心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(38)-帽子の中
 光が少しずつ春めいてきました。「空」誌に掲載いただいている拙文です。

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季節の詩歌(38)~帽子の中~
               
数年前に山口を旅行した折、湯田温泉の「西村屋」に泊まった。種田山頭火がお世話になったり、中原中也が結婚式を挙げたりした老舗の旅館である。あいにく休館日だったが、近くに中也記念館があった。

いま脱ぎて置かれしごとく軟らかしケースのなかの中也の帽子           中西 輝磨

私も青春時代に中也の詩に出会い心惹かれたが、あの帽子の、若くて美しい中也像も魅力的だった。大岡昇平のエッセイ「詩人と写真」に、中也の帽子に関する面白い文章があった。一部引用したい。

「現在中也像として最もポピュラーなお釜帽子の肖像写真」は「大正十四~五年、十八~九歳と推定、銀座の有名な写真館でとった。」ものである。「お釜帽子と当時いわれたのは、黒いソフトのてっぺんを平らにつぶしたもの」で、「短頭であった中原にはこの方がかぶり易かった。」という。「彼は詩人としてポーズしている。詩をやろう、と方針をきめた時、とったものと思われる。そしてこの写真は彼の代表的写真となり、十二分にその目的を果した。」

帽子が単に防寒とかの用途だけではなく、生き方や人物をも象徴するというのは、興味深い。

遠目にも夫とわかりし冬帽子    松本 蓉子

人込にまぎれざる師の冬帽子    中里 カヨ

同門のよしみも古りぬ冬帽子    細見 綾子

長い付き合いの中で見慣れ、その人そのものと思われる帽子。夫、師、同門、どの句にも、親しい間柄が感じられ温かいのは、フェルトなどで作られた「冬帽子」の暖かく軟らかい質感も影響している。それだけに、遺品となった冬帽には、深い思いが宿る。形見の冬帽子を、きまりのように被る作者もまた、逝った人への尊敬の念や強い気持ちを抱いているのだと、体の一番上に載せるものだけに、思う。

見覚えの冬帽もまた遺品なり    大橋 敦子

規矩の如冠す形見の冬帽子     醍醐 育宏


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昔の写真では、ソフト帽や鳥打ち帽を被った男性や、クロッシェ型の帽子の女性を見ることが多いが、この頃は、髪型の崩れるのを厭うせいか、ニットキャップの若者を見かけるぐらいだ。冬帽子を被った時の安心感は捨て難いものがあるので、少々残念だ。

冬帽子かぶりて口の重くなり    黒木 純子

人こばむごとく目深に冬帽子    荒川 香代

天鵞絨(ビロード)の帽子目深にかぶるとき隠れ蓑に似るこころやすらぎ      宮 英子

冬帽子まぶかにかむりポストまで凍てし坂道蟹歩きして            西垣田鶴子

心が傷ついて誰にも会いたくない時、疲れていて喋りたくない時、素の自分を曝したくない時、そんな時が誰にもある。それならば、家にじっとしておればよさそうなものだが、強いて外に出ることで、そんな自分の孤独と対峙したいのだ。つくづく人間は厄介で面白い生きものだと思う。

冬帽のをとこの真顔みたりけり   柴田白葉女

けふを生く険しさ眉に冬帽子    篠田悌二郎
赤茶けし帽子ひとつに悲しみをあつめしごときさびしき男           前田 夕暮

表情を隠してくれているという安心感で、無防備になっている帽子の下の顔。しかし、それは逆に、人の好奇心を刺激し注視されるのかもしれない。

冬帽子とコートに軽き音を立て時雨は坂を濡らし過ぎたり           田附 昭二

時雨れていても焦ることなく、帽子とコートで身を鎧う作者は、案外この雨を楽しんでいるのかもしれないのだが、他者に見える姿はそうではない。そんなことも、次の句に思うのである。

何求(と)めて冬帽行くや切通し    角川 源義

人よりも後れて歩む冬帽子     秋元きみ子

寒い中をわざわざ一人歩む姿は、孤独を知っている者にとって、自分自身を見るような気がして、心を重ねてしまうのではないだろうか。


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ところで、帽子の効用の一つ「自己を消す」は、別の角度から見ると、中也がしたように「新しい自己」を創りだすことでもある。人気漫画家の手塚治虫や藤子・F・不二雄のトレードマークは、ベレー帽だったが、私が毎月出かける俳句サロンの主も、そうである。

ベレーはみ出る白鬢 神戸でなら死にたい     伊丹三樹彦

西洋文化のあふれる港町神戸だから、ベレー帽も似合う。洋画家のベレー姿もよく見かける。俳号が俳人を作り上げていくように、ベレー帽が芸術家の意識を育て、自らに研鑽を積ませるのだと思う。つばのない帽子は、他の帽子と違って顔を露わにする。それだけに、自らを磨くことなく、自尊心だけが高い場合は、次のような恐ろしい歌を賜ることとなる。

オポチュニストと低く呟きふり返るベレーかぶれる彼の背後を           大西 民子

オポチュニスト(オプティミスト)とは、楽天家のこと。楽天家でいいではないかと私などは思うのだが、「低く呟き」には、作者の厳しい目がある。だからといって、委縮して自らを型にはめれば、また次のような哀しい歌となる。こんな狭い世界でかっこつけて偉そうに生きるなよ、という痛烈な皮肉にも思えるし、共感と励ましにも読める。

一枚の羽根を帽子に挿せるのみ田舎教師は飛ばない男             寺山 修司

縛りの少ない時代に生きている私たち、一度きりの生なのだから、自由を謳歌するのは悪いことではない。お気に入りの帽子を見つけ、思いきって遠くまで出かけたいものだ。

一人だけの吟行と決め冬帽子    横田 晶子

初旅をすぐに決めたる帽子かな   山田みづえ

何処へでも行ける気構へ冬帽子   大阿久雅子

俳句や短歌に親しむ私の周りには、高齢の方が多い。八十歳を過ぎる頃から皆さんそろって「足が不自由になってねえ…」と仰る。好奇心旺盛で、いろいろなものを見聞きしたい方々だけに、その悔しさは半端ではなかろうと想像する。

彷徨を許さぬ齢冬帽子       木村 蕪城

放浪の夢見し日あり冬帽子     谷口ふさ子

遠出せぬ父となりたり冬帽も    柴田佐知子
 
壁にかかっているだけの存在は、冬帽の持ち主だけでなく家族も、心配で寂しくて辛いものだ。


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くらがりに歳月を負ふ冬帽子    石原 八束

長い人生を共にしてきた帽子への愛着は、並々ならぬものがある。帽子が古びたということは、それを被ってきた自分自身も、それだけの歳月を経てきたということ。あれこれ思い出すことも多い。

手にとりて冬帽古しこと嘆ず    安住 敦

六年(むとせ)ほど日毎日毎にかぶりたる古き帽子も棄(す)てられぬかな       石川 啄木

風景は人間(ひと)のはるかなる原点 かぶらんとすれば帽子の裡側におう     糸川 雅子

嗅覚は、過去を呼び覚ます。まして自分の匂いである。動物が、自分の存在を示すため、様々な場所に匂い付けをするような、人間の原点を帽子に思う。

帽を顔に載せれば帽の内側の匂ひて苦しおのれと言ふは            森山 晴美

空つぽに満たされてゐるわが帽子冠ればゆふやみ掬ひてぬくし         上村 典子

帽子の内側には、再認識したくない自分自身が澱み、己を責めるかもしれないが、暖かい空気をためて、優しく守ってくれる存在でもある。帽子の役割は、思っているよりずっとたくさんあるのだ。

冬帽に猫を飼ひをる男かな     平井 照敏

「鍋猫」なるものの写真が流行ったことがあるが、猫は窮屈な場所が好きだ。体が直接触れる安心感があるからだろう。帽子の中で丸くなっている猫の姿と、飼い主の可愛がり方が見える一句だ。

忘れきし青き帽子の真中にて綠(あを)鳩の胃のひさかき芽ぐむ            百々登美子

「ひさかき」とは、ツバキ科の常緑小高木で、榊の代わりに枝葉を神前に捧げる、と広辞苑にある。紫黒色の球形の実を啄んだ鳩からの贈り物が、野に忘れてきてしまった帽子の中で芽生えている情景は、作者も読者も幸せにしてくれる。こんなメルヘンもいい。次の歌は、路上ライブの様子だろうか。長時間歌っても、思うほどお金が集まらないようだ。

道の上に帽子を置きて歌ふ人二時間のちにも同じ姿勢に              河﨑香南子


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最後に置いた三首は、作者の個人的な事情や社会的な背景も考えながら読むと、更に深まると思う。

引金を引くあそびなどもうやめて帽子の中の鳩放ちやれ(『魚歌』昭15)      齊藤 史

明治42年生まれの作者は、昭和11年、軍人齊藤瀏の娘として、二・二六事件に遭遇した。この歌はそれより前に詠まれているが、青年将校たちとも親交のあった作者にとって、平和を願う気持ちはひときわ強かったのではないかと感じる。

欧州の帽子の下にひとりごつ殺戮はまこときらびやかなり(『春の旋律』昭和60)  佐伯 裕子

昭和22年生まれの作者は、A級戦犯として処刑された祖父を持つ。戦後生まれの彼女であるが、個人として戦争の影から逃れることができない苦悩があったであろう。下の句にその哀しみがある。

「銃後といふ不思議な町」を産んできたをんなのやうで帽子を被る(『一葉の井戸』平13)  
                        「銃後といふ不思議な町を丘で見た」(渡邊白泉)    米川千嘉子

作者は昭和34年生まれ、一人息子がいる。白泉の句を踏まえて詠まれたこの歌には、男児を産んだ自分が「銃後の母」になるのではないかという、未来への鋭い危惧がある。愛と知性のある歌だ。

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 いつも手袋の人差し指の先が破れてしまう私。今年は、すでに2つもダメに…。ところが、先日バーゲンで買った手袋に、細やかな心遣いがあって、とても嬉しくなりました。破れやすい親指と人差し指の先(内側)に、ハートマークの補強がしてあるんです。こんな手袋、初めて!指も心も財布も暖かい&温かい出会いでした。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと-いろいろありがとうございます。
 新年からいろいろありがとうございます。

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 【1月16日の朝焼け】

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        年賀状の「お年玉切手シート」が8枚も当たりました!
高校の同級生からのが3枚、職場の同僚からのが2枚、大学の同級生と短歌と俳句の大先輩からのが各1枚です。ほぼ200枚の年賀状ですから、確率からいうと4枚ですが、なんと今年は大当たりでした。ありがとうございます。


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           とっても美味しい「グーラッシュ」
(ベンジャミン)けいこさんのブログに、とても美味しそうなレシピが載っていたので、コピーして、毎週木曜日の料理当番の次男に作ってもらいました。とってもとっても美味しくて、大好評でした。いいメニューをありがとうございます。


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        高安国世先生直筆の歌です。
インドの絵を描かれる原田先生のつながりで知り合った、大学の先輩(前川佐美緒氏にお仲人をしていただいたそうです)が、『虚像の鳩』の初版本を下さいました。表紙を開けると、高安先生(「塔」短歌会創始者・今年60周年)の直筆の歌が書いてあったのでびっくり!大切にいたします。ありがとうございました。


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 【同じ日の夕方】

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心に響く本-今年第1回目のおススメ本3冊
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【1月12日の三十三間堂は拝観無料/内側は「通し矢」の人たちで大混雑】


今年第1回目のおススメ本の紹介です。
初めて出会う著者がほとんどだったのですが、どの本も魅力的で気に入りました。

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中島京子著『冠・婚・葬・祭』
 (ちくま文庫/2010年/580円)
四つの短編。冠~新人新聞記者の書いた成人式の記事が…。婚~お見合いの取りもちをもう辞めようと思っていたおばさんに…。葬~二つのお葬式に関わった若者が見た二人の老人の人生とは…。祭~三姉妹が既に両親のいない田舎で経験するお盆のあれこれ。巻末にある「消え去る空気を書きとめる」という題の解説が、内容とテーマを丁寧にかつ著者の特徴を的確に表していました。
先が気になって読み進むという感じで、とても読みやすく、また、結末も断定するわけでなく、ほわんとしたものを残してくれるので、読後感もよかったです。どこか懐かしい情景なのですが、きちんと現代の世相を切り取っていて、なかなか技ありの作家さんだなと思いました。


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大原照子著『55㎡の暮らし替え』
(文化出版局/2005年・2006年第6刷/1500円)
副題「スローライフの舞台作り」。大好きな水色の表紙にひかれて図書館で借りたのですが、改装好きの私には中味もとても魅力的だったので、改めて中古で購入しました。ぱらぱらめくっているだけで幸せ気分になります。
家庭調理研究家として、アンティークのお店のオーナーとして、100冊を越える著書がある筆者ですが、家に関する本は初めてとのこと。でも、新築3回、増改築6回という家づくりが大好きな方なので、その楽しさが伝わってくる本でした。75歳を過ぎて、「百歳になっても、おしゃれで、元気で、愉快に暮らせるミニ住宅に」とリフォームされ、その様子が、たくさんの写真付きで紹介されています。


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徳間書店出版局編『この国はどこで間違えたのか』
(徳間書店/2012年・2013年第2刷/1600円)
副題「沖縄と福島から見えた日本」。2012年、沖縄タイムスに連載された対談「国策を問う」を改題したものです。沖縄タイムス社の渡辺豪氏が、内田樹・小熊英二・開沼博・佐藤栄佐久・佐野眞一・清水修二・広井良典・辺見庸という魅力的な方々にインタビューをしたものです。
マスコミが「ジャーナリスト精神」を喪失し堕落していると感じることの多い中で、この沖縄タイムスの取組みのまっとうさが強く心に響きました。未来に対して責任ある一員として、読んでおかなくてはいけない大切な一冊だと思いました。世の中のいろんなことが見えてきます。まだ読んでおられない方には、ぜひ!とお勧めしたいです。
付箋だらけの一冊となり、引用すると大変な量になりますので、「まえがき」と「あとがきにかえて」から一部分だけ抜粋します。

「まえがき」から
 今、あらためて感じるのは、米軍基地も原発も容易には突き崩せない日本人の心性に連なる課題である、ということだ。価値判断の基準は常に「日米基軸路線」と「経済最優先」。これが一体不可分の神話となって日本人に宿る。そこに「想像力の欠如」「事なかれ主義」「なし崩し」といった性向が相まって、地震列島日本に54基の原発が連なり、沖縄の基地は温存されてきた。
 だが、それも崩れつつある。外交課題には「対米従属」で対応し、内政課題はひたすら「経済成長路線」を追求することで、豊かさや幸福の実現が担保されてきた「日本の戦後」はもうとっくに終わっている。原発がそうだったように、沖縄の基地問題も「無関係だから無関心でいい」という姿勢ではもう済まされない。官僚に任せ、特定の地方に押し付け、マスメディアの論調を鵜呑みにしていればいい、という構えでは乗り切れない時代に入っている。
 にもかかわらず、中央集権的な政治システムによって維持される「幻想」にすがって思考停止してきたのが、今までの日本人ではないか。問われているのは「日本人の心性」、国民一人ひとりの価値観や哲学ではないか。(渡辺豪)

「あとがきにかえて」から
 時代は明らかにターニングポイントを迎えている。しかし、沖縄の基地問題も、エネルギー問題も「政治」が機能していないのが実情である。なし崩し的な原発再稼働は「福島の教訓」の軽視であり、オスプレイの普天間配備強行は「沖縄の警告」を無視する愚行にほかならない。底の抜けた「民主政治」のひずみは、近い将来必ず「日本」という国の根幹を激しく揺さぶるだろう。「破局の予感」が沖縄からは可視化できる。福島でも覚知している人は少なくないのではないか。情報が氾濫し、多様な価値観が併存する成熟した民主主義社会において、国を動かすのは政府国家ではなく、国民一人ひとりの主体的な意志だろう。国家がメルトダウンしつつある今ほど、「個」の責任と覚悟が問われている時代はない。(渡辺豪)

 今の事態は、この文章が書かれた時よりさらに酷いことになっていると感じます。老若男女すべての人が、世間に流されずしっかり自分の考えを持ち行動することが、社会に対する責任として必要なのではないでしょうか。


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【「大的全国大会」の出番を待つ人たち。朝の7時から午後の3時までで、出場者は約1500人?!】

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季節の詩歌(37)-ひとつのりんご
 「空」誌10月号に掲載して頂いた拙文です。アップするのを忘れていました。
   よろしければ、お時間のある時にでもお読みください。

季節の詩歌(37)~ひとつのりんご~

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 農業を営む叔母が、田への農薬散布の後、急激に体調を壊し亡くなってから、四十数年が過ぎた。今、農業の現場はどうなのだろう。こんなことを思ったのは、農薬が不可欠と言われていたリンゴ栽培に疑問を感じ、無農薬リンゴを作るため、孤独で壮絶な闘いを続けた木村秋則の記録『奇跡のリンゴ』(石川拓治著)が、この夏映画になったからである。

下草の繁るにまかせ養へる土からうまきリンゴが育つ       上﨑 智旦
 
 木村氏が大きな影響を受けた福岡正信氏は、「無農薬、無肥料、無除草、不耕起」という自然農法の第一人者である。周りの偏見もあり、取り組みは困難を極めたが、この方法で健康な土壌を育てることが、安全で美味しいリンゴのためには確かな方法だった。

林檎園やはらかき草踏みて入る     岸田 稚魚

 この林檎園も、下草がよく育っている気持ちの良い場所なのだろう。赤と緑の色の対比も美しい。次の四句は、リンゴ農家の作業を見ているのか、作者自身が観光農園で体験したことか、定かではないが、りんごを捥(挘)ぐ時の動作や様子が細かく具体的で、秋晴れの下、林檎の実った情景が目に浮かぶ。

大脚立林檎と顔を並べをる       森 理和

掌に少し押し上げ林檎捥ぐ       森 理和

林檎挘げばどつと露降りしばし降る   殿村菟絲子

りんご挘ぐ青空に手をさし入れて    畑 乃武子

高嶺晴林檎の芯に蜜満ちて       横井かず子


秋晴れの下、蜜がたっぷりの甘い林檎ができていくのだろう。かつて紅玉しか知らなかった私は、学生時代、友人がくれた蜜入り林檎に感激した覚えがある。美味しいリンゴのためには、適度な寒暖差と水はけの良い環境と確実な水の供給、まんべんなく当たる太陽光が必要である。さらに、夏の暑さは禁物だが、冬の寒さは不可欠だ。リンゴの産地が、雪の降る東北や信州であるのは、必然だ。

幹太き林檎の根かた雪解けの水は浸して雪(ゆき)(くれ)うかぶ     窪田章一郎

ぴしと鳴る林檎の中の雪の水全東北は雪ぞと思ふ            馬場あき子


林檎のみずみずしさが浮かぶこの歌が頭にあった時、山形県出身の作家井上ひさしの『水の手紙 群読のために』の中に、次のような言葉を見つけた。

(全員)人間ばかりではありません/地球の生きものはみんな/水のかたまりです
(少女)トマトは九〇パーセントが水
(少年)リンゴの八五パーセントも水
(青年)サカナの七五パーセントも水
(全員)生きものはみんな水のかたまりです


果物も魚も人間も、たくさんの水からできていて、水を欲する生きものなのだ。鮮度が大切な林檎を保存したり輸送したりするのに、もみ殻を使っていたのは、林檎の温度を上げない断熱材としてだけでなく、乾燥を防ぐ役目も持っていたのだと思う。

もみがらにまみれて林檎匂ひけり    あさなが捷

智恵のみがもたせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱       寺山 修司


 木製の林檎箱には、もみ殻がたっぷり詰まり、そこから実を取り出すのは子どもの楽しい仕事の一つだった。よい匂いが幸福感を増した。空き箱を、机や本箱にしたことも、懐かしく温かい思い出だ。

林檎来る津軽の風の詩のごとく     山田 六甲

啄木の地より蜜入り大林檎       小島 健

かりりんこ青森りんごかりりんこ雪の町からわが卓に来て     橋本 成子


青森、岩手、北国から届いたりんごには、風や雪、そこに住む人たちの物語が一緒についてくるようだ。

                           

星空へ店より林檎あふれをり        橋本多佳子

私が初めて出会った「林檎の句」である。店先の灯りを受け輝く様が、星空と呼応して美しい。次の句のように、林檎は磨き上げてあったのだろう。

林檎売る赤すぎる程磨き上げ        高田風人子

店頭の赤き林檎の頬をつと指につつきて幼子ゆけり       石田比呂志

赤くて球形の林檎は、幼子にも魅力的で気を引く存在だ。「頬を指につつく」しぐさから、幼子も、自分の赤い頬に時々同じことをされるから、親しみを感じたのだろうなどと、連想が広がって楽しい。

セザンヌの林檎小さき巴里に来て     森尻 禮子

私が四十年前に出かけたパリの市場やスーパーで売られている林檎は、小さかったが美味しかった。この句は、たくさんの林檎を描いたセザンヌの絵と二重写しになり、魅力的だ。次の二句は、「一つ」にこだわった句。一つだけで、色も形も十全なりんごは、それだけで恰好がつく、鮮やかで大きな存在だ。

林檎一つ劇中劇のテーブルに      安居 正浩

仏壇の大きな林檎ひとつかな      市川伊團次

 さて、選ばれて家庭のテーブルの上にのったりんごは、人々にどんな想像を呼ぶのだろう。

夜の卓に冷ゆる林檎よ実のなかに雪中行軍する人らゐて       栗木 京子

鐘りんごん林檎ぎんごん霜の夜は林檎のなかに鐘が鳴るなり     小島ゆかり

 「雪中行軍」とあると、遭難して多くの犠牲者を出した青森歩兵連隊の「八甲田山雪中行軍」を思う。夜、冷え、林檎、という具体から、歌人の頭の中は果てしなく時空を超える。二首目、閉じ込められたような「霜の夜」は、聴覚が鋭くなっている。林檎のなかには、鐘の音が内包されていると気づく。

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 ところで、りんごを食べる時、あなたはそれを丸ごとかじる派か、剥いてから食べる派か。それとも果汁にしたり、すりおろしたりするだろうか。

林檎嚙む歯に青春をかゞやかす       西島 麦南

歯にあてて雪の香ふかき林檎かな      渡辺 水巴


 齧るためには、丈夫な歯が要る。一句目、若者の白く健康的な歯が、「青春」そのもののようで、まぶしく羨ましいほどである。二句目、林檎の、歯への感触はひんやりとして清らかである。「雪の香」と捉えた感覚に、しっとりとした情感がある。

卒業式終えしばかりの男子(おのこ)らは祝いの林檎がりり食みたり       橋本 恵美

少年たちの無邪気さと、男っぽさへの憧れが出て、一区切り終えた男の子たちの成長を感じる歌である。

殊更に音たて齧る林檎かな         飛鳥 由紀

一口齧った時の音が、心地よかったのだと思う。わざと乱暴に音立てて齧ることで野性に近づき、憂さを晴らしたり、純粋に楽しんだりできるのだ。

ざくざくと林檎を齧るざくざくと砂行く兵士の足音させて       三井 修

「ざくざく」からの連想が、砂漠のある地で長く勤務していた作者ならではの感性で、印象的だ。

刃を入るる隙なく林檎紅潮す        野澤 節子

薄い皮の下には張り詰めた中身がある。新鮮な林檎は、切る側にも緊張感をもたらす。

林檎剥くときも彼女の几帳面        稲畑 汀子

皮が途切れないように慎重に剥く人、均等に分割してから剥く人、芯の取り方にも性格は出る。

命日や剥きし林檎のすぐ錆びる       中原 道夫

 命日に集まった皆で食べようと、剥いた林檎が器に盛ってあるのだろう。が、みるみる錆び色に変わり、人の世のはかなさまで思わせてしまう有り様だ。

母の忌や林檎を擂りてくれし母       小林 正史

機嫌のいい母でありたし無農薬リンゴひとかけ摺りおろす朝       俵 万智

 すりおろし林檎には、優しい母のイメージがある。離乳食、病人食といった保護を必要とする相手に与えられる食べ物だからだろう。受け取る側は労られているという思いで胸が熱くなる。「母=すり林檎」という思い出の人は、多いのではないか。

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林檎投ぐ男の中の少年に        正木ゆう子

林檎を受け取った男性は、少年時代と同じように、服でごしごしと拭いて、丸かじりしたことだろう。この句には、次の島崎藤村「初恋」(第二連のみ引用)のような恋心はないが、林檎には聖書にあるように、「禁断の果実」「知恵の実」など、アダムとイブの「楽園追放」に関わった果実のイメージがつきまとう。

やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり

私の好きな吉田拓郎の歌にも「リンゴ」(岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲)という恋の歌がある。

ひとつのリンゴを君がふたつに切る/ぼくの方が少し大きく切ってある/そして二人で仲良くかじる/こんなことはなかった少し前までは/以下略

恋人同士が、一つの林檎を分ける初々しい喜び、次の歌のように、夫婦で分ける時に感じる共に過ごした時間の重さ、その違いが興味深い。

もらひたる一つの林檎夫と分けけふの平安のごとまた嘆きのごと     濱田 陽子

 林檎はただ食べるだけのものではなく、思いを寄せる象徴として、文学や歌謡の中で歌われてきた。その代表は、戦後最初のヒット曲である並木路子の「リンゴの唄」(作詞・サトウハチロー、作曲・万城目正)であろう。戦争で両親と次兄を失い悲しみの底にあった並木が、明るい声でと強く要請されて歌ったのだという。彼女の声は、戦争で憔悴した人々を慰め、不幸を抱えた人々に希望をもたらした。

赤いリンゴに くちびる寄せて/だまって見ている 青い空/リンゴは何にも いわないけれど/
リンゴの気持ちは よくわかる/リンゴ可愛や 可愛やリンゴ

みな貧しかりし林檎の歌うたひ         大串 章一

泰平の幾時代かがありましてリンゴもむけぬギャルらはびこる      杜澤光一郎


そして今、私たちはカットされたリンゴのパックを、スーパーで買うような時代に生きている。

発行後の追加:林檎むく長い手紙を読むやうに    ことり

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テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

あんなことこんなこと-謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
  
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 書道字典の「馬」のページをスキャナで取り込んで、ワードで作りました。


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 大晦日の朝靄の写真をペイント上で縮小し、ワードで作成した句を切り取り貼り付けました。
 人間だけのものではない地球、このかけがえのない青い星を大切にして生きていきたいです。



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 こちらはすべてペイント上で作成しました。
 煮もの中心の、いつも通りのお節料理です。鯛や平目はありませんが…。
 いただいたブランデー、誰も飲まないので、干しブドウを浸し、リンゴと煮ました。
 お酒好きの人には叱られそうですが、とても美味しいデザートです。

 お節料理が予定よりうんと早くできたので、上のようにちょっと遊んでみました。
今年は、日曜大工で本棚などを作ってみたいと、いろいろ手引書を揃えています。
昨年秋からのテレビ体操(午前6時25分から10分間)も、無理せず続けたいです。
あとは、俳句と短歌と書道が、少しずつでも向上するといいなと思っています。

皆さんにとって素晴らしい年となりますことを、祈っております。

テーマ:日記 - ジャンル:日記



プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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