心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(24)~蟬時雨~
「空」誌(柴田佐知子主宰)38号に載せていただいた拙文です。お時間のある時にでも…。
8月下旬に長野であった、「塔」短歌会全国大会前後に撮った写真と合わせてアップしました。
曇り空の数日間でしたが、おかげで涼しい時を過ごすことができました。

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 【姨捨(おばすて)SAにて・行き】

季節の詩歌(24)~蟬時雨~

 桜に次ぐ豊かさではなかろうかと思いつつ、蟬を詠んだ名句・名歌を採集する喜びを味わった。春の松蟬から始まり、にいにい蟬・油蟬・みんみん蟬・熊蟬といった、よく耳にする夏蟬、そして、夏の終わりを告げる蜩・法師蟬、秋のちっち蟬。今回は、私の言葉を減らして、できるだけ多くの蟬を、その一生と重ねながら紹介していきたい。

蟬すでに老いて出でたる蟬の穴    正木ゆう子

をりをりは閃くものの出入りして蟬の穴暗しひとつならずも        葛原 妙子

約七年(三~十七年とも)地中にいて、地上では一週間(一か月の説も)ほどの命しかないわけだから、句にあるように「老いて」という表現は、まさにその通り。よく命のはかなさを言われる蟬だが、そうではないという作者の目が新鮮で、心ひかれる。

暁やうまれて蟬のうすみどり     篠田悌二郎

せみの羽根硬くなりゆくひとときに朝方の影添ひわたるべし        森岡 貞香

蟬の脱皮は、早朝が多い。透明で柔らかな羽根が、しだいに硬く変化していく様は、驚きに満ちる。

空蟬の一太刀浴びし背中かな     野見山朱鳥

蟬殻を脱ぎて眼光残しけり       山田 弘子

天涯といふはいかなる崖(きりぎし)や空蟬の目に雨はふりつつ        坂井 修一

精巧なプラモデルのような、飴色をした抜け殻は、蟬が全精力を注いだ脱皮の結果である。スパッと一筋入った切れ目、置き忘れてしまったのではないかと思える両眼。空へ飛んでいった本体とは別に、岩や木にしがみついた空蝉に、哀れを感じてしまう。

森閑とこの空蟬の蟬いづこ       福永 耕二

児ら眠る空蟬の樹に囲まれて     荒井千佐代


蟬は一日中鳴き続けているような印象があるが、実はそうではない。真昼と夜間は、気配を感じさせないほど静かなときがあり、この二句はそれであろう。

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 【長野市から小布施に向かう途中の車窓より、千曲川あたり】

 しかし、何と言っても、「蟬」は鳴き声。うるさいと思った時代もあるが、限りある命を意識するようになってからは、夏の蟬声が嬉しくてならない。

とまらねば鳴けず 一樹に蟬の数      伊丹三樹彦

丘にたつ一本ゆゑにひもすがら蟬こもらせて樅の木は啼く         志垣 澄幸


たった一本の木なのにこんなにも蟬の声が?と思うことがある。一体何匹いるか、一度数えてみたい。

身に貯へん全山の蟬の声          西東 三鬼

日ざかりの暑さをこめて楢の木の一山は蟬のこゑとなりけり       太田 水穂


一木ではなく全山が蟬の声という迫力、三鬼でなくとも、そのエネルギーを体内に入れたくなるだろう。
次の句の「帽脱いで」には、全身全霊をかけた蟬の鳴き声に敬意を表し、真っ直ぐ受けとめようとする作者の姿勢が感じられる。三鬼の思いに通じる。

帽脱いで うち仰いでの 蟬時雨        伊丹三樹彦

ひとつ鳴きまたひとつ加わりて暁やがて濃き蟬しぐれ           大下 一真

蟬鳴かぬ寂
(しず)けさと鳴く寂けさと      相生垣瓜人

明け方、蟬が鳴き始めるまでの静寂と、鳴き声が増え蟬時雨となって、空から声が降り注いでくるときの静寂。立石寺を訪れた人が、芭蕉の句の「閑かさ」は本当だったと書いていた。人間の耳は不思議だ。

閑かさや岩にしみ入る蟬の声            松尾 芭蕉

(やが)て死ぬけしきは見えず蟬の声      松尾 芭蕉

一心に鳴き続けている蟬にも、やがて終わりが来る。そのことを知ってはいるが、あまりにも旺盛な生命力を感じさせる蟬の声に、芭蕉の感慨はある。

夕蟬や明日は鳴かぬかも知れぬ         竹村幸四郎

明日死ぬ蟬であらうか落雷の後のしじまも惜しみて鳴くは         宮原 望子


最後の命の一滴をも絞るように鳴く。雌を求めて、自らの遺伝子を残すべく鳴き続ける雄蟬。最後の七日間を、この目的達成のために地中から這い上がり、渾身の力を振り絞って羽化したのであるから。
雌蟬は鳴かないが、雄蟬の鳴き声に合わせて腹部を振動させるものもあるという。

啞蟬(おしぜみ)も鳴く蟬ほどはゐるならむ       山口 青邨
啞蟬も鳴きをはりたるさまをせり            加藤 楸邨

啞蟬は鳴き声がしないので、楸邨の句のように注意深く観察するか、青邨の句のように想像してみるしかない。だが、雄蟬は鳴き声で居場所がわかるため、次の二首のように、子どもたちに簡単に捕まえられてしまう。しかも、鳴いている間はとまっているため、他の昆虫よりたやすく手に入ることが多い。

夏の土ふかく曇れりふところに蟬を鳴かせて童子(わらべ)行きたり      中村 憲吉
鳴く蟬を手
(た)握りもちてその頭をりをり見つつ童(わらべ)走せ来る      窪田 空穂

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     【おぶせミュージアム・中島千波館の庭にて】

 一言に蟬の声と言っても、地域・時期・時間帯などによって、さまざまな種類がある。世界では三千種、日本では三十種ほど蟬の種類があるらしいが、いかにも夏らしいと感じるのは、次の三種であろうか。三センチほどの大きさで名前の通り「ミーンミンミン」と鳴くみんみん蟬。五、六センチの油蟬は、不透明な褐色の翅に加え、「ジージージー」という声も暑苦しく、あまり好かれないようだ。さらに大型の熊蟬は、「シャンシャン」と鈴の音のようであるが、大変な大声で力強さが感じられる。

みんみんや人の世の息急(せ)くごとく      松村 蒼石

みんみんはあたりを圧(お)さへ啼き澄めば夏草のなか従ふほかなし    前川佐美雄

蟬の鳴き声に急かされるように、日々の暮らしがさらに慌ただしくなる。南欧を除く欧米人は、蟬声をノイズととらえるから、こういう感覚はないだろう。

熊蟬やみな切腹の墓ばかり         坂口 緑志

彼の世より呼び立つるにやこの世にて引き留
(と)むるにや熊蟬の声    吉野 秀雄

大阪城公園で熊蟬の声に取り囲まれたとき、この歌にあるように「彼の世」から呼び立てられるような気がした。天守閣を間近に仰ぎ見ているという、特殊な状況がそう思わせたのかも知れない。俳句の「切腹の墓ばかり」というのは、潔く逞しかった武士たちの無念さを連想させ、熊蟬の大声とよく合う。熊蟬の鳴き声の強さ・激しさを思うと、先の句や歌とは対照的な、次の生命賛歌も似つかわしい。

熊蟬の声張る島へ赤子見に         栗田せつ子

くまぜみは居心地よき場を得たるらし一際高くフォルテシモに鳴く    糸洲 マサ


一木、一山と言わず、一島が熊蝉の声に包まれているのだろう。そこへ、元気な泣き声を上げ一生懸命生きている、命の塊のような赤子を見に行くという俳句。短歌の方は「フォルテシモ」が効いている。最強音で鳴いているのは、よっぽどいい場所を占めたからだろうという、作者の発想も楽しい。

にじりつつ逃げる用意の油蟬         荕 宮子

翅の色艶がゴキブリを連想させるところもあるだけに、この句の油蟬は動きがリアルで面白い。

ぬけがらもなきがらもある森のなか時間(とき)止まらせてあぶらぜみ啼く  木畑 紀子

さらっと「ぬけがら」から「なきがら」に続けた上の句がユニークで、一気に歌の中に引き込まれた。次の句も、すべての言葉が緊密に結びついていて、情景がありありと浮かんだ。歌も句も、油蝉が魅力的に詠まれていて、どこか哲学者か宗教家風である。

油蟬死せり夕日へ両手つき          岡本 眸

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 【やまぼうしの実・上記の庭にて】

 さて、落蟬を見かける場面が増え、朝夕の風に涼しさを感じ始めるようになると、秋蟬の出番である。

かなかなや天の淋しきとき鳴けり       赤峰 卓次

寂しくばなほ寂しきに来て棲めと花折峠のひぐらしぞ澄む        青井 史


この句も歌もそうだが、「さびしい」という言葉が、蜩ほど似合う蟬はないだろう。天から降りてくるような「カナカナカナ」という鳴き声は、私たちの意識をどこか遠いところへ連れていく。次の句の「裏山」は、作者の精神世界に存在しているのだろう。

蜩といふ名の裏山をいつも持つ        安東 次男

ひぐらしの一つが啼けば二つ啼き山みな声となりて明けゆく     四賀 光子


「生」を象徴するのが夏の蟬だとすると、「死」を暗示させるのが蜩であろうか。切なく甲高い鳴き声だ。
死ぬときの一言は蜩に習ふ         たむらちせい

この世より滅びてゆかむ蜩
(かなかな)が最後の〈かな〉を鳴くときあらむ   柏崎 驍二                              

蜩は「日暮」とも書かれ、どこかもの悲しい晩夏から初秋の日暮れを連想させる。また、哀切な鳴き声から「つくつく法師」と名づけられた蟬は、その名とその声から、命あるものの無常を思わせる。

鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ      夏目 漱石

夕月の照りそめてより近く来て声の激しきつくつくぼふし      石川不二子


生あるものに必ず訪れる死であるが、最後を知っているかのように「鳴き立て」る「激しき」声は、身を刺すように辛い。

おびただしき落蟬の数かくしたる白布とおもふけさのあきかぜ    小島ゆかり

幾万の蟬死に絶えて風の音          長谷川 櫂


どちらも以前に詠まれた作品であるが、今回の東日本大震災による多くの犠牲者のことが思われた。死を悼み、それを覆う優しさのある両作品には、時を越えた普遍性と心を慰撫する力がある。

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 【姨捨(おばすて)SAにて・帰り】


テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

長野のブロ友さんにお誘いを受けて数年前に小布施に初めて行きました。
お写真の同じお庭の写真があります。
個人のお宅がご自宅のお庭を開放されていますよね。
小布施が気に入ってその後も一度行きました。

松本の街も好きです。
二女に案内されて歩きましたが歩道にも小さな川が流れていたり、白塀の建物が残ってたり、、、
松本城は大昔に行ったきりです。

夏前に友人たちと善光寺に行こう!と計画を立てたのですが台風が接近していて中止しました。

亀さんのところから長野はどのくらいなのかしら。
長野駅までは3時間くらいです。

今朝はまだ蝉の声が静かです。
【2011/08/28 10:24】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

ベンジャミン(keiko)さんへ
こんにちは。
>今朝はまだ蝉の声が静かです。
そちらもですか。こちらも、不思議なほどしんとしています。もう秋?

>お写真の同じお庭の写真があります。
あら~、偶然ですね。
ここには、久しぶりに一緒に行けた長男が写っています。
小布施はいい町ですね。夫の実家から車で数十分です。
私も昔何度か訪れましたが、すっかり洗練されていて驚きました。
元酒蔵を改装した「桝一(ますいち)」でお昼を食べました。ステキでした。

>亀さんのところから長野はどのくらいなのかしら。
こちらからは遠いのよ。
新幹線で名古屋に出て、特急しなので長野へ。合計4~5時間かしら。
特急が「振り子電車」で、私は酔ってしまうので、できる限り車で行きます。
車だとさらにかかって、休憩も入れると6~7時間。

子どもの小さいときは、春・夏・冬と1週間ずつほど行っていました。
修学旅行の引率でもよく行ったし、信じられないくらいたくさん行ってると思います。

松本もいいですね。昔行ったお蕎麦屋さん、美味しかった!
【2011/08/28 11:53】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
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