心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌 (21) 猫の名前
今年もまた3月2日、3日と雪が降りました。地球温暖化が言われて久しいのに、なぜかこの時期の雪だけは決まったように降りますね。ちょうど、昔の国立大学1期の入試の時期で、40年前から(もしかしたらもっと前から)ずっと続いているようで、我が家では毎年「今年も降ったね。」と確かめるのが、恒例になっています。

季節の詩歌(21)~ 猫の名前 ~ 

「空」誌35号(2011年2月号)に載せて頂いた拙文に、わが家の猫ハオとミューの最近の写真を添えてみました。
お姉さんのハオ(濃色)は、相変わらずシャワーが好きで、新聞を読んでいると必ず上に乗って読めなくします。
弟のミューは、昼間はハオにくっついて眠り、コタツでは夫の足の間で眠り、夜は私の腕枕で眠り、の毎日です。

            
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ミュージカル「キャッツ」は、公演期間の長さと観客動員数の多さを誇る人気作品である。私も昔、見に行ったことがあるが、猫の自由な生き様に刺激を受けたのだろう、帰り道で思わず踊り出していた。先日、改めてその原作であるT.S.エリオットの詩集『キャッツ』(池田雅之訳)を読んでみた。猫の側から書かれたこれらの詩は、もっと気持ちを解放して個性的に生きたら…と人間に教えてくれているようだ。その中の「猫に名前をつけること」という詩の一部を引用してみよう。

ほら、猫ってよくもの想いに耽(ふけ)っているだろう。そのわけは、いつも同じことさ。
猫は、自分の名前について、うっとりと瞑想に耽っているんだ。考えに考えて、考えに考えあぐねて、いわく言い難い、言えそで言えぬ、深遠で謎めいた、たったひとつの名前はないものかと―。


猫が瞑想しているのではないかと思うことは、よくある。この詩のように、自分で付ける名前を考えているとは思わなかったけれど、確かに名前は自らの存在がかかった大事なものである。


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春の猫名前は夏目金之助       坪内 稔典

「夏目金之助」は『吾輩は猫である』の作者、夏目漱石の本名である。漱石の小説をあれこれ思い浮かべてみるに、「金之助」作ではどうもしっくりこない。つまり名前は単なる呼び名ではなく、アイデンティティーを確立するための非常に重要な要素なのである。光の明るい春に生まれた猫だから、輝かしくもどこかのどかな「金之助」と名付けた。猫はこの名前のように育つかもしれないし、密かに自ら「漱石」と名前を付けて溜飲を下げているかもしれない。その後の猫の個性に、その結果は出てくるだろう。

口辺を舐めつつわれに向き合へるこの不作法な猫に名のあり          竹山 広

「名前はまだ無い」猫ではなく、せっかく名前を付けて人格ならぬ猫格を認めたというのに、それに見合った品格が身についてないぞと、憮然としつつも内心苦笑している。この作者もやはり、名前の大切さを充分にわかっている人であろう。

猫に名をあたへて我はしぐれをり   加藤 楸邨

捨て猫に名を付け家族の一員として迎え入れた作者の、自由気ままに生きている猫を一つの家に束縛する哀しみと読むか、捨て猫に安住の地を与えた感激と読むか、両方の気持ちが感じられる。どちらにしても、猫の側に立っている作者であることは確かだ。

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瞑想の中身は、名前のことだけではないだろう。猫が窓辺で寂しげな風情を漂わせながらじっと外を見ている姿は、まるで詩人か哲学者のようだ。

胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき          葛原 妙子

目をつぶり静かに坐っている猫は、離ればなれになった家族のことを思っているのだろうかとか、野原を思い切り駆けたいのだろうかとか、宇宙と交信しているのだろうかなどと、私はつい想像してしまう。人間と同じ言葉を話さないからといって、何も考えていないというわけではないのである。

わが膝に片手をかけて啼く猫はさびしき秋の神にあらずや         桑原 正紀

しつかり者の猫ゆゑわれの寂しさの番してくるる欠伸しては眠り      河野 裕子


猫は寂しがり屋である。だから、寂しい人の気配にも敏感である。さりげなく傍に寄り、互いに寂しさを感知するうち、どちらも心が慰められているといった具合だ。無関心を装いつつも気にかけている猫の態度に、優しさの本質はあると人は気づく。

元日の野良猫がもつしづけさよ    加藤 楸邨

猫を恋ふ人のかたへに火は燃えて火を恋ふ猫がしづかに坐る        山田富士郎


猫はむやみに啼いたりはしない。自らの気配を消してしまえる。うるさい人や音が嫌いである。場の空気を読んで、自分の取るべき態度を決めることができる。したがって、この句と歌のように静かであるべき時や所で、当然のように「しづか」にしている。

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人との付き合いが長い「猫」は、人の期待に応える術も愛される方法も知っている。しかし、無理はしない。残っている野性本能を発揮すべく、猫たちは実に猫らしく生きるのである。その代表は、恋猫。受験勉強の時期に、耐え難い鳴き声に悩まされた人も多いのではないだろうか。

ランボーを五行とびこす恋猫や    寺山 修司

恋猫の恋する猫で押し通す      永田 耕衣

恋猫の恋する猫で終らざる今朝がつがつと飯食(は)んでいる     大下 一真

恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく    加藤 楸邨

恋猫の身も世もあらず啼きにけり   安住 敦


子孫を残さねばならぬ本能ゆえといえばそれまでだが、この必死さはどうだろう。年に数回迎える発情期のたびに、「身も世もない」とばかりに啼かれ、妊娠されたのでは、人間の方がたまらない。野性のまま生きることができたら幸せであろうと思いつつ、やはり人間社会で共存していくには、そのままというわけにもいかないのが辛いところである。

去勢手術了へたる猫がさびさびと尾を振りながら雲を見てをり      桑原 正紀

可哀相なことをしたなあと、猫に気持ちを寄せて思っているのだろう。私も捨て猫を貰い受けて家で飼うことにしたとき、同様の手術を猫に施してもらったが、子を産めない猫にしてしまったことが申し訳なく、今でも時々悔いを感じる。

みごもりて盗みて食ひて猫走る    橋本多佳子

冬越しし野良猫家族かずの減り三毛雉二匹と茶が生きてゐる      万造寺ようこ


野良で生きる猫は、必死で食べ物を確保し、命を次の世代につないでいく。厳しい季節を屋外で生き抜くことは難しく、野良猫は家猫よりずっと短命である。厳寒の中で食べ物もなく過ごす猫を見ると、連れ帰りたくなるが、家飼いにも限界がある。また、その思いとは逆に、野良に生きる猫の自由を奪う権利が人間にあるだろうかという迷いも生じる。

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おのれ満ちたる生きざま蝶も猫の子も 加藤 楸邨

百代の過客しんがりに猫の子も    加藤 楸邨


猫にも人間と同じ生きる仲間としての尊厳を認める作者の目線が、優しく大らかである。単なる愛玩動物としてではなく、猫の野性を愛おしみつつ共に生きようとしている人が、文学者には多い。

すでに名の付きし仔猫をもらひ来し  片山由美子

猫の仔の一匹こぶしほど部屋にゐて朝はしづかに明るんでゆく      万造寺ようこ


すでに名前がついている猫は、元の家族に惜しまれつつ作者の家に貰われて来たのだろう。また、新しい家に連れてこられた猫は、すぐに温かく迎え入れられ、明るさをもたらす存在として生き始めている。捨てられて命を落とす仔猫も多くいる中で、幸せな「猫生」のスタートである。

猫の子がちよいと押へるおち葉哉   小林 一茶

あらかじめ迫る殺気を絶つごとく猫が尾を立てて行く冬の坂       尾崎左永子

蜘蛛ひとつおりくる空の透明に爪ひからせて猫はうかがう        上川原紀人

捨て猫の石をかぎ居つ草いきれ    富田 木歩


動体に強い目、すばしこい足、アンテナとしての尾、鋭い爪と嗅覚、自然に近い猫は五感を研ぎ澄ませ、猫の四季を生きていく。

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生みし仔の胎盤を食ひし飼猫がけさは白(はく)毛(まう)となりてそよげる       葛原 妙子

肛門をさいごに嘗めて目を閉づる猫の生活をわれは愛する         小池 光

水分くるやうにカーテンを頭(づ)で押して猫は向かうの夜へ出でゆく    万造寺ようこ


猫はどこで暮らしていても、猫の本能と習性に従って生きる。自らの身を清める堂々とした姿、自己完結し満足している様子、決まった時間に出かける縄張りの点検、これらの、人に媚びずマイペースで生きるところが、どれも猫の魅力と言えよう。さらに、猫の魅力と言えば、幸福の極致のように眠る姿。また、目覚めたときの体の伸ばし方は、ほんとに気持ちよさそうで、私などはつい真似してしまう。

恋猫の恋の果てなる勺玉寝      大石 悦子

引き寄せしわれを拒みて飼ひ猫が自らを抱く形に眠る          村松 秀代

前肢より絞るごとくに尾に移る背のびする猫のめざめの力        永田 和宏


よく寝るから「ねこ」という説もあるほど、「猫生」の大半を寝て暮らす猫にも、やがて老いが訪れ、死を迎えることとなる。

老猫のひるね哀れや二月尽      網野 菊

逝く猫に小さきハンカチもたせやる  大木あまり

もの言はぬけだものにしてもの言はぬままに逝きたりわが猫、太郎    桑原 正紀

ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚     夏目 漱石

イヌネコと蔑(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生(せい)を完うす       奥村 晃作

にんげんに出来ぬことなり野良猫はいつかどこかで人知れず死ぬ     野村 清 


名前を付けられ家猫として生きてきた猫、人に与(くみ)することなく野に生きた猫、どちらが幸せであったかなどという野暮な質問はしない。最後に、再びエリオットの詩の一節を引いて、この文章を終えたい。

・・・この世に詩歌(うた)に詠われぬ猫はなし。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

す、すごい…

今回はネコの写真とネコの俳句&短歌がたくさん紹介されていてビックリです。

こんなにたくさんの作品があるとは思わなかったです。
【2011/03/04 18:58】 URL | 中村ケンジ #- [ 編集]

中村ケンジさんへ
こんばんは。
猫好きの歌人は多いですから、まだまだたくさんありますよ。
「塔」の中にも、たくさんおられますよね。
共通点があると、親しみが増します。

【2011/03/04 20:57】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


おはようございます。

ネコちゃん特集ですね。
写真、俳句、短歌、小説にもたくさん登場してるのね。
ミューちゃんは可愛いわ、甘えん坊なのね。

夫の姉が大のネコ好きです。
名前の付け方が「ゆり」「さくら」と人間にも使える名前ばかりなの。

【2011/03/08 09:06】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
こんばんは。
昨日は、関東地方が雪でしたね。
梅の花に雪が積もってきれいな映像を、テレビで見ました。

>ミューちゃんは可愛いわ、甘えん坊なのね。
そうなのです。一般的に、オス猫の方が、甘えん坊らしいです。
とてもおしゃべりで、甘えた声で鳴くので、相づちを打つのが楽しいです。
ふとんでは、べったりくっつくので、コタツみたいに暖かいです。
平安時代に宮廷で飼われていた猫も、コタツ代わりだったのではないかしら。

>名前の付け方が「ゆり」「さくら」と人間にも使える名前ばかりなの。
メス猫でしょうか。近くに同じ名前の人がいると、ちょっと困っちゃいますね。
【2011/03/08 19:10】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年7カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !
2017年 9月26日カウンター343434通過



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