心に響く本・詩歌・言葉・音楽・風景
私の読んだ本や聴いた音楽、出会った風景の中から心に響いたものを紹介します。
季節の詩歌(38)-帽子の中
 光が少しずつ春めいてきました。「空」誌に掲載いただいている拙文です。

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季節の詩歌(38)~帽子の中~
               
数年前に山口を旅行した折、湯田温泉の「西村屋」に泊まった。種田山頭火がお世話になったり、中原中也が結婚式を挙げたりした老舗の旅館である。あいにく休館日だったが、近くに中也記念館があった。

いま脱ぎて置かれしごとく軟らかしケースのなかの中也の帽子           中西 輝磨

私も青春時代に中也の詩に出会い心惹かれたが、あの帽子の、若くて美しい中也像も魅力的だった。大岡昇平のエッセイ「詩人と写真」に、中也の帽子に関する面白い文章があった。一部引用したい。

「現在中也像として最もポピュラーなお釜帽子の肖像写真」は「大正十四~五年、十八~九歳と推定、銀座の有名な写真館でとった。」ものである。「お釜帽子と当時いわれたのは、黒いソフトのてっぺんを平らにつぶしたもの」で、「短頭であった中原にはこの方がかぶり易かった。」という。「彼は詩人としてポーズしている。詩をやろう、と方針をきめた時、とったものと思われる。そしてこの写真は彼の代表的写真となり、十二分にその目的を果した。」

帽子が単に防寒とかの用途だけではなく、生き方や人物をも象徴するというのは、興味深い。

遠目にも夫とわかりし冬帽子    松本 蓉子

人込にまぎれざる師の冬帽子    中里 カヨ

同門のよしみも古りぬ冬帽子    細見 綾子

長い付き合いの中で見慣れ、その人そのものと思われる帽子。夫、師、同門、どの句にも、親しい間柄が感じられ温かいのは、フェルトなどで作られた「冬帽子」の暖かく軟らかい質感も影響している。それだけに、遺品となった冬帽には、深い思いが宿る。形見の冬帽子を、きまりのように被る作者もまた、逝った人への尊敬の念や強い気持ちを抱いているのだと、体の一番上に載せるものだけに、思う。

見覚えの冬帽もまた遺品なり    大橋 敦子

規矩の如冠す形見の冬帽子     醍醐 育宏


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昔の写真では、ソフト帽や鳥打ち帽を被った男性や、クロッシェ型の帽子の女性を見ることが多いが、この頃は、髪型の崩れるのを厭うせいか、ニットキャップの若者を見かけるぐらいだ。冬帽子を被った時の安心感は捨て難いものがあるので、少々残念だ。

冬帽子かぶりて口の重くなり    黒木 純子

人こばむごとく目深に冬帽子    荒川 香代

天鵞絨(ビロード)の帽子目深にかぶるとき隠れ蓑に似るこころやすらぎ      宮 英子

冬帽子まぶかにかむりポストまで凍てし坂道蟹歩きして            西垣田鶴子

心が傷ついて誰にも会いたくない時、疲れていて喋りたくない時、素の自分を曝したくない時、そんな時が誰にもある。それならば、家にじっとしておればよさそうなものだが、強いて外に出ることで、そんな自分の孤独と対峙したいのだ。つくづく人間は厄介で面白い生きものだと思う。

冬帽のをとこの真顔みたりけり   柴田白葉女

けふを生く険しさ眉に冬帽子    篠田悌二郎
赤茶けし帽子ひとつに悲しみをあつめしごときさびしき男           前田 夕暮

表情を隠してくれているという安心感で、無防備になっている帽子の下の顔。しかし、それは逆に、人の好奇心を刺激し注視されるのかもしれない。

冬帽子とコートに軽き音を立て時雨は坂を濡らし過ぎたり           田附 昭二

時雨れていても焦ることなく、帽子とコートで身を鎧う作者は、案外この雨を楽しんでいるのかもしれないのだが、他者に見える姿はそうではない。そんなことも、次の句に思うのである。

何求(と)めて冬帽行くや切通し    角川 源義

人よりも後れて歩む冬帽子     秋元きみ子

寒い中をわざわざ一人歩む姿は、孤独を知っている者にとって、自分自身を見るような気がして、心を重ねてしまうのではないだろうか。


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ところで、帽子の効用の一つ「自己を消す」は、別の角度から見ると、中也がしたように「新しい自己」を創りだすことでもある。人気漫画家の手塚治虫や藤子・F・不二雄のトレードマークは、ベレー帽だったが、私が毎月出かける俳句サロンの主も、そうである。

ベレーはみ出る白鬢 神戸でなら死にたい     伊丹三樹彦

西洋文化のあふれる港町神戸だから、ベレー帽も似合う。洋画家のベレー姿もよく見かける。俳号が俳人を作り上げていくように、ベレー帽が芸術家の意識を育て、自らに研鑽を積ませるのだと思う。つばのない帽子は、他の帽子と違って顔を露わにする。それだけに、自らを磨くことなく、自尊心だけが高い場合は、次のような恐ろしい歌を賜ることとなる。

オポチュニストと低く呟きふり返るベレーかぶれる彼の背後を           大西 民子

オポチュニスト(オプティミスト)とは、楽天家のこと。楽天家でいいではないかと私などは思うのだが、「低く呟き」には、作者の厳しい目がある。だからといって、委縮して自らを型にはめれば、また次のような哀しい歌となる。こんな狭い世界でかっこつけて偉そうに生きるなよ、という痛烈な皮肉にも思えるし、共感と励ましにも読める。

一枚の羽根を帽子に挿せるのみ田舎教師は飛ばない男             寺山 修司

縛りの少ない時代に生きている私たち、一度きりの生なのだから、自由を謳歌するのは悪いことではない。お気に入りの帽子を見つけ、思いきって遠くまで出かけたいものだ。

一人だけの吟行と決め冬帽子    横田 晶子

初旅をすぐに決めたる帽子かな   山田みづえ

何処へでも行ける気構へ冬帽子   大阿久雅子

俳句や短歌に親しむ私の周りには、高齢の方が多い。八十歳を過ぎる頃から皆さんそろって「足が不自由になってねえ…」と仰る。好奇心旺盛で、いろいろなものを見聞きしたい方々だけに、その悔しさは半端ではなかろうと想像する。

彷徨を許さぬ齢冬帽子       木村 蕪城

放浪の夢見し日あり冬帽子     谷口ふさ子

遠出せぬ父となりたり冬帽も    柴田佐知子
 
壁にかかっているだけの存在は、冬帽の持ち主だけでなく家族も、心配で寂しくて辛いものだ。


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くらがりに歳月を負ふ冬帽子    石原 八束

長い人生を共にしてきた帽子への愛着は、並々ならぬものがある。帽子が古びたということは、それを被ってきた自分自身も、それだけの歳月を経てきたということ。あれこれ思い出すことも多い。

手にとりて冬帽古しこと嘆ず    安住 敦

六年(むとせ)ほど日毎日毎にかぶりたる古き帽子も棄(す)てられぬかな       石川 啄木

風景は人間(ひと)のはるかなる原点 かぶらんとすれば帽子の裡側におう     糸川 雅子

嗅覚は、過去を呼び覚ます。まして自分の匂いである。動物が、自分の存在を示すため、様々な場所に匂い付けをするような、人間の原点を帽子に思う。

帽を顔に載せれば帽の内側の匂ひて苦しおのれと言ふは            森山 晴美

空つぽに満たされてゐるわが帽子冠ればゆふやみ掬ひてぬくし         上村 典子

帽子の内側には、再認識したくない自分自身が澱み、己を責めるかもしれないが、暖かい空気をためて、優しく守ってくれる存在でもある。帽子の役割は、思っているよりずっとたくさんあるのだ。

冬帽に猫を飼ひをる男かな     平井 照敏

「鍋猫」なるものの写真が流行ったことがあるが、猫は窮屈な場所が好きだ。体が直接触れる安心感があるからだろう。帽子の中で丸くなっている猫の姿と、飼い主の可愛がり方が見える一句だ。

忘れきし青き帽子の真中にて綠(あを)鳩の胃のひさかき芽ぐむ            百々登美子

「ひさかき」とは、ツバキ科の常緑小高木で、榊の代わりに枝葉を神前に捧げる、と広辞苑にある。紫黒色の球形の実を啄んだ鳩からの贈り物が、野に忘れてきてしまった帽子の中で芽生えている情景は、作者も読者も幸せにしてくれる。こんなメルヘンもいい。次の歌は、路上ライブの様子だろうか。長時間歌っても、思うほどお金が集まらないようだ。

道の上に帽子を置きて歌ふ人二時間のちにも同じ姿勢に              河﨑香南子


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最後に置いた三首は、作者の個人的な事情や社会的な背景も考えながら読むと、更に深まると思う。

引金を引くあそびなどもうやめて帽子の中の鳩放ちやれ(『魚歌』昭15)      齊藤 史

明治42年生まれの作者は、昭和11年、軍人齊藤瀏の娘として、二・二六事件に遭遇した。この歌はそれより前に詠まれているが、青年将校たちとも親交のあった作者にとって、平和を願う気持ちはひときわ強かったのではないかと感じる。

欧州の帽子の下にひとりごつ殺戮はまこときらびやかなり(『春の旋律』昭和60)  佐伯 裕子

昭和22年生まれの作者は、A級戦犯として処刑された祖父を持つ。戦後生まれの彼女であるが、個人として戦争の影から逃れることができない苦悩があったであろう。下の句にその哀しみがある。

「銃後といふ不思議な町」を産んできたをんなのやうで帽子を被る(『一葉の井戸』平13)  
                        「銃後といふ不思議な町を丘で見た」(渡邊白泉)    米川千嘉子

作者は昭和34年生まれ、一人息子がいる。白泉の句を踏まえて詠まれたこの歌には、男児を産んだ自分が「銃後の母」になるのではないかという、未来への鋭い危惧がある。愛と知性のある歌だ。

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 いつも手袋の人差し指の先が破れてしまう私。今年は、すでに2つもダメに…。ところが、先日バーゲンで買った手袋に、細やかな心遣いがあって、とても嬉しくなりました。破れやすい親指と人差し指の先(内側)に、ハートマークの補強がしてあるんです。こんな手袋、初めて!指も心も財布も暖かい&温かい出会いでした。

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

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大空の亀 

Author:大空の亀 
写真の猫は姉のハオと弟のミュー。
ハオは2006年5月5日生(伝)。
ミューは2008年10月10日生(伝)。

空と言葉と草木花が好き。
趣味は読書・文芸。

読書ノート歴33年。
年間読書冊数の平均は、学生時代は
300冊、就職後は100冊~150冊。

ブログ歴 11年3カ月
2006年 3月17日から始めました。
2006年 9月 9日カウンター22222通過
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