心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(11)~いちめんの菜の花~
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【万博公園にて。後ろはチューリップ畑。】

 「空」誌25号に載せていただいた拙文です。よろしければ、お時間のある時にでもお読みください。

        季節の詩歌(11) ~いちめんの菜の花~

菜の花畑を見るたびに一枚の写真が私の脳裏に浮かぶ。お気に入りの和服を着た母が、親しい友と三人で、夕暮れ時の菜の花畑に立っている写真である。いつも笑顔の母なのに、この写真の母は無理して笑っている感じで、当時十五歳だった私は、それが妙に怖かった。それから、一ヶ月も経たないうちに、母は亡くなった。あの写真は、病気で自分の命が長くないことを知った母が、覚悟を決め撮った写真だったのだ。心通わせた人たちと大好きな場所で―相当苦しかった体を必死にこらえながら写してもらったのだろう。帰宅したときの「きれいだったよ。」という声と、紅潮した顔を思い出す。

菜の花畑に / 入日薄れ     身わたす山の端 / 霞ふかし
春風そよ吹く / 空を見れば   夕月かかりて / 匂い淡し

                              ( 「朧月夜」高野辰之作詞・岡野貞一作曲)

「おぼろ月夜」小声で誰と歌ひしか昼は絵の具のいろの菜の花    横山未来子 
 昼間と夕暮れ時で、菜の花は印象ががらっと変わってしまう。あっけらかんとした明るい黄色が嫌いなわけではない。でも、作者に懐かしい情感を呼び起こすのは、歌にある情景なのだ。

振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花   河野裕子 
夕闇の中にぼんやりと浮かぶいちめんの菜の花。それは、作者にとっていちばん懐かしい、そして、優しくあたたかい思い出の集まりなのだろう。調べに沿って読むたびに、涙がこぼれそうになる、大好きな一首である。

体内の菜の花明り野良着きて        平畑静塔

菜の花や昔かたぎのまま逝きし       あさなが捷
 

菜の花は素朴な花である。農業と切り離せない、生活感溢れる花である。菜の花を前にしたとき、土とともに地道に暮らした人々を思う。菜の花畑のある故郷の風景が見えてくる。父を思い、母を思う花である。

菜の花の地平や父の肩車          成田千空

菜の花に咽せて卒寿の母のこと       あさなが捷


故郷や家族につながる思いは、やがて、日本の原風景にと向かう。かつて都のあった場所、今も昔をとどめる場所、そんな場所に、菜の花は当たり前のように広がっている。

ちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に       佐佐木信綱

一すぢの小道の末は畑に入りて菜の花一里当麻寺まで         服部躬治

三輪山の裾ひろがりや菜の花に      瀧井孝作


飛鳥京や平城京のあった奈良は、今も昔の面影を残しており、その跡を訪ねる人が多くいる。特に明日香は、かつての日本を見るようだと、田畑と遺跡のある風景に憧れ、春や秋になると人々が溢れる。小高い丘に上り大和盆地を見下ろせば、『万葉集』でおなじみの大和三山も一望できる。雄大な気分で眺めるもよし、土の道を歩いて、昔の人と心の中で対話するもよし。固有名詞の山々や寺の名を誰もが知っているのは、この地方ぐらいではないだろうか。これらの固有名詞が、自己主張しない菜の花とぴったり合って、伸びやかな景の見えてくる歌や句である。

れんげ雨菜の花雨に麦冷ゆる古つあふみの春ありしかな       河野裕子

菜の花の中に近江は舟路あり        米澤吾亦紅
 

琵琶湖の両岸には、豊かな水の恩恵を受けた田畑が広がる。平らな土地にれんげ畑や菜の花畑が見渡せ、湖のきらめきと共に、春爛漫という印象である。そこに、雨を降らせた一首目の歌は、「古つあふみ」という語で、「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂) 」という歌につながった。大津宮の時代は短かったが、近江には、眼前の風景だけではない時間の流れがある。また、近江八幡には、舟で巡る水路があり、両岸に菜の花の咲く頃には、その情緒を楽しむ観光客でにぎわう。琵琶湖の沿岸にも、舟の通る路があちこちにあり、句のような景色に出会うことができる。

菜の花の遙かに黄なり筑後川        夏目漱石

正岡子規と親しかった漱石は、第五高校教師の時代にもたくさんの俳句を作り、子規に送っている。松山と熊本時代で、一千七百三十五句、全体の七十パーセント近くを作っているという。九州第一の大河である筑後川のゆったりと流れる様子が、「遙かに」から感じられ、そののどかな風景に、読み手の私もうっとりする。

又兵桜T0904 
【中国語仲間Tさんが今年撮影した、奈良宇陀の又兵衛桜。樹齢300年で木の周囲3メートル。後ろは桃。】

       椿G0904   カタクリT0904   スズラン0904 
【左からGANKOちゃん撮影の珍しい椿・Tさん撮影の自然のカタクリ・私撮影の大学構内花壇のスノーフレーク】

近世以降、菜種油を採取するため、それまでの荏胡麻に変わり、西日本では油菜が広く栽培されるようになったそうである。四国に生まれ育ち、学生時代からずっと近畿に住む私にとって、菜の花はなるほど親しいはずである。

菜の花にしづみて川の曲りけり         柴田佐知子

菜の花や古墳の裾のやはらかき        高倉和子


春の旅は西へ、と私は決めている。大阪を出て、中国・四国・九州と目的地は違っても、車窓に見える菜の花に、心が揺れる。蛇行する川を隠してしまうほど豊かな菜の花の群れ、遠く見える古墳の線はなだらかで、麓を菜の花が彩る。その誘うような明るさに、私は途中下車をして、春を満喫したくなる。

春浅き海のひかりに菜の花の咲きて電車のドアはひらかる      木村輝子

故郷の駅なら尚更、そうでなくても、海辺の菜の花は、「お帰り」と迎えてくれるようである。ドアが開かれ、外の光と色が目の前に溢れたとき、作者の心も開放感でいっぱいになったのだろう。菜の花の黄色に反射して増幅した光が、胸に溢れた生きる喜びを象徴しているようである。

次の歌には、土地に生きる人のたくましさ、力強さまで感じられる。

菜の花の光まぶしき地区境よろこびは土にまたわが内部に     山田あき

菜の花といふ平凡を愛しけり          富安風生

最近でこそ少なくなったが、一昔前までは、至る所で菜の花畑を見ることができた。その平凡さを愛すことが、幸せへの近道なのかもしれない。悲しみを知っているから、普通であることを有り難いことと、感謝の気持ちで受け止められる。次の句と歌は、人生の辛さの先に詠まれたのではないか。一見無邪気な喜びの表現のようだが、素直な言葉の奥に寂しさが隠れている気がする。「しあはせさうに」という言葉遣いや「口笛を吹く」という動作は、単純ではない。

菜の花がしあはせさうに黄色して        細見綾子

悲しみの少なき場所よ妻と立つ菜の花のなか口笛を吹く          岩井謙一


山村暮鳥の詩「風景 純銀もざいく」は、「いちめんのなのはな」を繰り返すことで、菜の花畑の広がりを視覚的にも訴える素敵な作品だ。

いちめんのなのはな/いちめんのなのはな  いちめんのなのはな/いちめんのなのはな
いちめんのなのはな/いちめんのなのはな  いちめんのなのはな/かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな


三連からなるこの詩は、全く同じ繰り返しのように見えながら、八行目が大きく変化している。「ひばりのおしゃべり」「やめるはひるのつき」視点がしだいに上に向き、最後にのどかな春の景色が、不安感を帯びたものに転換する。それは、次の句につながるような気だるさと言えようか。明るさがはらむ狂気は、どこにもある。

花菜風しづかに母の狂へるか           井上弘美

菜の花やおのが黄に倦む入日中         能村登四郎


次の二首には、若者が内部に抱え込んだ菜の花の黄がある。それは何か優しい可能性をはらんだものに思えるのだが、明るすぎる昼間ではなく、夕暮れであることが大切である。

黄のはなのさきていたるを せいねんのゆからあがりしあとの夕闇    村木道彦

菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに        水原紫苑


もっと若い子どもたちにとって、菜の花はどんなふうに見えているのだろう。

駆ける子ら菜の花明り満面に             浅井青陽子

菜の花の色の帽子と菜の花と             山本一歩

サヨナラがバンザイに似る花菜道           正木ゆう子

世界の子らになの花いろの炒りたまご        呉羽陽子


子どもたちは、一面の菜の花畑を前にすると、思わず駆けだしてしまうだろう。その子らの顔に照り返す花明りが美しい。通学用の黄色い帽子は、菜の花を頭に掲げたようで、菜の花畑の中に見え隠れする姿が愛らしい。友達との帰り道、「サヨナラ」「サヨナラ」と互いに大きく片手を振っているうちに、気持ちが溢れて両手になってしまう。どれも子どもらの生き生きとした姿が見えてくる句だ。この子たちがずっと幸せでありますように。そして、世界中の子どもたちが、温かい食卓を囲めますように。素直にそう祈りたくなる句だ。菜の花の優しさが、これらの句と次の歌を詠ませてくれたようだ。

ほのほのと菜の花明りやさしけれ地上三尺黄のはな浄土        春日真木子

菜の花は暮れてののちも色たちてほのに明かるき道をゆくなり     岡野弘彦


IMG_2337kinzyo0904.jpg 
【今年は桜が見頃になってから青空の花見日和が続き、仕事のある身が恨めしく思えました。家の前の桜。】

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
どうも・・・
今回もお花の写真がとっても美しいですね。それから、文章にも引き付けられる魅力があります。個人的にはエッセイストや作家にも向いていると思います。
来月の歌会は用事のため出席できないのが残念です。また再来月の歌会を楽しみにしています。
【2009/04/12 22:49】 URL | 中村ケンジ #- [ 編集]

中村ケンジ さま
コメントをありがとうございます。
歌会、私はかなりとぼけていましたが、知らないことも学べ、いろいろ勉強になりました。
昨日は、友人のパッチワーク作品を見がてら、大津市に出かけました。
琵琶湖疎水、三井寺と、染井吉野も枝垂れ桜も見頃で、感動しました。
今週末にでも、その時の写真をアップしますので、また見て下さいね。
【2009/04/13 18:39】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


菜の花って単独でみるよりわぁ~~~と集まって咲いているのが好きです。
以前、伊豆の河津桜を見に行った時にちょっと濃いピンクと河原に咲いている菜の花のコラボが目に焼き付いています。

お母様がご覧になった菜の花は素晴らしかったのでしょうね。

菜の花を詠んだ歌がこんなにいっぱいあるのね。
亀さんがお好きな河野裕子さんんの詩は私も読んだときに「いいな~」と思いました

『又兵衛桜』って言うんですか。
しだれ桜みたいに見えますが、大きいですね。
お見事!そばで見たら圧倒されそうです。
【2009/04/14 10:13】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2009/04/14 10:15】 | # [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
長い文章を丁寧に読んでくださってありがとうございます。
今日は、久しぶりの雨で、なんだかほっとしました。
桜が満開になってからあんまり晴天が続くもので、かえって不安でした。

>菜の花って単独でみるよりわぁ~~~と集まって咲いているのが好きです。
そうです、そうです。少しならあったのですが、文章に合ういちめんの菜の花は写せませんでした。
電車から川沿いにわぁ~~~と咲いてるのが見えたのですが、(もしかしたら、からし菜?)残念ながら撮れなくて。

伊豆の河津桜と菜の花はステキなんですね。前にれんげ草ちゃんも言っていました。一度は、見に行かないといけないなあ。
『又兵衛桜』は、奈良の辺鄙なところにあるのですが、臨時バスが出ていて、年間(といってもほとんど春ですよね)6万人も訪れるとか。
見に行ったTさん、とても感動され、これから一本桜を追っかけたいと言われていました。
私も、完全に仕事をリタイアしたら、桜のおっかけがしたいです。
v-252
【2009/04/14 18:06】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

こっそりさんへ
お花の正しい名前を教えて下さってありがとうございます。
「スノーフレーク」を「スズラン」と書いていましたね。v-436 早速訂正しました。
時々、こういうドジをします。また、発見されたときは、よろしく!です。
【2009/04/14 18:10】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


体内の菜の花明り野良着きて
河原土手の斜面に群生しているのをよく見る菜の花ですが、
田んぼの畦や畑の際に数株だけ生えている菜の花の光景が
いいなと思いながら、上の句を読ませてもらいました。
農家の方が絣の野良着を着ていたら最高です。
【2009/04/14 22:11】 URL | こもれび #hGt.gl.I [ 編集]

こもれびさんへ
昨日の雨から一転、再び暑いくらいの一日になりました。
一気に桜が散り、八重桜があっという間に満開になり可愛い花を咲かせています。

こもれびさんが選ばれた俳句、「体内の」というのが効いていますね。
「野良着」という言葉もいいです。絣なら雰囲気ぴったりですね。
菜の花は、自然の豊かなところで好きに咲いているのが、一番似合いそうですね。
薔薇のようにまじまじと見られなくて、幸せかも…。
【2009/04/15 17:52】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

先週末の京都
は凄い人出でした。久しぶりの大学クラス会が祇園であったのですが、夕暮れ時は繁華街へ向う、道と言う道が渋滞で大変。銀閣寺から祇園まで歩いた人もいます。私たち女子4人は、その前の桜見物で疲れ果て遅刻しそうになっても歩く元気もなく、二条から四条までの木屋町で渋滞につかまって、車が約30分立ち往生するのにまかせ、ぼっと車中の人になっていました。歌か俳句でも浮かべば良いのだけれど、ただただぼんやりです。でもその分ゆっくり桜が見れました。

この日のコースは、京都駅発原谷苑行き。七条から北山まで川端通りを通って(ずっと桜でそれは見事!)修学院から北山通り、時々疎水を通って植物園へ。賀茂街道を北大路まで下りて、それから原谷苑。帰りは仁和寺のほうに抜け、きぬかけの道を通って金閣寺。叉賀茂街道を通って出町へ。で、二条から木屋町のコースです。
川端通りと木屋町は朝とかまだ車が少ない時に走ると、圧巻。ぜひ一度経験してください(多分もう経験済みですよね)
【2009/04/17 00:29】 URL | 犬塚 #- [ 編集]

犬塚さんへ
抜群の「京都お花見」コースですね。 v-252
部分部分は経験ありますが、これだけ一気にはとてもとても。
地元の人でなくては味わえないディープなコースですね。
これだけを行くとなると、やはり車ですか?
京都の町を車で走る自信はないので、電車・地下鉄・バスを乗り継ぐか、タクシーを利用してということになるかしら?
お花見シーズンの京都は、どれだけ混むかしら?とちょっと怖い感じなので、いつかこのコースを再現するときには、コツを教えて下さいね。

中国語の先生が、こんどお国に帰られるのですが、日本の桜に未練がいっぱいという感じであるということが、今日の中国語でわかりました。
Tさんの「桜の本」を見ながら、枝垂れ桜にしきりと感心されていたので、原谷苑を教えてあげてたらよかったのに・・・と、残念に思いました。
もう間に合わないよね?
【2009/04/17 17:09】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
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