心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(20)~鴨の声~
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 「空」誌34号に載せて頂いた拙文「季節の詩歌(20)~鴨の声~」です。
   先日、伊丹市にある昆陽池公園で撮った、鳥の写真とあわせてアップします。お時間のある時に…。

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海暮れて鴨の声ほのかに白し     松尾 芭蕉

芭蕉は目だけでなく耳もいい人だったのだろう。有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」、「秋深き隣は何をする人ぞ」、いずれも聴覚が効いている。また、古典をよく勉強していた芭蕉は、新しい詠みにも果敢に挑戦した。ここにあげた句からも、そのことがわかる。さて、冒頭の句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるが、「白」をどうとらえるかだろう。「白」と聞いて、すぐ浮かんでくるのは、高屋窓秋の句「頭の中で白い夏野となっている」である。色の「白」をイメージしながら、「空白」につながる「白」。案外、芭蕉はその空漠の中に漂っていたのかもしれないという気がする。そのとらえどころのなさは、夕闇の中に一人立つ寂寞感につながろうかと、次の句を読んで思った。

さみしさのいま声出さば鴨のこゑ   岡本 眸

「さみしさ」といえば、こんなに寂しいことはないだろうと、若い時に読んだ歌がある。

ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ   大津 皇子

よく学び武芸にも優れた皇子が、有能で人望もあったゆえに、政敵に謀反の疑いをかけられ処刑されたという、この歌の作者の悲劇はよく知られている。若くて才能も実力もある皇子が、明日はもうこの世にいない自分を思いながら聞く鴨の声は、おのれ亡き後も命あるものの声であるだけに、哀切である。次の句は、大津皇子の悲運を連想させると同時に、各地に残る悲しい言い伝えを思い出させた。

鴨鳴くや悲しき沼の話聞く       高浜 年尾

ぴいぴいとか細く鳴く鴨の声は、姿の見えない状況の中でこそよく聞こえるようだ。

霧ながら月の照りたる刈り田にはいづらやほそく鴨の啼くらむ       中村 憲吉

月の冷気しづかに降(くだ)り眠るまへに鳴きかはす鴨のこゑこもりゐる  横山未来子

ひんやりとした月夜、一羽で鳴く鴨、仲間で鳴き交わす鴨、どこか別世界を思わせる空気感がある。

水の樹をめぐるみぞれの閃々と鴨ら一つの声に鳴きあふ         河野 愛子

光を受けてきらきらと降るみぞれの中、互いの姿が見えず不安なのだろうか、鴨の鳴き声が聞こえてくる。それを「人恋ふ声」と詠んだ次の句は、作者も寂しさに耐えかねて人を恋うているのだろう。

冬の鴨人恋ふ声を上げにけり     長沼 紫紅

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切ないほどの鴨の鳴き声を聞いたあとで、鴨肉を食する詩歌はどうかとも思うが、古来、貴重な蛋白源として、食してきたのも事実であるから、目を逸らさずに読んでみよう。ふだん私たちが鴨鍋などで頂くのは合(あい)鴨(がも)で、真鴨(まがも)もしくは軽鴨(かるがも)と家鴨(あひる)の交配種である。近年は、合鴨農法が盛んになったため、シーズン終了後の合鴨を食用に回すことも多いと聞く。

鴨を煮て素顔の口に運ぶなり     澁谷 道

私の生活に近いのは、上の句である。「素顔」が人間の中に潜む野性味を示唆していて、「鴨」とよく合う。次の句や歌にみえる鴨撃ちは、私の身近にはない。

猟夫(さつお)と鴨同じ湖上に夜明待つ     津田 清子

照準のなかなる鴨が朝焼けの沼の明りに頸(くび)を伸ばせり      津川 洋三

「鴨」と「猟夫」の対比が際だつ句と歌である。はやる気持ちを抑え「夜明」を待つ「猟夫」と、そうとは知らず穏やかに「夜明」を待つ「鴨」。「同じ湖上に」というところに、作者の張り詰めた心情が感じ取れる。句の状況をさらに具体的に述べると、隣に並べた歌のようになるだろう。「照準」を合わす撃ち手の緊迫感と、のんびり「頸を伸ばす」鴨の対照的な様子が、こういう場での人と鳥とを描ききっている。それは、非情とか痛々しいという言葉を超えたもので、一つの真実としか言いようがない。

撃ちし鴨掴めば薄目あけにけり    奥坂 まや

雪の沼に撃ちたる鴨をさげて來ぬ病み臥る我をなぐさめむため       結城哀草果

鴨の骨叩く音なり二階まで       後藤 綾子

人が生きていくということは、こうやって他の命を頂いていくことなのだ。撃たれた鴨の「薄目」を見た作者は、一生その目を忘れないだろう。また、「我」のためにと提げて来られた「鴨」に、作者は複雑な思いを抱いたのではないか。二階まで聞こえる骨を叩く強い音に、この鴨はどんなに逞しい脚や体で、今まで生きてきたことであろうと、作者は胸を痛めているに違いない。無用な殺生は不要だし、まして遊びでの狩猟など全く共感できないが、撃った以上はきちんと食べないと申し訳ない。都会に住む私は、整った結果を享受するだけであるが、狩猟を生きる糧にしている人がいるのも確かなのだ。と書きつつ、次の句を読んだとき、涙がこぼれた。

吊るされて鴨は両脚揃へけり      土肥あき子

「鴨は」の「は」にすべて凝縮されている。作者にとって、これは他人事ではないのである。空を飛び、湖沼に遊ぶ鴨を知っているからこそ、心に堪えられない現場であり、「揃へけり」の主語を鴨にして詠まずにはいられなかったのである。

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毎朝、通勤途中に鴨を見て、親しみを感じている私にとって、狩猟の対象となる鴨の詩歌は、やはり辛い。ところで、この季節、飛来した鴨を数えるのが、私の楽しみの一つになっている。異常気象が取り沙汰される昨今であるが、今年も十月中旬から戻り始めた鴨たちは、例年と同じ四十羽ほどになった。

水中の陽を囲みたる鴨の陣         寺井 谷子

鴨の陣ただきらきらとなることも       皆吉 爽雨

鴨たちが朝の光を引きながら水面を滑るように泳ぐ姿は格別美しく、時間を忘れて見とれてしまう。また、水上に円陣を組んでいる様子も興味深く、つい見入ってしまう。水面に映る朝日を囲みながら、今日一日の予定を皆で確認しているような鴨の様子は、なんだか人間くさくて面白い。鴨を囲む、空からの光と水面を反射する光の「きらきら」は、見る者に幸福感をもたらしてくれる。行くときに見る朝の鴨もよいが、帰りのまだ暮れきるには早い時間帯に、じっくり眺める鴨も味わいがある。

心こそ光るにあらめ夕日映る水を走りて鴨ら遊べる      馬場あき子

鴨が自在に泳いでいる様は、まさにこの歌の「遊べる」がふさわしい、楽しそうな情景である。水面に映える夕日も輝いて美しい。そんな中、これと決めた一羽ではないが、時々動きの気になる鴨が現れる。

蓮揺れて その影揺れて 縫うのは鴨    伊丹三樹彦

岸辺に近い植物の群生しているところや、この句のように蓮の茎が林立しているところを、動きにくいだろうにわざわざ選んで泳ぐ一羽の鴨がいる。植物相手に一人遊びを楽しんでいるようにも見えるし、仲間はずれにあってしょげているようにも見える。結果、私はじっと見つめることになる。

鴨の中の一つの鴨を見てゐたり        高浜 虚子

鴨群るるさみしき鴨をまた加へ         大野 林火

群れに戻ったのを確かめて、やっと視線が他のところに移り、全体の景色が目に入ってくるのである。

鴨のからだの通りしほそき跡のこし薄暮の色にしづみゆく湖(うみ)    横山未来子

水脈を引く鴨の詩歌が意外に少なかった中、若い作者の、この繊細な表現と静かな雰囲気に心惹かれた。


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鴨は、晩秋から初冬にかけて渡ってき、つがいをつくって越冬し、春には群れになって北方の繁殖地に帰る。池や湖沼に棲む真鴨などの淡水鴨と、海に棲む海鴨に大別される、そのそれぞれを見てみよう。

鴨流れゐるや湖流るるや       深見けん二

冬の蓮折れてこまかきかげのなか浮く鴨らみな息(いこ)ひのかたち       上田三四二

枯はちすひれ伏すところ黄昏(くわうこん)の水となりつつ鴨一羽浮く       三國 玲子

水面下の脚の動きは見えないが、陸から見る限り、それはただ水の動きに任せて浮いているようにしか見えない。意志を持って移動しているのでも留まっているのでもなく、脱力しているような姿が、私たちは気になるのだろう。入り日を受けて黄昏色に輝く水面に浮く鴨は、ブロンズ像のようだ。これが、いざ羽ばたこうとすると、静寂の世界から一転、次の句のように羽音も聞こえそうな力強い情景となる。

水に立ち羽ばたかんとす暮の鴨    山田 六甲

水の上に下りむとしつつ舞ひあがる鴨のみづかきくれなゐに見ゆ     古泉 千樫

こちらは、鴨の動きのみならず、水かきまで細かく観察して、典型的な写実の歌となっている。

下りて来し鴨の一群(ひとむれ)は蒼(あを)潮(じほ)の大きうねりにのりて漂ふ 川田 順

飛ぶ鴨も夕日も波のしぶく中      橋本 榮治

海に出て伸縮自在鴨の列        右城 暮石

鴨の動きが伸びやかに見えるのは、雄大な海が背景にあるからだろうか。しかし、限りのない海の、その果てのなさは、自由も不安も感じさせる。

渡り来てはぐくむ鴨よ戦はぬ誇りあやふき国の水辺に        竹村紀年子

はじめての雪見る鴨の首ならぶ鴨の少年鴨の少女ら         佐佐木幸綱

社会性を感じさせる歌、初々しい抒情の歌、どちらも、情景描写だけではない魅力をたたえている。新しい見方を教えてくれる詩歌との出会いは、歌や句を読む喜びを尚一層大きなものにしてくれる。

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テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

鴨の写真も美しいですね~
私は近くの荒巻バラ公園に行ったことがあります。
馬場あき子の鴨の作品もあるのにビックリしました。

今度は鵲とかメジロなども取り上げてもらえるとうれしいです。
【2011/01/07 21:49】 URL | 中村ケンジ #- [ 編集]

中村ケンジさんへ
お早うございます。
今朝は早起きをしたので、きれいな朝焼けを見ることができました。

>私は近くの荒巻バラ公園に行ったことがあります。
私もよく行きました。とてもいいバラ園ですね。
昆陽池の鳥は、以前より少ないように感じましたが、気のせいでしょうか?
通勤の往復に見る池には、例年と同じ数の鴨を見かけましたけれども…。
これだけ自然のあるところが開発されると、いろんな生き物のことが心配になります。
【2011/01/08 10:50】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


よく撮れてますね。
こんなにきれいな色なんですね。
赤、黄、緑がはっきり、くっきり。

鴨はこんなに詠まれて喜んでいるかしら。
【2011/01/08 21:07】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
お早うございます。
元日の大雪で立ち往生した鳥取の9号線での人情話を、今朝の新聞で知り感動しました。

>赤、黄、緑がはっきり、くっきり。
真鴨の雄です。鳥は、雄の方が美しいですものね。

>鴨はこんなに詠まれて喜んでいるかしら。
無視されるよりはいいかしら?まあ、そんなこと知ったことじゃないでしょうけど…。
身近にいる鳥なので、人間が思いを重ねたくなるんでしょうね。
【2011/01/09 09:13】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年1月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
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