心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(19)~秋は夕暮れ~
 一日ごとに木々の紅葉が進み、朝の通勤時には桜や欅の葉に光が当たり、とてもきれいで、心も浮き立ちます。が、帰りは日の暮れるのが早く、寂しく心細い夕闇に、「ああ、また寒くて苦手な冬が来る」と、かなり憂鬱な気分になってしまいます。なんだか好きな季節の幅がだんだん狭くなっていっているようで、子どもの時や若くて元気な時は、こんなふうではなかっただろうに…と、思ってしまいます。とまあ、愚痴はここまで。
今回は、俳句雑誌「空」33号(2010年11月)に載せて頂いた拙文「季節の詩歌(19)~秋は夕暮れ~」に、とっておきの夕日の写真をあわせてアップ致します。文章は、出版の都合で、毎回2ヶ月前に書いています。
美しい写真はすべて、知人で写真を趣味にしている方からの提供です。各地の夕日をお楽しみ下さい。

 DSC_8179花の丘の夕日(万博公園)
 【万博公園にて、花の丘の夕日】

       季節の詩歌(19)  ~ 秋は夕暮れ ~

四季のある温帯の国が、亜熱帯化してしまったような近年の猛暑や豪雨である。このような異常気象が常態化したら、平安朝期の文章も歳時記も、実態とずれてしまって味わえなくなるのではないかと心配になる。清少納言の書いた「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて…」といった四季それぞれの自然や風物と、それに伴う情趣が、どうかずっと理解され共感される世でありますようにと、「秋は夕暮れ」には程遠い暑さの中で、この文章を書いている。さて、歳時記を開くと、次のような優しい句が目にとまった。

はなれゆく人をつつめり秋の暮     山上樹実雄

客人が帰って行くのを見送っているのだろうか。その後ろ姿を包み込むように、夜の闇が降りてきている。優しく穏やかで静かな秋の夕暮れである。少しひんやりした空気感も漂い、「つつむ」という語が効果的だ。また、秋の日は「つるべ落とし」と言われるように、あっという間に日が沈むので、見送る側も次の句のようであっただろう。

門出でて十歩すなはち秋の暮      安住 敦

家に居るときには気付かなかったが、門灯の明かりが届かない所に来ると、辺りがすっかり暗くなっていて、作者は、日の暮れるはやさに驚くとともに、秋の夕暮れの雰囲気をも味わっている。

そうか、暗さは、足もとからやってくるのかと、改めて思ったのが、次の句である。冒頭の句のように玄関先に立った時ふと足もとに目をやって気付いた夕暮れの暗さ、足もとを慎重に見つめながら山道を下っている時ひたひたと迫ってくる夕闇等々、さまざまな体験が実感とともによみがえる句である。

足もとはもうまつくらや秋の暮      草間時彦

02DSC_0098河口湖に沈む夕日
 【富士五湖にて、河口湖に沈む夕日】

「秋の暮」の詩歌を探しているとき、なぜか男性作家の作品ばかりが目に付いた。

このひととすることもなき秋の暮    加藤郁乎

秋の暮水のやうなる酒二合       村上鬼城

酒やめむそれはともあれながき日のゆふぐれごとにならば何(な)とせむ    若山牧水

人生のそれぞれの時期を、色と季節を合わせた「青春・朱夏・白秋・玄冬」に喩えることがあるが、これらの句や歌に詠まれた心境は、「白秋」期の人ならでは、という気がする。

一句目の「このひと」は、心華やぐような女性でも長年連れ添った妻でもなく、作者との共通点の少ない男性だろう。お酒でも嗜む人であれば、飲みながらぽつぽつ話すこともできるだろうし、黙って飲むだけでも様になるが、相手は恐らく下戸で無口な男性に違いない。この素っ気ない詠みぶりが、まさに「秋の暮」だと思う。

二句目、水のように澄みきった酒に酔えない作者がいる。二合飲んでも味気ないのは、酒そのものに問題があるというより、この「秋の暮」、酒に没頭しきれない作者自身の心境に原因があるのだろう。  

三番目の歌は、さすが酒好きで有名な牧水らしいと、思わず微苦笑してしまう。酒を止めたら「夕暮れ」に、いったい何をすればいいのか、という呟き。男の「白秋」期、彼らは、何だか時間も自分も持て余しているようだ。

次の二句には、具体的な動作が伴うが、やはりそこには、先に述べたと同様な、時間へのやるせなさや、無為な時間を過ごす自分への感慨が感じられる。「秋の暮」という季語には、言葉の歴史を踏まえた情感がたっぷりこもっているので、私自身、つい深読みしたくなってしまうのかもしれない。

鶏頭を抜き捨てしより秋の暮        安住 敦

疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮   小沢昭一

DSC_7078生駒山に沈む夕日(奈良公園)
 【奈良公園にて、生駒山に沈む夕日】

ところで、「秋の暮」の寂寥感や孤独感といったイメージを決定づけたものとして、次の三夕(さんせき)の和歌があげられる。

寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮        寂蓮法師
(この寂しさは、とりたててどの色のせいというわけではない。何となく寂しさが身にしみるよ、杉や檜の常緑の木々の立ち並ぶ山の秋の夕暮れは。)

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮        西行法師
(もののあわれを解さない自分のような者にも、このしみじみとした情趣はわかることだ。鴫の飛び立った沢の、この秋の夕暮れを前にすると。)

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮        藤原定家
(見渡すと、彩りの美しい花も紅葉もないことだ。しかし、それ故いっそう趣深い、海辺に苫屋だけが見える、この秋の夕暮れよ。)

 これだけ人口に膾炙された「秋の夕暮」の印象に、現代の人たちはどのような新しい視点を加えていくのだろうと思った。そんな時、心に届いたのが次の歌や句である。

他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水         葛原妙子

「他界」と「的」いう発想が幻想的で、暗さをたたえた湖が冷たい質感を伴って立ち上がってきた。

われらかつて魚(うを)なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる   水原紫苑

こちらは原始に戻る大らかさの中で、人間の根源的な記憶に触れる夕暮れの訪れを歌って、魅力的だ。

水の中から鎖がのぼる秋の暮     小川双々子

秋の暮大魚の骨を海が引く       西東三鬼

こちらの二句はシュールな現代絵画を思わせる。前の短歌がどちらも気配に重きを置いていたのに対し、これらの句には視覚から「秋の暮」を納得させる強さと面白さがある。

さらに、新しい秋の夕暮れを、都市を背景にして表現していると感心したのが、次の句と歌である。

殺めては拭きとる京の秋の暮      摂津幸彦

終戦記念日に、京都でタクシーに乗ったときのことだ。「先の戦って、京都では応仁の乱のことを言いますねん。」と運転手が言い、「千本釈迦堂には、その時の刀傷もありますよ。」と、ひとしきりその「先の戦」の話になった。幾たびも政争の地となった京都は、そのたびに殺戮の跡をぬぐい取り、今に生きてきたのだ。「京の秋の暮」には、無常がふさわしい。

種苗会社のビル耀へり下京区梅小路なる秋のゆふぐれ        香川ヒサ

京都駅が近づくと「タキイ種苗」のビルが目に入る。あの有名な会社のビルはここかという思いと、都会に見る「種苗」の違和感が、ビルを見るたびに生じる。しかしここでは、夕日に耀く情景に添えられた固有名詞が、秋の夕暮れとよく合っている。

うかうかと自分を差し出してしまひさうなポストの口がゆふぐれに開く   沢田英史

恩寵はゆふぐれにしてかろき身を都市の底ひに漂へといふ         前川佐重郎

秋の暮通天閣に跨がれて        内田美紗

何もかも曖昧にしてくれそうな夕暮れには、上の歌や句のように現実を超越している詠みぶりが似合う。これらの作品には、自分の小ささとそれを包み込む都会の大きな景、その中に自分を溶け込ませることで、生きにくい世をかろうじて生きている、そんな人間が描かれている。これらの作者だけでなく、現代社会の中で、頼りなく危うい自分を感じている誰もが、深い共感を覚える歌と句である。

 DSC_8449八坂の塔(高台寺)
 【高台寺にて、八坂の塔の夕日】

秋の夕暮れと言えば、次の芭蕉の句は外せない。

この道や行く人なしに秋の暮      松尾芭蕉

次の三句も、芭蕉の句と同様、「道」と「秋の暮」を組み合わせているが、それぞれの違いが興味深い。

まつすぐの道に出でけり秋の暮     高野素十

どのみちといふ道へ出て秋の暮     山崎百花

一本の道両側の秋の暮         草間時彦

「まつすぐの道」で遠くまで見通せるのだけれど、茫漠とした印象を与える一句目。迷っているうちに思いがけない道に出たのだろうか、途方に暮れた感じの二句目。三句目は、道そのものでなく、その両側の暗さに「秋の暮」を見つけた。それが周りの風景をリアルに想像させていい。
いずれの句にも、真の闇を迎える前の不安や焦りが漂っているような気がするのは、人が作者一人しか見えないせいだろうか。秋の暮れは、一人では心細く寂しすぎて、自然と人恋しくなってしまう。

人の行く方へゆくなり秋の暮      大野林火

何かふわーっと魂が誘われるような感じで、無意識に人のあとについていくことも、人にはありそうだ。それはまた、次の句のように、後ろ姿に懐かしさを感じる気持ちも生じさせるだろう。

前をゆく人に覚えや秋の暮       大橋敦子

「秋の暮」という状況設定が、人の心に郷愁を呼び起こすのかもしれない。次の歌の「肩の辺に来て」という感覚も、懐かしさにつながる優しい表現だ。

ゆふぐれは肩の辺に来て 水うてば水の重さに萩しなひたり         藤井常世

打ち水に順応してたおやかにしなう萩の様子は素直で柔らかく、私に穏やかで静かな世界を感じさせる。「ゆふぐれ」は、人の感性をウエットに刺激するようだ。それは、次の二首にもよく現れている。

雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ      岡井 隆

まごころを君に 夕暮れちぎれ雲あきびんの中そらを集めて          森本 平

『枕草子』の「夕日のさして」から「日入り果てて」までの時間を、胸に想いをいっぱいにして空を眺めている作者像が浮かんだ。夕日に映える雲を見ながら、きっと心寄せる人を思っているに違いない二人の作者を、羨ましく思った。とてもロマンチックで、相手を思う優しさに溢れた、美しい歌である。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

とっておきの夕暮れの写真。
なるほど!
万博公園のシルエットは何ともいいですね。
工作物だけでなく、草木もリズミカルに主張している。
【2010/11/10 22:41】 URL | こもれび #hGt.gl.I [ 編集]

こもれびさんへ
こんばんは。
夕暮れは、時間との勝負なので、待ち時間が結構大変だそうです。
写真は、タイミングとトリミングが大事と聞きましたが、こういう写真を見るとほんとにそうだなと思います。
撮れたときに撮ったらいいやという私の甘い写真とは、違うなと感じました。

>工作物だけでなく、草木もリズミカルに主張している。
ほんとですね。
【2010/11/11 17:43】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


「秋の三夕」・・・大好きです。
初心者の頃、大いに参考にしました。

琵琶湖・比叡山をテーマに「春の三夕」を作歌して、滋賀歌会デビューしたのがなつかしいです。
そのときはおおむね好評で現在に至ります。

ある意味、私の原点と言ってもいいかもしれません。
【2010/11/11 21:34】 URL | 中村ケンジ #- [ 編集]

中村ケンジさんへ
お早うございます。
今朝は、昨日と一転曇り空で、せっかくの紅葉が光がなくて、もったいないです。
昨日の天気予報で、秋の黄砂が来ると言っていました。中国からはいろいろと来ますね。

「春の三夕」ですか。
近江八景でしたっけ?
滋賀には、美しい自然と豊かな歴史がありますからね。
今のように生きにくい時代こそ、自然の中で体を動かすことが大切だと、作歌一つのことでも思います。
【2010/11/12 08:12】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


2度目の訪問です。 平城遷都祭も終わり、正倉院展のお茶のお手伝いにも参加させても

らい、そろそろ秋も終わりかな っと 思ってたところです。

何とも美しい写真。やはり秋の夕日ですね。   

季節感のある朋子さんのブログ ホットします。

私も、ゆったり、夕日を 見よう





【2010/11/12 16:30】 URL | k.s #- [ 編集]

k.sさんへ
こんばんは。
>2度目の訪問です。
そうですね。ありがとう。ちゃんとわかりましたよ。

今年は人が多いだろうと思って、奈良を避けていましたが、奈良公園の銀杏もきれいな黄葉になっているだろうなあ。
今年は、通った高校は創立110周年、大学は100周年だそうで、それぞれにいろいろ催し物があったみたいです。
時の経つのは早いですねえ。なんだか寂しくなってしまいます。自然に慰めてもらおう!
【2010/11/12 19:51】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

こんばんは
とても勉強になりました。秋の夕暮れの寂寥感、、様々な悩み事抱えた人生の秋の時季にいる身には迫ってくるものがあります。幸いなことに、詩歌にそして自然に親しむことで、また元気を取り戻し静かに再び歩んで行けそうな気がして嬉しいです。ありがとうございます。ところで、先日短歌の番組にて、どんぐりとか幼なを詠まれたお作品が入賞されておめでとうございます。
【2010/11/13 03:47】 URL | 乃里子 #- [ 編集]


どのお写真も美しい夕焼けですね。
本当にお上手ね。

今年はなかなかきれいな夕焼けが見られません。
まだまだこれから楽しめますよね。
関西は黄砂がひどいようですね。
こちらもうす曇りです。

松島の紅葉を見てから京都の紅葉を見たくなりました。
この季節、ついつい遊びの予定を入れてしまって毎年、京都に行きそびれています。
【2010/11/13 21:01】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

乃里子さんへ
こんばんは。
先日は、お葉書をありがとうございました。

>詩歌にそして自然に親しむことで、また元気を取り戻し静かに再び歩んで行けそうな気がして嬉しいです。
そうですね。言葉や自然にね。この良い季節は、外に出て、できる限り自然に触れたいです。

>先日短歌の番組にて、どんぐりとか幼なを詠まれたお作品が入賞されておめでとうございます。
ありがとうございます。NHK短歌の雑誌は、毎月取っているのですが、投稿することは年に1回あるかないかなので、今回のはビギナーズラックです。
事前に電話を頂いて、放映日がわかっていたので、早起きは無理なので録画で見ました。
うまく読み取って下さったので、嬉しかったです。
乃里子さんは、この番組よく見られるのですか?私は、初めて見ましたが、展開がゆっくりしていて、この年になると楽でいいですね。
【2010/11/13 21:25】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
こんばんは。
>本当にお上手ね。
写真を提供して下さった方は、カメラも本格的だし撮影対象に対する意気込みが違いますね。

>関西は黄砂がひどいようですね。
そうなのです。せっかく紅葉が見頃なのに、青空が映えなくてもったいないです。

>この季節、ついつい遊びの予定を入れてしまって毎年、京都に行きそびれています。
自分の足で歩ける時に、どんどん行かなくっちゃね!元気がなにより!
京都の紅葉は寺社仏閣があっての紅葉なので、自然たっぷりの中の紅葉を味わおうと思ったら、全国各地に出かけたいですね。
完全リタイアをしたら、桜と紅葉の見頃を狙って、全国を旅したいなあ。
【2010/11/13 21:44】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年1月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
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