心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く詩歌-義姉のこと
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長い間、ご無沙汰しました。この間も、気にかけて何度も訪ねてくださった方、ありがとうございました。最期まで精一杯生ききった、大好きだった義姉のことを、少しだけでも書き残しておきたく、自分の中に、その力が戻ってくるのを待っていました。
私にとっては、高校2年生から40年近いお付き合いで、特に住まいが近くなってからの、この25年ほどは、子どもが病気の時預かってもらったり、料理や裁縫などいろいろ助けられ、一緒に過ごすことも多かったので、姉・母・友を一度に失ったようで、この春は花見をする気持ちもわきませんでした。
【ここに載せた写真はどれも、家の近くで撮ったものですが、美しいというより寂しい桜です。】

昨年夏、義姉の体の内部に、メラノーマ(悪性黒色腫)という皮膚ガンの一種が、見つかりました。出血の症状で病院に見てもらったときには、かなり大きくなっており、手術ができなかったときは余命半年と言われました。義姉は、その時点でもう覚悟をしていて、「これ以上手術はしなくていい。」と言っていました。これまでにも、何度も手術・入院をしていて、数年前の乳ガンの手術の際には、「これまでありがとう。幸せでした。…」という内容のノートを書いていたと、義姉の亡くなった後、姪が見せてくれました。
それでも、何とかみんなの励ましに応える形で、頑張って手術を受け、義姉も「もっと生きたい」という強い気持ちを持ち、様々な治療を頑張りました。家族や親戚、友人らの応援も大きく、それに応えたいと、義姉も持ち前の明るさと真面目さで一生懸命でした。退職している兄に替わって、子どもたちの経済的な援助も立派で、義姉の子育てが愛情いっぱいだったからこそと、身内ながら感心しました。
【次の歌は、昨年の秋~年末にかけて、前向きな義姉の生き方を残したく、作ったものです。】

*倒れたるのちも花咲くコスモスに重き病の義姉(あね)を思へり
重い病だけど、なんとかこの花のように咲いて欲しい、生き続けて欲しいと思いました。

*三度目の余命半年告げられし義姉は車中に編む手休めず
余命宣告の酷さを思いましたが、義姉は覚悟を固め、皆にプレゼントするあれこれを、わずかな時間も惜しみ作り続けました。今、皆の手元には、義姉の生きた証と愛が残っています。

*病床の義姉の足もと姪は占め仕事の資料作り続ける
義姉と一卵性双生児といわれるほど仲良しだった姪は、仕事を辞めてずっと看病したいと言っていましたが、せっかく希望の職に就き、義姉も喜んでいるのをやめるわけにもいかず、ずいぶん辛かったろうと思います。かつて父の病床の傍で、同じように仕事をしていた自分と重なり、切なくてなりませんでした。

*病室の義姉の傍(かたへ)に本を読み兄の一日(ひとひ)の暮れてゆくなり
いつお見舞いに行っても、兄がそばにいました。組合活動で忙しく、定年数年前には会社が倒産など、家庭を顧みる余裕のないまま、多くの苦労をかけた義姉に、できることはすべてしようという兄の思いが、痛いように伝わりました。私たちの父が末期ガンで入院していた数ヶ月は、義姉がずっと看てくれました。

*万博の森見おろせばその果ての大学病院虹の中なり
遠くから来た友人を案内して、万博公園に出掛けました。その日は、二度も大きな虹を見ることができ、義姉の入院している病院が虹に覆われている様子に、奇跡を願いました。

*スイス館前にて撮りし写真にはミニスカートの義姉、高校生の我
日本が元気だった頃の象徴のようなエキスポ’70。当時先端の業種だった広告会社に勤めていた兄夫婦に案内してもらった、ガラスの照明の美しいスイス館と、モデルみたいにきれいだった義姉。写真を見るたびに、泣きそうになります。田舎で一人暮らしていた父のため、子どもたちを連れよく帰省してくれた優しい義姉でした。

*知ることは受けとめ向き合ふことなるか 義姉に四度目の余命宣告
尋常の神経では耐えられません。いつも笑顔の義姉でしたが、「辛いよ」と実の妹に時々漏らしていたと、後から聞きました。「人間いつかは死ぬのだから、準備できるだけいいではないか。」とよく言われますが、わかってはいても、「余命宣告」は、辛すぎる言葉です。

*強すぎるガンと幾度も医師の言ひ選択肢としてホスピスを挙ぐ
肝臓への転移は数が多すぎて、手術も治療も困難とのこと。伝えるお医者様も辛かったでしょうが、当時の私には、「生きたい!」という気持ちを踏みにじるような…としか、思えませんでした。義姉の同級生が集まりを持ってくれ「一番明るくて元気で、一番長生きしそうやのに何でや!」と、嘆いたそうです。

*退院をせし義姉からの電話なり「終(しま)ひ弘法一緒に行かう」
*売る人と言葉交はすを楽しみて義姉は食材ととのへてゆく
毎月21日、京都の東寺で開かれる「弘法さん」が、義姉は大好きでした。12月は年末で混むからと早めに出掛け、京都の漬け物「すぐき」を買いました。せっかくだからと、錦市場まで足を伸ばしました。お店の人とのやりとりを楽しむ義姉に、回復を祈りました。

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義姉の夢だった田舎暮らしを始めて4年。今年のお正月には、家族揃って義姉手作りのお節を、その家で楽しみ、当番で回ってくる村のお接待も「もう最後になるから。」と頑張ったそうです。家の中は、義姉が、アケビの蔓・竹・布などで作った品々にあふれ、村にもお友達がいっぱいでき、また、都会からの友人も招いて、幸せな時間を持っていました。
1月、2月、3月と、家族とも旅行に出かけ、自力で起き上がれなくなった期間は、あまりありませんでした。いろんなことをやり抜きたい気力が、目に力強く残っていました。
亡くなる数日前も、「次に編む猫のベストは何色がいいかな?犬の模様でも頼まれてるの。」と話し、刺繍の花が一つだけ残ったピアノカバーのことが気がかりのようでした。代謝が弱り体には水が溜まっていましたが、美しさはそのままで、「きれいな足ね。」と誉めると、「みんな、足ばかり誉める。」と笑っていました。

私の方の一族が、6人も3月末に亡くなっているので、それを乗り越えなくてはと言っていたと、姪が教えてくれました。4月1日、昼間お見舞いに行ったときは、在宅緩和ケアで訪ねて来てくださったお医者様に「またよろしくお願いします。」とお礼を言っていたのに、それから8時間後に亡くなってしまいました。急変を聞いて駆けつけた家族・親戚・友人ら15人以上の親しい人らに囲まれ、穏やかに逝き、目元も口元も微笑んでいるようでした。
64歳と1ヶ月余り。まだまだ生きていて欲しかったけれど、厳しい病状の中、精一杯生ききった義姉と見守った家族に、悔いは無いと信じています。

今91歳になるお母さんは、義姉が生まれた直後に遭った空襲の時、赤子の義姉を背中にしょって火の中を逃げきったそうです。そうやって守ってきた可愛い娘に先立たれ、どんなに辛かったでしょう。ずっとずっと長く、冷たくなった頬に顔を当てておられました。
葬儀は、子どもたちが中心になって頑張り、義姉の好きだったお花がいっぱいの祭壇を頼み、たくさんの供花と心のこもった50通を超す弔電をいただき、多くの参列者に来ていただきました。義姉がたくさんの人に温かく接してきた、その思いに、皆さんが温かく応えてくださっている、そういう優しさを感じるお別れでした。

祭壇の写真は、義姉らしく笑顔がいっぱいの顔。実は、これ、ロンドンで集団スリに遭い、カードや現金の入った義姉のバッグが盗られ、防ごうとした兄が小指を骨折した直後の写真だそうで、「ほんとに、まあ!もう、笑うしかないわね。」という義姉の声が聞こえてきそうな笑顔だなと思いました。告別式の最後に、兄が語った義姉の人生。ほんとに、兄はいい人と、いい人生を送れたなあと、義姉への感謝の気持ちでいっぱいです。今も、義姉を慕い、兄を心配して、いろんな方がお参りに来て下さっているそうです。学生時代、陸上をしていた義姉らしい、全力疾走の人生だったなあと思います。

*春雨に花のいろ濃し「さびしいね一人になるね」と義姉(あね)は言ひしと
亡くなる二日前に、「一人で(村の)家に帰らなあかんね。寂しくなるね。」と、残る兄をいたわってくれたそうです。雨を吸った桜の花びらは、色が濃く美しさが増すようです。辛い思いをいっぱい味わった人は、優しさだけの人になる、という気がします。

*義姉も見き兄も見てをり窓からのただ一木(いちぼく)の桜満開
最期を迎えた家からも、田舎暮らしの家からも、一本だけの立派な桜が見えます。一緒にお花見に行くのを楽しみに迎えた春でしたが、それは叶いませんでした。でも、窓から見える桜に、義姉は「きれい!」と言ってくれたそうです。満開の桜を、心を尽くして生きた義姉だと思いたい。今年の桜は、辛すぎて寂しすぎて、まともに見られませんでしたが、来年は、亡くなった人たちとも、花見をするつもりです。

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追記 : 振り返れば、壮絶な闘病でもありました。そのことを追記で書こうかとも思ったのですが、兄が、49日の法要の時、皆さんにお配りできるよう、「闘病記」をまとめるつもりだと言っていましたので、私の文章は、ここまででとどめます。ずっと傍で一部始終を見てきた兄が、義姉の闘病を書くのが一番です。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
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【2008/04/13 23:26】 | # [ 編集]

こっそりさんへ
温かい言葉をありがとうございます。
義姉は好きなことがいっぱいあって、PTA、同窓会、生協等々、さまざまな活動をしていました。
そこで知り合った皆さんが、義姉が来ると、その場がパッと明るくなったと言われていました。
義姉は、私にだけでなく、たくさんの人に、同じように素敵な思い出を残していたんだなと、改めて思ったことでした。
人が大好きだったから、義姉も人に好かれていたんですね。
人付き合いの苦手な私は、少し見習わないといけませんね。
【2008/04/14 18:04】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


読ませていただきました。涙で字が霞んで、そして お義姉さまのやさしさあふれるこころ細やかな毎日が伝わってまいります。
気丈に、凛としたすばらしい女性でおられたのですね。亀さんにとってやさしいやさしいお母さんですね。
皆様 とても 悲しくて悲しくて どんなにお辛いことかと 。

亀さんの中に 生き続けておられて 見守ってくださることと。
ゆっくりとゆっくりと 亀さん 歩いていこうね。
【2008/04/15 11:30】 URL | よりやん #- [ 編集]


コメント欄を開けましたが何を書いたらいいのか分かりません。
今までのお義姉さまの事をかかれたもの、そしてこの日記を読んでお義姉さまと言う方がどのような方だったか想像がつきます。

今の亀さん、そしてお義姉様のご家族にはかける言葉はありません。
当座、私は何を言われても頭にも心にもあまり残りませんでした。
でも、今は時ぐすりをを信じています。

涙はいっぱい流したっていいでしょう。
亡くなった方のためにも、そしてその人を失って悲しい自分のためにも。


「人はよみがえる…」と書いてあるものがありました。
故人はその人を思う人の心の中に生き還るのです。
【2008/04/15 15:18】 URL | ベンジャミン #oUPgpoCM [ 編集]

よりやんへ
優しい言葉をありがとう。
性格良し、手先器用、顔もスタイルも声も良し、運動神経良し。
こ~んなすてきな、めったにいないよね。
いつまでも若々しくて可愛かったのに、勿体ないです、ホントに。

兄は今、皆さんにお礼の手紙を毎日書いているそうです。
大切な人がいなくなっても、つながりは残したいですよね。
私は、歌や文章で、義姉を心にとどめておきます。
【2008/04/15 20:28】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

ベンジャミンさんへ
ベンジャミンさんも、大切な方を亡くされてまだ数年。
寂しいことも辛いことも、たくさんおありだと思います。
そんな中、この文章を読んで、コメントを下さったこと、感謝しています。

物を作る手仕事が大好きなところ、お料理が上手なところ、前向きで明るいところ、
家族が仲良しなところ、いろんなところが、ベンジャミンさんと義姉は似ているなあと、
ベンジャミンさんのブログを見ながら、よく思っていました。
お近くだったら、きっと素敵なお友達になっていたのでは?という気がします。

>故人はその人を思う人の心の中に生き還るのです。
そうですね。思うことで、いつでも会えます。話もできます。
返事が肉声で返ってこないのは寂しいけれど、それは記憶の中で再生しましょう。
【2008/04/15 20:36】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

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【2008/04/15 21:51】 | # [ 編集]


大空の亀さんがいつも3月にドキッとされていたから、最後の力を振り絞ってそれを否定して下さったのでしょうね。最後の日々はご本人の為と言うより、残していく人々を納得させる為の日々だったような気がします。振り返れるわけではないので、本人にとっては死はそれほど意味がないけれど、遺される者にとってはとてつもなく大きい。それを見て感じながらなおかつ自分と向き合って死んでいくのが怖くて、とてもお義姉様のようにその時を迎える自信はありません。安らかな死は後に残す人々を信頼でき、憂いがない事も大きかったのでは。年齢と共に死を考える事が多く、この年になると、ある年齢になったら自然な事として自動的に死が訪れるようにならないかと思うことがあります。まあ今もそうなのかもしれませんがまだそう思えないでいます。
【2008/04/16 15:22】 URL | 犬塚 #- [ 編集]

こっそりさんへ
そうなんです。
ハオが、とっても慰めてくれます。
ショボンとしていると、いつもは走り回っているハオも、おとなしくして傍にいてくれます。

ご近所の方も、悲しいことがあったとき、飼ってた猫が三匹心配そうに寄り添ってくれ、この猫ちゃんたちのためにも、元気を出さなくっちゃ!と思ったそうです。
人はもちろんのことですが、物言わぬ動物や植物が、癒しパワーを送ってくれますね。

「寿命」と言いますが、ほんとに「寿」をつけられるほど「命」を全うするのは難しいですね。
【2008/04/16 19:57】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

犬塚さんへ
>最後の日々はご本人の為と言うより、残していく人々を納得させる為の日々だったような気がします。
そうですね。確かにそんな思いやりを、義姉は力の限り、周りの皆に渡してくれていたのだと思います。
頑張る気力を、ぎりぎりの所まで使い切った義姉は、ほんとに菩薩のような表情でしたから。
以前にお母様を亡くされた友人と、昨日話をしていて、彼女が「生き方は、死に方に出るよね。母には死に方を教えてもらった。」と言っていましたが、私も同じ思いでした。

今日の朝日の朝刊に、作家の沢木耕太郎氏が「ソロで生きる意識を」と題した講演をされたまとめが載っていました。
「…素晴らしいものが書けたとは思わないが、自分ができる最高の努力を常にしてきたという自信がある。その場、その瞬間を十分に生き切っている感じがあるから」
分野は異なっても、悔いなく生きるというのは、こういうことですよね。
【2008/04/16 20:16】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


このたびはご愁傷様でした。ご冥福をお祈りいたします。

最期の時、たとえ立ち会えたとしても言いたいことの何万分か何十万かわかりませんが、万分の一ほども言えないものだと思います。
だからといってそれで終わりではなく、残されたものが故人の生きた証を、残されたもの個々の手段で残していくことが、よき弔いになるのではないでしょうか。
義姉さんは、大空の亀さんが元気になって日々を楽しく、平穏に過ごされることを願っていると思います。
【2008/04/17 23:08】 URL | こもれび #hGt.gl.I [ 編集]

こもれび さんへ
心優しいコメントをありがとうございます。

最期を前に、「ありがとう。いっぱい感謝しているよ。」と伝えましたが、本当の思いはどれだけ言っても伝えきれません。

私にできることは、義姉の生きた証を言葉で残すこと。私も、こもれびさんと同じ思いです。
歴史上に名を残す人は一部ですが、そうでないところで、人はほんとに健気に自分の生を全うすべく生きています。
そういう人生をこそ、書き留めておきたい。それが、私が(下手くそですが)、詩歌を作る原動力になっています。
【2008/04/18 08:51】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

こんばんは。
大空の亀さん、今もきっと深い悲しみの中におられることでしょう・・・
義姉さんと大空の亀さんの深い絆をすごく感じます。
この世の中、血が繋がっていても憎みあったりしている…
だけど、大空の亀さんと義姉さんの絆は素晴らしいですね。
大切な人を亡くされた悲しみ、どうやってお言葉をおかけすればよいのか
でも、大空の亀さんのご健康を義姉さんは心から心配されていると思います。
どうか、どうか、お身体を大切に。そして一日も早く義姉さんのためにも
お元気を取り戻してくださいね。一番綺麗な輝きを持った星になって
大空の亀さんを見守ってくださっていると思います。
ハオちゃんも一緒に心配してることでしょう…
【2008/04/20 22:22】 URL | ノロタン #B7q/.fmY [ 編集]

ノロタンさんへ
ノロタンさん、いつも優しいお心遣いをありがとうございます。
おかげさまで、私は大丈夫です。昨日は、久しぶりに近くの公園に出かけました。
こんな素敵な義姉に出会えて、ほんとに幸せだったなと思います。
星や花や光や、いろんなものに義姉を感じています。

兄やその子どもたちの悲しみに比べたら、私の悲しみは浅く、ここにこうやって書くのも申し訳ないと思うほどです。
ただ義姉や兄一家にとって幸いだったのは、条件的に恵まれ、最期の数ヶ月を家で一緒に過ごせたことです。
様々な条件をクリアーしなければ難しい在宅緩和ケアができ、義姉は「家が気楽で一番」と言っていました。
どの人も皆、悔いのない生を送ってほしいし、自分もそうでありたいと思っています。
【2008/04/21 18:21】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年7カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !
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