心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く言葉-短歌を詠むときに
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1ヶ月前の催し、現代歌人協会50周年「現代短歌フェスティバルin大阪」2007年3月24日(土)(於:オーバルホール)の報告です。短歌に興味のない方には、読む気も起こらなかろうと、まとめたままアップを見合わせていましたが、記録を兼ねて載せることにしました。
「何で短歌を詠むのだろう?」少し関心をお持ちでしたら、読んでみてください。

:現代歌人協会がどういうものなのか全く無知な状態で、ただ、本などで知っている方がたくさん来られるというので、行ってみました。思っていたより小さな会場でしたので、有名な方々を間近に見ることができ、ミーハーな私は大満足、歌を読むときの楽しみが増えました。

次のようなプログラムで、どれもお祭りのような雰囲気でしたが、栗木京子さんが言われた「短歌が柔軟性としたたかさを持ち、大胆な試みも飲み込んでくれるが故に、短歌形式を信じて負荷をかけすぎてはいないだろうか。」という言葉が印象的でした。

プログラム(敬称は省略)
総合司会 真中朋久
第一部 「いまに生きる歌」 篠 弘・永田和宏
第二部 シンポジウムⅠ「現代短歌の可能性と不可能性」司会 栗木京子/穂村 弘・小池 光・香川ヒサ
第三部 シンポジウムⅡ「大阪人の歌・東京人の歌」司会 島田修三
東京人側―大野道夫・小高 賢・藤原龍一郎/大阪人側―池田はるみ・江戸 雪・小黒世茂
最後の挨拶 安田純生

最初にあった、篠 弘氏(現代詩歌文学館館長)と永田和宏氏(「塔」主宰)のお話が、私には得るところが多かったので、それらのいくつかを、忘れないように、以下に箇条書きで、書いておこうと思います。
は永田氏の発言(少し言葉が違っているかもしれませんが)で、 は私の感想です。

「何を」「どのように」詠うかというのが、従来の評価の基準であったが、それに「なぜ詠うのか」を加えたい。 「自身が詠むのは、時間。死の床で、自分の歌集を読み直した時、よかったと思えるのは、そこに自分の時間があるから。自分の流れている時間に嘘をつかないでおきたい。」

:2か月ほど前に、朝日新聞の夕刊で、永田氏とお嬢さんの紅さんとの往復書簡が連載され、その時に「短歌を作るというのは、自分の生きてきた時間に錘をつけるようなもの。」という意味のことを書かれていました。それまでにも何回か、このことを見聞きしたことがあったので、このお話の時も、すっと心に入りました。また、私自身、たいした短歌ではありませんが、それでも自分の作品を読むと、その時その時の情景が、写真よりも確かに、鮮やかに蘇るので、同感です。

「私たちの感性が、マスメディアの影響で、一番新しいものを追うようになっているのではないか、それは、危険だ。即対応の社会詠や機会詠も必要だが、詠みたいが詠めないのを超えて、詠めるのが大事。その間温めてきた思いというのがある。」
「歌人が、何によって促され自己表現するか。全部に対応できる訳ではない。自分の経験と地続きであることで、リアルさが増し、普遍性を持つ。」

*このことに関連して、現代歌人協会大賞の岡野弘彦歌集『バグダッド燃ゆ』に触れられました。
「岡野さんにとってのイラクは、自分の経験した戦争と地続きである。戦争にこだわった塚本邦雄と、歌い方は違うが、リアルタイムで戦争を引きずっている。イラク戦がきっかけで、それが出てきた。社会詠(時事詠)が、事柄中心になったのに比べ、岡野さんは、歌の大きさ・調べの強さによって、事柄の具体がとび、そこに、世代を超えた普遍性が出てきた。」


:だいぶ前に永田氏が「母を知らぬわれに母無き五十年湖(うみ)に降る雪降りながら消ゆ」という自作を引用されながら、「自分のいちばん痛い時を詠むのに40年かかった。息子にとっての母は拠り所、その拠り所のない自分を詠んだ。」と言われたのを思い出しながら、この話を聞きました。
私も、最近やっと亡き母のことを歌にできました。温めて温めて、やはり40年近くかかりました。人生の短さや、我が身の忘れっぽさを考えると、つい焦ってしまいますが、本当に価値あるものは、新しさや早さを超えたところにあるのでしょう。

 「『現代詩手帖』『読書人』『図書新聞』『読書新聞』『歌壇』などを読んでいないことが、恥でない時代になった。つまり、ソースの入れ方が弱くなっている。」 「近接している俳句・川柳・詩も学ぶといい。」

:「短歌なら短歌一筋で」という声も聞いたことがあったので、短詩型文学(詩・短歌・俳句・川柳)が全部好きな私は、この言葉にほっとしました。

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お話の中で、『短歌現代』4月号に「世代を超えて」という特集があると言われたので、帰りに買いました。これが、なかなか良い内容で、たくさん線を引きながら読みました。
今回の催し物とこの雑誌で、私は自分の歌作りの姿勢を反省させられました。『短歌現代』4月号からも、いくつか書き留めておきたいと思います。(どれも、本文の一部を、ばらばらに抜き出しています。ご了承ください。)

篠 弘 『緑の斜面』の中にある長歌「長寿の若さ」 より 
すでに九十歳なる林翔は 俳人たちに「老いを嘆いて何になろう」と 提言するではないか。みづからも「嘆き節だと、気付いた時、書き留めない」とし、書き留めても「発表する句には、加えない」ことを意識す。…(中略)…「老いを嘆いて何になろう」の 警告はまさしくも 歌詠みに相通じあふ。


:俳句も短歌も、昔は若い人が燃えて作ってたんですよね。ところが、今は年配の方がほとんどで、私などは「若くていいわねえ。」と、普段は言われない言葉をかけていただきます。しかし、私もいずれ老いを迎えるわけで、そのときの警告として受けとめました。

阿木津 英 「グローバルな短歌」への欲求 より 
周囲がどのようであろうともわが胸中に感じる“確かさ”を信頼しなければならない、それがいちばんである、ということを、わたしは歌を作ることによって学んだ。歌一首の見定めだって、胸の中の“確かさ”の感覚にそむき、周囲の空気にとらわれると、あとで裏切られる。何度となくそういう経験をもった。
また、歌を作り、学ぶ過程に出会った、古今東西の詩歌や文章。世の中にこんなものがあったのかと、砂中に黄金でも見つけだしたような陶酔の感情。こんな年齢になるまで自分は出会えなかったのだなと、歩みの遅さに落胆するとともに、まだまだ世界にはこんなものが隠されているのかと、生きてゆくことが楽しみにもなる。(中略)
形式は滅びても、人のなした創造行為は滅びない。詩を知らず、絵を知らず、文を知らずとも、人はそこに触れるとき、なにがしかの「胸に直接響いてくるもの」を感じる。


:自分の感性を磨くこと、自分の感性を信じること。それを、格調ある言葉で語られていて、「いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで」という、阿木津さんの堂々とした歌を思い出しました。

吉川宏志 「世代と〈他者〉」 より 
他者の歌を批評的に読むときには、可能なかぎり歌を尊重しつつ、じっくりと味わってみる姿勢が必要なのだと私は考える。自分とは生き方や考え方の異なる〈他者〉の歌を読むのである。すぐに理解できると思い込むほうが危ういのだ。
歌会あるいは歌集の批評会といった場は、世代の違う人たちの考えを知る、非常に貴重な場なのである。
主に若い人に向けて、一つだけ簡単な解決策を書いておけば、「自然」に関心を持つことであろうか。私の場合、短歌をはじめて数年たってから植物の名前や鳥の名前をかなり集中的に覚えた。… 「自然」を知ることは、世代を超えたコミュニケーションの第一歩なのである。
短歌を詠むということは、虚空に浮かんだような状態の中で、〈他者〉との一筋のつながりを求める賭けなのである。


:吉川さんは「塔」の若手実力派で、読み・詠みのうまさで定評があります。私は、つい「好きな歌・苦手な歌」と区切って読んでしまう自分の了見の狭さを反省しました。
この文章で、吉川さんご夫妻が揃って、「植物や鳥の名前」に詳しい訳がわかりました。こういう分野が弱い私も、勉強の必要性を感じています。

安永蕗子 「いつまでも二十九歳で」 より
歌うことによって、作者も読む側も一歩前進の力をもつ。そんな歌が現代の歌としてあるべきだ。三十一音、遠慮は無用である。
「傘の上を雨滴あかるく滑り落ちやがて待たれてゐむと思ひき  大辻隆弘」いい歌である。…このリズム、このダイナミック、その勢いが現代の歌となるとき、三十一音は瑞々としてかがやき流れてやまぬだろう。現代の歌は何故か暗い。若いくせに理屈っぽい。貧しくなった証拠だ。金に恵まれていて豊かではない。自然の豪華な風土に恵まれて、健康な歌は生き生きとあるべきだ。 
一貫して歌うべきことは一つ、生き生きと力強く歌うこと。自分一人のことを歌うことだ。子や孫を連れ込む必要はない。当然のことである。人はいつも独りである。

 
:安永蕗子さんの厳しさは、孤高とでも言うべき感じで、今の私にとても真似はできませんが、詠う姿勢として、もっと背筋をぴんとして、責任を持って、歌を詠まなくてはと思わされました。

最後に、会場で、『現代歌人協会五十年の歴史』という本も購入したのですが、お名前だけでなく写真を見ることができたので、歌だけ知っていた方への親近感がわきました。
中に、「現代歌人協会賞歴代受賞者」の一覧があったのですが、第1回の遠山光栄『褐色の実』というのを、ちょうど『現代短歌全集』第十三巻(筑摩書房)から写していた時だったので、偶然に驚きました。いろんな意味で勉強不足のわが身を思い知りました。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
こんばんは。
大空の亀さん、いろいろとありがとうございました。
私が求めていた色・・・出会いました。
少しずつ心のリハビリ始めています。
ちょっと、薬が増えてしまいましたが、
時間をかけて・・・ですね。
立派なお花ですね。(^・^)
【2007/04/26 19:47】 URL | ノロタン #B7q/.fmY [ 編集]

ノロタン さんへ
ノロタンさん、今晩は。
訪問してくださって、ありがとう。v-290
ゆっくりリハビリ・・・ですね。
自分の心が納得できるまで、丁寧に、結論を焦らずに。
難しいかもしれないけど、自分に優しくしてあげてくださいね。
私自身にも言い聞かせながら、書いています。

このカーネーション、ちょっと変わっているでしょ?
今日は、お店の前や民家の前で、パステルカラーのわすれな草に出会い、
「ああ、ノロタンさんのと同じだ。」と思いましたよ。
あの写真を見てなかったら、軽く流して歩いてたでしょうね。


【2007/04/27 00:08】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



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