心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(30)~原爆を知る~
 次々と形を変える雲が魅力的で、空から目が離せないこの頃です。
パソコンも夏バテでしょうか?なんだか安定せず、ドキドキしながらの更新です。
パソコンがこんなわけで、ブログの訪問もできず、本の紹介もできず、ごめんなさい。
今回は、2か月前に書いて、今月号の「空」誌44号に掲載していただいた拙文です。

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季節の詩歌(30)~原爆を知る~
               
「善良な人が沈黙すると、悪がはびこる」ということわざが西洋にあるそうだ。この度の大飯原発再稼働の政府決定に、私は愕然とした。安全優先の世論が、経済優先の政府を動かせなかった。善良な人々の声が足りなかったのである。私の脳裏に、太平洋戦争へと突入していった歴史が二重写しになった。広島・長崎と、過去に原爆で大きな被害を出している国が、更なる誤ちを犯そうとしている。福島原発の大事故を経て尚、この現実である。直接経験していないから、知らないからと、黙っていてはいけない。過去の惨劇を知り、表現する努力をしなくてはいけないと、改めて原爆に関する本を読み直した。

広島平和記念公園に峠三吉『原爆詩集』の序「にんげんをかえせ」の詩碑があるが、それらの詩の発表が難しい時代があった。一九五二年、「原爆」という語の使用がようやく認められ、丸木位里・俊によって描かれた「原爆の図」が公表された。彼らは、原爆投下の三日後に広島に入り、自らの目で見つめ、話を詳しく聞き、このような悲劇が二度とあってはならないと筆を握ったという。その絵に、広島で被爆した峠三吉が「希(ねが)い」という詩をよせている。

この異形のまえに自分を立たせ/この酷烈のまえに自分の歩みを曝させよう
頁を追って迫る声は闇よりも深く/絵より絵へとみちた涙はかわくことなく重く/まざまざとわたしはこの書中に見る/逃れていった親しい人々 死んでいった愛する人たちの顔を
むらがる裸像の無数の悶えが/心にまといつくおののきのなかで/焔の向こうによこたわったままじっと私を凝視するのは/たしかわたし自身の眼!
あゝ 歪んだ脚をのべさせ/はだかの腰を覆ってやり/にぎられた血指の一本一本を解きほぐそうとするこの心を/たれがはばみえよう
滅びゆく日本の上に新しい戦争への威嚇として/原爆の光が放たれ/国民二十数万の命を瞬時に奪った事実に対し/底深くめざめゆく憤怒をたれが圧ええよう
この図のまえに自分の歩みを誓わせ/この歴史のまえに未来を悔いあらしめぬよう


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       【ハオが怒っています】

同じく広島で被爆した原民喜は、「このことを書かなくてはならない」と、被爆後すぐ小説『夏の花』書き上げた。タイトルが最初「原子爆弾」だったこともあって、なかなか出版されなかったという。原の詩「水ヲ下サイ」は、よく知られている。次の詩は、エッセイ「戦争について」の冒頭にある。原は「原子爆弾による地球大破滅の縮図」を見ていた。

コレガ人間ナノデス / 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ / 肉体ガ恐ロシク膨脹シ / 男モ女モスベテ一ツノ型ニカエル / オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ / 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ / 「助ケテ下サイ」/ ト カ細イ 静カナ言葉 / コレガ コレガ人間ナノデス / 人間ノ顔ナノデス

一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に投下された世界で最初の核兵器=原子爆弾「リトルボーイ」は、三十万人余りの人口を抱えた都市の九十%を壊滅させ、約十四万人の死者(一九四五年末までの集計)と、ほぼ同数の「被爆者」を生み出した。未曾有の大規模な破壊・殺戮、地上に出現した「地獄」だけでなく、原爆病=放射能障害の発病を恐れ、生きながら常に「死」を意識せざるを得ない「ヒバクシャ」を大量に生じさせた。さらに、八月九日午前十一時二分、プルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎に投下した。一瞬にして、浦上川の流域から長崎湾にかけて発展してきた長崎市の大半が壊滅させられた。死者約七万人(一九四五年末までの集計)と、それとほぼ同数の「被爆者」を生み出した。

本により、数値に差異があるため、これらは、黒古一夫・清水博義編『原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』より引用した。戦後、日本を占領した連合軍が、原爆報道を厳しく制限したため、日本国民が被爆の悲惨を初めて知ったのは、被爆から七年後の「アサヒグラフ」によってであったともある。また、一九七〇年のNHK広島の放映がきっかけとなり、市民の手で原爆の絵が残された。無名の市民が「涙をぼろぼろこぼし、残酷、残酷と心で叫びながら描いた」『原爆の絵』である。生きながらの地獄を、辛く苦しい思いで描いた人の「死者たちに描かされているのだと思いました。」という言葉には、残酷な原爆への強い怒りと、亡くなった人たちへの深い優しさがある。この惨状を伝えなくてはと、写真、絵、文章で、残してくれた人たちの必死の努力と身を削る思いに、私たちは応えなくてはならない。

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       【ミューが固まっています】

長崎医科大学で被爆した放射線科の医師、永井隆博士は、自ら重傷の身ながら、献身的に被爆者の治療にあたった。後半生を原爆病の研究に捧げる一方、被爆記録『長崎の鐘』、随筆『この子を残して』など平和を希求したたくさんの文章を残し、二畳敷きの如己堂で、二人の子とともに過ごし書き続けた。彼の深くて広い愛を、伝えていかなくてはと思う。生存年数が限られた永井博士は、毎日が命懸けだった。

一方、長崎での被爆体験を文学表現に結晶するまでに、長い時間が必要だった人たちもいる。いや命があれば、誰しもそうであろう。長崎で被爆した林京子は、被爆から三十年後に小説『祭りの場』を書いた。「あの日だけの破壊ではなく、被爆者に負の遺産を背負わせ続ける原爆」を書き残しておかなくてはと思ってのことだ。竹山広の歌集『とこしへの川』も三十五年後に出された。竹山は長崎で生まれ育ち、肺結核で入院していた長崎市内の病院で被爆した。退院予定日の八月九日、迎えに来てくれるはずだった兄を原爆で喪ったという。

パンツ一枚着しのみの兄よ炎天に火立ちひびきて燃え給ふなり  竹山 広

原爆忌熱い熱いと絵が叫ぶ     久次米睦子

原爆に影のみ遺したりし人の魂のかたちこの石の影       佐藤輝子 

きざはしの影のいのちの原爆忌    西村 純


閃光と衝撃波及び爆風によって、一瞬にして破壊された建物。瓦礫の下敷きになり即死した人、広がる火災により焼死した人々。強烈な熱線は、全身の水分を蒸発させ、体の炭化、重度の火傷で人々を殺した。爆風と熱線による大火に追われた傷だらけの人々は、水を求めながら亡くなっていった。

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くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川   竹山 広

暑き夜の底あらはなる被爆川    荒井千佐代

潮の香の川のぞきこむ原爆忌     柿沼盟子


長崎の浦上川も広島の元安川も海に注ぐ川である。被爆者の多くが、焼け爛れた体の痛みに耐えかね川に入り、悲痛な叫び声をあげていたという。

この坂のここにこときれゆきたりしひとつの顔をのがれつづけつ   竹山 広

医学部の被爆遺構よ曼珠沙華    荒井千佐代

原爆忌舗装いちまい下は土      鳳 蛮華


たとえ表面は塗り固められ整えられても、その場所に、目を覆う惨状が広がっていたのだ。直接体験しなくても、想像力が痛みを追体験させる。

知られざる知るをし得ざる一瞬の死を炎炎とひと日葬りつ     竹山 広

原爆忌路面電車のゆらめき来     西村和子

原爆忌一つ吊輪に数多の手      山崎ひさを


爆心地を通過していた路面電車は、炎上したまま、吊輪を握った遺骸を乗せしばらく走ったそうだ。

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被爆三十一年を生き得たる身にビールの冷えのあさましく沁む    竹山 広

舌やれば口辺鹹し原爆忌      伊丹三樹彦

原爆忌朝より父母の無口なる    川嵜千恵子

老いづけば原爆の惨おのれより言はむとせざりし姑のこころよ     扇畑利枝 


自らも十分に傷ついたのであるが、それでもなお生き残った者としての苦い思い、普通に生活することの申し訳なさを感じてしまう人々。それは、原爆を、戦争を、経験した故に、逃れられない悲しさだ。

原爆ドーム街にし立てり生ける者の傍らに死者寄り添ふを見ずや    石川恭子

原爆地子がかげろふに消えゆけり   石原八束

裁かるるものは誰かと崩れつつ原爆ドームは烈日に立つ     田中 要 


被爆の象徴として残る原爆ドームは、無念、怨念の渦巻く場所である。訳も分からず殺された人たちの怒り、悲惨な状況に陥れられた恐怖や憤りは決して消えない。その思いに寄り添える自分でありたい。

写真屋が笑えと言いて笑わざる顔一つあり原爆碑の前      橋本喜典 

地より灼け天より灼くる原爆碑   長谷川閑乙


ここに、被爆者、被爆地の痛みを我がことと捉えた作品のあることが、ありがたい。

原爆を落としし国に随ひて安らぐ空かかすみたなびく      斎藤祥郎 

一分の黙祷で済ます原爆忌     高山たんぼ


原爆を日本に投下したアメリカは、核の平和利用として原子力発電を推し進めた。安全神話と共に日本が受け入れたそれは、軍事転用の危険性も持つ、危うい存在である。アメリカの言うことに随う国、原爆体験が風化しつつある現状に、危惧を覚えた短歌と俳句である。私たちは、忘れてはいけない。

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紹介しきれなかった井伏鱒二著『黒い雨』、大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』、中沢啓治作漫画『はだしのゲン』に加え、被爆者でも被爆二世でもない四十代のこうの史代が、広島の原爆を描いた漫画『夕凪の街 桜の国』を最後に加えておきたい。「原爆から無縁でいようとしていた自分を、無責任で不自然だと心のどこかで感じていた」作者が、「まんがを描く手に勇気を与えられ」完成させた名作である。


テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

心に響く風景‐ふるさとの夏
 お久しぶりです。パソコンの具合が悪く、7月31日から8月10日まで修理に出していました。

 8月8日・9日と1泊2日で、ふるさと愛媛に帰って懐かしい級友たちに会ってきました。

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 瀬戸大橋を渡れば、ふるさとまではあと一息。7:30大阪発で13:00内子着。昔は船で半日…。

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 愛媛県内子町の笹祭り最終日。奥が昔住んでいた家。手前は築百年を越え登録重要文化財。

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 「にぎたづ」短歌会の主宰でもあった歌人(亡)久保斉氏のご実家。

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       児童館や保育園など、子供たちの手作りの笹が可愛い。

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       キャラクターものが、子供たちを喜ばせる。

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 この近くにある実家のお墓に寄って、お参りをした。
 「いつも守ってくれてありがとう。元気にしています。」

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 改修工事の終わった上芳我邸。ここで同級生のI君と合流。
 同じく改修工事完了の重要文化財O君宅に案内してもらう。
 (偶然同じ日のO君のブログに、邸宅の写真発見!)
 I君には、忙しい中、またまたお世話になってしまう。感謝!

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 中学時代、毎朝通った道。右に曲がり石段を登ると神社がある。
 泣きたいときに百段登って、町を見下ろすと、すっきりした。
 「丘に登って下界を見ると…」って歌が、拓郎にあったな。

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 泊まった東急イン松山の近くにある萬翠荘と無料巡回バス。
 前の夜は、午前零時過ぎまで飲んだり喋ったり歌ったり…。
 同級生のいいところは、一瞬にして40年前に戻れるところ。
 みんな、ありがとう!たまっていたストレスが飛びました!
 次回は、もう少しちゃんと歌えるように準備しておきます!

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 松山城に上るロープウェイ乗り場。
 大街道からここまでの商店街、石畳で情緒があっていいですよ。空を仰げるのが嬉しい。

 ふるさとでの時間が、嬉しい気持ちをたっぷり残してくれました。

小学生時代の夏休み最大のイベントは、ここでご紹介した笹祭りでした。早朝のラジオ体操から戻り一眠りすると(虚弱体質で、体操だけで疲れていました…)、家内工業か内職のように笹飾り作りが始まります。12畳の部屋が、出来上がった飾りでどんどん占領されていき、今年はどんな賞が取れるかなと期待に胸が膨らみます。我が家も含めたご近所四軒が特に熱心で、華やかな飾りが注目を集め、町内に豪華な笹飾りが広まっていったと記憶しています。それが廃れないまま50年以上続いていることに、今回ほっとしましたが、同時にこの不況で経済的な負担も大きいだろうなと心配でもあります。
当時も、笹飾りをしたから、お客さんが増え儲かるという訳でもなかったのですが、お客さんに喜んでもらったりほめてもらったりするのは、子ども心にも嬉しいものでした。家族でアイデアを出し(七夕の終わった日から、もう来年の相談をしていました。)皆で作り上げていく過程は、とても楽しいもので、特に、大きな竹を伐ってきたり竹を割いて飾りの枠を作ったりする父の姿は頼もしくて、嬉しい存在でした。8月6・7・8日のうち、一日は笹飾りの下を踊りの列が通ります。七夕が近付くと、夜に皆が公民館に集まって、踊りの練習をします。今も、7日に踊りの列がにぎわっているようです。次回は、こちらも見られるように帰りたいなと思います。

                どうかずっとふるさとの町が元気でありますように。

テーマ:ちょこっとお出かけ写真 - ジャンル:写真



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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