心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(3)~春は桜~
「空」誌17号(2007年4月)に載せていただいた拙文です。
2011年5月、「季節の詩歌」というカテゴリーを作り整理し直したところ、抜けていたので追加しました。

    季節の詩歌(3)~春は桜~

さまざまの事おもひ出す桜かな      

桜の花の季節は、入学・入社など人生の節目と重なることが多く、掲句は、私たちの気持ちにぴったりくる。
以前、作者名を知らずにこの句を読んだとき、小学生が卒業に当たって詠んだ可愛い句だと、実は思った。たくさんの出来事の中から一つだけ具体的なことを持ってくるのは、難しかったのだろうなと勝手な推測をして。ところが、この句が、芭蕉作だとわかった途端、それまでと違う「さまざまな事」が見えてきた。いい句は、作者名がなくても、真実に触れ、時代も年齢も超えた普遍性を持ち、後の世まで残るが、個性との兼ね合いは、いかがなものだろうなど、余計なことも考えた。

さて、芭蕉が桜と共に思い出した「さまざまな事」を想像してみよう。まず思い浮かぶのは、芭蕉が憧れていた西行である。

願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ    西行

人生で一度は見たいと皆が思う吉野の山桜を、西行は見ることができたと聞く。山桜は古くから、美しさを愛でられるだけでなく、農耕社会の祈りのシンボルでもあった。花見には、豊作や長寿を願う人々の思いが込められていたのである。西行や芭蕉は、山里を歩きながらそんなことも考えたに違いない。
西行と同じように旅に生きた芭蕉は、有名な奈良の八重桜を見ながら、古に思いを馳せたことだろう。

奈良七重七堂伽藍八重桜            松尾芭蕉

いにしへの奈良の都の八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな     伊勢大輔  

伊賀から出た芭蕉が居を構えたのは江戸。次の句には、当時の華やかな町の様子が伺え、浮き浮きした気分が伝わる。

花の雲鐘は上野か浅草か            松尾芭蕉

しばらくは花の上なる月夜かな         松尾芭蕉
 

月夜に桜となると、忘れられないのは次の歌である。

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき   与謝野晶子

華麗で妖艶な円山公園の枝垂れ桜と花見の宴を楽しむ人々が見えてくる。京都の寺社仏閣には、歴史ある枝垂れ桜があちこちにあり、早めの花を楽しむことができる。

夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る      佐藤佐太郎

まさをなる空よりしだれざくらかな       富安風生
 

夜桜も宵の頃の桜も趣があって素晴らしいが、明るい青空に映える桜を見上げていると、花の美しさに胸がいっぱいになる。

さくらばな陽に泡立つを見守りゐるこの冥き遊星に人と生れて    山中智恵子 

春の光に暖められて、桜の蕾が、少しずつ弾けるように開いていく明るい様子と、下の句の象徴性が、いかにも現代的だ。このような、開花時の桜を詠んだ歌は、あまり見かけない。散る桜に比べ、満開の時の詩歌も少ない。美しさが盛りの花に、正面から向き合うのに、相当な力がいるからかもしれない。

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり      高浜虚子

これだけ堂々とした俳句を詠むには、自他共に認める器の大きさが必要であろう。満開の桜を詠むのには、覚悟がいる。

桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり       岡本かの子

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり           馬場あき子

綺麗な桜の花をみていると / そのひとすじの気持ちにうたれる   (八木重吉の詩「桜」)


美しすぎる桜に、人々は霊の力も感じたようで、梶井基次郎の短編小説『桜の樹の下には』には、花の下に埋められている死体まで登場してくる。次の歌も不思議な世界を創り上げている。

夜の校庭しみじみと獏はあらはれて黒き桜を食ひはじめたり    川野里子

この辺りに詠まれている桜は、幕末から広まった染井吉野が多いかと思う。丈夫で成長の早い染井吉野は、吉野という名前もあって、人気種であるが、出征する兵を見送るために、並木として植えられたという話もある。散る姿の潔さに、戦う覚悟を重ねたのだとすると、あまりに悲しい歴史である。
 
しかし、何といっても「散る桜」ほど、日本人の情感に訴え、絵になるものはないようで、落花の様を詠んだ詩歌は、圧倒的に多い。次の『古今集』の歌も、それである。

久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ        紀 友則

世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし        在原業平


花はまだかと待ちわび、満開になると、散るのを惜しみ、「桜、桜」と言っているうちに、春が過ぎる。花が終わってしまうと寂しくて、もう来年の花が気に掛かる。昔も今も変わらない、日本人独特の心情のようだ。

中空にとまらんとする落花かな       中村汀女

散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる        俵 万智


これらには、散る花びら一枚一枚を、愛おしむ作者の視線がある。

空をゆく一かたまりの花吹雪        高野素十

落花舞ひあがり花神のごとし        大野林火


春の風に落花の早まった様子が見え、花の最後の命が感じられる。
次の句と歌には、花の散りゆく先まで見届けたい思いがあふれる。

ちるさくら海あをければ海へ散る      高屋窓秋

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも       上田三四二

さくらのはなびらはわたしらの足もとをどこにもないひかりでてらす   片山文雄
      

どれも皆、限りなく美しい情景である。はらはらと散る花びらは、光の化身かと思われるほど、心に残る輝きを放つ。人々が、花の散る様子に、自然の姿を見るだけでなく、人生も重ねて見たくなるのは、わかる気がする。詠み手だけでなく、読み手の方も、景色以上の情感を読んでしまうのである。

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり       入道前太政大臣

わが佇つは時のきりぎし今生の桜ぞふぶく身をみそぐまで      上田三四二


翌年また桜を見られるかどうかはわからない。しかし、できるだけ多くの回数、満開の桜に出会いたい。人生の旅
はまだ半ば。

落花踏み落花掌に受け旅なかば       岡田日郎

落花浴び遙かなるもの見てをりぬ      佐々木千代恵
 

高校生のとき習った次の詩。私はうっとりと、桜の花びらの散る様子を、頭の中に描いていた。突然、先生が「『わが身』の気持ちはわかるか?」と尋ねられ、おみなごの気分に浸っていた私は、驚いた。しかし、今なら、散る花びらに乙女らの短い春を重ね、また、春愁を抱えている青年をも容易に想像できる。

     甃のうえ    三好達治
あわれ花びらながれ / おみなごに花びらながれ
おみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫音そらにながれ
おりふしに瞳をあげて 
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるおい
廂々に / 風鐸のすがたしずかなれば
ひとりなる / わが身の影をあゆまする甃のうえ


童謡で有名なまど・みちおさんには、素敵な桜の詩がある。

さくらのはなびら   まど・みちお
えだをはなれて / ひとひら
さくらのはなびらが / じめんに たどりついた
いま おわったのだ / そして はじまったのだ
ひとつの ことが / さくらに とって
いや ちきゅうに とって / うちゅうに とって
あたりまえすぎる / ひとつの ことが
かけがえのない / ひとつの ことが


次の優しい詩も、まど・みちおさんならではという気がする。

まいねんの ことだけれど / また おもう
いちどでも いい / ほめてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで / さくらに そのまんかいを…
  (詩の/は改行部分です。)

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年1月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
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