心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く言葉-「楽 ことば 心 其の一」
 2006年4月16日、ドーンセンターホール(大阪天満橋)において、 楽 ことば 心 其の一」 
〈みゆずメソン/主催〉という催しがあった。
当日、駅は、造幣局の桜の通り抜けに向かう人でいっぱい。その人たちとは反対方向に、友人と待ち合わせの会場に向かった。とても文化的で、内容もよい催しで、終わってからも友人と「表現」についての話がはずんだ。
以下に、記録を兼ねて、心に響いたことを紹介したいと思う。

 まずは、河野美砂子さんのピアノと佐々木真氏のフルートによる小品の演奏
今年は、モーツアルト生誕250年ということで、3つの楽章からなる「フルートソナタ ハ長調 K.14」が、軽やかに演奏された。彼が8歳の時の作品というから驚きである。

 続いて、永田和宏氏の講演「ことばであらわせない心を」を聴いた。
資料の短歌をいくつか引用しながら、特に印象に残ったことを書き留めておきたい。
京大教授でもあり、短歌結社「塔」の主宰でもある永田和宏氏が、「二足のわらじの後ろめたさがあり、どう折り合いをつける難しかったが、歌をやってきてよかった。それは、自分のものを作れる、自分だけの思いを表現して残せるから。」とおっしゃった。
自分を表現できる大切さ・幸福感を、日頃から考えていた私は、全く同感でうれしかった。

「ことばで表せない心を表すのにどうしたらいいか。」
「歌で伝えたいのは、歌の中に書かれている意味だけではない。」
「歌の中の言葉が、読み手の思いを引き出す。」
など、自分がやれているかどうかは別として、やはり考えていたことだったので、とても共感できた。例に挙げられた歌も、とてもよかった。

 「逝きし夫(つま)のバッグのなかに残りいし二つ穴あくテレフォンカード 玉利順子」 
具体的なもの=「二つ穴あくテレフォンカード」が、作者の「話したこと・話したかったこと」を雄弁に語る、という指摘。確かにそうだ。しかし、読み手の感受性も必要だ。

 「亡き夫(つま)の財布に残る札五枚ときおり借りてまた返しおく  野久尾清子」
「亡くなった人は、思い出した時だけ存在する。思い出さないと存在しない。」という言葉も、その通りだと思った。思い出してくれる人がいる限り、「生きている」と思う。

「自分だけの思いとしてとっておきたいものがある。人間は弱いものだから、その自分の思いを誰かに知ってほしい、伝えたいという欲求が、止みがたくある。重い部分ならなお知ってほしいと思う。それが、恋や結婚につながり、ともにした時間の共有=記憶ということになる。自分の思いを言葉にして残し、家族や後世に伝えたい。一首でもいいから、誰かの心に残ってほしい。」と言われた言葉が、率直で心に強く残った。

 「母を知らぬわれに母無き五十年湖(うみ)に降る雪降りながら消ゆ 永田和宏」
自分の一番痛い時を詠むのに40年かかったと言われた。「息子にとって、母はよりどころだが、よりどころのない自分。」がやっと表現できたとも。昨年出された歌集『百万遍界隈』の中でも、特に心に留まっている一首だそうだ。上の句で表現したかったものが、下の句の情景と出会ったとき、結実した、その幸いを感じる歌だ。
同時に私は、愛妻家である永田氏の奥様、河野裕子さんの、琵琶湖を詠んだ名歌を思い出した。

 「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  河野裕子」
お二人が詠まれた「琵琶湖」に、私は豊かな母性を感じる。

併せてお父様の俳句、「五十年ひたすら妻の墓洗ふ」を紹介された。

 再び演奏会に戻って、シューベルト「ファンタジー ハ長調 D934」、30分ほどの大作を、
ピアノとフルートで聴いた。力強い演奏だった。

我が家では、息子がギターを弾く以外、だれも楽器の演奏ができないので、こういう立派な演奏を聴くと、心底感心する。演奏できる自分を思い描いた時代は、あった。
私は中学時代、ブラスバンド部でフルートが吹きたかったが、唇が厚いとかで、クラリネット担当になった。以来ずっと、吹けなかったフルートに憧れ、最初の給料で、それを買った。しかし、自己流の練習で行き詰まったまま、その楽器は、家で眠り続けている。
夫は、子どもの頃、妹だけがピアノを習いに行けるのが羨ましく、いつか自分もと考えていたそうだ。十年ほど前、一念発起して、毎週一回先生につき、毎日30分の練習を休まず続けた。『月光』が弾けるようになった途端、「疲れた…」と、止めてしまった。
そしてついに、我が家には、「演奏への憧れ」だけが、虚しく漂っているという状態になった。

 最後に、「日本の調べ(野田暉行/編曲)」を巡って、三人のトークの後、
『 おぼろ月夜』『宵待草』『叱られて』『赤い靴』の演奏。心にしみた。
「唱歌など、言葉が古くなったから通じないだろうと、先取りして使わないのは間違い。わからなくても教える。わからなくても記憶していたら、いつか、わかるときがくる、論語の素読のように。」という、永田氏の言葉、またしてもその通りと思う。

ピアニストであり歌人でもある河野美砂子さんの短歌(永田氏の資料の中の一首)
 「ゆくりなく鳴らす楽器に指先のわがさぐりあつ死者のその音  河野美砂子」
「歌の中の『さぐりあつ』は、口語では『探り当てる』だが、文語にすると、素敵になる。歌を作ると、言葉の持つ音に敏感になる。」と、作者の河野美砂子さん。
また、歌の内容については、「オリジナルの楽譜を演奏していると、作曲家のメッセージが伝わる。」というような説明をされた。「作曲家のメッセージ」、私は、そういうことを、曲だけで考えたことがなかった、というか、考える力が不足しているなと思った。

 実は、私はクラシックを平常心で聴けない。どう聴いていいかがわからないのだ。『田園』のように具体的な題名が付いていて、その言葉をヒントにイメージを広げられるものは、まだ大丈夫だが、『作品何番』などと言われると、もう頭がついていけない。
それでも短い曲なら、まだ「明るい」とか「春の雰囲気」とか、自分の印象で何とか楽しめるのだが、長い曲になると、イメージが続かなくなる。指揮者の動きやピアニストの筋肉、打楽器奏者の手の位置など、視野に入るものが気になって、曲が遠のいてしまう。
これではいけないと、目をつむり、曲からイメージをふくらまそうとするが、言葉の手がかりが無いので、頭の中が白いまま時間が過ぎ、気がついたら居眠り状態になっていたりする。時々自分の頭のカクッとする動きに驚いて、目が覚める。音は聞こえているので、心地よいのだが、こういう聴き方では、演奏者に申し訳なくて仕方ない。

 我ながら贅沢というか情けないというか、鮮明に覚えている演奏会がある。イ・ムジチ楽団が来て、高い券を手に入れ、運良く真ん中の前の方の席で、大好きな『アイネ・クライネ・ナハトムジク』を聴くことができた。
ところが、なんと言うこと!私は熟睡してしまったのだ!しかも、この曲をBGMに、木陰のハンモックに揺られながら昼寝をしている夢まで見て!最高に気持ちのよい時間だったけれど、演奏者に私の姿はどう映っていたであろうか?冷や汗が出る。しかし、一方で、心地よさを体ごと受けとめて眠るという、幸福感に浸った私の聴き方も、許されそうな気がするのである。(開き直り?)

 日本の唱歌など、幼いときに覚えた歌は、演奏だけでも、常に頭の中に歌詞が浮かんでいて、容易に情景が想像されるので、私はとても安心して、演奏に聴き入ることができる。
今回の「日本の調べ」の『おぼろ月夜』などは、まさにそうだ。これでもかと言うほど、情景が広がる。
音だけを聴いて、イメージを浮かべ、その世界に浸れる人に、一度お話を伺ってみたい。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

この記事に対するコメント

有意義な時間を過ごされたようで良かったですね。歌で自分のものを作るって豊かな日々ですね。
さて、クラシックですが、私も長い組曲は知らないこともあり、よくわからなくて困ります。
幸いにコーラスでいろいろな小曲を知り、断片的に好きな曲に出会いました。自分の心に響く美しいメロディーのものが好きです。すばらしい既存の音楽に喜びを感じていますが、最近は亀さんのように歌を自分で作ることへの憧れをもって、日々心への栄養のためにもブログを 読ませていただいております。
 それから 私の好きな曲はF.Schubertのアヴェ・マリアです。空の上からやさしく歌って
くれているように思えますが。
【2006/04/20 11:14】 URL | よりやん #- [ 編集]

よりやんへ
空の上からやさしく歌ってくれているように思える「アヴェ・マリア」。なるほどなあ!
よりやんの美しい声が聞こえてきそうです。今度、歌ってね!
私は母を亡くしたあと、毎日何十回も「G線上のアリア」を聴いては涙を流していました。
三ヶ月ほどたって、やっと立ち上がれたのは、あの曲のおかげだったと、今でも思います。
クラシックで、初めて聴く長い曲、そういうのは、どうやったら楽しめるのでしょう?

【2006/04/21 17:48】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


お誘いして頂きご一緒でき至福の時間を過ごせました。有難う。自分の思いを俳句なり短歌なり、またエッセイなりに書くって、とてもしんどい作業ですが、たとえ拙いものであっても作品ができたときの達成感といい、心豊かに満たされることは大きな喜びになりますね。あなたのように多作できないですが、心にとめて詠んでみようと思います。
クラシックは、時々聴きに行きます。声楽を習いだして、特に歌のコンサートに興味が増えました。心の底から突き上げられるような昂揚した気分に、時には、胸締め付けられるような、歌詞がわからなくても伝わってくるものがあります。だから、歌詞の無いものでも音楽は、どんな楽器にしろ、オーケストラにしろ、イメージを膨らませてくれます。
今年の初めに、ショパンコンクールで入賞したピアニストの演奏会があって行きました。同じ曲を二人のピアニストが弾いたのですが、同じ曲でも弾き手によって、こうも違うかという経験をしました。指揮者によって同じ交響楽が違ってるように。こういうところが面白いですね。数年前に、フジコ・ヘミングさんのピアノで「ラ・カンパネラ」を聴き涙が止まらなかったことを思い出しました。
【2006/04/23 21:30】 URL | seiko #- [ 編集]

seikoさんへ
クラシックを、seikoさんのように感性豊かに聴けるのは、やはりある程度の素養や、強い興味があるからなんですね。文学と同じ、やはり音楽も古典は、ある程度学ばないと無理な気がします。
実は、今回の件で、いろいろ考え、音楽を専門にやっている友人にも、尋ねてみました。今度その辺のことも含めて、ブログにまとめようと思っています。その時に、また、ご意見下さいね。
seikoさんのように、自分でやることで、身近になっていくのだなあと思います。
【2006/04/24 17:58】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年6カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
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