心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(27)~かあさんの歌~
 俳句結社「空」誌に掲載の拙文「季節の詩歌(27)~かあさんの歌~」です。
               IMG_3948.jpg
 【おばちゃん化しているハオ。でも、何でも弟分のミューに譲る優しい猫です。】


「女は弱しされど母は強し」という言葉がある。今の世なら「女は強しさらに母は強し」の方がふさわしく思われるが、ともかく「母」の存在感は、文学の世界において圧倒的である。例えば、小説のタイトルに『母』とだけあってすぐ浮かんでくるのが、姜 尚中、三浦綾子、ゴーリキーの書いたもの。一方「父」は、向田邦子『父の詫び状』、井上ひさし『父と暮せば』、菊池寛『父帰る』、ツルゲーネフ『父と子』などで、寡聞にして『父』は知らない。短詩型文学の世界ではどうだろうか。数を比べたわけではないが、やはりすぐ思い出すのは、母をうたった作品群である。

冬になると自然と口ずさむ歌がある。

かあさんは 夜なべをして 手ぶくろ 編んでくれた / こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ / ふるさとのたよりはとどく / いろりのにおいがした
(窪田聡作詞・作曲「かあさんの歌」)

いつも働いている母、子どものことを最優先する母、故郷につながる母。人々が「母」に抱く典型的な姿がすべて、この歌詞に入っている。

蓑笠に甲(よろ)へる母のいでたちのまぶたを去らず雨の日ごろは            小野興二郎

皺のばし送られし紙幣夜となればマシン油しみし母の手匂う              岸上 大作

上田五千石の句に「秋の雲立志伝みな家を捨つ」というのがあるが、志を持ち都会に出る者が、昔は多くあった。子への仕送りのため、雨の日も、また夜も遅くまで働いている母。その苦労を思うと、申し訳なさとありがたさとで、胸が一杯になるのだ。

夜学子を幾度母の覗きけん      岩木 躑躅

受験期の子を持つ母親は、子が風邪など引かぬよう、万全の体制で試験に臨めるよう、気配りに忙しい。無事合格し、子の喜ぶ顔を見たいのである。それは、受験に限らない。自分の仕立てた着物を、わが子が喜んで着る姿を思い描き、裁縫に時間を割く。子はそのことを幸せに思い、次のように詠むのである。

(こ)の衣(きぬ)の身丈肩裄そらんじて母います小さき灯(あか)りのやうに         高尾 文子

子のことを思ってくれる母、その母が居る家、母は「灯り」であり「光り」である。心細く不安を感じながら生きている身に、母は希望であり愛である。

雪道をふみしめ行けば雪原のはてに光りあり母まちおらん               川口美根子

熱病みて林檎を絞る夕べには泣くほどでなく母の恋ひしき               前田 益女

子どもの頃、熱が出ると、母が林檎をすりおろしてくれたことを思い出す。この歌の作者もそうなのだろう。全身で守ってくれた母が、懐かしく恋しい。

ところで、「母」の詩といえば、サトウハチロー。彼には、四百編近く母と子の詩がある。その中に、母国語のいちばん最初の担い手である母をうたった「すてきな母さん」という詩がある。

なんでも知ってる すてきな母さん / あの鳥めじろ この花りんどう / 鳥の名花の名 星の名までも / 母さん みんなが おぼえるまでは / いくどもなんども くりかえす

女の人がおしゃべり好きなのは、言葉を次の世代に伝える仕事があるからだと聞いたことがある。わが子だけではなく、周りの子どもたちに飽きることなく優しく言葉を教えているのは、女性が多い。話し言葉だけでなく、文字にして遺すことも多い。

雁ゆくや母の文また読みかへす    山口波津女

母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字  川本けいし

手書きならではの良さが感じられる二句である。文字には、書いた人の気持ちや息遣い、人柄までが表れる。文字を介しての母子のつながりが、温かい。こうやって私たちは、大切なことをたくさん、母親から受け継いできたのだと思う。

       IMG_3827.jpg 【長野駅前】

このようにずっと頼りにしてきたのに、もう頼っていてはだめなのだと気づく時がある。母親が年老いたことに気づく瞬間は、ひどく寂しい。

たはむれに母を背負ひて / そのあまり軽きに泣きて / 三歩あゆまず     石川 啄木

有名な啄木の歌。この頃は「重きに泣きて三歩あゆめず」などとパロディ化されることもあるが、本歌の「あゆまず」に、作者の心遣いがある。

秋草の花咲く道に別れしがとぼとぼと母は帰りゆくなり                岡野 弘彦

母はもう我を叱らず夕さりのひかりのようにしずかに微(わ)(ら)う          井ヶ田弘美

母親の様子を客観視する時の、なんとも言えない寂しさがにじみ出ている二首である。「とぼとぼと」「しずかに」の形容が、かつての元気な母ではなく、もう子どもを保護してやることもないのだという悲しさや寂しさを湛え、切なさがこみ上げてくる。

物の慾すでに枯れたるすがたにて雪の晴間の日向に母あり            鹿児島寿蔵

すぐ寝つく母いとほしや隙間風    清崎 敏郎

さらに「枯れたる」母であれば、そこには生命力の薄れた存在として、作者の眼前にある。もう、子の方が守らねばいけない時期が近づいているのだろう。「いとほし」は、自分より弱いもの、可愛いものに心寄せる心情である。どちらの作品にも、母への優しい眼差しがある。

ここまで、疑いようのない母性愛を前提とした詩歌を見てきたが、いつもそういう理想的な存在として、母がある訳ではない。

わが母のひとりのときの顔を見し擦れ違いたる車の中に                中川佐和子

偶然見つけた、いつもと違う表情の母。家族にとって常に明るく笑顔の母親が、一人のときに見せる表情は硬く厳しいものであったかもしれない。しかし、それは作者にとって、驚きを伴う喜びでもあったのではないか。周りの人に尽くすだけでない、一個人としての新しい母親像は、次の歌にも感じられる。

教室の小さき椅子に母ら坐りて集中的に母とぞなれる                 花山多佳子

子がいるから自然に母になる訳ではない。子を宿し、産み、育てていく中で、母になることを学んでいくのである。窮屈な椅子に自分を押し込めている母は、その居心地の悪さゆえに「集中的に」母にならざるを得ない。それは、一途に子を思う真剣な姿でもあるのだが、どこか意識的で演者のようでもある。

黴のアルバム母の若さの恐ろしや   中尾寿美子

(にら)の花しろく咲く庭わかかりし母を若いと思わず過ぎき              吉川 宏志

必死に母になろうとしているのは、若い母親であるが、子の方は、生まれた時から「母は母」。時が過ぎ、改めて「母の若さ」に気づくのは、古いアルバムや昔からの風景を前にしたときである。子どもの側から見る母親は、いつだって信頼できる保護者であり、そこに「若さ」を見ることは過去になかったのである。

       IMG_3828.jpg 【氷の衣】

子どもが自立すると、母親は「母の役」をひとまず置いて、自分のために生きる時間を増やし始める。子育てから解放された女性たちの姿は、生き生きとたくましく、心身ともに自信と余裕が溢れている。

母が吾をまたいでゆきぬ年の暮    夏井いつき

今日よりは九十となる母が言ふ百までも生きて困らせようか              宮地 伸一

ほどほどで逝くのが理想と言ふ母が師走の庭に体操をする               平田 利栄

どの作品にもユーモアがあり、元気な母親を喜ぶ作者がいる。健康で長生きしてくれる親は確かにありがたいが、現実はそう容易ではない。老親の介護をする短歌や俳句が、高齢化社会の中で増えている。

施設へと戻りし日のまま日めくりは年を越したり母の小部屋は             林本 政夫

母の日の母の襁褓を替へにけり    田部井竹子

かつて面倒を見てもらった子どもの側が、今度は老母にお返しをする時期が来たのである。さまざまな思いが、子にも母にもよぎることであろう。

そして何よりも「母」を思うのは、母親が亡くなるとき、亡くなったあとである。自分の体験からも、過去に詠まれた作品群からも、そう思う。

今生の汗が消えゆくお母さん     古賀まり子

母の死のととのつてゆく夜の雪    井上 弘美

死ぬ母に死んだらあかんと言はなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ            池田はるみ

母の死は心に痛い。辛い。悲しい。寂しい。母に支えられていたのだと思う。後悔ばかりが先に立つ。母の死を受け入れるには、静寂と長い時間が必要だ。「母」という存在は、いつでも次の歌のようである。

在りし日もかなしと思ひ死してなほかなしかりけり母といふもの              岩田 正

いつでもどこでも思い出す「母」、自分が生きている限り「母」は生きている。そのことが、子を励ます。

ここに母佇ちしと思ふ龍の玉     石田 郷子

亡き母が蒲團を敷いてから帰る    八田 木枯

かくて母はわれの面輪に存(なが)らふる夜の鏡に髪梳きをれば              米田 律子

子ら五人破片(かけら)持ち寄り花瓶(はなかめ)をはり合はすがに亡母(はは)を語れり     藤岡 武雄

改めて言うまでもなく、すべての人は「母」から生まれる。自らの存在の原点は「母」である。そのことに、地球の未来も含め、大きな可能性を信じたい。

 IMG_3954.jpg
 【優しいお母さんのようなハオに、いつも甘えるミュー。】

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
こんばんは…
「母」の一連の作品群、どれもいい作品ばかりですね。
特に、吉川氏と池田氏の2首が印象的でした。
【2012/03/21 21:46】 URL | kenji #tHX44QXM [ 編集]

kenjiさんへ
こんばんは。
>特に、吉川氏と池田氏の2首が印象的でした。
丁寧に読んで下さったんですね。
池田はるみさんの歌、心にぐっと入ってきます。いい歌ですね。
母という存在が、いい歌を詠ませるんだろうなと思います。
【2012/03/21 21:56】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2012/03/22 12:19】 | # [ 編集]

鍵コメさんへ
温かい言葉をありがとうございました。
励みにさせていただきます。お体、どうぞお大事になさってくださいね。

今日は、休みをとって、次男の大学の卒業式に行ってきました。
大人しい子で、親として至らないところもあり、本人も苦しんだと思いますが、ほんとうに素晴らしい親孝行をしてくれました。
こんなに心に残る晴れがましい卒業式に臨席できて、一生の幸せです。
【2012/03/22 14:51】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


次男さん、おめでとうございます。
素晴らしいプレゼントを頂きましたね。

母を超える二首が気になりました。
いつも頼っていた母がいつの間にか頼られる方になっていました。
でも私は父にそれを感じた時の方がショックでした。
娘たちもそろそろそう感じる頃かもしれませんね。

古い外国の映画(コメディー)ですが、男も子供を産めるようになり夫婦が平等?になりました。
その映画を観て、もし夫が産んだ子供だったら自分が産んだ子と同じに愛せるだろうか、なんてバカなことを考えました。
若い頃のことです。
【2012/03/22 19:23】 URL | ベンジャミン(keiko) #oUPgpoCM [ 編集]

ベンジャミンさんへ
>次男さん、おめでとうございます。
ありがとうございます。彼もひとまずほっとしたことでしょう。これからも大変ですけど…。

>でも私は父にそれを感じた時の方がショックでした。
私も、父親が急に寂しそうに見えた時があったり、議論で言い負かした時があったりして、ベンジャミンさんのように感じた時がありました。
母は早くから病弱で、家族でいたわっていたので、頼りにする感じは、私にはありませんでした。

>もし夫が産んだ子供だったら自分が産んだ子と同じに愛せるだろうか、なんてバカなことを考えました。
どうでしょうねえ。やっぱり自分が産んだというのは、絶大の自信になっているかもしれませんね。
子どもにとっては、ありがたくもあり、愛情が重たくもあり、かもしれませんが…。
【2012/03/22 21:53】 URL | 大空の亀 #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kamenoashioto.blog52.fc2.com/tb.php/516-f66ee1c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
2007年10月24日カウンター77777通過
2008年 5月23日カウンター100000突破 !
2008年 9月 8日カウンター111111通過
2011年 5月 4日カウンター200000突破 !
2012年 1月10日カウンター222222通過
2014年 9月15日カウンター300000突破 !



カテゴリー



最近の記事



最近のコメント



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カウンター



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード