね、一つの事象に接するにも、あらゆる記憶を呼びさますことができるという、ある特殊な意識の状態を確立していることを表している、と思われてならない。(江畑實氏)

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 皆さんが三首ずつ引いてくださった歌のうち、二人以上の方があげてくださった歌を紹介します。

A:15歳の時の「母の死」を詠んだ歌
息の道ふさぎたまふな 黙々と大人は綿詰め死者を作りつ
人のまへ涙流さば母の死は真実となる しやんと顔上ぐ
生と死を隔てる壁の薄きこと 母はひとりで抜けてしまへり
勉学に励まぬ理由(わけ)を日々問はれ「どうせ死ぬから」やうやく答ふ
壊れずに我のもとへと届きたる紙飛行機をまつすぐ返す

B:私の、義姉の、「癌」を詠んだ歌
ああこれでやつとゆつくり休めると受けとめてをり癌の告知を
我よりもへこたれし夫(つま)を伴ひて入院手続き我はしてをり
倒れたるのちも花咲くコスモスに重き病の義姉(あね)を思へり

C:子育ての思い出を詠んだ歌
背筋ぞわつとする思ひ出のいくつかを残して子らは家巣立ちゆく
子ら生(あ)れし二月はいつも思ひ出をマトリョーシカのやうに取り出す

D:仕事や通勤に関わる歌
図書室に逃るるやうに来る子ゐて本はやはらかな楯と思へり
教へ子の中でいちばん優しきに夢で逢ひたり疲れし夜の
駅までの道駆け急ぐわが胸にエンデの『モモ』の時間がきざす
われ帰る道と異なる道ありて林の向かう夕焼けてをり

E:日々の心の揺らぎや喜び、情景を詠んだ歌
身を守ることばは寂しはすはすと氷を削る音に聴き入る
心より早く季節は移るらし棚田の縁に彼岸花咲く
遠くへは行かないとんぼ夕光(ゆふかげ)に羽をはじきて草原に群る
水底に揺らぐ光を踏むごとしフェンスの網目の影ある道は
雨の日の買ひ物3333(サンサンサンサン)円レジ打つ人と笑みを交はしぬ
会果てしのちも明るき空なれば交差点にて別れがたかり

 これから詠んでいきたいなと思っているのは、DとEの括りにあげたような日々の揺らぎや情景を歌ったものです。

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テーマ:展示会、イベントの情報 - ジャンル:学問・文化・芸術

季節の詩歌(19)~秋は夕暮れ~
 一日ごとに木々の紅葉が進み、朝の通勤時には桜や欅の葉に光が当たり、とてもきれいで、心も浮き立ちます。が、帰りは日の暮れるのが早く、寂しく心細い夕闇に、「ああ、また寒くて苦手な冬が来る」と、かなり憂鬱な気分になってしまいます。なんだか好きな季節の幅がだんだん狭くなっていっているようで、子どもの時や若くて元気な時は、こんなふうではなかっただろうに…と、思ってしまいます。とまあ、愚痴はここまで。
今回は、俳句雑誌「空」33号(2010年11月)に載せて頂いた拙文「季節の詩歌(19)~秋は夕暮れ~」に、とっておきの夕日の写真をあわせてアップ致します。文章は、出版の都合で、毎回2ヶ月前に書いています。
美しい写真はすべて、知人で写真を趣味にしている方からの提供です。各地の夕日をお楽しみ下さい。

 DSC_8179花の丘の夕日(万博公園)
 【万博公園にて、花の丘の夕日】

       季節の詩歌(19)  ~ 秋は夕暮れ ~

四季のある温帯の国が、亜熱帯化してしまったような近年の猛暑や豪雨である。このような異常気象が常態化したら、平安朝期の文章も歳時記も、実態とずれてしまって味わえなくなるのではないかと心配になる。清少納言の書いた「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて…」といった四季それぞれの自然や風物と、それに伴う情趣が、どうかずっと理解され共感される世でありますようにと、「秋は夕暮れ」には程遠い暑さの中で、この文章を書いている。さて、歳時記を開くと、次のような優しい句が目にとまった。

はなれゆく人をつつめり秋の暮     山上樹実雄

客人が帰って行くのを見送っているのだろうか。その後ろ姿を包み込むように、夜の闇が降りてきている。優しく穏やかで静かな秋の夕暮れである。少しひんやりした空気感も漂い、「つつむ」という語が効果的だ。また、秋の日は「つるべ落とし」と言われるように、あっという間に日が沈むので、見送る側も次の句のようであっただろう。

門出でて十歩すなはち秋の暮      安住 敦

家に居るときには気付かなかったが、門灯の明かりが届かない所に来ると、辺りがすっかり暗くなっていて、作者は、日の暮れるはやさに驚くとともに、秋の夕暮れの雰囲気をも味わっている。

そうか、暗さは、足もとからやってくるのかと、改めて思ったのが、次の句である。冒頭の句のように玄関先に立った時ふと足もとに目をやって気付いた夕暮れの暗さ、足もとを慎重に見つめながら山道を下っている時ひたひたと迫ってくる夕闇等々、さまざまな体験が実感とともによみがえる句である。

足もとはもうまつくらや秋の暮      草間時彦

02DSC_0098河口湖に沈む夕日
 【富士五湖にて、河口湖に沈む夕日】

「秋の暮」の詩歌を探しているとき、なぜか男性作家の作品ばかりが目に付いた。

このひととすることもなき秋の暮    加藤郁乎

秋の暮水のやうなる酒二合       村上鬼城

酒やめむそれはともあれながき日のゆふぐれごとにならば何(な)とせむ    若山牧水

人生のそれぞれの時期を、色と季節を合わせた「青春・朱夏・白秋・玄冬」に喩えることがあるが、これらの句や歌に詠まれた心境は、「白秋」期の人ならでは、という気がする。

一句目の「このひと」は、心華やぐような女性でも長年連れ添った妻でもなく、作者との共通点の少ない男性だろう。お酒でも嗜む人であれば、飲みながらぽつぽつ話すこともできるだろうし、黙って飲むだけでも様になるが、相手は恐らく下戸で無口な男性に違いない。この素っ気ない詠みぶりが、まさに「秋の暮」だと思う。

二句目、水のように澄みきった酒に酔えない作者がいる。二合飲んでも味気ないのは、酒そのものに問題があるというより、この「秋の暮」、酒に没頭しきれない作者自身の心境に原因があるのだろう。  

三番目の歌は、さすが酒好きで有名な牧水らしいと、思わず微苦笑してしまう。酒を止めたら「夕暮れ」に、いったい何をすればいいのか、という呟き。男の「白秋」期、彼らは、何だか時間も自分も持て余しているようだ。

次の二句には、具体的な動作が伴うが、やはりそこには、先に述べたと同様な、時間へのやるせなさや、無為な時間を過ごす自分への感慨が感じられる。「秋の暮」という季語には、言葉の歴史を踏まえた情感がたっぷりこもっているので、私自身、つい深読みしたくなってしまうのかもしれない。

鶏頭を抜き捨てしより秋の暮        安住 敦

疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮   小沢昭一

DSC_7078生駒山に沈む夕日(奈良公園)
 【奈良公園にて、生駒山に沈む夕日】

ところで、「秋の暮」の寂寥感や孤独感といったイメージを決定づけたものとして、次の三夕(さんせき)の和歌があげられる。

寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮        寂蓮法師
(この寂しさは、とりたててどの色のせいというわけではない。何となく寂しさが身にしみるよ、杉や檜の常緑の木々の立ち並ぶ山の秋の夕暮れは。)

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮        西行法師
(もののあわれを解さない自分のような者にも、このしみじみとした情趣はわかることだ。鴫の飛び立った沢の、この秋の夕暮れを前にすると。)

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮        藤原定家
(見渡すと、彩りの美しい花も紅葉もないことだ。しかし、それ故いっそう趣深い、海辺に苫屋だけが見える、この秋の夕暮れよ。)

 これだけ人口に膾炙された「秋の夕暮」の印象に、現代の人たちはどのような新しい視点を加えていくのだろうと思った。そんな時、心に届いたのが次の歌や句である。

他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水         葛原妙子

「他界」と「的」いう発想が幻想的で、暗さをたたえた湖が冷たい質感を伴って立ち上がってきた。

われらかつて魚(うを)なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる   水原紫苑

こちらは原始に戻る大らかさの中で、人間の根源的な記憶に触れる夕暮れの訪れを歌って、魅力的だ。

水の中から鎖がのぼる秋の暮     小川双々子

秋の暮大魚の骨を海が引く       西東三鬼

こちらの二句はシュールな現代絵画を思わせる。前の短歌がどちらも気配に重きを置いていたのに対し、これらの句には視覚から「秋の暮」を納得させる強さと面白さがある。

さらに、新しい秋の夕暮れを、都市を背景にして表現していると感心したのが、次の句と歌である。

殺めては拭きとる京の秋の暮      摂津幸彦

終戦記念日に、京都でタクシーに乗ったときのことだ。「先の戦って、京都では応仁の乱のことを言いますねん。」と運転手が言い、「千本釈迦堂には、その時の刀傷もありますよ。」と、ひとしきりその「先の戦」の話になった。幾たびも政争の地となった京都は、そのたびに殺戮の跡をぬぐい取り、今に生きてきたのだ。「京の秋の暮」には、無常がふさわしい。

種苗会社のビル耀へり下京区梅小路なる秋のゆふぐれ        香川ヒサ

京都駅が近づくと「タキイ種苗」のビルが目に入る。あの有名な会社のビルはここかという思いと、都会に見る「種苗」の違和感が、ビルを見るたびに生じる。しかしここでは、夕日に耀く情景に添えられた固有名詞が、秋の夕暮れとよく合っている。

うかうかと自分を差し出してしまひさうなポストの口がゆふぐれに開く   沢田英史

恩寵はゆふぐれにしてかろき身を都市の底ひに漂へといふ         前川佐重郎

秋の暮通天閣に跨がれて        内田美紗

何もかも曖昧にしてくれそうな夕暮れには、上の歌や句のように現実を超越している詠みぶりが似合う。これらの作品には、自分の小ささとそれを包み込む都会の大きな景、その中に自分を溶け込ませることで、生きにくい世をかろうじて生きている、そんな人間が描かれている。これらの作者だけでなく、現代社会の中で、頼りなく危うい自分を感じている誰もが、深い共感を覚える歌と句である。

 DSC_8449八坂の塔(高台寺)
 【高台寺にて、八坂の塔の夕日】

秋の夕暮れと言えば、次の芭蕉の句は外せない。

この道や行く人なしに秋の暮      松尾芭蕉

次の三句も、芭蕉の句と同様、「道」と「秋の暮」を組み合わせているが、それぞれの違いが興味深い。

まつすぐの道に出でけり秋の暮     高野素十

どのみちといふ道へ出て秋の暮     山崎百花

一本の道両側の秋の暮         草間時彦

「まつすぐの道」で遠くまで見通せるのだけれど、茫漠とした印象を与える一句目。迷っているうちに思いがけない道に出たのだろうか、途方に暮れた感じの二句目。三句目は、道そのものでなく、その両側の暗さに「秋の暮」を見つけた。それが周りの風景をリアルに想像させていい。
いずれの句にも、真の闇を迎える前の不安や焦りが漂っているような気がするのは、人が作者一人しか見えないせいだろうか。秋の暮れは、一人では心細く寂しすぎて、自然と人恋しくなってしまう。

人の行く方へゆくなり秋の暮      大野林火

何かふわーっと魂が誘われるような感じで、無意識に人のあとについていくことも、人にはありそうだ。それはまた、次の句のように、後ろ姿に懐かしさを感じる気持ちも生じさせるだろう。

前をゆく人に覚えや秋の暮       大橋敦子

「秋の暮」という状況設定が、人の心に郷愁を呼び起こすのかもしれない。次の歌の「肩の辺に来て」という感覚も、懐かしさにつながる優しい表現だ。

ゆふぐれは肩の辺に来て 水うてば水の重さに萩しなひたり         藤井常世

打ち水に順応してたおやかにしなう萩の様子は素直で柔らかく、私に穏やかで静かな世界を感じさせる。「ゆふぐれ」は、人の感性をウエットに刺激するようだ。それは、次の二首にもよく現れている。

雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ      岡井 隆

まごころを君に 夕暮れちぎれ雲あきびんの中そらを集めて          森本 平

『枕草子』の「夕日のさして」から「日入り果てて」までの時間を、胸に想いをいっぱいにして空を眺めている作者像が浮かんだ。夕日に映える雲を見ながら、きっと心寄せる人を思っているに違いない二人の作者を、羨ましく思った。とてもロマンチックで、相手を思う優しさに溢れた、美しい歌である。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと~この1週間の出来事から
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       【蜘蛛の糸?雲の糸?-大阪市大植物園にて、2010年11月3日撮影。】

 10月30日付の朝日新聞beの勝間和代の「人生を変える『法則』」に、「知人6人を介せば、世界中の人とつながれる-6次の隔たり」(参考文献:バラバシ著『新ネットワーク思考』)という言葉が紹介されていました。「これは、さまざまな社会実験の結果、私たち一人ひとりは、間におおむね6人の知り合いを介せば、世界中ほとんどの人とつながり、間接的に知り合いになれるということです。」と説明がありました。
世界中とはいかないまでも、日本国内なら確かにつながるかも…と、自分の体験にも照らし合わせて納得した言葉でした。ブログを始めて以降、偶然つながりが次々生まれ、自分の世界の広がりや深まりに、自身が驚くことの多い日々ですが、今年は、歌集を出したことで、そのつながりがさらに増えました。年を取るにつれ、人とのお付き合いを整理しようと考える人もいる世の中ですが、今の私はその反対で、増えるお付き合いを楽しんでいるところです。

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        【天満にある大阪天満宮-今年のいろんな幸運のお礼参りに出かけました。】

 といっても、人や本とお付き合いばかりしていては、心身のバランスを欠くので、11月3日(10月10日と同様、晴れの特異日)に、自然の中に出かけてきました。友人から「ちょっとハイキング気分も味わえるよ」と教えてもらった枚方市私市(ひらかたしきさいち)にある「大阪市大附属植物園」です。樹木を中心とした広い敷地は、周りを山に囲まれ、緩い起伏もあって、万博公園や京都府立植物園、神戸の森林植物園とは、また違った魅力がありました。まだ紅葉には早かったのですが、木の実をつけた木々を見ることができ、楽しかったです。この7日には、初めての試みでポニーがやってくるそうですので、お子様連れの方に、オススメです。木の実を中心にご紹介。

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 【山査子(サンザシ)】

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 【支那油桐(シナアブラギリ)-桐油は紙にしみ込ませて油紙とし、和傘や提灯を作る。】
 IMG_8959sinaaburagirimi1011.jpg 【実は少なく大きな種子が】


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 【銀杏(ギンナン)-実の重さで雌木は枝が広がり葉はスカート状。雄木の葉は切り込みが入ってズボン状。】


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        【花梨(カリン)】
        IMG_8964karinmi1011.jpg 【カリンの実がゴロゴロ】


 友人の結婚式に出かけた次男、朝9時半から出かけ、何次会まであったのか?終電で日付が変わってから帰ってきました。そのままバタンキュー。やっと起き出してきた息子に「引き出物は?」と尋ねると「なくした…。どこでなくしたか、分からない。」。あ然としている私に「これは持って帰ってきた。」と大きな袋を差し出す。中には、テーブルごとに飾ってあったと思われる盛り花があるが、一日を経てかなり傷んでいる。まだきれいなカーネーションとトルコギキョウを別の器に飾り直すが、入れる端からミューが抜き去り食べようとする。大きなバラは花びらの傷みが目立つが、捨てるに忍びなく、考えた末にバラ風呂にした。浴槽の半分を占める花びらに埋もれ、「引き出物分、楽しまなくちゃね。まあ、無事に帰ってきただけ良しとしよう。」と、自分に言い聞かせる。
少し冷静になった翌朝、息子に「電車の会社にダメ元で問い合わせてごらん。」と言って出勤。帰宅したら、「あったので、もらってきた。」とのこと。見ると、カタログ式の引き出物で、こちらの荷物のほうが小さくて、よっぽど持ちやすい。泥酔していた息子は、舌切り雀の欲張りさんのように、大きな荷物のほうがいい物に見えたのでしょうか。

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         【この後、のんびり屋のハオも加わる…】

テーマ:日記 - ジャンル:日記



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !
2017年 9月26日カウンター343434通過



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