心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く本-4月・5月に読んだ本から
 4月・5月もたくさんの本を読みましたが、今回は次の2冊をご紹介します。

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水上勉・灰谷健次郎往復書簡24通『いのちの小さな声を聴け』
(1990年・1991年7刷/新潮社/新潮社読書雑誌「波」に連載したもの)

20年以上前に出版された本ですが、原発や水俣病の公害、開発による小動物の死、機械文明の発達により理不尽に奪われる命などを憂える内容は、今もって一つも解決していないばかりか、ますますひどくなっている現状にすべて当てはまり、少しも古さを感じませんでした。良心を持つ人、良識のある人の、心を砕いた文章で、今の人たちにも読んでほしいと思いました。以下に、何箇所か引用します。

水上勉「亀の死ぬ夢」より
農地整備事業に関した文章の中で・・・亀は淵を失い、どこへゆくのでしょうか。「よくなる」ということのうらで、無言の動物たちの生命が失われてゆく、(中略)「雑」のなかに棲む虫たち、それから咲く花たち、稔る果実。ぼくらは、「雑」からはあまり銭になるものは獲れない、獲れても率が悪いときめてかかってきた悪い教育の歴史を思いかえさねばなりません。

灰谷健次郎「いのち遙かに」より
フィリピンのミンドロ島での体験から・・・(茹でて食わせてやると言っていた大きなカニを)抱卵しているから海へ帰す、というのは、島の人にとっては、ごく当り前の日常であり、感情なのでしょう。わたしたちにはそれが驚きなのです。生命への畏敬ということからいえば、日本人は徹底して堕落してしまったということを、思い知らされました。

灰谷健次郎「人間の寸法」より
沖縄の離島でわたしが学んだことの一つに、木も水も、どんな小さな生物もいっさいがっさい、人間の生命と一つだというとらえ方があります。人間の寸法でものを考えるということは、たぶん、このことがその根底にあってはじめて成り立つものでしょう。これを忘れたとき、人はもろもろの罪を犯すのではないでしょうか。

水上勉「橋桁の下を見つめて」より
ぼくは、人間のつくるものは、どこか手ぬきがある、ということを信じています。(中略)原発ドームが、とつぜん、何かの都合で破裂しても不思議はないでしょう。人間がつくるものですから。(中略)瀬戸大橋(*建設犠牲者17名)に何万人の人々が押しよせたか存じませんが、ぼくは橋桁になった島々で、夜もねむれぬ鳥たちとともに生きねばならぬひとにぎりの人々の、くらしについて、眼をすえて生きたいと思います。

灰谷健次郎「魚族の将来」より
良心は振りかざすものではないけれど、生命が損なわれ自然が壊されようとするとき、それに沈黙する文学があるともわたしには思えない。

灰谷健次郎「未来はいつも」より
政治権力をにぎる人、企業の上に君臨する人の生命哲学は、それをもって身を切るほどの峻烈な自己吟味が要求されるはずでありましょうに。中国のようなこと(天安門事件)が起こらなくてよかったと多くの日本人はいいますが、自然破壊と公害によってわが国の生命抹殺は、まことにひどい修羅場を作っていることに人々は思いをいたすべきでしょう。戦車で人間を踏みつぶす行為は誰もが非難しますが、緩慢な虐殺に人々は目をつぶりがちです。

 原発銀座といわれる福井県に住んでいた水上氏は、原発にこだわり、その危険性と恐怖を訴え続けていました。あの東北地方を襲った大地震のあとの福島原発事故を経験しながら、安易に再稼働を口にする人たち、電力不足をことさらに言う電力会社、いったい何を考えているのでしょうか。二度、三度、あのような事故が起これば日本は絶滅する、と言っている学者もいます。今話題の大飯原発で事故が起これば、近畿の水がめ琵琶湖の汚染は避けがたく、あらゆるものの命が脅かされるでしょう。このことは、すべての原発に当てはまります。あらゆる命を守るため、一刻も早く、電力を原発に頼ることはしないと明言すべきだと考えます。昔書かれたこの本を読みながら、今に思いが飛んでなりませんでした。

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岡部 史著『お菓子のうた 甘味の文化誌』
(ブイツーソリューション発行/2012年/952円)

著者は、「塔」短歌会所属の、歌歴三十年余の大先輩。この本は、ご自身の歌集ではなく、さまざまな歌人の、お菓子を詠んだ歌を集めたエッセイです。年齢が近いせいもあって、共感を覚える内容がたくさんありました。ただ、ちょっと違うなと思ったのは、綿あめ(綿菓子)、今川焼(大判焼)、水飴、かき氷といった庶民的なおやつへの思い出。末っ子で自由に育てられた私は、これらのどれにも懐かしい思いが付いてくるのですが、長女には厳しかった母上に育てられた著者にとっては、少々残念な思いが伴うようです。洋風焼き菓子に詳しいのは、翻訳の仕事もされていることが影響しているのかなと思いました。
楽しみながら読ませてもらいましたが、困ったのは、どれも美味しそうで、ついついお菓子を口にしたくなったこと。おなじみのチョコレートからアンパン、いちご大福、おこし、金平糖、ソフトクリーム、寒天まで70種類のお菓子とそれにまつわる歴史や物語が、すてきな歌と共に登場します。以下に少し引用する(前後省略)ように、著者の読みが鋭いのも、この本の魅力の一つです。

ポテトチップス食べつつ塩の手でひらく斎藤茂吉この頃親し  荻原裕幸
この作者もまた、ポテトチップス好きの「ながら族」のようだ。塩と油脂の染みた手で斎藤茂吉の歌集をめくる。嫌な行為ではある。こんな汚れた手では、誰の歌集であろうと触って欲しくない。
でも、作者はこのあたりが狙いのようである。「塩の手」、つまり何かのついでに茂吉の歌を読んでいると強調したいのだ。かしこまって机の上で開いていたのでは見えなかったものも見えてくる、わからない歌も理解できるようになる、と言いたいらしい。


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心に響く風景-智頭町
 前回の続きです。兄のところで一泊した翌日は、鳥取県八頭郡智頭町を訪ねました。

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  使われている材木の種類が豊富で、材質も素晴らしい。しかもふんだんに使われています。

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  台所なのに煤けていないのは、煙を床下から外に出すシステムにしてあるからだそうです。

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以上3枚は、国重要文化財の「石谷家住宅」で、山林経営や地主で財をなした大庄屋です。
敷地3000坪・部屋数40余・7棟の土蔵・400坪の庭園を、町の発展にと寄贈されたそうです。
後ろに見える山は借景ではなく、このお屋敷のもの。

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上の写真は、智頭町出身の映画監督「西河克己映画記念館」。吉永小百合などのポスターも。
下の写真は、「塩屋出店」でレトロなガラス戸が見事です。伊万里の大皿が展示してありました。
ともに国登録有形文化財の建物は、同じ敷地内にあります。
向かいには、「クラフト&カフェ 和楽」。前の日訪ねた佐用町平福の「旧田住邸」で紹介してもらった、アンティークのアレンジ品や陶器などのあるお店です。

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 最後の3枚は、「せっかく智頭町まで来られたのならぜひ!」と、「和楽」さんに教えて頂いて出かけた智頭町芦津の里にある「山菜料理みたき園」。兵庫県・岡山県・鳥取県の県境にある山奥に、突然出現した山家の里、そこに驚くほど人が居て、まずびっくり。運よく、予約の人たちが一通り食事を済まされた後で、スムーズにお部屋に通してもらえました。母屋にある調理場から、園内に点在する食事処へ、自然のアップダウンも気にすることなくてきぱきと働いておられる年配のご婦人(女将さん?)に、感心しました。厚さ数十センチはある巨大な無垢の木のテーブルで頂いた山菜料理は、抜群の美味しさでした。雰囲気も良く、自然の中で過ごせるのですから、人気があるわけです。

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心に響く風景-佐用町平福地区
 4月末の連休、兄の住む兵庫県佐用郡佐用町を、友人と訪ねました。

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   この展望台、実はこの二本の木にくくりつけて作ってあり、かなりスリリングな状態でした。

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   以上4枚は、佐用町延吉にある「播州平福しゃくなげの里」で撮りました。

   次の4枚は、佐用町平福(因幡街道最大の宿場町)を訪ねた時のものです。

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以前来た時に比べ、空き地が増えている気がしましたが、(上の写真)花が植えられていました。
上の写真右上奥にあるのが、373mの山頂に築かれた「利神城(別名:雲突城)」で、石垣が現存。
2年半前の台風による佐用川(下の写真)の氾濫で、川沿いのこの町に大きな被害が出ました。
        
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 旧田住邸(幼少期の宮本武蔵が、義母を訪ねてよく来たという大庄屋)の長屋門。奥に母屋。
 長屋門の内部を改修したここ(下の写真)で、コーヒーを頂きながら、お話を伺いました。

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  この立派な座卓、前はつい立だったのを作りなおして再利用したそうです。

 水害の後、この家を譲り受けた遠入さんご夫妻が、地元の大工さんや工芸作家さんたちと相談しながら、「この地の文化を残さねば」と精力的に働いておられました。元禄時代の池泉鑑賞式日本庭園も、ジャングルのようになっていたそうです。水害にあった蔵の中から、什器や本・雑誌を取り出して手入れをしたり、昔の家具や建具を利用しながら、おしゃれな空間になるよう工夫したり…。知り合いの方が届けてくださるという、山野草の寄せ植えや和紙づくりの照明が、素敵な雰囲気を醸し出していて、のんびりゆったりできました。水害の後の町が、早く元気になるといいなと思いました。

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心に響く風景-猪名川町天文台
 連休に出かけた兵庫県猪名川町天文台で撮った写真です。

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 上り下りそれぞれ一方通行の細い道で少々怖かったのですが、頂上には広い駐車場。
 雄大な眺めに感動しました!

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 遠くかすんでいる山並みの向こうに、神戸や大阪湾なども見えるそうです。
 上る途中、猪名川源流もありました。

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 五月の美しい空と木々の芽吹き。

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 新緑とコバノミツバツツジの優しい色。

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        連休だというのに人の少ない穴場。キャンプ場もありました。

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        なんと七五三ですよ。右奥に見えるのが、天文台。こちらはその向かい側。

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        帰りに見た藤とツツジの花。暮らすのに気持ち良さそうな集落でした。

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        青い空に垂直の飛行機雲。思わず車内からパチリ。のどかな一日でした。

           今回はカメラを忘れず持って行きました!

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あんなことこんなこと-片岡珠子展/東灘だんじり祭
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 5月4日(みどりの日)、阪急御影駅から徒歩5分の「香雪美術館」「片岡珠子展」を見に出かけた。
駅を降りると「地車(だんじり)祭」ののぼりがあり、近くからお囃子も聞えてくる。目の前には美味しそうなパン屋さんがある。そういえば・・・と、何年か前の記憶が甦ってきた。あの時も美術館を訪ね、道を行くだんじりに偶然出会って、おみやげにここでパンを買った。美術館隣の神社を通り抜けたことも思い出した。同じ日だったのだ。

とりあえず、美術館の手前にある弓弦羽(ゆづるは)神社に向かった。いよいよお囃子の音が盛んになる。境内は半被を着た青年・中年・子どもたちや娘さんたちと、見物の人たちで大変な人出だ。ちょうど最後のグループの「地車練り回し」が始まったところだった。周りをすでに「練り回し」を終えた地車が囲み、お祭り気分も最高潮といったところで、カメラを持ってこなかったことが悔やまれた。
仕方なく携帯で撮影。帰宅後、HPで調べたところ、8基の地車が、10:30から宮入し13:30に宮出をするとあった。偶然、いいところに出くわしたわけだ。若者たちの威勢のいい掛け声に元気をもらい、いい気分で隣の美術館へ。


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 平成20年に103歳で逝った片岡珠子は、特に「富士山」や歴史上の人物を描いた「面構」が有名で、ファンも多い。この日も、小さな美術館なのに、同年代の人たちで適度な混み具合だった。この人の絵は力強く、元気をもらえるのは、先ほどのお祭りと一緒。絵がいいのは勿論だが、解説に書かれていた言葉がよくて、手帳にメモをとりながら見た。

* 長崎新聞より(昭和43年)
人間の生活力に貢献するものを作るのが、芸術家の運命だと思いますね。失意のどん底にいる人間がその前に立ったとき、苦しみや悩みを超越出来る共感を、ちょっとでも与えることのできる作品。そうした仕事を私はいつも考えているんですよ。

* 愛知県立芸術大学日本画科主任教授として
古典の模写など伝統に学ぶこと、形骸化に陥ることなく大胆な発想を持つように新鮮で活力に満ちたものにすることを二本の柱とする。

* 中島清之画集に寄せて
一生かけて立派な作品をつくるために勉強しなさいと、顔を合わせるたびに御注意下さった。・・・絵は一生かけて勉強するもの、入落など関係なし、地位名誉も関係なし、ひたすらに自分の力をたくわえなさいとおっしゃった。

* 小林古径先生から
「ゲテモノだけど紙一重で、いいところまで行ける。紙一重を越えるまで、なぜ勉強しないか」という言葉が、私の魂に深くふれ、私の今後の道を教えるものとなった。

電車に乗ると、いろんな人の顔を見る。どんな人生を送ってきたか、どんな未来を送るか、すべて顔に出る。 (というようなことが書いてありました。これは、私が概略のみメモ)

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 じっくり見た後、再び神社を通って駅の方へ。道路を挟んで信号待ちをしている人が、こちらを見てニコニコしています。なんと、元同僚のNさん(隣の席でした。ちなみに夫との縁も隣の席から)でした。Nさんとは、昨秋、彼岸花を見に出かけた時にも、偶然会ったのですが、今回も同じ目的の美術展でした。例によってお土産にパンを買い、昼食をと思ったのですが、ケーキ屋さんばかり…。

仕方なく、特急の止まる隣の阪急岡本駅へ。駅前のレトロな喫茶店で手づくりランチをいただき、せっかくなのでお洒落な岡本の商店街をブラブラしていたら、またもやお囃子の音。音につられて大きな通り(JR摂津本山駅北側山手幹線)まで行くと、歩行者天国になっていて、次々と地車がひかれて来るではありませんか。えっ!さっきの?まさか?
こちらも帰宅後ネットで調べたら、本山だんじりパレードとあり、12:30から14:30まで大通りを10基の地車が練り歩くとのこと。運のいいことに、二ヶ所で見ることができたのでした。おまけに駅まで帰る途中、狭い商店街を保久良神社に戻る地車が目の前を通り、感激もひときわでした。

 思いがけない出会いって、ほんとにワクワクしますね。とってもステキな一日となりましたが、反省点一つ。たとえ絵を見るだけであっても、どんな出会いがあるかわからないから、カメラを持って出かけること!

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季節の詩歌(28)~若葉・新樹・新緑~
 俳句雑誌「空」42号(2012年4月)に載せていただいた拙文です。
   お時間の余裕のあるときにでも読んで頂けると、嬉しいです。

季節の詩歌(28)~若葉・新樹・新緑~

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花よりも若葉かしこし吉野山     石塚 友二

桜の花にはもちろん心惹かれるが、義姉が亡くなった四年前の春から、この句にあるように「花よりも若葉」と感じることが多くなった。それまでも春には、母、姉、妹と早くに亡くしたが、私が若かったせいか、「花よりも若葉」とは思わなかった。年を経てからの義姉の死は、実姉のように慕っていたこともあって、その時の桜の花が心底淋しく思われた。花の季節が終わり、萌え出た若葉に自分でも驚くほど励まされたのは、そこに長く続く命を感じたからである。私にとって、若葉はまさに「かしこし」、つまり「もったいなく、すばらしいもの」である。桜で有名な吉野山であるが、莟から落花まで人々の心は慌しく、山は騒がしい。ようやく静寂の戻った山で、若葉を前にした作者の感慨は深く、長い思索に浸ったことだろう。

若楓枝を平らにうち重ね       富安 風生

川しもに端枝ひろぐる若楓癒えかてぬ身の目見(まみ)にけぶらふ        吉野 秀雄

ところで、春の桜花に対して秋は紅葉、なかでも楓は注目を集めるが、季語においても楓の若葉には「若楓」という特別な言葉が用意されている。水辺を好む楓は、川や池の畔で見かけることが多い。この句も歌も、遮るもののない場所で伸びやかに枝を広げ、五月の風に枝全体がゆさゆさと揺れる楓の様が思われて、心地よい。瑞々しく柔らかな緑がけぶるように見える様は、病の癒えぬ身にとって、尚更、生命感にあふれ眩しい存在であったろう。若葉は、見る者に元気を与えてくれるが、なかでも柿若葉の新鮮な緑は、際立って明るく爽やかである。

柿若葉重なりもして透くみどり    富安 風生

枝伸びて廂におよぶ柿わか葉濡るるかと見ゆその若き照(てり)          窪田 空穂

この頃は農村の高齢化で、晩秋になっても採られないままの柿の実も多く、他人事ながら心配になる。が、春の連休に遠出をした折など、遠目にも鮮やかな柿若葉を見ると、心が浮き立ってくる。太陽光を透かす美しさ、日に照る輝き、大きくシンプルな葉の形、どれをとっても若葉の王者と言えよう。遠出はせずとも、自宅の庭、公園、学校など身近な所にある若葉も、もちろん魅力的である。

借景は空でありけり庭若葉      宮地 玲子

庭に、仰ぎ見るような大きな木があるのだろうか、それとも、背景に空間が広がるのだろうか。「借景は空」という表現が、大らかで夢があり、若葉にふさわしく思われる。次の歌は、公園の芝生の上だろう、槻(欅の古名)の木の下で、若葉の光の滴りを浴びるかのように、並び坐る二人。使われている言葉の一つ一つもそうだが、情景を想像しても幸福感でいっぱいになる。若葉には、祝祭の気分がある。

槻若葉かがよふ芝に坐りをれば二人あることに心充ちゆく             篠 弘

遠目にも母校の樟の若葉かな      石黒 節子

若葉風講義の室に吹き入りて骨骼標本をかすかに鳴らす              石川 恭子

樟は五十メートルを超えることもある常緑高木で、寺社のシンボルツリーであったりする。常緑だが、春に新しい葉が出ると、前年の葉は落ちる。この句の樟も、遠くからそれと知れる立派さなのであろう。明るい緑の若葉に重ね、学生の頃の初々しい気持ちや出来事を、作者は思い出しているに違いない。歌のような情景も、その一つであろう。新しい学年で、まだいくらかの緊張感をはらむ教室、そこに若葉を通り抜けた風が吹き入り、骨格標本が硬く小さい音を立てる。思わず窓の外に目をやった作者は、視界に入った若葉に心が揺れたのではないか。触覚・嗅覚・聴覚・視覚で受け取った、初夏の季節感はいくつになっても忘れることはない。どこにも行かない木と結びついた思い出は、一層確かである。

傘にすけて擦りゆく雨の若葉かな    杉田 久女

傘さしてほどなく畳む細きあめ梢の若葉を発光させつ               島田 幸典

窓そとにしげる若葉はおもひきり雨のしづくをふるふ音する            佐藤佐太郎

植物は、雨が好きである。なかでも葉は、雨に打たれると嬉しげである。「傘に擦りゆく」のを、作者も楽しんでいるふうなのは、若葉の軽やかさゆえ。作者と若葉が共鳴し交歓しているようで、心地いい句だ。僅かな雨に濡れた若葉が、瑞々しさを増して輝く様子を詠んだ歌には、美を発見した作者の喜びがある。佐太郎の歌は、「雨のしづくをふるふ音」に、若葉の勢い、力強さ、これから伸びてゆくものの元気な生命力が集約されていて、言葉の力を思う。

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今まで葉に注目した季語「若葉」を含む詩歌を見てきたが、木の佇まいに焦点を絞った季語に「新樹」がある。「樹(じゅ)」という音のせいだろうか、私はまず、街路樹の新樹を思い浮かべた。

夜の新樹詩の行間をゆくごとし     鷹羽 狩行

都会の街路樹が若葉の頃というのは、歩くのにいちばん気持ちのいい季節だ。街灯を透かして、若葉の色の明るさにも目が行くだろうが、昼間ほどではない。それより、樹々の間を抜ける風や若葉の新しい匂いが心地よく、ゆったりと歩くことを楽しみたい。それがちょうど「詩の行間」を味わうようで、この心身のゆとりが、とてもいいと思うのだ。

この新樹月光さへも重しとす      山口 青邨

淡い若葉の色が透けて見え、守ってやりたいような稚さを感じているのだろう。昼間の強い太陽光は言うまでもなく、静かに降り注ぐ月光ですら重いのだという、作者の感受性は繊細だ。次の二句にも、小さな変化を見逃さない作者の細やかな感性が表れて、新樹の清々しい気が漂う。

夕空に新樹の色のそよぎあり      深見けん二

新樹はや匂へる風の渡るなり      鏑木 洋子

「そよそよと音をたてる」様子を「そよぐ」と言うが、この句では「色のそよぎ」と表現することで、目と耳両方に優しく柔らかい情景を印象付けた。背景が夕空であることが、この穏やかな場をさらに美しいものにしている。二句目は、まだ芽吹いて間のない若葉が、一人前に木の香りを発していることを、風の中に感じ取った句である。作者の驚きと喜びが、「はや」という修飾語から知れる。木々が発散する香りはフィトンチッドと呼ばれ、新緑の頃がいちばん発散量が多いそうだ。

新樹とふ空にたばしる水の群れ萌ゆる嫩葉(わかば)となりて噴き上ぐ       沢田 英史

「水の群れ」という捉え方が新鮮だ。人間も生まれた時がいちばん水分が多い。若葉もそうなのだ。新しい命を空に向かってつき上げてゆく様は、勢いがあって「たばしる」という言葉も実にふさわしい。新樹の、上へと伸びる力強さを見事に表現したこの歌は、読む者に未来への勇気をくれる。次の二首に、「新樹」という語は使われていないが、「一本の木」として捉えてあり、先の歌と通ずるところがある。

ここを動かず五月の空に立つ欅一処(いつしよ)の生(せい)の輝き降らす       橋本 喜典

もうすでにきみの一生(ひとよ)はをはりぬと若葉を吹けるこの大欅           前 登志夫 

冬の間すっかり葉を落とし美しい樹形を空に広げる欅が、私は大好きだ。春が近付くと、幹がほんのり赤みを帯び、新しい命の誕生を準備しているようであるのも、好ましい。柔らかな色の葉が萌え出で、若葉が噴出するように出そろうと、私の喜びは頂点に達する。もう何年も見ている欅が、毎年新たな「生の輝き」をくれる。

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「若葉」「新樹」より少し新しい季語に「新緑」がある。若葉におおわれた野山など、広がりが感じられる場面や雰囲気を表す場合によく使われている。

新緑の浅間雪なく雲もなし       水原秋櫻子

からまつの新緑想う恋のごと      窪田 久美

新緑の浅間山には一切の残雪がなく、くまなく晴れた青空が広がっている。爽やかな五月を象徴するような秋櫻子の句である。また、この時期、信州の高原に出かけると、新緑のからまつ林の美しさに心を奪われる。一度この風景を目にすると、この句のように「新緑」に「恋」をしてしまうのだ。

新緑やまた水楢(みづなら)に歩をとゞめ       佐野青陽人

新緑の樟(くす)よ椎(しひ)よと打仰ぐ         高木 晴子

新緑の雑木林をのんびり散策している時の、満ち足りた気分がよく出ている両句である。落葉高木の水楢、常緑高木の樟、椎、いずれも春に、淡く新鮮な緑の若葉を生じ、見上げる我々の心を軽快にしてくれる。若葉の色のみならず、光合成による清浄な空気、しっとりと体を包む湿り気、馥郁たる木々の香り、木漏れ日、これらの澄明な気に満ちた林は、森林浴に最適である。言葉によるイメージの森も素敵だけれど、新緑の季節は、やはり外に出かけ、自然の力を体ごと受けとめたい。

新緑の低き庭木にさす朝日ひかりとかげの濃き綾を織る              窪田 空穂

新緑の朝なりおぼろに霧らひつつ日高く照れりおほけなきかなや         前川佐美雄

最後の二首は、作者がふだん暮らしている身近な場所で目にした新緑である。どちらの歌にも、空気の爽やかな朝の時間帯に、ゆっくりと新緑と向かい合っている作者がいる。「おほけなき」は「恐れ多い、もったいない」という意味の古語で、本文冒頭の「かしこし」に通じる、自然への畏敬の念に溢れた言葉である。豊かな恵みを育む、木の偉大さを思う。


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           写真はすべて、家の近くで、4月末に撮影しました。

テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年1月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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