心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(36)~泳ぎ子~
 バタバタしていて、「空」誌8月号に載せていただいている拙文のアップを忘れていました。
本当は、水辺の風景と共にと思っていましたが、今年は水害がすさまじく、とてもそのような気分になれませんので、先日撮った夕焼けの写真と共にアップします。もう夏は終わってしまいましたが…。

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季節の詩歌(36)~泳ぎ子~

 夏が好きである。とはいえ、近年の酷暑には、やせ我慢で言い続けているような気がしないでもない。夏が好きな理由は、夏休みという自由で開放的な時間があるからというのが一番。水に最も親しい季節だからというが二番。その二つを合わせ持つ自然の中での泳ぎは、私にとって夏そのものと言える。

泳ぎ子に西日まだある河原かな   嶋田 青峰

 まだ町にも学校にもプールのなかった時代、七月になると、河原に更衣のための小屋が建てられ、地域の親が当番で監視をしてくれた。「時間だから上がりなさいよー」という声が聞こえても、まだ陽ざしの明るい川から、子どもたちはなかなか上がってこない。親も無理矢理従わせなかったのは、子どもたちが楽しそうに泳いでいたからだろう。

泳ぎ子の投かけ衣葛の上      松本たかし

渓流を泳ぎ耳の水ふり落とす    中  拓夫

 家から河原まで走ってきた子たちの服の下は、すでに水着に着替えてある。小屋まで行って、脱いだ服を置くのももどかしく、手ごろな高さに育った葛の上に放り投げて、われ先に水の中に入っていくのである。泳ぎ終えてからも、片足ずつジャンプしながら耳の中の水を振り落とす。出きらない時は、河原の熱い石を耳に当てるのも、また楽しい。夏の子どもは、体全体がバネになったように躍動している。

 愛媛の盆地に育った私にとって、毎年バスを仕立てて町内会で出かける海水浴は、夏休みの一大イベントであった。親と遊びに出かけることなど、ほとんどなかった時代であるから、喜びも大きかった。

胴体にはめて浮輪を買つてくる   辻  桃子

一年前の浮き輪は、成長の速い子どもにはきつく、空気の漏れも心配だった。いつもの川と違って、慣れない海は怖いと親も思っていたのだろう、これだけはすぐに新しいのを買ってくれた。買った浮き輪を胴体にはめた時から、子どもの海水浴は始まっている。海水浴場へ行くと、有料の大きなタイヤの浮き輪があり、結局それを借りたりもしたのだが。

泣きながら泳がせられてゐる子かな 高橋すゝむ

海は塩分があり体が浮きやすいので、海で泳げるようになる子は多い。しかし、子どもにとっては広くて得体の知れない海。それだけで不安なところにもってきて、めったに子どもと過ごすチャンスのない父親が、何としても泳げるようにしてやりたいと、必死の構えである。恐怖で固くなった子の体は、水の抵抗を受けるばかりで、泣かずにはいられない。その点、母親は、気負いのない分、優しく温かだ。

日傘の母に見せる 少年遠く泳ぎ  伊丹 公子

 親たちは大抵、テントや日傘、海の家の中から、事故の起こらないよう念じつつ子どもたちを見ている。目が離せないのである。子どもも親の視線を感じているから、安心しながら泳げると同時に、遠くまで泳げるようになった自分を見てほしいと思う。

泳ぎより歩行に移るその境     山口 誓子

沖の方から海岸に向かって泳いでくる時、足が砂地に触れる瞬間がある。ああ、もう足が立つんだという安心感と、バタ足より歩く方が早いと分かり、泳ぐのを止める少し残念な気持ち、「その境」の感触を、五十年経った今も、足が覚えている。

泳ぎ来し吾子は水より冷えてゐし  角川 春樹

くちびるを先立て来たり遠泳子   能村登四郎

子どもの時に遊んだ海は、汽水域が近く水温が低かったため、私の唇はすぐ紫になり遠くへは行けなかった。南国の海でも、長時間海に浸かっていると、体の芯から冷えてくる。まして、キロ単位の距離を行く遠泳は、心身の緊張と疲労が半端ではない。体力を消耗して冷え切った体を象徴するように、唇を尖らせぶるぶると震わせている子どもが、愛おしい。

泳ぎたる子の髪風に乾きつつ揺れつつ杳き海の香がする      二上 初子

泳ぎ終え陸に上がった子の横で、自分の知らない「杳き海」に触れてきた子の想いに寄り添っている。風に揺れ乾いていく情景と母親の心情が印象的だ。私の母は、町内会の母親の中で一番年上だったが、無邪気さが人一倍あり、他家のお母さんたちのように海岸で子を待つことなく、泳ぎを楽しんでいた。

女すぐをさなき眉目となり泳ぐ     後藤 夜半

潮浴びのルージュなき顔かがやかす   上村 占魚

汀長し胸より乾く海水着        高倉 和子

 子どもなりに、山育ちの母が泳ぐ姿は可愛らしく、また、誇らしくも思えた。化粧が落ちた顔も生き生きとしており、日頃の病弱な様子を忘れさせてくれた。濡れた水着は、膨らんだ胸の辺りから乾き、へこんだ臍の部分が最後に残ることにも、気づいた。一方、父は父で、髪の薄くなった頭にタオルを巻き付け、遠くへ遠くへ泳いでいく。軍隊で覚えたのだろうか、立ち泳ぎや横泳ぎが得意であった。

立ち泳ぎしては沖見る沖とほし     福永 耕二

戦争を知っている海泳ぐなり      佐々木耕之介

だんだんと切なくなりし立泳ぎ     山本 左門

五十歳になっていた父が、その時どんな思いで泳いでいたのか、聞いておけばよかったと思う。

愛されずして沖遠く泳ぐなり      藤田 湘子

ひた泳ぐ自由は少し塩辛い       櫂 未知子

ただ涼しいとか気持ちいいとかだけではなく、「遠く泳ぐ」「ひた泳ぐ」人は、自らの内面と対話しながら泳ぎ進んでいるのではないだろうか。時には、海の中の生き物のことなども思いつつ。

黒鯛の上ゆるゆると遠泳す       平畑 静塔

たましひのいたるところに泳ぎつく   松澤  昭

泳ぎつかれ水よりあがり来し友の笑みて寄り来る肩すぼめつつ      大岡  博

遠く泳いだ後、父は何かを振り捨ててきたようにすっきりした顔をしていた。一人気ままな遠泳ぎではなく、団体での遠泳となると、そうはいかない。

遠泳の裏も表もなく戻る         高倉 和子

遠泳の誰も敗者のごと戻る       柴田佐知子

遠泳の終りは海を曳き歩む       柴田佐知子

遠泳のひとりづつ打ち上げられし    柴田佐知子

遠泳を終え海辺に戻って来た時の泳者の様子を、巧みな表現で映像化した句群である。力を限界まで出し切った肉体の、ぞろりとした重さを感じさせる。

日本で避暑、スポーツとして最初の有料海水浴場が出現した一八八四年以後、長年、夏のレジャーとして親しまれてきた海水浴だが、地球環境の破壊とともに、人気に翳りが出てきた。太陽光線による皮膚がんの恐れが言われ、人々が日焼けや強い日差しを避けるようになってきたからだ。今や、泳ぎといえばプールが主流。自然の石や砂が
足に触れると気持ち悪いとか、水中の生き物が怖いなどと言う人もあり、川・海の好きな私は複雑な心境である。

泳ぎゆくプールの底にゆらめきし消毒剤の白き固形は         吉川 宏志

屋内プール耳沈めれば微かなる金属音に水震へをり          万造寺ようこ

人工的な波や流れを造ることはできるが、自浄作用のないプールは、消毒や水の循環を、薬剤や機械の力に頼るしかない。この二首は写実的な表現の中に、作者の人工的な物に対する違和感が出ていて、未来への不安感をも感じられる。そして、このように感覚が研ぎ澄まされるのは、次の歌のように、水の中で孤独が際立つからであろうと思われる。

ものは皆見えわたりかつ隔たりてつねにひとりと思ふ水中       古谷 智子
次の句は、プールではないかもしれないが、「水底」というものに対する感慨があり、共感を覚える。

水底(みなそこ)にあるわが影に潜(もぐ)りちかづく  篠原  梵

熱い耳潜る プールの底は 多彩    伊丹 公子

明るい色で塗られたプールの底は、光を乱反射させ美しく、地上の暑さや喧騒をしばし忘れさせる。

プールには雨降りながら雨にのみ体は濡れてゆくここちする        永田  紅

どうすれば気持いいかとあふむけに浮かべるわれは陽をのせる舟     万造寺ようこ

背泳ぎの空のだんだんおそろしく    石田 響子

仰向けに夜のプールに泳ぎをり     森重  昭

 雨か晴れか、昼か夜か、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ、ただ浮かぶだけ、それぞれに特別な時間がある。

女身濡れてプール出づるを羨望す    草間 時彦

(なめ)されて艶もつ体泳ぎたるあとの火照りを曳きつつ歩む         古谷 智子

 濡れつつも火照りを持つ体は、人の中の動物本能を甦らせ、力強く野生的で魅力がある。

クロールを泳ぎながらに人はみな顔ひらきざま大き口あく        荒家 信一

追憶のもつとも明るきひとつにてま夏弟のドルフィンキック       今野 寿美

のちの世に手触れてもどりくるごとくターンせりプールの日影のあたり  大松 達知

プールへと飛び込むきはの手を伸べて孤独なり人もプールの水も     三井 ゆき

 観る立場で詠まれた歌群。冷静な観察の一首目はテレビ観戦だろうか、二首目は結句によって映画の一場面のように感じられる。三、四首目には、作者の感情が微妙に反映され、読者への説得力がある。

水泳を終へし少女のからだより水の流れが教室にくる         万造寺ようこ

水泳の授業の後は、教室が水の匂いで満たされて涼しい空気が流れる。「水の流れ」が言い得て妙だ。

夏の日です プールの匂いの末子がかえる   伊丹 公子

プールの昼餉腹と胸とで呼吸しつつ       中村草田男
 
泳ぐ子と静かな親の森のプール         金子 兜太

親と子の幸せな夏の情景が、プールとともにある三句である。元気に泳ぐ子どもと、それを嬉しい気持ちで受け止めている親の心情が言外に溢れ、しみじみとした喜びに浸ることができる。
 
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テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

手作りが好き!-息子の手料理
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 【9月5日の夕空/長い長い飛行機雲で、レンズ内に入りきれませんでした…】

 週1回は、次男が夕食を(買い物も)作ってくれます。
だいたい次の3パターンの繰り返しですが、時間ができたら、また新しいメニューが出てくるかと期待しています。私と違って「手抜きの仕方」を知らないので、香辛料など使って、なかなか本格的で、ついついワインに手がのびてしまいます。

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 【マーボなすと豆腐(ショウガが効いています。)/アボカドや水菜のサラダ】

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【ビーンズ入りカレーにオリーブオイルで炒めた夏野菜(もっと種類の多い時に撮ればよかった…)をのせて】
 
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 【イワシ缶・ズッキーニ・トマト・ナスのグラタン/ブロッコリーとアボガド(彼の好物)、トマト、ゆで卵のサラダ/ビシソワーズスープ】

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【9月4日の夕焼け/夢中になって西ばかり撮っていたのですが、東には二重虹が出ていたそうです。翌日、知りました…。】

テーマ:料理 - ジャンル:趣味・実用



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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