心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く本-3月に読んだ本から
 3月に読んだ本から

  kodokunoibasyo.jpg    akkannbee.jpg

松兼 功・著/下谷二助・絵 『孤独の居場所』
(旬報社/2000年/1800円)

著者の松兼さんは、脳性まひによる四肢機能障害を持っていて、手がいうことをききません。この本は、鼻の先でワープロのキイを打ちながら書かれました。本音が素直に表現されていて、共感を覚えることがいっぱいありました。

    反対のほんと 
 
 大勢でいると 寂しくて
 ひとりでいると にぎやかになる
 
 話していると 言葉が聞えなくて
 黙っていると 言葉があふれてくる

 目を開けていると 何も見えなくて
 目を閉じると 空が見えてくる

 起きていると 心が眠って
 眠りにつくと 心が目を覚ます

 近くにいると 遠くに思えて
 遠くにいると 近くに思える

 走っていると 風が消えて
 立ち止まると 風が生まれる

 満ち足りていると いのちが怠けて
 苦しくなると いのちが奮い立つ

 私のそばにある 反対のほんと

 目の前の壁に気づかないのが
 いちばん大きな壁



松兼 功・著/下谷二助・絵 『あっかんべえ』
(旬報社/2000年/1600円)

先の本がよかったので、著者の小学校(養護学校)時代から大学卒業までの十六年間を綴った詩とエッセイの本を買いました。自分の手で食事をすることは困難な著者ですが、車椅子と歩行器を使って積極的に行動する姿には、一歩踏み出す勇気をもらえます。

  身のほど知らず

 ブラボー!身のほど知らず
 もっともっと“身のほど知らず”になりたい
 誰かに押しつけられた限界を打ち破って
 もっともっと 素敵になりたい

 身のほどに縛られたら 夢が窒息する
 笑われたっていい バカにされたっていい
 心がワクワクする“身のほど知らず”になりたい


私たちがついつい障害者という目で見て、限界を作ってしまうことに束縛を感じている作者がいます。しかしこれは、目に見える障害者だけでなく、すべての人にも当てはまりますね。元気とやる気と勇気をもらえる詩です。



  nanokosensei1gakki.jpg   nanokosensei2gakki.jpg

富安陽子作・YUJI絵『菜の子先生シリーズ』4冊
(2003年~2011年/福音館書店)
『菜の子先生がやってきた! つむじ風の一学期』
『菜の子先生は大いそがし! あらしを呼ぶ二学期』
『菜の子先生はどこへ行く? 花ふぶきの三学期』
『菜の子先生の校外パトロール 番外編スペシャル』


作者が楽しみながら書いたんだろうなと思わせる、空想する喜び満載の児童書。たまには大人も、こんなワクワク感を思い出したいですね。文も絵も面白くて、花丸!


  genpatukikitotoudaiwahou.jpg

安冨 歩著『原発危機と「東大話法」』
(明石書店/2012年/1600円)
「魂の脱植民地化」について考えてきた現役東大教授が書いた、根源的なことを考えさせてくれる本です。少しきつい表現もありますが、さまざまな喩えや実例を引いて、分かりやすく興味深く書かれています。言葉の言い換えによって、私たちが、いとも簡単にだまされたり考えなくなったりしているということを、肝に銘じて、きちんと判断しなくてはいけないと思いました。ぜひ皆さん、お読みください。たくさん線を引きながら読みましたが、私は特に、第4章-「役」と「立場」の日本社会-に大変共感を覚えました。そこからいくつか引用します。

p215
人間ではなく「立場」から構成される「社会」は、一方で立場に伴う義務を果たすための、異常なまでの無私の献身を人間に要請し、また一方で、立場を守るための、異常なまでの利己主義を要請しました。また、ここから生じるストレスを誤魔化すための果てしない消費は、弱者に対する搾取と、自然環境に対する強烈な破壊圧力をも生み出しました。
*現代社会を簡潔に的確に表現していると、感心しました。

P233
私は学者の言うことを信頼するかどうかを判定するには、その人の主張することを吟味するだけでは不十分だと思っています。その人が立派な人なのかどうか、それが大切であって、立派な人であれば言うことを信じるし、下らない人であれば、たとえ書いたり言ったりしていることが一見立派に見えても、あるいは偉そうな肩書きや顔つきをしていても、それだけでは信じてはいけない、と考えています。
*同感です。学者だけでなく、あらゆる人に通じることだと思います。


  kouda ki

幸田 文著『木』
(新潮文庫/平成7年・22年17刷/362円)

北は北海道、南は屋久島まで、木を訪ねての随筆。著者が木と同化してしまったのではないかと思うほど、木に対する入れ込み方がすごい!良質の文章に触れたいときは、この著者の随筆を読むことにしています。以下、特に印象に残った箇所を引用。

P153
あるとき植物のことをなにくれとなく教えて下さる先生と話をしていて、野中の一本立の大木はすてきだといったら、すてきと思うのは勝手だが、なぜ一本なのか、そこを少し考えてみなくてはネ、とたしなめられた。・・・まずはじめに樹種をたしかめ、木の形態を見、有用か無用かを考え、さらにその附近を見歩いて、同種の木の切株があるかないかに気をつければ、なぜ野っ原に一本だけ残ったか、だんだん見当がついてくるでしょ。良木良材をわざわざ一本だけ残す筈がないじゃないか、伐る手間さえ惜しむほどに人の生活は苦しいのだから、野山に一本残った木の評価はおのずから明らかといえる。人間の側からいえばそれは役立たずの無価値の木であり、木の側からいうなら、不運と苦難の末にやっと得た老後の平安というわけ、どうか一本残った木をすてきとだけで片付けないで、もっとよくやってみてもらいたい、ということだった。身にしみる一本立の老木の話だった。

P165解説(佐伯一麦)
いい文章とはどんなものか。例えば、サマセット・モームが『要約すると』で、こんなふうに語っている。
「いい文章というものは、育ちのいい人の座談ににているべきだと言われている。(略)礼儀を尊重し、自分の容姿に注意をはらい(そして、いい文章というものは、適当で、しかも控えめに着こなした人の衣服にも似ているべきだとも、言われているではないか)、生真面目すぎもせず、つねに適度であり、『熱狂』を非難の眼で見なければならない。これが散文にはきわめてふさわしい土壌なのである」
英国人のモームの言っていることが、幸田文の鍛えられた日本語の文章の魅力をいちいち言いあてていることに、私は驚く。



テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

心に響く風景-久しぶりの万博公園
 週末になると天気が悪く、今年は梅を見に行くことができてなかったのですが、早めに仕事を切り上げた昨日、久しぶりに万博公園を通って帰りました。
カメラを持ってなかったので、携帯でパチリ。

   CA3Y3OBB.jpg


   CAXTCFZ3.jpg


   CA2TKOAQ.jpg


   


    CA80QWH8.jpg    CAOHIHLL.jpg


          CAPXL8ZW.jpg

 デジカメを持っている時、一度もうまく撮れなかった椿が、あまり画面の見えない携帯で、いい加減に撮ったら、けっこう好みの構図で撮れていました。
無作為の効果?夕方の光のおかげ?


テーマ:花・植物 - ジャンル:写真

心に響く詩集-まど・みちお詩集
       IMG_3966.jpg
   
    まど・みちおさんの詩は、易しい言葉で書いてあるのに、内容が深くて心にしみてきます。
    まどさんの詩は、気持ちが自然と一体化しているので、彼の詩を読むと心が安らぎます。
    
       madomitiokonnanitasikani.jpg  まど・みちお詩集『こんなにたしかに』より
             (水内喜久雄選・著/高畠純絵/理論社「詩と歩こう」/2005年/1400円)


どうしてだろうと(初出*『まど・みちお全詩集』)

どうしてだろうと
おもうことがある

なんまん なんおくねん
こんなに すきとおる
ひのひかりの なかに いきてきて
こんなに すきとおる
くうきをすいつづけてきて
こんなに すきとおる
みずを のみつづけてきて

わたしたちは
そして わたしたちの することは
どうして
すきとおっては こないのだろうと…


 IMG_3907.jpg


        春の訪れ(初出*『きょうも天気』)

        太陽がうたう…
        小鳥たちが咲く…
        花々が照らす…
        と言えば少量の嘘と
        少量の真実を伝えることになるが
        もともと百万言が死力を尽くしたとて
        「春の訪れ」に届くわけのものでもない
        「自然」はいつも遠いのだ
        自身が自然でありながらまるで
        それを忘れている人間の
        「ことば」からは
        ゆびさす手の先に触れると見えて
        ひとりはるかなあの虹のように


 IMG_3912.jpg  IMG_3915.jpg
     昨日あった「伊丹三樹彦先生の俳句サロン」で、みなさんに気に入って頂いた拙句。
            「猫宛てのハガキ来ている 春の宵」


               ぼくが ここに(初出*『ぼくが ここに』)

               ぼくが ここにいるとき
               ほかの どんなものも
               ぼくに かさなって
               ここに いることは できない

               もしも ゾウが ここに いるならば
               そのゾウだけ
               マメが いるならば
               その一つぶの マメだけ
               しか ここに いることは できない

               ああ このちきゅうの うえでは
               こんなに だいじに 
               まもられているのだ
               どんなものが どんなところに
               いるときにも

               その「いること」こそが
               なににも まして
               すばらしいこと として


       IMG_3968.jpg

      まどさんの詩は前から好きでしたが、この年になると前より更に心ひかれます。

テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

季節の詩歌(27)~かあさんの歌~
 俳句結社「空」誌に掲載の拙文「季節の詩歌(27)~かあさんの歌~」です。
               IMG_3948.jpg
 【おばちゃん化しているハオ。でも、何でも弟分のミューに譲る優しい猫です。】


「女は弱しされど母は強し」という言葉がある。今の世なら「女は強しさらに母は強し」の方がふさわしく思われるが、ともかく「母」の存在感は、文学の世界において圧倒的である。例えば、小説のタイトルに『母』とだけあってすぐ浮かんでくるのが、姜 尚中、三浦綾子、ゴーリキーの書いたもの。一方「父」は、向田邦子『父の詫び状』、井上ひさし『父と暮せば』、菊池寛『父帰る』、ツルゲーネフ『父と子』などで、寡聞にして『父』は知らない。短詩型文学の世界ではどうだろうか。数を比べたわけではないが、やはりすぐ思い出すのは、母をうたった作品群である。

冬になると自然と口ずさむ歌がある。

かあさんは 夜なべをして 手ぶくろ 編んでくれた / こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ / ふるさとのたよりはとどく / いろりのにおいがした
(窪田聡作詞・作曲「かあさんの歌」)

いつも働いている母、子どものことを最優先する母、故郷につながる母。人々が「母」に抱く典型的な姿がすべて、この歌詞に入っている。

蓑笠に甲(よろ)へる母のいでたちのまぶたを去らず雨の日ごろは            小野興二郎

皺のばし送られし紙幣夜となればマシン油しみし母の手匂う              岸上 大作

上田五千石の句に「秋の雲立志伝みな家を捨つ」というのがあるが、志を持ち都会に出る者が、昔は多くあった。子への仕送りのため、雨の日も、また夜も遅くまで働いている母。その苦労を思うと、申し訳なさとありがたさとで、胸が一杯になるのだ。

夜学子を幾度母の覗きけん      岩木 躑躅

受験期の子を持つ母親は、子が風邪など引かぬよう、万全の体制で試験に臨めるよう、気配りに忙しい。無事合格し、子の喜ぶ顔を見たいのである。それは、受験に限らない。自分の仕立てた着物を、わが子が喜んで着る姿を思い描き、裁縫に時間を割く。子はそのことを幸せに思い、次のように詠むのである。

(こ)の衣(きぬ)の身丈肩裄そらんじて母います小さき灯(あか)りのやうに         高尾 文子

子のことを思ってくれる母、その母が居る家、母は「灯り」であり「光り」である。心細く不安を感じながら生きている身に、母は希望であり愛である。

雪道をふみしめ行けば雪原のはてに光りあり母まちおらん               川口美根子

熱病みて林檎を絞る夕べには泣くほどでなく母の恋ひしき               前田 益女

子どもの頃、熱が出ると、母が林檎をすりおろしてくれたことを思い出す。この歌の作者もそうなのだろう。全身で守ってくれた母が、懐かしく恋しい。

ところで、「母」の詩といえば、サトウハチロー。彼には、四百編近く母と子の詩がある。その中に、母国語のいちばん最初の担い手である母をうたった「すてきな母さん」という詩がある。

なんでも知ってる すてきな母さん / あの鳥めじろ この花りんどう / 鳥の名花の名 星の名までも / 母さん みんなが おぼえるまでは / いくどもなんども くりかえす

女の人がおしゃべり好きなのは、言葉を次の世代に伝える仕事があるからだと聞いたことがある。わが子だけではなく、周りの子どもたちに飽きることなく優しく言葉を教えているのは、女性が多い。話し言葉だけでなく、文字にして遺すことも多い。

雁ゆくや母の文また読みかへす    山口波津女

母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字  川本けいし

手書きならではの良さが感じられる二句である。文字には、書いた人の気持ちや息遣い、人柄までが表れる。文字を介しての母子のつながりが、温かい。こうやって私たちは、大切なことをたくさん、母親から受け継いできたのだと思う。

       IMG_3827.jpg 【長野駅前】

このようにずっと頼りにしてきたのに、もう頼っていてはだめなのだと気づく時がある。母親が年老いたことに気づく瞬間は、ひどく寂しい。

たはむれに母を背負ひて / そのあまり軽きに泣きて / 三歩あゆまず     石川 啄木

有名な啄木の歌。この頃は「重きに泣きて三歩あゆめず」などとパロディ化されることもあるが、本歌の「あゆまず」に、作者の心遣いがある。

秋草の花咲く道に別れしがとぼとぼと母は帰りゆくなり                岡野 弘彦

母はもう我を叱らず夕さりのひかりのようにしずかに微(わ)(ら)う          井ヶ田弘美

母親の様子を客観視する時の、なんとも言えない寂しさがにじみ出ている二首である。「とぼとぼと」「しずかに」の形容が、かつての元気な母ではなく、もう子どもを保護してやることもないのだという悲しさや寂しさを湛え、切なさがこみ上げてくる。

物の慾すでに枯れたるすがたにて雪の晴間の日向に母あり            鹿児島寿蔵

すぐ寝つく母いとほしや隙間風    清崎 敏郎

さらに「枯れたる」母であれば、そこには生命力の薄れた存在として、作者の眼前にある。もう、子の方が守らねばいけない時期が近づいているのだろう。「いとほし」は、自分より弱いもの、可愛いものに心寄せる心情である。どちらの作品にも、母への優しい眼差しがある。

ここまで、疑いようのない母性愛を前提とした詩歌を見てきたが、いつもそういう理想的な存在として、母がある訳ではない。

わが母のひとりのときの顔を見し擦れ違いたる車の中に                中川佐和子

偶然見つけた、いつもと違う表情の母。家族にとって常に明るく笑顔の母親が、一人のときに見せる表情は硬く厳しいものであったかもしれない。しかし、それは作者にとって、驚きを伴う喜びでもあったのではないか。周りの人に尽くすだけでない、一個人としての新しい母親像は、次の歌にも感じられる。

教室の小さき椅子に母ら坐りて集中的に母とぞなれる                 花山多佳子

子がいるから自然に母になる訳ではない。子を宿し、産み、育てていく中で、母になることを学んでいくのである。窮屈な椅子に自分を押し込めている母は、その居心地の悪さゆえに「集中的に」母にならざるを得ない。それは、一途に子を思う真剣な姿でもあるのだが、どこか意識的で演者のようでもある。

黴のアルバム母の若さの恐ろしや   中尾寿美子

(にら)の花しろく咲く庭わかかりし母を若いと思わず過ぎき              吉川 宏志

必死に母になろうとしているのは、若い母親であるが、子の方は、生まれた時から「母は母」。時が過ぎ、改めて「母の若さ」に気づくのは、古いアルバムや昔からの風景を前にしたときである。子どもの側から見る母親は、いつだって信頼できる保護者であり、そこに「若さ」を見ることは過去になかったのである。

       IMG_3828.jpg 【氷の衣】

子どもが自立すると、母親は「母の役」をひとまず置いて、自分のために生きる時間を増やし始める。子育てから解放された女性たちの姿は、生き生きとたくましく、心身ともに自信と余裕が溢れている。

母が吾をまたいでゆきぬ年の暮    夏井いつき

今日よりは九十となる母が言ふ百までも生きて困らせようか              宮地 伸一

ほどほどで逝くのが理想と言ふ母が師走の庭に体操をする               平田 利栄

どの作品にもユーモアがあり、元気な母親を喜ぶ作者がいる。健康で長生きしてくれる親は確かにありがたいが、現実はそう容易ではない。老親の介護をする短歌や俳句が、高齢化社会の中で増えている。

施設へと戻りし日のまま日めくりは年を越したり母の小部屋は             林本 政夫

母の日の母の襁褓を替へにけり    田部井竹子

かつて面倒を見てもらった子どもの側が、今度は老母にお返しをする時期が来たのである。さまざまな思いが、子にも母にもよぎることであろう。

そして何よりも「母」を思うのは、母親が亡くなるとき、亡くなったあとである。自分の体験からも、過去に詠まれた作品群からも、そう思う。

今生の汗が消えゆくお母さん     古賀まり子

母の死のととのつてゆく夜の雪    井上 弘美

死ぬ母に死んだらあかんと言はなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ            池田はるみ

母の死は心に痛い。辛い。悲しい。寂しい。母に支えられていたのだと思う。後悔ばかりが先に立つ。母の死を受け入れるには、静寂と長い時間が必要だ。「母」という存在は、いつでも次の歌のようである。

在りし日もかなしと思ひ死してなほかなしかりけり母といふもの              岩田 正

いつでもどこでも思い出す「母」、自分が生きている限り「母」は生きている。そのことが、子を励ます。

ここに母佇ちしと思ふ龍の玉     石田 郷子

亡き母が蒲團を敷いてから帰る    八田 木枯

かくて母はわれの面輪に存(なが)らふる夜の鏡に髪梳きをれば              米田 律子

子ら五人破片(かけら)持ち寄り花瓶(はなかめ)をはり合はすがに亡母(はは)を語れり     藤岡 武雄

改めて言うまでもなく、すべての人は「母」から生まれる。自らの存在の原点は「母」である。そのことに、地球の未来も含め、大きな可能性を信じたい。

 IMG_3954.jpg
 【優しいお母さんのようなハオに、いつも甘えるミュー。】

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと-東日本大震災から1年
 あの大地震から1年。まだ行方不明の方々、2万人に及ぼうとしている亡くなられた方々、家族を家を仕事をなくされた方々、大変な状況の中で頑張り続けておられる方々…に、私は心を寄せ、微々たるカンパしかできない1年でしたが、本当に皆さんにはどんなに辛く悔しく情けなく、言葉にできないしんどい日々だったかと思います。そのしんどさは、今日で終わりではないけれども、ともかく1年過ぎました。明るい未来に向かって、新たなスタートの日となりますことを、心より祈っております。

hisaitihagaki.jpg

被災地の方々が作られた絵葉書です。パソコンボランティアで、被災地(石巻市)の皆さんと交流のある、ブログの友人からプレゼントしてもらいました。


 先週1週間、テレビの特集から目が離せませんでした。
3月4日 NHKスペシャル 映像記録3.11“あの日を忘れない”・・・1年前の報道では知り得なかった各地の地震・津波の映像に、改めて衝撃を受けました。
3月6日 NHKクローズアップ現代 被災3000人アンケート震災を生きた記録・・・津波から孫を助けたのち、お祖母さんが「生きろよ!バンザイ!バンザイ!」と言いながら流されたという話に、号泣してしまいました。
3月8日 MBSTV 関西人必見!巨大地震・津波のホント?ウソ?
3月9日 NHK かんさい発震災特集
3月10日 関西TV 池上彰スペシャル企画あの大震災から1年…・・・仲間に支えられ工場を再建された方の話に涙がこぼれました。原発や原油に頼らない電力供給の情報に、希望を感じました。民間に技術力があるのだから、国が真剣に取り組んでほしいと思います。


genpatukikitotoudaiwahou.jpg


 『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語』 原発訴訟の弁護団の一人として頑張っている友人から、いい本だと勧めてもらい早速注文しました。

今朝の新聞の社会面にあった「15歳の約束 ここから」を読んで、泣きました。
・・・いやだ。目の前で人が死ぬ。手の中で命が消える。「悔しいとか悲しいとか、そういうのを感じないほど心がなんかぼろぼろで」・・・大切な人や家も失い、悲しくて、苦しくて、今はどうにもならないけれど、それをいつか「良かった」と思えるぐらい、自分は大きくなりたい。・・・津波で壊滅した旧校舎で卒業式を開いた中学生たちの言葉です。彼ら・彼女らが、絶対大きな力になると信じています。


 ここからは、私なりの東北の方との関わりです。東北の方の優しくて温かい人柄に、こちらが励まされています。

今年の1月13日(金)、大阪なんば高島屋で「現代書道二十人展」と「大東北展」があるというので出かけました。そこで、伝統工芸士さんの作られた「雄勝硯」(宮城県石巻市雄勝町産の天然石の硯)を買いました。
ogatusuzuri1.jpg  suzurimatu.jpg  hude.jpg

優しい丸味が気に入り、値段も思っていたより安かったので、少しでもお役に立てば…と買おうとしたところ、穏やかな顔をされたご主人が「あっ!」と言われました。値札を付け間違えてしまったようです。「正しい値段をおっしゃってください。」と何度もお願いしたのですが、「いや、自分の間違いだから。」とどうしても直されず、結局安いまま購入してしまいました。
「支援をと思って買いに行ったのに、かえって損をさせてしまった…。石巻市のご自宅は流されてしまって、今は娘さんのところにおられるというのに…。」と、帰宅してからも気になって仕方ありません。夫に話すと、「じゃあもう一回行って買ってきたら。今のままだと悔いが残るやろ。」と言ってくれたので、翌日、ちょうど歌会で大阪市内に出かけるので、その前にと再度出かけました。

事情を説明して、昨日は他の物(大好きな東北のしそ巻き杏など)もいろいろ買ってお金もなかったので、今日はもう少し値の張るものをと、蓋つきのを選びました。ところが、ご主人は「わざわざ二度も足を運んでもらって申し訳ない。同じ値段にするから、こちらの高いのにしなさい。こちらの方がいいから。」と、上等のを何度も勧めて下さいます。「またサービスしてもらったのでは、今日来た意味がないから。」と、私も粘って、最初に決めたのを買いました。
ところが、ご主人は「じゃあ、この筆をもらって。伝統工芸士さんので書きやすいよ。」と、「そんな、申し訳ないです。」と断る私に、「どうしても」と包んで下さいました。「またもらったりして、悪いなあ…」と思っている私に、ご主人は「石の文鎮も持って行って」と言われます。「これ以上もらったら、私はまた眠れなくなります。」と必死で断って帰りました。
帰宅後、頂いた筆の値札を見ると、結局、割り引くからと言われていた硯の割引額と同じくらいの値段でした。「こんなことなら、ご主人が熱心に勧めて下さったようにした方が、お勧めの硯が手に入って、お互いよかったのだ…。」などと思い、自分のとっさの判断力の無さにあきれました。

yamagunino.jpg nononizito.jpg gekkouno.jpg

そんな話をお習字の先生にしながら、頂いた筆を使うと、これがまあほんとに書きやすいのです。先生も試されて「いい筆だわあ。」と感激されていたので、「その筆で百人一首を書いて下さいませんか。雄勝硯の方に送ろうと思うのです。百三歳の方の字で、しかも同じ東北出身と分かれば、喜ばれるし励みになると思うのです。」と、ちょうど練習していた歌をお願いしました。快く書いてくださり、私は裏打ちをしましたが、考えてみると半紙の大きさでは飾るのが難しいし、よく見ると歌の内容もふさわしくないのです。
かえって失礼になると、先生にもう一度お願いして、今度はふさわしい俳句を選んで、色紙に書いて頂きました。左から順に「山国の雪解しづくは星からも 鷹羽狩行」「野の虹と春田の虹と空に合ふ 水原秋櫻子」「月光のつらら折り持ち生き延びる 西東三鬼」。もう一枚(ここには載せていません)は私の字で「おむすびは心のかたち雪のくに 成田千空」です。3月11日には届くように送りたいと思っていたのですが、もたもたして、結局遅れてしまいましたが、ちょっぴりでも心が届くといいなと思っています。

テーマ:東日本大震災 - ジャンル:日記

心に響く本-2月に読んだ本から(その2)
 2月に読んだ本から(その2)
大学教授の選考基準に「人柄」を入れなくなってから日本の教育がおかしくなってきたという文章を、だいぶ前に読みました。成果、実力、学力、人柄、etc.人を採用する時、あなただったら、何を一番重視しますか?今回まずご紹介するのは、人間として大切なことは何か?を考えさせてくれる本です。

 bokutatihadouikiruka2012.jpg  kimitatihadouikiruka.jpg  nobounosiro.jpg

 生き方を考えさせられる本三冊

梨木香歩著『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
(理論社/2011年/1600円)
2007年4月から2009年12月まで、理論社ウェブマガジン「あ、ある。」に連載されたもの。
14歳の主人公のあだ名はコペル君。彼には、小学校6年の途中から不登校になった親友ユージン(優人)がいる。どちらも、それぞれの家庭の事情を抱えて一人で暮らしている。彼らに加え、時々彼らのサポートに訪れるコペルの叔父のノボちゃんと、ユージンの従姉のショウコが主な登場人物だ。そこに関わるユージンの祖母、兵役拒否の米谷さん、ショウコの先輩インジャ、オーストラリア人のマークの話が絡み、物語に深みを与えている。
周りに流されずに「自分の頭で考える」ということについて、真正面から考えた物語で、梨木さんの作家としての良心を賭けている本だと感じた。心の深いところまで届くいい本に、久々に出会った気がする。娯楽ではなく、生き方を考える本として、少年・少女だけでなく、ぜひ多くの人に読んでほしい。次に紹介する本『君たちはどう生きるか』への一つの答えとして書かれたと思う。

梨木さんの本は、絵本『ペンキや』『ワニ』(絵・出久根育) 『蟹塚縁起』(絵・木内達朗) 『マジョモリ』(絵・早川司寿乃)/掌編『この庭に 黒いミンクの話』(絵・須藤由希子)/小説『西の魔女が死んだ』『家守綺譚』『村田エフェンディ滞土録』を読んだことがあるが、今までのどこか不思議な気配を漂わせた作品と異なり、この本は珍しく著者の怒りや若者へのメッセージがはっきり伝わる小説で、私はこの本が一番気に入った。絵本では『ペンキや』が好き。どの作品にも、どこか異国の幻想的な雰囲気が底辺に流れているのは、英国に留学し、そこで児童文学者に師事したからかと思う。


吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』
(ワイド版岩波文庫/2006年/1300円)
先に紹介した梨木香歩著『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んで、この名著を思い出し読み直した。
1935年新潮社から山本有三著『心に太陽をもて』が、『日本少国民文庫』全16巻の第1回配本として出版された。最後の配本が、1937年に出た『君たちはどう生きるか』である。ジュニア向けに少し改訂・編集されたものもあるが、本書は、初版本を底本として再版された。日本が軍国主義の勢力を強めていた時代に、次の時代を担う少年少女への希望をこめて出版されたこのシリーズは、著者の方々の良心が詰まっている良書である。
主な登場人物は、父を亡くし母と二人暮しのコペル君と彼にアドバイスをくれる叔父さんと、中学校1年の少年たち(上流家庭の水谷君・一本気の北見君・豆腐屋の浦川君)で、読みやすい物語に仕立ててあるのだが、内容は質が高く、大切なことを深く考えさせられた。今一度、現代の人たちにも読んでほしい本の一つだ。

P140
生み出してくれる人がなかったら、それを味わったり楽しんだりして消費することは出来やしない。生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。これは、何も、食物とか衣服とかという品物ばかりのことではない。学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受取る人々より、はるかに肝心な人なんだ。
P184
偉人とか英雄とかいわれる人々は、みんな非凡な人たちだ。普通の人以上の能力をもち、普通の人には出来ないことを仕遂げた人々だ。普通の人以上だという点で、その人たちは、みんな、僕たちに頭を下げさせるだけのものをちゃんともっているんだ。しかし、僕たちは、一応はその人々に頭を下げた上で、彼らがその非凡の能力を使って、いったい何をなしとげたのか、また、彼らのやった非凡なこととは、いったい何の役に立っているのかと、大胆に質問して見なければいけない。非凡な能力で非凡な悪事をなしとげるということも、あり得ないことではないんだ。
 

*皆さんにご紹介したいと思って抜き出した箇所はもっとたくさんあるのですが、ここまでに…。

和田竜著『のぼうの城』
小学館/2007年/1500円
ふだん戦国時代の小説は、合戦や戦のかけひきが苦手でほとんど読まないが、これは登場人物の人間性に重点が置かれていて、面白かった。主な参考文献として32冊の書名が挙げてあり、著者の気合が感じられた。司馬遼太郎は、新しい作品に取り掛かるとき、古本屋からトラック1台分の史料・本などを届けさせると聞いたことがある。史実に基づいた小説は、書くより前に読む時間がたっぷり要るなと、妙なことに感心した。
天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一、落とせない城「武州忍城(おしじょう)」。周囲を湖で囲まれた「浮城」である。城主・成田長親は、領民から「のぼう様(でくのぼう)」と呼ばれても、泰然としている男。はなから馬鹿なのか、それとも人間が大きいのか、しかし、誰も及ばぬ人望があった。のぼう様の周りの武将たち、敵方の大将石田三成やその周りの武将たちの描き方も面白く、一気に読んだ。


 hosiusagi.jpg  mizunooukokuzyou.jpg  mizunooukokuge.jpg

 想像力の結晶…ファンタジー三冊

寮美千子著『星兎』
(パロル舎/1999年/1500円)
等身大の話せるうさぎとぼくが出会った日、今のうさぎとぼくとが出かけた夜、二つの時が交互に描かれ、大切なことを本当に美しい情景の中で見せてくれるお話。永遠の色の空が好きで、常識にとらわれず在るがままを見たいという作者像が浮かんだ。うさぎの「ぼくは、誰のものでもない。ぼくは、ぼくのものなんだから」という言葉が、周りに気を使って自らを生きにくくしている人たちへのメッセージだと思った。児童書という体裁で文字も大きいが、大人が読んでもいろんなことを考えさせてくれ、『星の王子様』と通じるものを感じた。大切な方を亡くした後に、その喪失感を静かに優しく埋めるように書かれた本のような気がした。

寮美千子著『夢見る水の王国 上・下』
(角川書店/2009年/各1800円)
子どもから大人まですべての読者に物語のよろこびを届けたい、という願いを込めて始められた「カドカワ 銀のさじシリーズ」は、本物のファンタジーです。ファンタジーはあまり好きではなく、私は今まで『ゲド戦記』以外で読みきったものはないといってもいいくらいです。今回は、以前紹介した友人の知人(友人)が書いた本だというので、頑張って読みました。
主人公のマミコと祖父、母親の美沙、飼い猫のヌバタマ、郵便屋さんとその息子は現実。(といっても物語ですが・・・)少女マミコが、台風の過ぎた翌朝、海岸で見つけた木馬と壊れた角から、お話は不思議な世界に入り込んでいきます。
壮大な織物を織るように、時と所が交錯していくので、ぼんやり読んでいるとついていけなくなり、分厚いし読みきるのは無理ではないかと、何度も投げ出しそうになりました。ただ言葉が美しい詩のようであったことと、彩の美しさが情景を想像する喜びを与えてくれたので、ゆっくりですが読み進みました。上巻の後半に入る頃から、物語の先が気になり始め、あとは一気に読みました。言葉と想像力だけで、これだけの物語の世界を創造できることに感心しました。
ちょうどマンガの『風と共に去りぬ』を同時進行で読んでいて、主人公のマミコのよい子の部分であるミコと悪い子の部分のマコが、理想派のメラニーと現実派のスカーレットのようで、両方を重層的に読むことができました。読みとったテーマは、ここで書くと読む楽しみを奪ってしまうので書けませんが、『ゲド戦記』にも通じるもので、共感を覚えました。


kazetotomonisarinu.jpg  mizuharasyuuousizisennzikai.jpg  takahasyugyouzisennzikai.jpg

 名作のマンガ/自選自解の句集

マーガレット=ミッチェル作/津雲むつみ画『風と共に去りぬ』全4巻
(集英社文庫/2002年/各648円/週刊セブンティーンに1977年から連載)
映画や宝塚歌劇でおなじみの作品ですが、私は、主役の二人の名前と南北戦争の頃のことを描いているということぐらいしか知りませんでした。原作はかなりの長さになるので、とりあえず漫画でと読み始めたのですが、昔の漫画ですから〈セリフが多い、絵が細かく丁寧、しかも文庫版用に縮小してある〉というので、還暦近い身には時間がかかりました。でも、面白くて、ぐいぐい読み進みましたよ。目は酷使してしまったけれど、この小さい字が読めたわが目に感謝!です。
現実派のスカーレット・オハラとレット・バトラーは、生きることに貪欲でたくましい。対して、理想派のメラニーとアシュレは、優しく知的だが生活感に乏しく弱い。戦争の無意味さがわかっていながら、負け戦に出ていく男たち。昔の外国の話だが、現代にもじゅうぶん当てはまる要素を持った名作で、漫画もイメージを損なわずいい作品に仕上がっていると思った。


新装版『水原秋櫻子自選自解句集』
(講談社/2007年/1800円)
大正8年から昭和35年に作った俳句から210句を選んで、解説やそれにまつわる小文をしたためたもの。巻末の「私の俳句のつくり方」が、とてもよかった。東大医学部の研究室にいた時から俳句を始め、同時に短歌を数年間、窪田空穂に学んだ氏には、写生俳句にとどまらない情感の豊かさや音調の確かさがある。まず作法書・歳時記・一万句集を座右に揃え、のちには音調をしっかり学ぶため唐詩を七十篇も暗誦できるよう努力したとあった。頭が下がる。旅先で詠んだ句が多いが、中には絵画からヒントを得たものなど、句材はどこにでもある。以下に代表句を数句。
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
野の虹と春田の虹と空に合ふ
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
吊橋や百歩の宙の秋の風
瀧落ちて群青世界とゞろけり



新装版『鷹羽狩行自選自解句集』
(講談社/2007年/1800円)
昭和23年から昭和63年の作品から200句を選んで解説した本。鷹羽氏の句は好きなので、今までにも何冊か句集を読んできたが、力不足で読みきれてなかった句も、作者自らの解説を読むことでここまで深い思いが込められていたのかと、改めて学ぶところが多かった。また、表現上の工夫や細かい配慮、推敲の過程など、実作上役に立つこともたくさん書かれていて、よかった。
巻末の文章中、次の二箇所が大変心に響いた。
俳句も推敲の過程においては、無意味に強すぎるところを直し、強さよりも深さへともってゆかなければならない場合が多い。
われわれ実作者はモノを見る時に、・・・(略)・・・。俳人という立場―季題と十七音、そして日本語の調べ―で見ているものだ。この習慣を、だんだん身につけてゆくことが望ましいと思われる。・・・(略)・・・理想の境地に達するまでには、やはり推敲を重ね、舌頭に千転しなければならない。


以下に好きな句から数句。
霧吹いて蛍籠より火の雫
夜という裾に坐りて毛糸編み
しがらみを抜けてふたたび春の水
  *しがらみ=杭と木の枝や竹で作った堰(せき)
村々のその寺々の秋の暮
とつくんのあととくとくと今年酒


有名な「みちのくの星入り氷柱われに呉れよ」(33歳の作)を詠んだ時、西東三鬼の「月光のつらら折り持ち生き延びる」が頭にあったそうで、栄養摂取に懸命だった時期の作だと、自解にありました。「星空に輝く氷柱の透明冷徹な空しさを、美しい山形の風土の象徴として見た。」この句と内容的に合い通ずる「山国の雪解しづくは星からも」(48歳の作)を改めて詠んだのは、最初の句が、「結句の言い方が説得調なので、短歌的な自我の強調を消して、物に即した俳句にしたい。」との思いからだそうです。氷柱と美しい星空は、昭和5年山形で生まれ5歳まで住んだ作者の原風景。

テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



カテゴリー



最近の記事



最近のコメント



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カウンター



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード