心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
心に響く詩歌(歌集)-桑原正紀さんの歌集
  今回は桑原正紀さんの歌集をご紹介します。
   
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最初に桑原正紀氏の歌を知ったのは、「NHK短歌」2008年2月号の「自選五十首」コーナーでした。心にしみる歌が多く、印をいっぱい付けました。特に、次の一首は、冬欅(けやき)の立ち姿の好きな私にとって、忘れられない一首となりました。

冬欅すがしく聳(た)てり思想とは骨格にして鎧(よろ)ふものにあらず

初心者の私は具体に徹し、抽象的なことを詠むのはまだまだ先のことと感じていますが、このように人生観を詠むことができたら、どんなに素敵だろうと思います。
またここには、たくさんの「妻」「猫」を詠んだ歌が載せられていました。興味をひかれた私は、桑原正紀歌集『緑蔭』(新現代歌人叢書18/短歌新聞社/平成17年2005年/1000円)を購入しました。また、俳句誌「空」に連載中の拙文に、桑原氏の「猫」を詠んだ歌を引用したのがご縁で、歌集『妻へ。千年待たむ』(短歌研究社/平成19年・2007年/1700円)と歌集『天意』(短歌研究社/2010年/2700円)を、幸いにも手にすることができました。

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桑原正紀歌集『緑蔭』より

『火の陰翳』 昭和50年~昭和61年

猫は猫の矜恃もつらし夕かげの涼風(すずかぜ)に銀の髭吹かれをり

喩ふれば不意に襟巻はづしたる首の冷たさ 振り向けば独り

去勢手術了へたる猫がさびさびと尾を振りながら雲を見てをり

猫の背がひどく猫背であることも今宵は親しそのまま生きよ


猫の歌は、言うまでもなく共感を覚えるものばかり。つんとすまして外を見ている猫の姿には、猫の矜恃(きょうじ)を感じますし、去勢手術にはこちらの罪悪感が伴い、猫の様子が寂しく見えてなりません。猫背は姿勢の悪さの典型ですが、すべてをそのまま受け入れることで、作者も救われているのでしょう。二首目の孤独感を詠んだ歌は、体感温度を伴う比喩も、動作を伴う結句も秀逸で、冒頭にあげた歌に次いで忘れがたい一首であります。

『白露光』 昭和61年~平成3年

真夜中の赤信号に従ひて風のみ過ぐる交叉路に立つ

ベランダの青空に手をさしのべて濯ぎもの干す妻の日曜

生まざりし妻が猫呼ぶその声のひたやさしくてかなしかりけり


一首目の「風のみ過ぐる」、二首目の「青空に手をさしのべて」という表現が好きです。三首目、仕事に打ち込み子を持たずにきた妻へ、心を寄せる作者のいたわり、深い愛情が感じ取れます。

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『月下の譜』 平成4年~平成7年

いのちとは漏刻ならむ最終のひとつしづくをかなしみおもふ

たましひがすこし寒いぞちちははを恋ひゆけば秋の天のひた青

相槌をうながし妻がしやべるゆゑ相槌打ちぬ「ねっ」が聞こえれば

いま我は生
(よ)のどのあたり とある日の日暮里(につぽり)に見し脚のなき虹

やさしさは金(きん) 涼かぜの吹きかよふ木かげにしやがむ半眼の猫

春の雪降る日曜日妻ときてさよりの細きかがやきを買ふ

うつうつと雨にこもれる子の心わかりすぎるは教師に適
(む)かぬか

枝わかれ枝わかれする峡の道をあやまたず行く心の帰郷

「いのち」「たましひ」「生(よ)」「心」と、人生について考えることの多い作者の抽象的な表現が、普遍性を持って読み手の私にも届きます。精神性の強い作者ゆえ、「妻」と「猫」と一緒に暮らす日常が、救いでもあり輝きでもあるというのが、言葉遣いでよくわかります。

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『時のほとり』 平成8年~平成12年

妻は妻のかなしみをもて家中(いへぢゆう)に花かざりゆく雨の日曜日

あかるくてふる春のあめ見あぐればひかりの筒のなかをふりくる

この家に「小吉」ありますといふごとくもくれん咲けり佳きひとの家

八月の六、九、十二、十五日どうしようもなく生者ぞわれは 

 *十二日はわが誕生日なれど義姉の命日かつ日航機墜落事故の日

生まれかはり死にかはりしてわが猫の姿を借りてかぜを嗅ぐもの

こんなふうに私も歌を詠みたいと思った歌群です。具体と抽象のバランスがとてもよくて、情景も情感もしっかり伝わってきました。「ひかりの筒」「かぜを嗅ぐ」は、よく見ることから出てきた言葉。素敵な表現で、とても勉強になりました。

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『妻へ。千年待たむ』 (長歌2首・反歌3首・短歌281首)より

読みの参考に「はじめに」から少し抜粋します。
平成17年4月17日の朝7時過ぎ、妻が脳動脈瘤破裂で倒れた。まだ56歳と9箇月という働き盛りで、何の予兆もなく突然のことであった。退院のめどがたたないまま、2年が経過しようとしている。・・・妻が倒れたのは、あきらかにオーバーワークのゆえである。小さな私学の校長として、毎朝7時には出勤し、夜8時前の帰宅はほとんどなく、出勤日は年間300日を軽く超えていた。若い時から30年近く、妻は全速力で駆け抜けてきたのであろう。しかもその間、無欠勤というのが驚異的である。生徒の評判もいい教師だったようだ。道を外れたことには妥協しない厳しさで接するけれど、ふつうの場面では母親のようにやさしかったという。彼女はいつも懐中に辞職願を呑んで事に当たっているようなところがあった。・・・本歌集は、言ってみれば妻の闘病の記録であり、祈りをこめた妻への個人的なメッセージである。・・・私たちの関係は、〈夫婦〉というより〈同志〉という言い方のほうがふさわしかった。宙ぶらりんになった彼女の意思を思うと、一番近くにいた同志として、私の中につらく悔しい思いが今でも確かに揺曳している。

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冒頭に、高野公彦氏から送られた歌「ねむれ千年、ねむりさめたら一椀の粥たべてまたねむれ千年」を願文として待とうと思うという長歌があり、歌集の題名のもとにもなった次の反歌が添えられています。

吾妻はや目覚むるならば吾はもや千年待たむ二千年また

死も覚悟せよとは医師のことばにて神にあらねば、神にあらねば

幾本もの管につながりしろじろと繭ごもる妻よ 羽化するか、せよ。

指がうごき目が開
(あ)くまでのひと月を撫でさすりつつ妻に語りき

手の指が動いたといふそれだけであふるるものをもてあましをり

やうやくにリハビリ期に入りし妻にして物言はねども表情明る

今日妻の発せし言葉ふたつみつ花びら拾ふごとく書きとむ

坂の上に湧く白き雲 いまはただその雲めざし車椅子押す

飛行船ぽかんと浮ける冬のそら 妻のなづきに洞
(ほら)三つある

ぽかんぽかんと生きゆくもよしもう充分がんばつてきた君だから


肩書きのなくなりし妻の肩の辺(へ)に葉を洩れきたる夕光(ゆふかげ)あそぶ

気持ちが分かりすぎるぐらいわかる歌集で、自身も含め、ほんとにたくさんの人たちを脳裏に浮かべながら読んだ歌集でした。互いを認め合い尊重し合う団塊の世代の夫婦像として、個人的な事情を超えた価値があると思いました。

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『天意』より 平成19年~22年の作品460首/第7歌集

あとがきより抜粋
妻は依然として(5年間)病院暮らしであるが、体力は徐々に回復しつつある。平地の歩行訓練から階段昇降にまでリハビリの段階は進んでいる。ただ、平衡感覚がほとんど戻っていなくて、手をつないで支えていないと倒れてしまう。また、新しい記憶は留めないという記憶障害は好転せず、現実認識力が弱くて時空を相対的に感覚する機能も失われたままである。

われに積み妻に積まざる時間といふもの何ならむ季(とき)めぐりゆく

甘え足りぬ猫が選歌の邪魔をして詠草集の上に寝そべる

たましひが直
(ぢか)にこぼせる言の葉の金色(きん)の銀杏のごとくかがやく

はらはらと散る花を浴びほほゑめる妻はも菩薩ここ花浄土

臨終
(いまは)のとき迫れる猫を抱きやりて「ありがとうね」といくたびも言ふ

去年
(こぞ)の蝉一匹たりともゐないこと思へばはるか昼の泛く

がんばつて倒れし妻よでもそれが君の生き方「いち、に」「いち、に」

おしやべりをするやうに啼く猫だつたときをり妻に相槌も打ち

もつと生きたいなどとは決
(け)して思はざらむ願はず祈らず獣は生きて

たぶん君は一生分を働いた だから好きなだけかうしてゐなよ

夕色のきざす夏雲かがやけり永遠とはかかる一瞬ならむ

連翹のかがやく黄
(きい)のかたはらにその名わすれし妻がほほゑむ

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 長い入院生活、以前の能力を存分に発揮し活躍していた妻とは異なる現在の妻。思えば嘆くことも悔いることもあるでしょうが、作者も妻もそこに留まることはなく、新たな境地の中に幸せを見出そうとしています。作者の妻の天性の明るさと伸びやかさが、作者を励まし救っている様子に、私もほっとしました。私が自分の限界を超える仕事で乳癌になり退職したいと思った時、いちばん欲しかった言葉は、ここにあげた次の歌でした。「たぶん君は一生分を働いた だから好きなだけかうしてゐなよ」私にも頂いた言葉として、心に入れておきたいと思います。

 作者にとって同志である妻が入院しているこの間に、子どものように可愛がってきた牝猫ミーコが14歳で、翌年牡猫のレオが15歳で死んでしまいました。妻(奥さんという表現が似合わない気がして、そのまま妻と書きました。すみません。)にそのことは告げられないまま、一人の家に帰らねばならぬ作者の寂しさを思うと、猫の写真を載せるのは躊躇われましたが、猫好きの作者ゆえ許していただけるかと、我が家の牝猫ハオ(向かって右側)と甘えん坊の牡猫ミューの写真を載せました。作者ご夫妻が可愛がってこられた猫二匹に、重ねて見ていただけたら嬉しいです。

テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

長い入院生活を送っていらっしゃるのですね。

夫の事を想い出しながら読ませていただきました。
亀さん、紹介を有難うございます。

ご回復をお祈りします。
【2011/06/21 22:02】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
ベンジャミン(keiko)さんに読んでいただきたいという思いと
ご主人のことを思い出させて、辛く悲しい思いをさせてはいけない…という
二つの気持ちを抱きながら、紹介させてもらいました。
読んで下さって、ありがとうございます。

病状の厳しい歌もあるのですが、私の性格もあって、取り上げるのは、少しでも明かりの見えてくる歌…と、自然になったようです。
何があるかわからない日々ですが、私たちもできる限り前向きに、悔いのないように生きたいですね。
【2011/06/22 18:08】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


読んでいて胸が詰まり目頭が熱くなりました。

支えてくれる想ってくれる、長い年月過ごして来たからでしょうか

長い時間、辛く悲しい時もあったでしょうに、同志以上のものを感じます。

私の近い将来を考えさせられました。

一日も早い回復をお祈りしています。
【2011/06/24 10:27】 URL | 夢詩 #- [ 編集]

夢詩さんへ
お久しぶりです。心をこめて読んでくださって、ありがとうございます。

>長い時間、辛く悲しい時もあったでしょうに、同志以上のものを感じます。
教員という同じ仕事だけに、大変さの分かる部分が多かったと思います。
妻の能力や努力の素晴らしさを身近に知っているだけに、残念さも強かったでしょうね。

お子さんのいないお二人に、今新たな優しい時間が流れている…そんな気持ちを抱きながら読んだ歌集でした。
私は、次の歌も大好きです。こんなふうに生きていい時期ってあるような気がします。

ぽかんぽかんと生きゆくもよしもう充分がんばつてきた君だから
【2011/06/24 16:42】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

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【2011/06/26 22:57】 | # [ 編集]

鍵コメさんへ
詳しいコメントをありがとうございます。
私は癌の手術で入院していたとき、担当医に「もう少し居させて下さい。」と思わずお願いしてしまいました。もちろん駄目でしたけど…。
最近は、短期入院や通院などでの治療も多いようですが、病院でゆっくりすることは体にも心にも必要なことではないかと思います。
退院すれば、いくらのんびりゆっくりと言われても、目の前の家事や育児、仕事の現場など気になるところばかりですから。

私は、中学三年生を担任していたので、夏休みに手術をし、10月に復帰しました。10年で転勤のところを11年居ましたので、そのあと転勤。
新しい職場では、明るく元気にふるまっていましたが、これを続けると再発するという恐怖が絶えずありましたので、思い切って退職して立場を変えました。
お給料はもちろん4分の1くらいに減りましたが、体力的にも精神的にもそれまでの労力の4分の1に減り、幸い再発せずに暮らしています。

書いて下さっていたように、癌は、生活を見直すきっかけになり、今まで遠慮していたことも思い切ってやれるようになりました。
よく「無病息災」と言いますが、「一病息災」とも聞きます。
突っ走ってばかりでなく、切り替えていくことも大事ですよね。
【2011/06/27 22:13】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

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【2011/06/28 08:45】 | # [ 編集]

鍵コメさんへ
ご丁寧にありがとうございます。
無理をせず生きていきたいと思います。
私は、几帳面なところとアバウトなところが結構明確にあって、それが自分を救ってくれているような気がします。

大震災以降、個人的なことにこだわるのが後ろめたく、ついつい日本の政府や企業の社会的な責任というのを考えて、暗澹とした気分になってしまいます。
個人的なことですのに、いろいろ気にかけて下さってありがとうございます。
【2011/06/28 22:13】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
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